1968年のテレビ (日本)

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1968年のテレビ(1968ねんのテレビ)では、1968年昭和43年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

この年は、親局としてのUHFアナログ)放送(13 - 62ch)が本格的に始まった年であった[注 1]

まず2月20日NHK徳島教育テレビジョンが放送開始し[2]、そして8月12日には最初の独立民放局にして民放初のUHF親局となる岐阜放送がテレビジョン放送を開始[3]。以後、全国に順次UHF局が開局していくようになる。

特に、いままで1局しか民放テレビが視聴できなかった多くの地方においては、初めて2局の民放テレビが視聴できるようになり(この年は、12月16日開局の新潟県新潟総合テレビ、同月24日開局の静岡県テレビ静岡がこれに該当する)、1969年はその地域が一気に増えることとなる

これらのUHFテレビ放送を受信するには、新たにUHFアンテナを備え付けた上で、その受信機能を備えていなければいけない。この年に発売されたカラーテレビを始めとする多くのテレビには、元々UHF受信機能があったものの、それ以前のテレビはほとんどの機種がVHF(1〜12ch)しか受信できなかった為、それに於いては、専用のUHFコンバータを取り付ける必要があった


主なできごと

NHK、年度始めの4月から受信料体系がカラー契約、白黒の普通契約の二本立てに。ラジオ単独受信料は廃止される。
年内の11月20日には、カラー契約数が100万を突破する。


日本民間放送連盟、この年から4月21日を「放送広告の日」と制定。
1951年の同日に、日本で初めて民間放送局に予備免許が付与されたのを記念して制定。その後1993年民放の日と改称される(「民放の日」の項目も参照)。


テレビ番組

この年は前年に続き、新旧番組のカラー化が更に進む。


視聴率


技術
  • 年内に、東芝とTBSが共同でプランビコン撮像管式のスタジオカラーカメラ(型番:PK-31)を開発。自社の『東芝日曜劇場』での撮影に使われたのを始め、TBS・JNN系列局や多くの放送局等へ納入され、十数年に渡って製造された名器となった。


不祥事
TBSがこの日の新東京国際空港(通称:成田空港)建設反対集会の取材で、自社のマイクロバスに空港反対派10名を同乗させたことが、翌11日に閣議で問題化。12日に郵政省がこの事に対しTBSに警告。これが原因で、『カメラ・ルポルタージュ』で同月12日放送予定だった「成田二十四時」が放送中止、急遽一年前放送された「67春・東京大学」に差し替えて放送。この日、朝日・読売・毎日など主要新聞朝刊のテレビ欄には「成田二十四時」の番組紹介も記載されていた為、視聴者から抗議の電話がTBSに多数届いた。同月22日にTBSは、報道局長ら8人を処分。この事件は後のTBS闘争の原因の一つとなった(同事件の項目も参照)。


番組関係のできごと

1月

2月

  • 2日 - NHK総合、カラードキュメンタリー番組『現代の映像』で「空からの衝撃 ―120ホンの恐怖―」を放送。[6][20]
  • 3日 - TBS系土曜19時30分枠で、ロート製薬一社提供大橋巨泉司会のクイズ番組お笑い頭の体操』放送開始( - 1975年12月27日)[21][22]大橋は後番組『クイズダービー』(1976年1月3日開始)で司会を降板する1990年3月まで、TBSの同時間帯の顔として親しまれる。また、同時間帯のロート製薬一社提供枠もその次番組の『クイズテレビずき!』終了の1993年9月まで続く。
  • 5日 - NHK総合、この日はカラー紀行番組『新日本紀行』を休止し、特集『戦火のサイゴン』を放送[23]。南ベトナム・テト攻勢でNHKが取材した「米大使館の暁の戦闘」等の取材フィルムを米軍用機で空輸して放送。[6]
  • 6日18日(日本時間)
    • グルノーブル冬季オリンピックフランスグルノーブルで開催され、NHK総合と毎日放送[注 6]で連日放送。開会式・閉会式を始め、競技のほとんどがカラー放送となり(同年のメキシコ・オリンピックも同様)、開会式は、カラーではオリンピック初の宇宙(衛星)生中継となった[25][26]。又開催中は連日、両局で競技の模様を(時差等の都合上)録画中継して放送したり、オリンピックハイライトをカラーで放送したりした[24][6]
      • 毎日放送がこのオリンピックの開会式の放送枠(2月6日)内の、グルノーブルからの生中継放送部分の前後に於いて、自社(千里丘スタジオ)のAスタジオから、大会の展望や日本選手の活躍ぶりの予想を放送[26]。これが、自社初のスタジオカラーカメラによる番組となった[24]。尚、同局の開会式の生中継放送は、NETにもネットされたものの、大会についての展望等は放送されなかった[25][注 7]
  • 14日 - フジテレビ系、この日放送のプロボクシング中継番組『ダイヤモンドグローブ』から、プロボクシング中継のカラー放送を開始[27]
  • 15日 - NHK総合、全国各地を巡る公開番組『ふるさとの歌まつり』が、この日放送のNHKホール(内幸町)からの公開放送から、不定期のカラー放送を開始[28]。翌月(3月)21日の横浜文化体育館での公開放送では、番組に於いて局外中継初のカラー放送を実施[29]。その後は、公開スタジオや中継場所の担当地域局に於いて、カラー中継設備が整備された地域からカラー化していった(毎回カラー化は1970年度初めの同年4月9日放送回から[30][31])。
  • 16日 - 日本テレビ系『三菱ダイヤモンド・アワー』が、この日をもって1958年8月29日から続けてきた『ディズニーランド』と日本プロレス中継番組である『日本プロレス中継』との隔週放送が終了。23日からは『日本プロレス中継』が毎週金曜20時からの放送となり『三菱ダイヤモンド・アワー 日本プロレス中継』となった他、『ディズニーランド』は4月7日から日曜19時へ移動(『ディズニーランド』は1972年4月30日終了、『三菱ダイヤモンド・アワー』自体も1972年7月14日終了)[注 8]
  • 19日 - 東京12チャンネル(後のテレビ東京)、『私の昭和史』が200回を迎え、同記念放送をこの日から3週に渡って放送。この日は「山行かば草むす屍 ―太平洋戦争決算報告陸軍編―」、26日は「海行かば水漬く屍 ―海軍編―」、3月4日は「国破れて山河あり ―総合編―」を放送。[6]
  • 20日 - 金嬉老事件が発生。NHK総合『スタジオ102』等が、生放送を通じて犯人と対話を試みた。[6][32]
  • 27日 - フジテレビ系、プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×ライオネル・ローズ」を、日本武道館からカラーで中継[33]。関東地区にて53.4%の視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)。
  • 29日 - NHK総合、『海外取材番組』で「自治」が放送開始( - 5月16日、全9回。カラー放送)。[6]

3月

  • 9日 - 朝日放送・TBS系(当時)、自社初のスタジオカラーカメラによるドラマ制作となる時代劇『伝七捕物帳』放送開始( - 7月6日、全18回。出演:高田浩吉大村崑 ほか)。[34]
  • 12日 - TBS系、『カメラ・ルポルタージュ』でこの日放送が予定されていた「成田二十四時」が、「TBS成田事件」により放送中止。代わりに、急遽一年前放送された「67春・東京大学」に差し替えて放送した[6]。この日、朝日・読売・毎日など主要新聞朝刊のテレビ欄には「成田二十四時」の番組紹介も記載されていた為、視聴者から抗議の電話がTBSに多数届いた(「TBS成田事件」の項目も参照)。
  • 20日 - NET系、ハワイホノルルの衛星中継と東京との2元実況中継による番組『お~い!ハワイの日本人~見知らぬ兄弟~』を放送。[35]
  • 25日 - NHK総合で開局直後の1953年2月20日から放送されていたクイズ番組『ジェスチャー(当時はバラエティコンプレックス枠ファミリーショー』内でカラー放送)が、この日の放送をもって15年2ヶ月弱の幕を下ろす[36]。なお『ファミリーショー』もこの日の放送で廃枠となり、翌4月からは同枠(月曜20:00)で『みんなの招待席』(カラー)を開始、『連想ゲーム』を生み出す[37]
  • 26日 - TBS系、夕方のニュース番組『JNNニュースコープ』で、キャスターの田英夫がこの日を以って降板。しかしTBS労働組合はこれに抗議、翌月1日に賃上げ要求と共に報道局組合員による50時間ストに入る。[6]
  • 28日
    • 日本テレビ系、ドキュメンタリー番組『ノンフィクション劇場』が、この日の放送「軍鶏師」(ベルリン国際テレビフィルム賞受賞作の再放送)を最後に番組終了[6]
    • 毎日放送が、この日から開催の『第40回選抜高等学校野球大会』の開会式から、同大会のカラー放送を開始する[38]
      • 上記の大会のネット受け放送を行う東京12チャンネルが、この日の開会式の放送を皮切りに、カラー放送を開始[6][39][40]。在京民放キー局5系列全てがカラー放送を行う。
  • 29日
  • 30日
  • 31日 - 朝日放送(後の朝日放送テレビ)・TBS系(当時)で1962年(昭和37年)から放送されていた藤田まこと主演の公開コント番組『てなもんや三度笠』が足かけ6年にわたる放送を終了(終了時カラー)。この後翌4月7日からは、同じ藤田主演の『てなもんや一本槍』(カラー)が開始。
  • 月内(日付不明) - TBS系、ソビエト革命50周年記念の制作番組『核戦略下のソビエト軍』を放送。[6]

4月

  • 1日
    • 4月の番組改編
    • リンドン・ジョンソン大統領(当時)が日本時間のこの日、ベトナム戦争に於ける北ベトナムへの爆撃停止命令及び次期大統領選不出馬表明の演説を行ったのを受け、各局がニュース速報や特別番組等を放送。
      • NHK総合では、午前11時にニュース速報で特設ニュース枠を設けて報道[6]。しかしその最中の11時04分55秒に、日向灘地震発生に伴う津波警報が発令されるという事態が起きる[49]。正午のニュースでは双方のニュースを伝え[50]、夜には米大統領演説を受けて19時半から特別番組『「アメリカの決断と新局面」 ―ジョンソン声明の意味するもの―』が[6][51]、23時15分からは『1968年日向灘地震をめぐって』を放送[52]。尚、前述の特別番組の放送の為、この日放送開始予定だった『みんなの招待席』は、1週間後の同月8日に放送開始が延期された。[53]
      • 民放では、日本テレビ・TBS・フジテレビ・NET・東京12チャンネルの在京局全てが、特別番組を放送。[48]
  • 34日 - NHK総合、3日の23時57分から4日の午前0時57分にかけ、北ベトナムのハノイ放送が、前述の米ジョンソン大統領の声明に対する北ベトナム政府の回答を発表することを受け、放送終了時間を延長して特設ニュースを放送。ここで北ベトナム政府は、北爆無条件停止を目ざし代表を派遣して米と話し合う用意があるという回答を発表した。[6][53][54][55]
  • 4日 - TBS系で京塚昌子主演のテレビドラマ肝っ玉かあさん』放送開始( - 11月28日)[6]1972年まで全3シリーズ制作された[44]
  • 6日
  • 8日 - NHK総合、カラー生放送の公開バラエティー番組『みんなの招待席』が、前述の特別番組の都合で1週間遅れでこの日放送開始[53]( - 1969年3月31日)。大物スターが思い出の歌にまつわるエピソードを語りその歌を聞く「心の歌」、海外のショー・タレントや日本古来の演芸を楽しむ「演芸ショー」、加藤芳郎中村メイコ両キャプテンが出すヒントから正解を連想するゲームコーナー「連想ゲーム」などで構成。その中で、『連想ゲーム』のみは番組終了後も継続、翌年4月9日に単発番組として独立し、その後 1991年3月まで23年に亘って続く人気番組となる。[6][57][37]
  • 89日 - NHK総合、『海外取材番組』で、2日間に渡り「北方都市の像」を放送(カラー)。[6][53]
  • 12日 - NHK総合、時事報道番組『時の動き』で、「大学に自治能力はあるか」を放送。[6][58]
  • 14日 - NET系、『世界をさぐる』で、「この目で見た北ベトナム」を放送。番組には、松本清張大森実加瀬俊一が出演。[6]
  • 20日 - NHK教育及び民放10社、ドキュメンタリー映画『広島・長崎における原子爆弾の影響』の短縮版を放送。この映画は、1945年8月の広島・長崎の原子爆弾投下後にその状況を撮影して1946年に完成したものの、直ぐに連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) に接収され、長らく日本では公開されず「幻の原爆映画」と称された。民放では、NET、東京12チャンネル、中国放送長崎放送等が放送した(同映画の項目も参照)。[6][59][60]
  • 23日25日 - 民放による中日球場(当時)からのカラー放送が開始。この3日間に同球場にて行われた『プロ野球せ・リーグ公式戦「中日巨人」』3連戦の実況中継を、東海テレビ放送(23・25日、フジ系)・中部日本放送(24日、TBS系)共に、カラー中継車を使って全国ネットにてカラー放送を開始。[61]

5月

6月

  • 3日 - NET系、歌手美空ひばりの冠歌謡番組美空ひばりショー ひばりはひばり』が、NETの自社制作に於いて、初のスタジオカラーカメラ・カラーVTR使用による番組として制作、放送開始( - 9月30日)。[75][76]
  • 5日 - ロバート・ケネディ米上院議員狙撃事件を、NHK総合・民放各社が衛星中継でニュースや特別番組等で放送。[6][77]
    • NHK総合では、午後9時のニュース(カラー)とその次のカラーのニュース解説番組『ニュースの焦点』「ロバート・ケネディ撃たる」[78]で、米ABCの衛星中継録画の映像を交えて放送。[79]
    • 民放では、日本テレビ、TBS、フジテレビ、NETが衛星中継で放送。フジテレビは米NBC、NETは米ABCの録画映像を使用した。[35][77]
  • 9日
  • 15日 - いずれもNHK総合
    • 『日本サッカーリーグ 「古河電工」対「ヤンマーディーゼル」』(於:駒沢陸上競技場)のカラー実況中継[83][84]で、新型のスローVTRを使用。[77]
    • カラーの科学教養ドキュメンタリー番組『あすをひらく』で、「手ができた ―電動義手とサリドマイド児―」を放送[85]。この番組は後に同年9月、1968年イタリア賞のラジオ・テレビ国際カトリック協会賞を受賞。[6][86]
  • 17日 - NET系、『ハワイ移民百年祭式典』をハワイ・ホノルルから衛星中継。[6][35][81]
  • 26日 - この日、小笠原諸島が日本に返還。NHK総合にて、カラー特別番組『小笠原諸島~自然と住民たち』を放送。[6][87][88]

7月

  • 1日 - 青森放送が、ローカルニュースの全時間枠をカラー放送化(同全時間枠カラー放送化は日本のテレビ史上初)。これに伴い、カラーフィルムによる報道取材も開始[89]。日本テレビ系・NNN系列の地方局のローカルニュースのカラー化も恐らくこれが初。
  • 2日 - フジテレビ系、プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ライオネル・ローズ×桜井孝雄」を、日本武道館からカラーで中継[90]。関東地区にて45.8%の視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)。
  • 11日 - 北海道放送が、当時開催中の「北海道大博覧会」の特別番組『道博への招待』を、北海道の民放で初のカラーによる自主制作番組として放送。[91][92]
  • 13日 - フジテレビ系でコント55号によるカラー放送のバラエティ番組『コント55号の世界は笑う!』放送開始[6]。平均視聴率30%を優に越えるという同局のドル箱番組となったものの、後に裏番組であるTBS『8時だョ!全員集合』(翌年10月4日、カラーで放送開始)が視聴率を上回ったことが影響し、1970年3月28日に終了。その後、TBSとフジテレビは長年にわたる「土曜8時戦争」を繰り広げることとなる。
  • 2227日 - NHK総合、カラーによる夏期特別番組『母と子の臨海学校』を5日間に渡り放送。静岡県伊豆の今井浜で夏休みを迎えた母と子数十組が参加し、1週間に渡ってそこで宿泊、海の生物、水泳教室等多彩な内容を盛り込んだ[93]。NHKでは以後1983年まで「夏期特別番組」としてこの種の母子シリーズを編成。[6]
  • 25日 - NHK総合、『海外取材番組』で「ベトナム戦争」が放送開始( - 9月5日、全7回。カラー放送)。[6]

8月

  • 1日 - TBS系5社、日本広報センター提供による番組『アメリカのアジア観をさぐる』を放送(全6回)。[6]
  • 6日 - 広島原爆記念日のこの日、広島の民放がそれに関しての特別番組を放送。
    • 中国放送、『平和を歩みつづける町』を放送。TBS系列の6社にネット。[6]
    • 広島テレビ放送・日本テレビ系、報道番組『明日に祈る・広島平和祈念式典』を、系列17社に全国ネット放送。[6]
  • 9日 - 朝日放送が、この日から開催される『第50回全国高等学校野球選手権大会』の開会式の放送から、同大会のカラー放送を開始する[94][95]
  • 22日 - NHK総合、単発ドラマ枠『NHK劇場』にて、第20回イタリア賞参加作品のカラー時代劇『写楽はどこへ行った』を放送[96]。後に、第8回日本テレフィルム技術賞を受賞。
  • 25日 - NET系『象印スターものまね大合戦』がこの日からカラー化。この回は江東公会堂からの公開収録放送で(同月6日収録)、NETがカラー中継車を使用した初めての番組となった。[注 12][75]

9月

10月

11月

  • 1日 - いずれもNHK総合
  • 2日 - 東海テレビ放送・フジテレビ系、第23回文化庁芸術祭参加ドラマ『飛騨古系』放送(作:花登筐、出演:宇野重吉稲垣美穂子 ほか)。この年の芸術祭賞を受賞。[6][155][156]
  • 2日3日 - NHK総合が2日間に渡り、前月NHKがメキシコオリンピックの模様を韓国へマイクロ波を通じて伝送したモノクロ回線を利用して[注 19]、日韓中継『今日の韓国』を放送。韓国の現在の模様を中継にて日本に伝えたり、日韓親善交換高校生のテレビ中継上での対面も行われた。[注 20][6][148]
  • 4日 - フジテレビ系で生放送の歌謡番組夜のヒットスタジオ』放送開始。初代司会は前田武彦と芳村真理[6]。以後、司会交代や枠移動などを繰り返しながら、1990年10月まで22年にわたって続く長寿番組となった。
  • 7日 - NHK総合、『海外取材番組』で「交通新時代」放送開始( - 12月12日、全6回。カラー放送)。[6]
  • 16日 - NHK総合、明治百年記念芸術祭参加のドキュメンタリー番組『高速』放送[157]。進歩し続ける機械文明の中で、人間が忘れようとしている時、時速100kmでの車の衝突、釘によるタイヤのバースト、高速下での人間の生理等を実証で解明しながら、高速と人間との関係、高速と車との関係を追及したドキュメンタリー。同記念芸術祭で奨励賞を受賞。後に日本テレフィルムコンクールで撮影・録音技術賞を受賞。[6][93]
  • 23日 - 毎日放送・NET系、第23回文化庁芸術祭テレビジョン部門参加のカラードキュメンタリー番組『日本音楽の生と死』(構成・脚本・解説:黛敏郎)を放送[158]。同部門の奨励賞を受賞[156][注 21]
  • 30日 - 関西テレビ・フジテレビ系で、関西テレビ開局10周年記念、第23回文化庁芸術祭参加ドラマ『青やからわたったんや』が、パートカラー番組として放送。カラーとモノクロの部分を混在させて、ドキュメンタリータッチで描く演出をした、オールロケーションによる制作[160]。芸術祭奨励賞を受賞[156]
  • 30日12月31日 - NHK総合及び教育、11月28~30日の3日間に渡り国立劇場にてアジア各国が参加して行われた、明治100年記念芸術祭特別公演『アジア民族芸能祭』の計4回の公演から、先ず総合で11月30日に2時間[6][161][162][163]12月31日には教育で3時間に渡り[164][165]、各々別内容にて共にカラーで放送。[166]

12月

  • 2日 - NHK総合、『海外取材番組』で「南太平洋の農業国」が放送開始( - 12月16日、全3回。カラー放送)。[6]
  • 3日 - RKB毎日放送、自社制作のローカルレギュラー番組『RKBリビングショー』にて、九州民放初のスタジオカラー生放送を実施。[167]
  • 8日 - 九州朝日放送、14時30分からの「第3回国際マラソン選手権大会」(後の「福岡国際マラソン」)の中継(30分間)にて、福岡市平和台競技場から、自社初のカラー中継車(前月25日に大阪以西の民放では初導入)によるカラー放送を実施[168]。尚NHK総合でも同マラソン中継を移動中継車も使用して全走路で放送したものの、こちらはモノクロ放送だった[169][170]
  • 10日 - 日本テレビ系『11PM』(火曜日・よみうりテレビ制作回、カラー)で「夜のレコード大賞」(第1回)を放送[171][172]。これが毎年恒例となり、1976年度・第9回から独立、日本テレビ系の『木曜スペシャル』枠にて全日本有線放送大賞』となり、2000年まで毎年実施された2001年から『ALL JAPANリクエストアワード』と改称、2024年現在は『ベストヒット歌謡祭』として存続)。
  • 11日 - NHK総合、川端康成にノーベル文学賞が授与されることで、ノーベル賞授賞式をストックホルムから午前6時、同7時のニュース、『スタジオ102』枠内で衛星中継。[6][173]
  • 11~13日 - NHK教育、『教養特集』で「部落」を3日間に渡り放送。11日は「生きている差別」[174]、12日は「100 年の歩み」[175]、13日は「国民の課題として」[176]をそれぞれ放送。[6]
  • 12日 - TBS系、プロボクシング・世界J・ウェルター級タイトルマッチ「藤猛×ニコリノ・ローチェ」を、蔵前国技館からカラーで中継[177]。関東地区にて47.3%の視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)。
  • 19日 - NHK総合、『海外取材番組』で、「世界の企業」が放送開始( - 1969年2月13日、全8回。カラー放送)。[6]
  • 21日 - TBS系で『第10回日本レコード大賞』の模様を渋谷公会堂から生中継。大賞は黛ジュンの「天使の誘惑」。同大賞最後のモノクロ中継。
  • 22日 - NHK総合、特別番組『危機に立つ東京大学』を放送。[6][178]
  • 30日 - NETテレビ系で1966年12月から放送していたアニメ『魔法使いサリー』(第1作)がこの日放送の第109話「さよならサリー」(カラー)をもって最終回。
  • 31日
    • NHK総合、『第19回NHK紅白歌合戦』放送(カラー)。紅組司会を水前寺清子、白組司会を坂本九が務め、総合司会は宮田輝(当時NHKアナウンサー)が務めた。視聴率は76.9% [179]
    • TBS系で1957年から放送されていた大型特別番組『オールスター大行進』が、この日の放送をもって、12年の幕を下ろす(終了時カラー)。翌1969年からはカラー生放送での『日本レコード大賞』に変更される(2006年より12月30日へ移動)。
    • 東京12チャンネルで、『なつかしの歌声大会』(『第1回年忘れにっぽんの歌』)を放送[165]。以降、毎年大晦日恒例の音楽特番となる。
    • フジ系を除く全民放テレビ局43局同時ネット(当時)、『ゆく年くる年』(この年はTBSが制作)が、この年からカラー放送を初めて実施。全国10元生中継を実施したものの、一部中継はモノクロだった為、パートカラーで放送。[180]


その他テレビに関する話題


開局・放送開始

岐阜放送以外は、カラー放送も同時開始。
*はこの開局により、いままで民放テレビが1局しか視聴できなかったのが2局になった地域。


視聴率

(※関東地区、ビデオリサーチ調べ)

  1. 第19回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)76.9%
  2. 連続テレビ小説 旅路(NHK総合、3月9日)56.9%
  3. 連続テレビ小説 あしたこそ(NHK総合、10月24日)54.7%
  4. 世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×ライオネル・ローズ」(フジテレビ、2月27日)53.4%
  5. メキシコオリンピック・第13日(NHK総合、10月25日 7:20-8:20)51.8%
  6. ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)51.3%
  7. 世界J・ウェルター級タイトルマッチ「藤猛×ニコリノ・ローチェ」(TBS、12月12日)47.3%
  8. 世界バンタム級タイトルマッチ「ライオネル・ローズ×桜井孝雄」(フジテレビ、7月2日)45.8%
  9. メキシコオリンピック・閉会式(NHK総合、10月27日)44.9%
  10. ニュース(NHK総合、9月25日 7:00-7:20)43.4%
  11. 冬季オリンピック1968(グルノーブル大会)(NHK総合、2月16日 8:00-8:12)42.2%
  12. スタジオ102(NHK総合、2月16日)41.4%
  13. ニュース(NHK総合、2月16日 8:30-8:45)40.7%
  14. ニュース(NHK総合、2月16日 7:20-7:35)40.0%
  15. カメラリポート(NHK総合、10月28日)39.8%
  16. ザ・ガードマン(TBS、2月9日)39.7%
  17. 参議院選挙と今後の政局(NHK総合、7月9日 7:30-8:12)38.5%
  18. 世界J・ライト級タイトルマッチ「小林弘×レネ・バリエントス」(日本テレビ、3月30日)37.9%


テレビ番組

参考文献

脚注

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