1969年のF1世界選手権
From Wikipedia, the free encyclopedia

1969年シーズン、マトラはワークスチームを撤退し、ケン・ティレルとパートナーシップを結んだ。ジャッキー・スチュワートは新型のマトラ・MS80を操り、1969年のタイトルをたやすく獲得したが、MS80はMS10の欠点の大半を改善したものであった。スチュワートのタイトルはフランス製シャシーの最初のタイトルであり、フランスで製作されたシャシーの唯一のタイトルであった。それは前年にF1参戦したばかりのコンストラクターによる目覚ましい業績であった。
ブラバムのジャッキー・イクスはシーズン後半に追い上げた。ジャック・ブラバムがテストでの事故で出場不能になった[1]後、ドイツとカナダで勝利した。イクスはスチュワートの63ポイントに次ぐ37ポイントでシーズン2位を獲得した。
ウィング、支柱、サスペンションが壊れる事故が数件発生し、ウィングは1969年のモナコから禁止となった。シーズン後半に再び装着が許可されたが、サイズと高さが制限され、シャシーに直接固定されるよう規定された。
1969年シーズンはまた、前年のウェットレースから再び四輪駆動車への興味が喚起されたシーズンとなった。イギリスグランプリには4台の四輪駆動車が参加し、ジョニー・セルボ=ギャバンは四駆のマトラ・MS84でカナダにおいて6位入賞し、四輪駆動車でポイントを獲得した唯一のドライバーとなった。ワイドタイヤとダウンフォースはグリップを高める優れた手段であることが認められた一方で、四輪駆動はロータスが数年間実験を続けたものの、その考えは大半が放棄された。ブルース・マクラーレンはM9のハンドリングを、サインをするときに誰かが肘を揺さぶるような感覚だと評した。コスワースは駆動力を後輪に多く配分するほどハンドリングが向上することを発見した。
スパ・フランコルシャンで行われる予定であったベルギーグランプリは、ジャッキー・スチュワートによる開催前の視察で指摘された路面やバリアの改善を主催者が行えず、コースが極端に危険であるとして多くのチームがボイコットするに至り、4月になってカレンダーから落とされた。
開催地及び勝者
| ラウンド | レース | サーキット | 開催日 | ポールポジション | ファステストラップ | 優勝者 | コンストラクター | タイヤ | レポート |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | キャラミ | 3月1日 | D | 詳細 | |||||
| 2 | モンジュイック | 5月4日 | D | 詳細 | |||||
| 3 | モナコ | 5月18日 | F | 詳細 | |||||
| 4 | ザントフォールト | 6月21日 | D | 詳細 | |||||
| 5 | シャレード | 7月6日 | D | 詳細 | |||||
| 6 | シルバーストン | 7月19日 | D | 詳細 | |||||
| 7 | ニュルブルクリンク | 8月3日 | G | 詳細 | |||||
| 8 | モンツァ | 9月7日 | D | 詳細 | |||||
| 9 | モスポート・パーク | 9月20日 | G | 詳細 | |||||
| 10 | ワトキンズ・グレン | 10月5日 | F | 詳細 | |||||
| 11 | エルマノス・ロドリゲス | 10月19日 | G | 詳細 |
エントリーリスト
- ピンク地はドイツグランプリでのF2参加者
1969年のドライバーズランキング
|
|
† ドイツグランプリではF2マシンが5位から10位までを占めたが、これらのドライバーにはポイントが与えられなかった。5位及び6位のポイントは11位及び12位の車両に与えられた。
