1972年のテレビ (日本)
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1972年のテレビ(1972ねんのテレビ)では、1972年(昭和47年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。
- 沖縄が日本に返還。沖縄と奄美群島で本土との同時ネットでのカラー放送が開始。
5月15日、沖縄が日本本土に返還され、新生沖縄県が発足したのに伴い、NHK沖縄放送局が開局(沖縄放送協会が解散)[1][2]、民放の沖縄テレビ(OTV)、琉球放送(RBC)両局がコールサイン・チャンネル番号を変更。更に、電電公社によるカラー同時ネットの下り高規格回線が、鹿児島→名瀬→沖縄本島間に新たなルートを開拓して初めて開設。本土から奄美群島(名瀬中継局発)と沖縄本島へのカラー同時ネット放送が漸く可能となった[3][4][5]。
- 開局(返還された沖縄県を除く)
4月1日に、フジテレビ系列の北海道文化放送(UHB)、系列を持たない独立U局のテレビ神奈川とびわ湖放送が開局。北海道はUHBの開局により、北海道地区の4系列4民放によるフルネット化が完了。
9月22日、鳥取県を放送対象地域としていた日本海テレビ(NKT)が島根県での放送を開始。また島根県を放送対象地域としていた山陰放送(BSS、本社は鳥取県米子市)、山陰中央テレビも鳥取県での放送を開始。これにより、同地域は民放が3局体制となる。又、鳥取県は今まで民放テレビが1局しか視聴できなかったのが3局となり、これにより、全都道府県で2局以上の民放テレビが視聴できるようになった[注 1]。
- 3月31日、カラー受信契約数が普通(モノクロ)契約数を上回る。
- 日本テレビネットワーク協議会(NNS)発足。
発足時は、日本テレビほか18局(計:19局)が参加した[注 2]。
- テレビ番組
- 札幌冬季オリンピック、ミュンヘンオリンピック開催。この両オリンピックから、全面カラー放送となる。
- 2月28日、連合赤軍あさま山荘事件の人質救出開始から犯人逮捕・連行までの約8時間半の模様を、NHKや多くの民放にて連続生中継。民放はその間、CM抜きで放送する局も出る。日本のテレビ報道史に残る出来事となる。
- NET系『NETワールドプロレスリング』に4月3日、唯一NETへの出演に反対していたジャイアント馬場が会社命令で地元新潟からの中継に登場。これが『日本プロレス中継』を放送している日本テレビとスポンサーの三菱電機が激怒した為、5月12日に18年間続いた『日本プロレス中継』を打ち切った。しかし、これ以前から日本テレビに恩義を持っていた馬場は日本テレビと協力して全日本プロレスを設立、10月7日に『全日本プロレス中継』が放送開始(後述)。
- 局の看板となる、以下の番組が放送開始又は終了。
- 開始
- 日本テレビ:『水曜ロードショー』、『太陽にほえろ!』
- TBS:『オーケストラがやって来た』、『ぎんざNOW!』(TBS関東ローカル番組)
- フジテレビ:『オールスター家族対抗歌合戦』
- 朝日放送:「必殺シリーズ」
- 終了
- 日本テレビ:『シャボン玉ホリデー』
- 開始
- カラー放送化
- NHK総合が前年10月10日に全国放送の全面カラー化を完了したのに続き、この年の末までには、NHK地方局のカラー化整備が完了したことで、ローカル番組を含めたNHK総合テレビの全面カラー化が完了[注 3][8]。
- 民放の全国放送も、年内にほとんど全部がカラー放送となった。
- フジテレビ系では年始から、平日昼のドラマ『ライオン奥様劇場』、『東海テレビ制作昼の帯ドラマ』が漸く毎回カラー化。3月4日には『キンカン素人民謡名人戦』の公開スタジオが東京タワー内からフジテレビ本社へ移ったことで漸くカラー化となった。3月末期までには全国放送の残りのモノクロ番組(『日本フィルハーモニー交響楽団演奏会』等)も放送終了したことで同番組はほぼ自然消滅した(この時点で残ったモノクロ番組は、放送開始の関東ローカル番組『おはようフジテレビです』程度)。
- フジ系以外の全国放送では、日本テレビ系の『健康増進時代』『心のともしび』、NET系の『親の目子の目』が4月に毎回カラー放送となった。
- 4月3日、日本テレビ・TBS・NET各局でされている『読売・朝日・毎日3社ニュース』がこの日漸くカラー放送化が完了。これを最後に、日本テレビ・TBS・NETの全ニュース番組のカラー放送化が完了。
- 7月1日、映像・音声周波数の単位がメガサイクル(Mc)からメガヘルツ(MHz)に変更されたのを受け、在京を含む多くの民放局が番組開始・終了の動画映像を変更・カラー化した。
- 前年の読売新聞に続き、NHK教育テレビを除く全テレビ局の放送番組のほとんど全部がカラー放送になった状況から、朝日新聞が同年元日のテレビ欄の番組表から、そして毎日新聞も4月1日からそれぞれカラー放送の表記がなくなる[9][10]。
- 1月現在の在京民放キー局の1日平均のカラー放送時間及び全放送時間に対する比率(NHK年鑑'72 2ページに記載)
番組関係のできごと
1月
- 1日
- NHK総合テレビ、若者向けドラマシリーズ『少年ドラマシリーズ』が放送開始( - 1983年10月11日)。第1作は、筒井康隆原作『時をかける少女』をドラマ化した『タイム・トラベラー』( - 2月5日、全6回。原作:筒井康隆、脚本:石山透、主演:島田淳子(浅野真弓)、ナレーター:城達也)[1][12]。なお同年11月4日には続編『続 タイムトラベラー』( - 12月2日)が同枠で放送された。
- TBS系で1967年から放送されている正月演芸番組『初笑いウルトラ寄席』が、この年から『初笑いうるとら寄席』と改題し、1月1日放送に変更、1977年まで1日放送となる。
- フジテレビ系
- 毎日放送・NET(後のテレビ朝日)系の特撮番組『仮面ライダー』で、この日放送の第40話「死斗!怪人スノーマン対二人のライダー」より、前年の収録中の負傷事故で休業していた藤岡弘が9カ月ぶりに「仮面ライダー1号・本郷猛」役で出演、当時主演の「仮面ライダー2号・一文字隼人」役・佐々木剛とのいわゆる「ダブルライダー」による共演が実現した。その後も翌1973年2月10日の最終回(第98話)まで藤岡と佐々木が数回ほど共演した。
- 1~3日 - NHK総合、年始特集『新春討論 - 日本を考える』を正月3が日に渡って放送。1日は「親は子に何を伝えるべきか」[14]、2日は「住みよい人間環境とは何か」[15]、3日は「魅力ある政治とは何か」[16]をテーマにして放送[1][17]。
- 2日 - いずれもNHK総合
- 3日 - フジテレビ系、月曜夜9時台のドラマ枠で「四騎の会ドラマシリーズ」が放送開始( - 7月17日)。第1作は『でっかい母ちゃん』( - 1月24日、全4話。脚本:山田太一、演出:川頭義郎、出演:京塚昌子 ほか)[13]。その後、『化石』、『ただいま浪人』、『愛子よ眠れ』と全4作が放送された(同シリーズの項目を参照)。
- 7日 - 関西テレビの関西ローカルの深夜番組『ナイトパンチ』がこの日放送開始。大阪・SABホールからの公開生放送で、桂三枝(後の6代目文枝)・西川きよしら上方お笑いタレントが総出演した。当初は金曜日のみの放送だったが、同年10月から木曜日の放送も開始。この木曜日版の内包コーナー「パンチDEデート」が30分番組として翌年に独立、同年10月7日に放送開始。翌1974年10月6日にはフジテレビ系の全国ネット番組となった( - 1984年3月24日)。
- 8日 - NHK総合及び民放各社、日米首脳会談関連で特設ニュース・特別番組を放送[1]。
- 10日 - 朝日放送、平日お昼の主婦向けワイドショー番組『ワイドショー・プラスα』放送開始( - 1982年12月。司会:乾浩明(放送期間時ABCアナウンサー))[1]。主婦層に向けた情報なら何でも、夫婦や暮らしの問題、また視聴者層に密着した社会問題などを、取材映像、ゲストや専門家の解説などで展開。これをスタジオでわかりやすく、かつ親しみ易く解説した[19]。腸捻転解消前の1975年3月28日まではTBS系、同解消後の同年3月31日からはNET→テレビ朝日系の一部の地方局でも同時ネットされた。
- 10~15日 - NHKの日本海沿岸6局(秋田・鶴岡・新潟・富山・金沢・福井)、総合テレビにて広域共同企画番組『日本海新時代』を放送。10日は新潟制作で「離陸する雪国」、11日は秋田制作で「待たれる交通革命」、12日は鶴岡制作で「食糧基地への道」、13日は富山制作で「対岸貿易」、14日は金沢制作で「都市の発達と公害」、15日は福井制作で「大経済圏との結びつき」をそれぞれ放送[1][20]。
- 23日 - NET系、『ドキュメンタリー現代』で、南京虐殺事件を扱った「不再戦の森」(九州朝日放送制作)をスポンサーなしで放送[1]。
- 29日 - NHK総合、特別番組『「償いのない歳月」 ―横井庄一さんの28年―』を放送[1][21]。
- 31日 - フジテレビ、生活情報番組『リビング11』放送開始( - 1982年3月31日)[1][22][23]。
2月
- 2日
- NHK総合及び民放各社、第2次世界大戦終戦後もグアムに隠れて潜伏し続けていた元軍曹、横井庄一が羽田空港に帰国するのを受け、帰国の実況を中心に特別番組で放送[1]。
- NHK総合、札幌冬季オリンピックの芸術行事として開催された、NHKが招聘したミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の北海道厚生年金会館の演奏会を録画放送。曲目はベートーヴェン作曲のピアノ協奏曲「皇帝」等が放送。ピアノはハンス・リヒター・ハーザー、指揮はフリッツ・リーガー[1][26]。
- 3〜13日 - 札幌冬季オリンピック開催、NHK総合で中継[注 6]。尚、オリンピック放送は、この札幌冬季大会から全面カラー制作・放送となる[1]。
- 12日 - フジテレビ土曜21:00枠のクイズ番組『ズバリ!当てましょう』(第1期)が、この日の放送をもって10年半・550回の幕を降ろし、翌19日から設定を一部流用した『クイズの王様』を放送開始(司会:石坂浩二)[27]。なお『ズバリ』は、3年8ヶ月後の1975年10月4日から同局の土曜19:00で再開した。
- 17日 - NHK総合、『海外取材番組』で「美の世界」が放送開始( - 4月5日、全8回)[1]。
- 20日 - 日本テレビ系、日曜夜8時の連続ドラマ枠で学園青春ドラマ『飛び出せ!青春』が放送開始( - 1973年2月18日、全43回。出演:村野武範・酒井和歌子 ほか)。同ドラマの代表的作品となる。青い三角定規の歌によるこのドラマの主題歌「太陽がくれた季節」も大ヒットし、この年のNHK『第23回NHK紅白歌合戦』にも出場する。
- 28日 - この日の午前10時過ぎから、連合赤軍あさま山荘事件の人質救出、事件解決の模様を、NHK・民放各局が通常番組を休止して報道特別番組を編成し生中継[1][28]。犯人が逮捕・連行された後の19時頃まで放送され、民放ではCMなしで放送する前代未聞の騒ぎとなった。ここで、フジテレビ・長野放送によるFNN取材団が夜18時過ぎに犯人逮捕・連行の瞬間をモノクロながら鮮明な映像でスクープ撮影、FNNを通じて全国に生放送。これが後に、フジテレビが報道に力を入れるきっかけを作った(「長野放送#『あさま山荘事件』犯人逮捕のスクープ裏話」を参照)。
3月
- 15日 - 山陽放送(TBS系)・岡山放送(フジテレビ系)・西日本放送(日本テレビ系)、山陽新幹線がこの日岡山開業で特別番組を編成、系列キー局を通じて全国に中継[1][29]。
- 25日 - 大宮敏充率いる「デン助劇団」によるNET系公開コメディ番組『デン助劇場』(1959年4月11日 - )が、この日13年の幕を降ろした。なお「デン助劇団」は翌1973年に解散し、3年後の1976年に大宮は死去した。
- 31日 - フジテレビ平日14時枠のバラエティ番組『タワーバラエティ→スーパーバラエティ』が、この日11年2ヶ月の幕を降ろした。
4月
- 1日 - 毎日放送・NET系『仮面ライダー』、主演の藤岡弘がこの日放送の第53話「怪人ジャガーマン 決死のオートバイ戦」より正式にレギュラー復帰、「新1号編」が開始。
- 1・2日 - テレビ神奈川(TVKテレビ)が開局。2日間に渡り、開局記念番組『はばたけTVK』『ビッグスター歌謡フェスティバル』(以上1日)、『ビバ!スタジオパーティー』(2日)等が放送(詳細は、テレビ番組・開局記念番組の「#テレビ神奈川(TVKテレビ)」の項、又は「テレビ神奈川番組放送一覧#開局記念番組」の項を参照)。
- 2日
- TBS系『テレビ・ルポルタージュ』放送開始( - 1978年3月26日)。この日の第1回は「西太平洋の米軍基地」を放送[1]。
- テレビ神奈川、農協(後のJA)の単独提供による農業広報番組『緑への歩み』放送開始。2008年3月23日までの36年間に亘って放送され、2025年現在同局の最長寿番組となる(「テレビ神奈川#1972年開局時から80年代まで」も参照)。
- 3日
- NHKが新年度編成開始[1]。
- 日本テレビ・TBS・NET各局でされている『読売・朝日・毎日3社ニュース』がこの日漸くカラー放送化が完了[30]。これにより、日本テレビ・TBS・NETの全ニュース番組のカラー放送化が完了。
- TBSでこの日より、平日14時枠に初の午後のワイドショー『もしもしスタジオ』を開始( - 1975年3月28日)。
- NET系『NETワールドプロレスリング』、この日の新潟市体育館からの生中継にて、地元新潟県三条市出身のジャイアント馬場が出場する試合を中継[注 7]。元々馬場はNETの出演に反対しており、会社命令で出場。結果これが、『日本プロレス中継』を中継している日本テレビ及びスポンサーの三菱電機が激怒、同番組を打ち切る原因となる(「ワールドプロレスリング#放送開始 - NET独占放送へ」、「全日本プロレス中継」の項を参照)。
- 5日
- 6日
- 7日
- 9日
- 11日 - NHK教育、『理科教室中学校1年生』がこの日の年度初めの放送からカラー化[33]。この日は「生命 卵の21日間」を放送[34]。後に第8回日本賞(教育番組の国際コンテスト)に参加の為英語版が制作、同賞を受賞する[1][35]。
- 12日 - NHK総合、『海外取材番組』で「アフリカ '72」が放送開始( - 5月17日、全6回)[1]。
- 26日 - NHK総合、『文化特集』で「高松塚古墳 ―飛鳥人からのメッセージ―」を放送[1][36]。
5月
- 15日 - 日本テレビが、前述のNET系『NETワールドプロレスリング』4月3日放送分においてジャイアント馬場の試合を中継したことに激怒し、12日放送分をもって18年間続いた『日本プロレス中継』を打ち切ることを発表。19日から7月14日までは過去の名勝負集である『日本プロレス選手権特集』をつなぎ番組とした。その後馬場は日本テレビと協力して全日本プロレスを設立し、10月7日に『全日本プロレス中継』が放送開始となる(「全日本プロレス中継」の項を参照)[1]。
- 25日 - NHK沖縄放送局開局記念としてこの日『ふるさとの歌まつり』(総合テレビ)を那覇市民会館から生放送。同日はゲストに村田英雄と南沙織が出演した[37]。
6月
7月
- 8日 - NET系で、土曜20時枠に特撮番組『人造人間キカイダー』とテレビアニメ『デビルマン』の2本立てを編成、1974年3月までこの体制となる[注 9]。
- 21日 - 日本テレビ系、金曜夜8時枠で前述の日本プロレス番組が終了した後番組として、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』が放送開始(東宝制作。出演:石原裕次郎・露口茂・下川辰平・竜雷太・小野寺昭・萩原健一 ほか)。同局の刑事ドラマの看板番組となり、1986年11月14日まで全718回続く長寿番組ともなった[1]。
- 28日 - NET系で、5月12日をもって打ち切られた日本テレビ系『日本プロレス中継』の後継番組として、月曜20時台に放送されていた『NETワールドプロレスリング』の他にも、金曜20時台にも『NET日本プロレスリング中継』を開始。9月25日まで月曜・金曜の並行放送を続け、9月29日から『NET日本プロレスリング中継』に一本化(1973年3月30日終了)[注 10]。
8月
- 12日 - NET系のワイドショー番組『土曜ショー』の生放送中、出演したフォーク歌手の泉谷しげるが暴走、放送禁止歌を歌った上に、生コマーシャルに対して暴言を吐くなどの事件が起こった(詳細はこちらを参照)[1]。この事件により番組は9月30日をもって打ち切りとなり、担当ディレクターも左遷された。
- 26日~9月12日(日本時間) - ミュンヘンオリンピック開催。西ドイツ(当時)から衛星中継で、NHK及び民放にて全面カラー放送[1]。
9月
- 2日 - 朝日放送(ABC、後の朝日放送テレビ)制作・TBS系[注 11] で、時代劇『必殺仕掛人』が放送開始( - 1973年4月14日、全33回)。中断などを経て2022年現在もスペシャルドラマとして継続中の「必殺シリーズ」が始まる[1]。
- 6日 - TBS系ブラザー劇場枠で刑事ドラマ『刑事くん』(東映制作・桜木健一[注 12] 主演)が放送開始( - 1972年10月2日)。1976年にシリーズ終了するまで全5作が制作された。
- 23日 - TBSでスポーツバラエティ番組『第2回オールスター紅白大運動会』(フジテレビの同名番組とは別)を放送。この後1974年からは『新春オールスター大運動会』として正月番組に変更、1987年まで継続する。
- 29〜30日 - 中国を訪問中の田中角栄首相(当時)と中国の毛沢東共産党主席(同)による日中国交正常化の共同声明のため、NHK・民放各局は通常番組を休止し、報道特別番組を放送[1][注 13]。
10月
- 1日
- 日本テレビ系で1961年より続いた牛乳石鹸一社提供のバラエティ番組『シャボン玉ホリデー』が11年4か月の放送に幕。
- TBS系で、山本直純が企画・音楽監督・司会等を行うクラシックの音楽バラエティ番組『オーケストラがやって来た』が放送開始( - 1983年3月27日)[1]。
- フジテレビ系
- 日曜18時台前半枠で、タツノコプロ制作のSFヒーローアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』が放送開始( - 1974年9月29日、全105回)[1]。
- 芸能人の家族が出場して自慢の歌を披露する歌謡番組『オールスター家族対抗歌合戦』が放送開始( - 1986年9月28日)[注 14]。
- 2日
- TBS平日17時枠で、銀座三越内に設けたサテライトスタジオ「銀座テレサ」(既に閉鎖)からの公開生放送によるバラエティ番組『ぎんざNOW!』が放送開始。素人時代に出演した関根勤や小堺一機が芸能界入りしたことで有名( - 1979年9月28日)。
- フジテレビ系列で、石坂洋次郎原作によるドラマ『光る海』放送開始( - 1973年3月26日 全25話。主演:沖雅也)。主題曲にフランク・プゥルセル・グランド・オーケストラの演奏「アドロ」が使用され[40]、ヒットする。
- NET系平日13時枠で、黒柳徹子司会のトークワイドショー番組『13時ショー』が放送開始( - 1976年1月30日)。後に黒柳のライフワークとなり2022年現在も続く『徹子の部屋』の原型となる[1]。
- 5日 - TBS系で、人気アイドル歌手・天地真理がメインのバラエティ番組『真理ちゃんとデイト』を放送開始。1975年3月まで5作放送される『真理ちゃんシリーズ』が始まる。
- 7日 - 日本テレビ系、ジャイアント馬場が日本テレビと協力して設立した全日本プロレス主催のプロレス中継番組、『全日本プロレス中継』放送開始( - 2000年6月21日)[1]。
11月
- 6日 - この日、「北陸トンネル火災事故」と「日本航空351便ハイジャック事件」が発生。NHK総合・民放共に特番・特集等で放送[1]。
- 11日 - 朝日放送、翌日放送予定だった、「仁保事件」をテーマにした第27回芸術祭参加のドキュメンタリー特番『自白』が、番組内で検察側証人の取材方法に問題があるということで、放送中止を決定[1]。
- 11日 - RKB毎日放送、第27回芸術祭参加のドキュメンタリー特番『リヤ王・ある老人の心理劇の記録』放送。市の郊外にある特別養護老人ホームに収容されている老人たちがシェークスピアの「リヤ王」を演じ、その過程を通じて老人問題を描いた番組。同年の芸術祭大賞を受賞[1][41][42]。
- 13日 - 日本テレビ系、月曜21時枠『月曜スター劇場』にて、ドラマ『冬物語』が放送開始( - 1973年4月16日、全23回。脚本:清水邦夫・林秀彦、演出:石橋冠、出演:浅丘ルリ子 ほか)[1]。
- 22日 - NHK総合、『文化展望』で中国・中央新聞記録電影制作厰撮影による「絹と玉 (中国古代文物発掘記録から)」を放送[1][43]。
- 23日 - NHK総合、祝日特別番組『ポッカ・ポッコリ 「こどものためのファンタジー」 ―星の牧場(庄野英二 作)より―』を放送。後に翌年のチェコドナウ賞、スロバキア作家協会賞を受賞[1][44]。
- 29日 - NHK総合、前日にソ連の首都モスクワの空港で、日本航空446便が離陸直後に墜落した「日本航空シェレメーチエヴォ墜落事故」が発生したのを受け、特別番組『モスクワの日航機墜落事故』を放送[1][45]。
12月
- 1日 - NHK総合、ドキュメンタリー『ある生の記録』を放送[46]。後に翌1973年のモンテカルロ国際テレビ祭に参加、ゴールデンニンフ賞を受賞[1]。
- 3日 - フジテレビ系日曜19時台前半枠で永井豪原作によるロボットヒーローアニメ『マジンガーZ』(東映動画制作)が放送開始( - 1974年9月1日、全92回)[1]。
- 18~19日 - NHK総合、インタビュー番組『女性手帳』にて、「わたしと演劇と」と題し、女優でモスクワ放送(後のロシアの声)の日本語放送のアナウンサーも務めたことがある岡田嘉子が出演[1]。
- 31日
- TBS系で『第14回日本レコード大賞』放送(19:00 - 20:55)。大賞はちあきなおみの「喝采」。
- NHK総合、『第23回NHK紅白歌合戦』放送。東京宝塚劇場で開催される最後の紅白となった。尚紅白歌合戦のビデオテープは、この年からNHKが全編放送用のビデオテープで保存する様になる(当時は2インチVTR)。
- 31日~1973年1月1日未明 - 民放各社恒例による服部時計店(後のセイコーグループ)一社提供の年越し特番『ゆく年くる年』を放送。この年はフジテレビが初めて製作を担当(以降、1987年まで5年おきに担当した)。
その他テレビに関する話題
- 3月31日 - カラー受信契約数が普通(モノクロ)契約数を上回る[注 15][1]。
- 3月 - NHK放送技術研究所、カメラヘッド内にカメラ制御器・電源などを一体構造としたCCUレスのカラーカメラを開発。ハンディーカメラ等の小型カメラの基礎となる[1]。
- 4月1日
- 5月15日 - 沖縄が日本本土に返還され、新生沖縄県が発足。
- NHK沖縄放送局が開局(沖縄放送協会が解散)[1][2]。
- 沖縄テレビ(OTV)、琉球放送(RBC)両局がコールサイン・チャンネル番号を変更。これと同時に沖縄テレビはFNN・FNSに、琉球放送はJNNにそれぞれ正式加盟(詳しくは各局の項を参照)。
- 電電公社の鹿児島→名瀬→沖縄本土のカラー放送対応の下り高規格同時ネット回線が開通。これに伴い、沖縄県のテレビ局に於いて本土からの同時ネット受けのカラー放送が可能となり、更に鹿児島県の離島である奄美群島(名瀬中継局発)で初めてカラー放送が開始される(NHK総合のみ)[3]。但し当時は1回線のみの開通で、それを、NHK総合・琉球放送・沖縄テレビと時間帯を分けて使用していた(12月9日まで)[50]。
- 6月14日 - 日本テレビネットワーク協議会(NNS)発足。日本テレビほか18局(計:19局)が参加[注 2][1][38]。
- 7月1日 - 映像・音声周波数の単位がメガサイクル(Mc)からメガヘルツ(MHz)に変更[1][51]。これを受け、多くの民放局が番組開始・終了の動画映像を変更・カラー化する。
- 9月22日 - 鳥取県と島根県に本社を置く民放テレビ局が両県への相互乗り入れを開始(山陰準広域圏)。鳥取県を放送対象地域としていた日本海テレビ(NKT)が島根県での放送を開始。また島根県を放送対象地域としていた山陰放送(BSS、本社は鳥取県米子市)、山陰中央テレビも鳥取県での放送を開始。
- 12月10日 - 電電公社の鹿児島→名瀬→沖縄本土のカラー放送対応の下り高規格同時ネット回線が従来の1回線から増強され、NHK総合・教育、琉球放送、沖縄テレビ各チャンネル専用回線が開通。これに伴い、沖縄本島と奄美群島が共にNHK総合テレビが全面カラー化され、更に、NHK教育テレビのカラー放送が開始[注 17][50]。RBC、OTVは同時ネット回線受けでの放送が全面カラー化された。
- 12月 - 東芝、ブラックストライプ方式カラーブラウン管を開発[1]。後に商品化される。
- 年末まで - NHKの地方局のカラー化整備が完了。これにより、ローカル番組を含めたNHK総合テレビの全面カラー化が完了[注 3][8]。
開局
周年
番組
- 放送開始15周年
- 放送開始10周年
開局・放送開始
視聴率
(関東地区、ビデオリサーチ調べ)
報道
- ニュース(NHK総合、9月8日)55.5%
- ニュース(連合赤軍あさま山荘事件)(NHK総合、2月28日)50.8%
- 田中総理中国へ(NHK総合、9月25日)50.6%
- スタジオ102(NHK総合、2月29日)47.0%
- カメラリポート(NHK総合、2月29日)46.6%
- 即日当選開票当確者紹介(NHK総合、12月11日)46.1%
- ニュース(NHK総合、2月29日)44.9%
- 当確者に聞く(NHK総合、12月11日)44.3%
- ニュース(NHK総合、4月27日)44.0%
スポーツ
- 第20回オリンピックミュンヘン大会(NHK総合、9月8日)58.7%
- 第20回オリンピックミュンヘン大会(NHK総合、9月2日)55.5%
- 第11回冬季オリンピック札幌大会(NHK総合、2月11日)53.1%
- 第20回オリンピックミュンヘン大会(NHK総合、9月10日)51.3%
- 第20回オリンピックミュンヘン大会 閉会式ハイライト(NHK総合、9月12日)46.9%
バラエティー
- 第23回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)80.6%
- 1972年度輝く!日本レコード大賞・第2部(TBS、12月31日)46.5%
- 8時だョ!全員集合(TBS、7月15日)45.7%