薛夏
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博学で才覚のある人物として知られていた。天水では姜、閻、任、趙の四姓が権勢をふるい、郡中で身内の人間を推薦していた。薛夏は寒門(貧しい家柄[3])の生まれだったが、節を屈することはなかった。天水四姓の人々が共同して彼に処分を下そうとすると、薛夏は気ままに遊んで、都のある東へと赴いた。薛夏の評判を聞き知っていた曹操は彼を礼遇した[1][2][注釈 1]。
しかしその後、天水四姓の人々は薛夏を陥れ、潁川郡に通告して当郡の獄に繋がせた。その当時曹操は冀州にいたが、薛夏が彼らに質されていると聞くと、(不興に)手を叩いて[注釈 2]「薛夏に罪はない。漢陽[注釈 3]の児輩どもはただ彼を殺したいのだ!」と言った。そして薛夏を釈放するよう潁川郡に連絡し、軍謀掾に召した[1][2]。
その後、魏の文帝として即位した曹丕もまた薛夏の才能を称賛し[1][2]、黄初年間には秘書丞 (zh:秘书省) [注釈 4]となった。曹丕は薛夏と共に書伝について討論し、終日話し込んだという。また曹丕は薛夏の名を呼ばず、敬して「薛君」と呼んだ。曹丕はさらに、貧しい暮らしを送る薛夏の貧相な身なりを見かねて、天子である自らの袍衣を彼に与えた。後に征東将軍(四征将軍(中国語版))の曹休が来朝した時、曹丕は薛夏に諮議するところだった。曹休が到来したとの知らせが来ると、曹丕はそのまま中に入れさせ、薛夏を顧みながら「この方は秘書丞、天水の薛宣声という。共に話し合うとよい」と紹介した。薛夏の受けていた待遇はこのようなものだった。曹丕は彼を取り立てようとも考えていたものの、黄初7年(226年)5月に死亡し、未遂に終わった[2]。
太和年間、公事の業務によって蘭台 (zh:兰台) へ移ることになった。しかし蘭台は台であるという自負ゆえに、(格下と見なす)秘書署に所属する薛夏が蘭台へ異動することはできないとして、強制すれば罪に問われるべき者もあろうと主張した。薛夏はこれに対して回答した。「蘭台は外台、秘書署は内閣であるから、台と閣は同体だというのに、どうして行き交うことができないというのですか」。蘭台側は屈し、またこれ以降、このような往来は常となった[2]。
その数年後、薛夏は死去した。彼は子に対して、天水に帰還しないよう戒めたという[1][2]。
『拾遺記』によれば、薛夏の母は彼を身籠っていた頃、夢で誰かに箧に収められた衣服を渡され、その人物から「夫人は必ずや賢明な子を産み、〔その子は〕帝王の崇敬するところとなるだろう」と告げられた。そして誕生した薛夏は、弱冠にして人並外れた才人となったという。また講論の際、薛夏は滞りなく応対したため、曹丕は「かつて公孫龍は弁捷(口達者[6])だと称されたが、話す内容は迂誕・誣妄[注釈 5]だ。今、子(先生)が言うことに聖人の言葉が説かなかったものはなく、子游・子夏のともがらとしても過言ではない。仲尼(孔子)が魏に在って、再び室に入った[注釈 6]ようなものだな」と言って、手ずから書を作り、「入室生」と題したという。『拾遺記』が記録するところでは、薛夏が秘書丞の位まで至り、また非常に貧しい生まれであるにもかかわらず曹丕から御衣を賜ったのは、果たして夢の予言どおりのことだった。薛夏の名声は当時において一等であり、彼は一代の高士となった[13]。
脚注
注釈
出典
- 1 2 3 4 5 6 7 de Crespigny 2007, p. 924.
- 1 2 3 4 5 6 7 『三国志』巻13王朗伝附王粛伝注引『魏略』
- ↑ 宮崎市定『九品官人法の研究 : 科挙前史』 1巻、同朋舎・出版部〈東洋史研究叢刊〉、1974年、253頁。CRID 1971712334725317955。doi:10.11501/11930140。
- ↑
(中国語) 『後漢書』巻2明帝紀, ウィキソースより閲覧, "是歲[永平十七年],改天水爲漢陽郡。" - ↑
(中国語) 『晋書』第24職官志, ウィキソースより閲覧, "秘書監,案漢桓帝延熹二年置秘書監,後省。魏武為魏王,置秘書令、丞。及文帝黃初初,置中書令,典尚書奏事,而秘書改令為監。後以何禎為秘書丞,而秘書先自有丞,乃以禎為秘書右丞。" - ↑ 「弁捷」『普及版 字通』。https://kotobank.jp/word/%E5%BC%81%E6%8D%B7-2863468。コトバンクより2026年1月11日閲覧。
- ↑ 「迂誕」『精選版 日本国語大辞典』。https://kotobank.jp/word/%E8%BF%82%E8%AA%95-2010827。コトバンクより2026年1月11日閲覧。
- ↑ 「誣妄」『普及版 字通』。https://kotobank.jp/word/%E8%AA%A3%E5%A6%84-2860726。コトバンクより2026年1月11日閲覧。
- ↑ 「誣罔」『デジタル大辞泉』。https://kotobank.jp/word/%E8%AA%A3%E7%BD%94-620408。コトバンクより2026年1月11日閲覧。
- ↑ 「入室」『デジタル大辞泉』。https://kotobank.jp/word/%E5%85%A5%E5%AE%A4-593082。コトバンクより2026年1月11日閲覧。
- ↑ 『論語』土田健次郎訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2023年、401–402, 409–410頁。ISBN 9784480511959。
- ↑
(中国語) 『論語』先進第十一, ウィキソースより閲覧, "子曰:「由之瑟,奚爲於丘之門?」門人不敬子路。子曰:「由也升堂矣,未入於室也!」;子張問「善人」之道。子曰:「不踐跡,亦不入於室。」" - ↑
(中国語) 『拾遺記』巻7, ウィキソースより閲覧, "薛夏,天水人也,博學絕倫。母孕夏時,夢人遺之一篋衣云:「夫人必產賢明之子也,為帝王之所崇。」母記所夢之日。及生夏,年及弱冠,才辯过人。魏文帝與之講論,終日不息,應對如流,无有疑滯。帝曰:「昔公孫龍称為辯捷,而迂誕誣妄;今子所說,非聖人之言不談,子游、子夏之俦,不能过也。若仲尼在魏,復為入室焉。」帝手制書與夏,題云「入室生」。位至秘書丞。居生甚貧,帝解御衣以賜之,果符元所夢。名冠當時,為一代高士。"
参考文献
- de Crespigny, Rafe (2007). A Biographical Dictionary of Later Han to the Three Kingdoms (23-220 AD). Brill. doi:10.1163/ej.9789004156050.i-1311. ISBN 9789047411840
| 魏志 (魏書) |
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