1952年のF1世界選手権
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アルファロメオは新車開発の資金を供給できず撤退、唯一のコンテンダーとしてフェラーリがシーズンを戦うこととなった。2リットル自然吸気エンジンの導入により多くのチームがF2に転向することとなった。アスカリは参加した6戦に優勝した。スイスグランプリには参加しなかったが、これはインディ500の予選に参加したため(ヨーロッパ人ドライバーによる初挑戦)であった。マセラティとゴルディーニの変化は僅かであったが、マイク・ホーソーンはクーパーをドライブし、翌シーズンのフェラーリ移籍を手にした。前シーズンチャンピオンのファン・マヌエル・ファンジオはシーズン序盤のクラッシュでひどく負傷し、タイトル争いに参加することはなかった。
ポイントは1位から5位まで8、6、4、3、2が与えられた。また、ファステストラップにも1ポイントが与えられた。全8戦の内ベスト4戦がカウントされた。同一車両を複数のドライバーがドライブした場合、ポイントはラップ数の多寡に関わらず平等に分割された。
開催地及び勝者
| ラウンド | レース | サーキット | 開催日 | ポールポジション | ファステストラップ | 優勝者 | コンストラクター | タイヤ | レポート |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | ブレムガルテン | 5月18日 | P | 詳細 | |||||
| 2 | インディアナポリス | 5月30日 | F | 詳細 | |||||
| 3 | スパ・フランコルシャン | 6月22日 | P | 詳細 | |||||
| 4 | ルーアン・レゼサール | 7月6日 | P | 詳細 | |||||
| 5 | シルバーストン | 7月19日 | P | 詳細 | |||||
| 6 | ニュルブルクリンク | 8月3日 | E | 詳細 | |||||
| 7 | ザントフォールト | 8月17日 | P | 詳細 | |||||
| 8 | モンツァ | 9月7日 | P | 詳細 |
エントリーリスト
* インディ500のみに参戦した車両
1952年のドライバーズランキング
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- 斜体:ファステストラップ (1ポイントが与えられた。同タイムのドライバーがいた場合平等に割り当てられた。)
- 太字:ポールポジション
- † 順位は同じ車両を使用したドライバーに配分された
- ベスト4戦のみがポイントランキングに数えられた。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
ノンタイトル戦結果
東ドイツ選手権
| レース | サーキット | 開催日 | 優勝者 | コンストラクター | レポート |
|---|---|---|---|---|---|
| ロストック | 4月20日 | 詳細 | |||
| ベルナウ | 5月4日 | 詳細 | |||
| デッサウ | 5月11日 | 詳細 | |||
| ライプツィヒ | 6月2日 | 詳細 | |||
| ハレ・ザーレ・シュライフェ | 6月8日 | 詳細 | |||
| ライプツィヒ | 8月17日 | 詳細 | |||
| グレンツランドリンク | 8月31日 | 詳細 | |||
| ザクセンリンク | 9月7日 | 詳細 |
| 1950年代 | |
|---|---|
| 1960年代 | |
| 1970年代 | |
| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |
