1968年のテレビ (日本)
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1968年のテレビ(1968ねんのテレビ)では、1968年(昭和43年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。
この年は、親局としてのUHF(アナログ)放送(13 - 62ch)が本格的に始まった年であった[注 1]。
まず2月20日にNHK徳島教育テレビジョンが放送開始し[2]、そして8月12日には最初の独立民放局にして民放初のUHF親局となる岐阜放送がテレビジョン放送を開始[3]。以後、全国に順次UHF局が開局していくようになる。
特に、いままで1局しか民放テレビが視聴できなかった多くの地方においては、初めて2局の民放テレビが視聴できるようになり(この年は、12月16日開局の新潟県の新潟総合テレビ、同月24日開局の静岡県のテレビ静岡がこれに該当する)、翌1969年はその地域が一気に増えることとなる。
これらのUHFテレビ放送を受信するには、新たにUHFアンテナを備え付けた上で、その受信機能を備えていなければいけない。この年に発売されたカラーテレビを始めとする多くのテレビには、元々UHF受信機能があったものの、それ以前のテレビはほとんどの機種がVHF(1〜12ch)しか受信できなかった為、それに於いては、専用のUHFコンバータを取り付ける必要があった。
主なできごと
- NHK、年度始めの4月から受信料体系がカラー契約、白黒の普通契約の二本立てに。ラジオ単独受信料は廃止される。
- 年内の11月20日には、カラー契約数が100万を突破する。
- 日本民間放送連盟、この年から4月21日を「放送広告の日」と制定。
- 1951年の同日に、日本で初めて民間放送局に予備免許が付与されたのを記念して制定。その後1993年に「民放の日」と改称される(「民放の日」の項目も参照)。
- テレビ番組
この年は前年に続き、新旧番組のカラー化が更に進む。
- NHKがカラー契約を開始したことに伴い、NHK総合が年度始めである4月の改編期から、視聴好適時間の娯楽番組を中心に、カラー放送を重点的に拡充。
- 新番組・番組終了・特別番組
- フジテレビ系、水木しげる原作のアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第1シリーズが放送開始(第1シリーズはモノクロ)。
- TBS系、土曜19時半枠に、ロート製薬一社提供・大橋巨泉司会のクイズ番組『お笑い頭の体操』放送開始。大橋は後番組『クイズダービー』で司会を降板する1990年3月まで、TBSの同時間帯の顔として親しまれる。また、同時間帯のロート製薬一社提供枠もその次番組『クイズテレビずき!』終了の1993年9月まで続く。
- 読売テレビ・日本テレビ系でカラーアニメ『巨人の星』が放送開始。スポ根ブームの火付け役となり、後に同様のアニメ・ドラマ番組が登場する様になる。
- NHK総合、生放送の公開バラエティー番組『みんなの招待席』が放送開始。1年間で放送終了後、番組の1コーナーだった『連想ゲーム』が独立した番組となり、その後 1991年3月まで23年に亘って続く人気番組となる(いずれもカラー放送)。
- 関西テレビ・フジテレビ系でカラー映画時代劇『大奥』が放送開始。女性時代劇のはしりとなる。
- 北海道テレビ局全3局(NHK・HBC・STV)が、9月2日の札幌市で行われた「北海道百年記念祝典」の模様を3局共にカラーで生中継・全国放送し、北海道放送(HBC)・札幌テレビ放送(STV)はこれを機に、自局ローカルや北海道からの全国放送に於けるカラー化が本格的に進んで行く様になる。
- NET系、連続テレビ時代劇『旅がらすくれないお仙』が放送開始。エッチなお色気が話題となり視聴率は常時20%台を確保、女性ハレンチアクションドラマの先駆けとなったばかりか、当時はもとより、後のテレビ番組のお色気表現のエスカレートにも多大な影響を与え、テレビ業界にエロ、お色気シーン、セクハラ等を売り物にするきっかけにもなった。
- 日本テレビ系『11PM』で12月10日火曜日・よみうりテレビ制作回(カラー)で「夜のレコード大賞」(第1回)を放送。これが毎年恒例となり1976年度・第9回から独立、日本テレビ系の『木曜スペシャル』枠にて『全日本有線放送大賞』となり、2000年まで毎年実施された(2001年から『ALL JAPANリクエストアワード』と改称、2024年現在は『ベストヒット歌謡祭』として存続)。
- 前述以外では、以下の主なレギュラー番組が放送を開始又は終了(カラー表記が無いのは後年にカラー化)。
- カラー放送化
- NHK総合の連続テレビ小説がこの年度からカラー化(この年度は第8作『あしたこそ』)。
- ニュース番組のカラー化
- この年に行われた『グルノーブル冬季オリンピック』、『メキシコオリンピック』の中継は、ほとんどがカラー化された(オリンピック中継の全面カラー化は、『1972年札幌冬季』から)。
- 上記を除いては、以下の主なレギュラー番組が年内に毎回カラー放送となる(年内開始番組・特別番組等を除く)
- NHK総合:『全国戦没者追悼式』
- 日本テレビ:『キユーピー3分クッキング(日本テレビ制作版のみ)』[注 4]、『11PM』(読売テレビ制作分も含む)
- TBS:『木下恵介アワー』
- フジテレビ:『スター千一夜』、『ダイヤモンドグローブ』
- NET:『象印スターものまね大合戦』
- 朝日放送:『全国高等学校野球選手権大会』
- 毎日放送:『真珠の小箱』、『選抜高等学校野球大会』
- 中部日本放送:『天才クイズ』
- 民放各局:『ゆく年くる年』
- 不定期のカラー化では、TBS系では『東芝日曜劇場』も秋からカラー制作の本数を増加、同『ザ・ガードマン』も不定期でカラー放送を開始。
- 尚、この年民放では、NET、毎日放送、中部日本放送、東海テレビ放送、北海道放送、札幌テレビ放送、RKB毎日放送、九州朝日放送、青森放送等がスタジオカラーカメラを使った番組制作を開始。又、RKBを除く前述の局に加え、朝日放送(ABC)がカラー中継車を使った番組制作を開始(RKBは翌年開始)。更に、東京12チャンネルがカラー放送を開始している。
- 視聴率
- 技術
- 年内に、東芝とTBSが共同でプランビコン撮像管式のスタジオカラーカメラ(型番:PK-31)を開発。自社の『東芝日曜劇場』での撮影に使われたのを始め、TBS・JNN系列局や多くの放送局等へ納入され、十数年に渡って製造された名器となった。
- 不祥事
- TBSがこの日の新東京国際空港(通称:成田空港)建設反対集会の取材で、自社のマイクロバスに空港反対派10名を同乗させたことが、翌11日に閣議で問題化。12日に郵政省がこの事に対しTBSに警告。これが原因で、『カメラ・ルポルタージュ』で同月12日放送予定だった「成田二十四時」が放送中止、急遽一年前放送された「67春・東京大学」に差し替えて放送。この日、朝日・読売・毎日など主要新聞朝刊のテレビ欄には「成田二十四時」の番組紹介も記載されていた為、視聴者から抗議の電話がTBSに多数届いた。同月22日にTBSは、報道局長ら8人を処分。この事件は後のTBS闘争の原因の一つとなった(同事件の項目も参照)。
番組関係のできごと
1月
- 1日
- NHK、この年が明治百年となることを受け、それにちなんだ番組を1年を通じて編成、この日から放送開始。[6]
- 日本テレビ系、朝の子供向け番組『おはよう!こどもショー』がこの日、新年特番として『おめでとう!こどもショー』をカラーで特別放送[9]。同番組のカラー化はこれが初。
- フジテレビ系で、2025年現在も正月の定番として続く元日恒例の生放送演芸バラエティ特番『初詣!爆笑ヒットパレード』が放送開始(2018年で50周年)。記念すべき第1回大会の総合司会はトリオ・ザ・スカイライン(東八郎ほか)が務めた。
- 3日
- TBS系で国際プロレス中継番組である『TWWAプロレス中継』放送開始。放送時間などの変更を繰り返しながらも、1974年3月30日まで放送された。
- フジテレビ系、水木しげる原作のアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第1シリーズが放送開始( - 1969年3月30日、全65話)[6]。この第1シリーズはモノクロ。1971年10月7日放送開始の第2シリーズからはカラーとなる。
- 7日 - NHK総合、大河ドラマ第6作『竜馬がゆく』放送開始( - 12月29日)[6][14]。大河ドラマ最後のモノクロ番組。
- 9日 - TBS系、『ドリフターズドン!』に続いて企画されたザ・ドリフターズの冠番組、『進め!ドリフターズ』放送開始。しかし、いかりや長介の病気により7月9日で終了するが、12月10日から『突撃!ドリフターズ』として放送が再開され[注 5]、1969年6月3日まで放送。その後同年10月4日開始のドリフの看板番組『8時だョ!全員集合』(カラー)につながってゆく。
- 10日 - NHK総合、カラーのクラシック音楽の公開番組『世界の音楽』放送開始( - 1974年3月31日)。ポピュラー・クラシックの「好み」のかき根をより少なくする様に構成し、内外著名演奏家の紹介も含め、やさしい名曲・名演奏を楽しむ番組。出演:立川澄人・デューク・エイセス・東京フィルハーモニー交響楽団 ほか。[6][15]
- 11日 - NHK総合、『海外取材番組』で、「ニューギニアの自然」が放送開始( - 2月15日、全6回。カラー放送)。[6]
- 18~20日 - NHK教育、『教養特集』でこの日から3日間に渡り「現代都市への挑戦」を放送[6]。18日は「再開発をまつ密集地帯」[16]、19日は「マヒする都市機能」[17]、20日は「東京は変えられるか」[18]と題して放送。
- 24日 - 朝日放送(後の朝日放送テレビ)・TBS系(当時)、ニュースワイドショー『ポーラ婦人ニュース』でこの日放送予定だったエンタープライズ特集が中止となる。[6]
- 31日 - 中部日本放送(CBC)、自社でスタジオカラーカメラを導入したことを受け、自社のローカルクイズ番組『天才クイズ』がこの日からカラー放送となる。[19]
2月
- 2日 - NHK総合、カラードキュメンタリー番組『現代の映像』で「空からの衝撃 ―120ホンの恐怖―」を放送。[6][20]
- 3日 - TBS系土曜19時30分枠で、ロート製薬一社提供・大橋巨泉司会のクイズ番組『お笑い頭の体操』放送開始( - 1975年12月27日)[21][22]。大橋は後番組『クイズダービー』(1976年1月3日開始)で司会を降板する1990年3月まで、TBSの同時間帯の顔として親しまれる。また、同時間帯のロート製薬一社提供枠もその次番組の『クイズテレビずき!』終了の1993年9月まで続く。
- 5日 - NHK総合、この日はカラー紀行番組『新日本紀行』を休止し、特集『戦火のサイゴン』を放送[23]。南ベトナム・テト攻勢でNHKが取材した「米大使館の暁の戦闘」等の取材フィルムを米軍用機で空輸して放送。[6]
- 6日〜18日(日本時間)
- 14日 - フジテレビ系、この日放送のプロボクシング中継番組『ダイヤモンドグローブ』から、プロボクシング中継のカラー放送を開始[27]。
- 15日 - NHK総合、全国各地を巡る公開番組『ふるさとの歌まつり』が、この日放送のNHKホール(内幸町)からの公開放送から、不定期のカラー放送を開始[28]。翌月(3月)21日の横浜文化体育館での公開放送では、番組に於いて局外中継初のカラー放送を実施[29]。その後は、公開スタジオや中継場所の担当地域局に於いて、カラー中継設備が整備された地域からカラー化していった(毎回カラー化は1970年度初めの同年4月9日放送回から[30][31])。
- 16日 - 日本テレビ系『三菱ダイヤモンド・アワー』が、この日をもって1958年8月29日から続けてきた『ディズニーランド』と日本プロレス中継番組である『日本プロレス中継』との隔週放送が終了。23日からは『日本プロレス中継』が毎週金曜20時からの放送となり『三菱ダイヤモンド・アワー 日本プロレス中継』となった他、『ディズニーランド』は4月7日から日曜19時へ移動(『ディズニーランド』は1972年4月30日終了、『三菱ダイヤモンド・アワー』自体も1972年7月14日終了)[注 8]。
- 19日 - 東京12チャンネル(後のテレビ東京)、『私の昭和史』が200回を迎え、同記念放送をこの日から3週に渡って放送。この日は「山行かば草むす屍 ―太平洋戦争決算報告陸軍編―」、26日は「海行かば水漬く屍 ―海軍編―」、3月4日は「国破れて山河あり ―総合編―」を放送。[6]
- 20日 - 金嬉老事件が発生。NHK総合『スタジオ102』等が、生放送を通じて犯人と対話を試みた。[6][32]
- 27日 - フジテレビ系、プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×ライオネル・ローズ」を、日本武道館からカラーで中継[33]。関東地区にて53.4%の視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)。
- 29日 - NHK総合、『海外取材番組』で「自治」が放送開始( - 5月16日、全9回。カラー放送)。[6]
3月
- 9日 - 朝日放送・TBS系(当時)、自社初のスタジオカラーカメラによるドラマ制作となる時代劇『伝七捕物帳』放送開始( - 7月6日、全18回。出演:高田浩吉、大村崑 ほか)。[34]
- 12日 - TBS系、『カメラ・ルポルタージュ』でこの日放送が予定されていた「成田二十四時」が、「TBS成田事件」により放送中止。代わりに、急遽一年前放送された「67春・東京大学」に差し替えて放送した[6]。この日、朝日・読売・毎日など主要新聞朝刊のテレビ欄には「成田二十四時」の番組紹介も記載されていた為、視聴者から抗議の電話がTBSに多数届いた(「TBS成田事件」の項目も参照)。
- 20日 - NET系、ハワイ・ホノルルの衛星中継と東京との2元実況中継による番組『お~い!ハワイの日本人~見知らぬ兄弟~』を放送。[35]
- 25日 - NHK総合で開局直後の1953年2月20日から放送されていたクイズ番組『ジェスチャー』(当時はバラエティコンプレックス枠『ファミリーショー』内でカラー放送)が、この日の放送をもって15年2ヶ月弱の幕を下ろす[36]。なお『ファミリーショー』もこの日の放送で廃枠となり、翌4月からは同枠(月曜20:00)で『みんなの招待席』(カラー)を開始、『連想ゲーム』を生み出す[37]。
- 26日 - TBS系、夕方のニュース番組『JNNニュースコープ』で、キャスターの田英夫がこの日を以って降板。しかしTBS労働組合はこれに抗議、翌月1日に賃上げ要求と共に報道局組合員による50時間ストに入る。[6]
- 28日
- 日本テレビ系、ドキュメンタリー番組『ノンフィクション劇場』が、この日の放送「軍鶏師」(ベルリン国際テレビフィルム賞受賞作の再放送)を最後に番組終了[6]。
- 毎日放送が、この日から開催の『第40回選抜高等学校野球大会』の開会式から、同大会のカラー放送を開始する[38]。
- 29日
- 30日
- 31日 - 朝日放送(後の朝日放送テレビ)・TBS系(当時)で1962年(昭和37年)から放送されていた藤田まこと主演の公開コント番組『てなもんや三度笠』が足かけ6年にわたる放送を終了(終了時カラー)。この後翌4月7日からは、同じ藤田主演の『てなもんや一本槍』(カラー)が開始。
- 月内(日付不明) - TBS系、ソビエト革命50周年記念の制作番組『核戦略下のソビエト軍』を放送。[6]
4月
- 1日
- 4月の番組改編
- NHK
- フジテレビ系
- 米リンドン・ジョンソン大統領(当時)が日本時間のこの日、ベトナム戦争に於ける北ベトナムへの爆撃停止命令及び次期大統領選不出馬表明の演説を行ったのを受け、各局がニュース速報や特別番組等を放送。
- NHK総合では、午前11時にニュース速報で特設ニュース枠を設けて報道[6]。しかしその最中の11時04分55秒に、日向灘地震発生に伴う津波警報が発令されるという事態が起きる[49]。正午のニュースでは双方のニュースを伝え[50]、夜には米大統領演説を受けて19時半から特別番組『「アメリカの決断と新局面」 ―ジョンソン声明の意味するもの―』が[6][51]、23時15分からは『1968年日向灘地震をめぐって』を放送[52]。尚、前述の特別番組の放送の為、この日放送開始予定だった『みんなの招待席』は、1週間後の同月8日に放送開始が延期された。[53]
- 民放では、日本テレビ・TBS・フジテレビ・NET・東京12チャンネルの在京局全てが、特別番組を放送。[48]
- 4月の番組改編
- 3~4日 - NHK総合、3日の23時57分から4日の午前0時57分にかけ、北ベトナムのハノイ放送が、前述の米ジョンソン大統領の声明に対する北ベトナム政府の回答を発表することを受け、放送終了時間を延長して特設ニュースを放送。ここで北ベトナム政府は、北爆無条件停止を目ざし代表を派遣して米と話し合う用意があるという回答を発表した。[6][53][54][55]
- 4日 - TBS系で京塚昌子主演のテレビドラマ『肝っ玉かあさん』放送開始( - 11月28日)[6]。1972年まで全3シリーズ制作された[44]。
- 6日
- 8日 - NHK総合、カラー生放送の公開バラエティー番組『みんなの招待席』が、前述の特別番組の都合で1週間遅れでこの日放送開始[53]( - 1969年3月31日)。大物スターが思い出の歌にまつわるエピソードを語りその歌を聞く「心の歌」、海外のショー・タレントや日本古来の演芸を楽しむ「演芸ショー」、加藤芳郎と中村メイコ両キャプテンが出すヒントから正解を連想するゲームコーナー「連想ゲーム」などで構成。その中で、『連想ゲーム』のみは番組終了後も継続、翌年4月9日に単発番組として独立し、その後 1991年3月まで23年に亘って続く人気番組となる。[6][57][37]
- 8・9日 - NHK総合、『海外取材番組』で、2日間に渡り「北方都市の像」を放送(カラー)。[6][53]
- 12日 - NHK総合、時事報道番組『時の動き』で、「大学に自治能力はあるか」を放送。[6][58]
- 14日 - NET系、『世界をさぐる』で、「この目で見た北ベトナム」を放送。番組には、松本清張・大森実・加瀬俊一が出演。[6]
- 20日 - NHK教育及び民放10社、ドキュメンタリー映画『広島・長崎における原子爆弾の影響』の短縮版を放送。この映画は、1945年8月の広島・長崎の原子爆弾投下後にその状況を撮影して1946年に完成したものの、直ぐに連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) に接収され、長らく日本では公開されず「幻の原爆映画」と称された。民放では、NET、東京12チャンネル、中国放送、長崎放送等が放送した(同映画の項目も参照)。[6][59][60]
- 23日~25日 - 民放による中日球場(当時)からのカラー放送が開始。この3日間に同球場にて行われた『プロ野球せ・リーグ公式戦「中日 対 巨人」』3連戦の実況中継を、東海テレビ放送(23・25日、フジ系)・中部日本放送(24日、TBS系)共に、カラー中継車を使って全国ネットにてカラー放送を開始。[61]
5月
- 3日 - NHK総合、5月ゴールデンウィーク特集番組の1つで、この日が憲法記念日であるのに合わせ、『政党に問う「日本の安全保障と憲法」』を、第1部「わが党はかく考える」・第2部「各党にきく」の2部構成で3時間に渡り放送。番組には、愛知揆一(自由民主党)・江田三郎(日本社会党)・曾禰益(民社党)・矢野絢也(公明党)・宮本顕治(日本共産党)・大宅壮一(ジャーナリスト)・長谷部忠(元朝日新聞社社長)・衛藤瀋吉(東京大学教授)・高坂正堯(京都大学助教授)が出演した(肩書はいずれも放送当時のもの)。[6][62][63]
- 10日 - NHK総合、カラーの時事報道番組『時の動き』で、パリで開かれるベトナム和平予備会談を前に「いよいよ開くパリ会談」を、一部衛星中継を交え、放送時間枠を特別に広げて放送。[6][64][65]
- 15日 - 東京12チャンネル、八木治郎の司会によるトーク番組『人に歴史あり』放送開始(塩野義製薬の一社提供。協力:文藝春秋)。番組は近畿圏では毎日放送で最終回まで放送され、1981年9月23日まで続く長寿番組となった。[6]
- 16日 - 午前9時48分に十勝沖地震が発生。NHK総合・民放共に関係のニュース速報・特別番組を編成。[6]
- 18日 - 日本テレビ系で木島則夫司会のワイドショー『木島則夫ハプニングショー』放送開始( - 10月12日)。この日初回放送の際、新宿歌舞伎町からの中継に見物人殺到し、警官隊が出動して混乱をきたす。[6]
- 20日
- 23日 - NHK総合、『海外取材番組』で「海外の日本」が放送開始( - 7月18日、全8回。カラー放送)。[6]
- 25日 - 読売テレビ・日本テレビ系、この日の阪神甲子園球場からのプロ野球ナイター中継『阪神 対 巨人』にて、同球場及び西日本ではカラー初のナイター中継を実施。[注 10][71]
- 26日 - 朝日放送で、カラー中継車が稼働開始。前日の読売テレビに続き、阪神甲子園球場からの『阪神 対 巨人』のカラーのナイター中継にて初使用(TBS系全国ネットで放送)。[注 11][72][73][74]
6月
- 3日 - NET系、歌手美空ひばりの冠歌謡番組『美空ひばりショー ひばりはひばり』が、NETの自社制作に於いて、初のスタジオカラーカメラ・カラーVTR使用による番組として制作、放送開始( - 9月30日)。[75][76]
- 5日 - ロバート・ケネディ米上院議員狙撃事件を、NHK総合・民放各社が衛星中継でニュースや特別番組等で放送。[6][77]
- 9日
- 15日 - いずれもNHK総合
- 17日 - NET系、『ハワイ移民百年祭式典』をハワイ・ホノルルから衛星中継。[6][35][81]
- 26日 - この日、小笠原諸島が日本に返還。NHK総合にて、カラー特別番組『小笠原諸島~自然と住民たち』を放送。[6][87][88]
7月
- 1日 - 青森放送が、ローカルニュースの全時間枠をカラー放送化(同全時間枠カラー放送化は日本のテレビ史上初)。これに伴い、カラーフィルムによる報道取材も開始[89]。日本テレビ系・NNN系列の地方局のローカルニュースのカラー化も恐らくこれが初。
- 2日 - フジテレビ系、プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ライオネル・ローズ×桜井孝雄」を、日本武道館からカラーで中継[90]。関東地区にて45.8%の視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)。
- 11日 - 北海道放送が、当時開催中の「北海道大博覧会」の特別番組『道博への招待』を、北海道の民放で初のカラーによる自主制作番組として放送。[91][92]
- 13日 - フジテレビ系でコント55号によるカラー放送のバラエティ番組『コント55号の世界は笑う!』放送開始[6]。平均視聴率30%を優に越えるという同局のドル箱番組となったものの、後に裏番組であるTBS『8時だョ!全員集合』(翌年10月4日、カラーで放送開始)が視聴率を上回ったことが影響し、1970年3月28日に終了。その後、TBSとフジテレビは長年にわたる「土曜8時戦争」を繰り広げることとなる。
- 22~27日 - NHK総合、カラーによる夏期特別番組『母と子の臨海学校』を5日間に渡り放送。静岡県伊豆の今井浜で夏休みを迎えた母と子数十組が参加し、1週間に渡ってそこで宿泊、海の生物、水泳教室等多彩な内容を盛り込んだ[93]。NHKでは以後1983年まで「夏期特別番組」としてこの種の母子シリーズを編成。[6]
- 25日 - NHK総合、『海外取材番組』で「ベトナム戦争」が放送開始( - 9月5日、全7回。カラー放送)。[6]
8月
- 1日 - TBS系5社、日本広報センター提供による番組『アメリカのアジア観をさぐる』を放送(全6回)。[6]
- 6日 - 広島原爆記念日のこの日、広島の民放がそれに関しての特別番組を放送。
- 9日 - 朝日放送が、この日から開催される『第50回全国高等学校野球選手権大会』の開会式の放送から、同大会のカラー放送を開始する[94][95]。
- 22日 - NHK総合、単発ドラマ枠『NHK劇場』にて、第20回イタリア賞参加作品のカラー時代劇『写楽はどこへ行った』を放送[96]。後に、第8回日本テレフィルム技術賞を受賞。
- 25日 - NET系『象印スターものまね大合戦』がこの日からカラー化。この回は江東公会堂からの公開収録放送で(同月6日収録)、NETがカラー中継車を使用した初めての番組となった。[注 12][75]
9月
- 1日 - NHK総合、東京発(全国放送含む)のニュースが全時間帯に於いてカラー放送となる[注 3][47]。翌2日にはNHK教育で『理科教室 小学校2年生〜はてなはてな〜』もカラー放送化。これでNHK総合・教育合わせてのカラー放送時間が、東京地区で1日平均10時間30分となる。[6][97]
- 2日
- 3日 - いずれもTBS系
- 4日 - NHK総合、ガン征圧月間関連で、フィルム構成による特別番組『山極勝三郎 -ガン研究の先駆者』を放送。[6][97][102]
- 8日 - TBS系で1967年10月から放送していたカラー特撮ヒーロードラマ『ウルトラセブン』がこの日放送の第49話「史上最大の侵略(後編)」をもって最終回。この日の最終回では、ラストの8分強でダンがアンヌに告白するシーンから、ディヌ・リパッティのピアノによる名盤の1つ、シューマン作曲の「ピアノ協奏曲イ短調」の第1楽章[注 15]が音楽に使われたことも手伝い衝撃の感動を呼び、後に伝説となる[注 16][105]。この最終回を以って、円谷プロダクション制作のウルトラシリーズは一応の区切りを迎え、1971年4月の『帰ってきたウルトラマン』開始まで2年半の中断となる。翌週より同じ円谷プロ制作による怪獣もヒーローも一切登場しない特撮ドラマ『怪奇大作戦』を放送開始( - 1969年3月)。
- 12日 - NHK総合、『海外取材番組』で「自然と人間 - 世界に見る自然保護」が放送開始( - 10月31日、全6回。カラー放送)。[6][106]
- 20日 - NHK総合、時事報道番組『時の動き』で、フィルム構成による「混乱つづく日本大学」を放送。[6][107]
- 23日
- 28日(土曜日) - 朝日放送・TBS系(当時)、大阪テレビ放送・ラジオ東京テレビ時代の1958年5月5日から共同制作で続いていた全国ネットのニュースワイドショー形式の帯番組『ポーラ婦人ニュース』がこの日を以って終了(ポーラ化粧品本舗(現・ポーラ)の一社提供)。但し同時間枠のポーラ化粧品本舗の一社提供は続き、翌々日からはTBS制作の帯ドラマ『ポーラテレビ小説』に替わる。[6][109]
- 30日(月曜日)
- TBS、この日から『JNNニュースコープ』、『TBSニュース』(当初は18時50分からの放送のみ)のカラー放送を開始[注 3][110][111]。これに伴い、カラーフィルムによるニュース取材を開始。これを受け、一部のJNN系列局でもカラーの報道取材やローカルニュースのカラー放送を開始した。
- 当時JNNの準キー局の朝日放送は、同月20日にカラーフィルム現像室を運用開始[73]、30日のTBSのニュースカラー化に間に合わせて、カラーフィルムによる報道取材を開始[112]。夕方のローカル『ABCフラッシュニュース』のカラー放送も開始した。
- 系列局のRSK山陽放送も、同日にカラー報道取材及びローカルニュースのカラー放送を開始した[113]。
- TBS系の秋の改編では、昼の番組の大改革などが行われた。
- 12:00 - 12:40に、TBS初の平日昼の生番組『0スタジオ おんなのテレビ』を開始[109]。しかしわずか3ヶ月で『お昼に会いましょう』に変更し、その半年後には『お昼に会いましょう』自体も終了、TBSは9ヶ月で平日昼のワイドショーから一時撤退した。
- 12:40 - 13:00に、昼の帯ドラマ『ポーラテレビ小説』が放送開始[6]。第1作は『三人の母』[109][110]。同枠はNHKの連続テレビ小説と共に「新人女優の登竜門」と呼ばれて数多くの主演女優を輩出した同枠は、1984年3月にポーラ化粧品本舗が一社提供を降りたものの、枠としては1986年9月26日まで18年にわたって続き、番組終了まで延べ40作品が放送された。
- 13:15の昼帯ドラマ枠『テレビ映画』が、この日開始の『過去深きひと』(朝日放送制作)より、13:00の帯演芸番組『シャボン玉寄席』(朝日放送制作、牛乳石鹸一社提供)との枠交換で13:00に繰り上がる[注 17]。
- 月曜19時台前半(19:00 - 19:30)で、カラー放送のボクシング番組『YKKアワー キックボクシング中継』が放送開始(吉田工業(YKK)[114]一社提供)[6][109][110][111][115]。1979年3月26日まで10年半続く長寿番組となった。
- 日本テレビ系で平日昼の生番組『お昼のワイドショー』放送開始。初代司会は青島幸男(月・水・金)と横山ノック(火・木)が務めた[6][109][116][注 18]。以後、司会交代を繰り返しながら1987年10月2日まで19年にわたって続いた。
- TBS、この日から『JNNニュースコープ』、『TBSニュース』(当初は18時50分からの放送のみ)のカラー放送を開始[注 3][110][111]。これに伴い、カラーフィルムによるニュース取材を開始。これを受け、一部のJNN系列局でもカラーの報道取材やローカルニュースのカラー放送を開始した。
10月
- 2・7日 - NET系、10月の番組改編で『ひばりはひばり』に続き、スタジオカラーカメラを使った音楽のカラー新番組を2本開始。2日には『歌のグランドヒットショー』が( - 1969年6月16日)[117][118]、7日には『ひばりはひばり』の後番組として、視聴者参加型の『ヤングポップスエキサイト』( - 1969年3月31日)が[119]それぞれ放送開始。
- 3日 - フジテレビ系、ドラマ『男はつらいよ』開始。出演・渥美清、長山藍子ほか[6][120]。翌年8月27日、松竹で映画化され初公開[121]以降50作に渡る国民的映画となる。
- 6日
- 関西テレビ・フジテレビ系で、スタジオカラーカメラを使用したお買い物ゲーム番組『親子そろって それ買え!やれ買え!!』放送開始[122]( - 1969年3月30日[123])。
- NET系、東映テレビ映画による連続テレビ時代劇『旅がらすくれないお仙』放送開始( - 1969年9月28日。脚本:森田新 ほか)[124]。女剣劇で売った松山容子が着物の裾を振り乱し、大信田礼子が若さとボインにミニスタイルで虎の皮のパンチラで暴れまくり[125][126][127][128]、視聴率は常時20%台を確保[125][129]、番組開始二ヵ月で視聴率28%を記録し[130]、一時はテレビ界の人気を一手にかっさらうほどの騒ぎを呼び[131]、後に翌年4月開始の東京12チャンネルのカラードラマ『プレイガール』と共に女性ハレンチアクションドラマの先駆けとなった[126]ばかりか、当時はもとより、後のテレビ番組のお色気表現のエスカレートにも多大な影響を与え[125]、テレビ業界にエロ、お色気シーン、セクハラ等を売り物にするきっかけにもなった(番組の項目も参照)。
- 10・12日 - NHK総合、メキシコオリンピックの開催迫るメキシコ市で、前月(9月)下旬にカラーVTR収録した特別番組『メキシコの歌まつり』を10日に[132]、同『メキシコの民族舞踏』を12日に[133]、それぞれカラーで放送。[134]
- 13日〜28日(日本時間) - メキシコオリンピックがメキシコシティーで開催され、NHK総合で連日中継放送した。8カ月前に開催された冬季オリンピックと同様、開会式・閉会式を始め、競技のほとんどがカラーで放送。[6][135][136]
- 18日 - NHK総合、前日に小説家・川端康成がこの年のノーベル文学賞受賞の発表を受け、特別番組『川端康成氏を囲んで』を放送。番組は川端本人の他に同じ小説家である伊藤整・三島由紀夫も出演した。[6][140][141]
- 20日 - NHK総合、明治百年記念番組『日本人は変わったか』を放送。[6][142]
- 21・22日 - 「国際反戦デー」の21日、極左暴力集団による「新宿騒擾(新宿駅乱入)事件」が発生。NHK総合・民放共にニュース速報や特別番組等を放送。[6]
- 23日 - 明治百年記念式典開催(於:東京・日本武道館)。関連番組をNHK総合及び民放で放送。[6][146]
11月
- 1日 - いずれもNHK総合
- 2日 - 東海テレビ放送・フジテレビ系、第23回文化庁芸術祭参加ドラマ『飛騨古系』放送(作:花登筐、出演:宇野重吉・稲垣美穂子 ほか)。この年の芸術祭賞を受賞。[6][155][156]
- 2日~3日 - NHK総合が2日間に渡り、前月NHKがメキシコオリンピックの模様を韓国へマイクロ波を通じて伝送したモノクロ回線を利用して[注 19]、日韓中継『今日の韓国』を放送。韓国の現在の模様を中継にて日本に伝えたり、日韓親善交換高校生のテレビ中継上での対面も行われた。[注 20][6][148]
- 4日 - フジテレビ系で生放送の歌謡番組『夜のヒットスタジオ』放送開始。初代司会は前田武彦と芳村真理[6]。以後、司会交代や枠移動などを繰り返しながら、1990年10月まで22年にわたって続く長寿番組となった。
- 7日 - NHK総合、『海外取材番組』で「交通新時代」放送開始( - 12月12日、全6回。カラー放送)。[6]
- 16日 - NHK総合、明治百年記念芸術祭参加のドキュメンタリー番組『高速』放送[157]。進歩し続ける機械文明の中で、人間が忘れようとしている時、時速100kmでの車の衝突、釘によるタイヤのバースト、高速下での人間の生理等を実証で解明しながら、高速と人間との関係、高速と車との関係を追及したドキュメンタリー。同記念芸術祭で奨励賞を受賞。後に日本テレフィルムコンクールで撮影・録音技術賞を受賞。[6][93]
- 23日 - 毎日放送・NET系、第23回文化庁芸術祭テレビジョン部門参加のカラードキュメンタリー番組『日本音楽の生と死』(構成・脚本・解説:黛敏郎)を放送[158]。同部門の奨励賞を受賞[156]。[注 21]
- 30日 - 関西テレビ・フジテレビ系で、関西テレビ開局10周年記念、第23回文化庁芸術祭参加ドラマ『青やからわたったんや』が、パートカラー番組として放送。カラーとモノクロの部分を混在させて、ドキュメンタリータッチで描く演出をした、オールロケーションによる制作[160]。芸術祭奨励賞を受賞[156]。
- 30日・12月31日 - NHK総合及び教育、11月28~30日の3日間に渡り国立劇場にてアジア各国が参加して行われた、明治100年記念芸術祭特別公演『アジア民族芸能祭』の計4回の公演から、先ず総合で11月30日に2時間[6][161][162][163]、12月31日には教育で3時間に渡り[164][165]、各々別内容にて共にカラーで放送。[166]
12月
- 2日 - NHK総合、『海外取材番組』で「南太平洋の農業国」が放送開始( - 12月16日、全3回。カラー放送)。[6]
- 3日 - RKB毎日放送、自社制作のローカルレギュラー番組『RKBリビングショー』にて、九州民放初のスタジオカラー生放送を実施。[167]
- 8日 - 九州朝日放送、14時30分からの「第3回国際マラソン選手権大会」(後の「福岡国際マラソン」)の中継(30分間)にて、福岡市平和台競技場から、自社初のカラー中継車(前月25日に大阪以西の民放では初導入)によるカラー放送を実施[168]。尚NHK総合でも同マラソン中継を移動中継車も使用して全走路で放送したものの、こちらはモノクロ放送だった[169][170]。
- 10日 - 日本テレビ系『11PM』(火曜日・よみうりテレビ制作回、カラー)で「夜のレコード大賞」(第1回)を放送[171][172]。これが毎年恒例となり、1976年度・第9回から独立、日本テレビ系の『木曜スペシャル』枠にて『全日本有線放送大賞』となり、2000年まで毎年実施された(2001年から『ALL JAPANリクエストアワード』と改称、2024年現在は『ベストヒット歌謡祭』として存続)。
- 11日 - NHK総合、川端康成にノーベル文学賞が授与されることで、ノーベル賞授賞式をストックホルムから午前6時、同7時のニュース、『スタジオ102』枠内で衛星中継。[6][173]
- 11~13日 - NHK教育、『教養特集』で「部落」を3日間に渡り放送。11日は「生きている差別」[174]、12日は「100 年の歩み」[175]、13日は「国民の課題として」[176]をそれぞれ放送。[6]
- 12日 - TBS系、プロボクシング・世界J・ウェルター級タイトルマッチ「藤猛×ニコリノ・ローチェ」を、蔵前国技館からカラーで中継[177]。関東地区にて47.3%の視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)。
- 19日 - NHK総合、『海外取材番組』で、「世界の企業」が放送開始( - 1969年2月13日、全8回。カラー放送)。[6]
- 21日 - TBS系で『第10回日本レコード大賞』の模様を渋谷公会堂から生中継。大賞は黛ジュンの「天使の誘惑」。同大賞最後のモノクロ中継。
- 22日 - NHK総合、特別番組『危機に立つ東京大学』を放送。[6][178]
- 30日 - NETテレビ系で1966年12月から放送していたアニメ『魔法使いサリー』(第1作)がこの日放送の第109話「さよならサリー」(カラー)をもって最終回。
- 31日
- NHK総合、『第19回NHK紅白歌合戦』放送(カラー)。紅組司会を水前寺清子、白組司会を坂本九が務め、総合司会は宮田輝(当時NHKアナウンサー)が務めた。視聴率は76.9% [179]。
- TBS系で1957年から放送されていた大型特別番組『オールスター大行進』が、この日の放送をもって、12年の幕を下ろす(終了時カラー)。翌1969年からはカラー生放送での『日本レコード大賞』に変更される(2006年より12月30日へ移動)。
- 東京12チャンネルで、『なつかしの歌声大会』(『第1回年忘れにっぽんの歌』)を放送[165]。以降、毎年大晦日恒例の音楽特番となる。
- フジ系を除く全民放テレビ局43局同時ネット(当時)、『ゆく年くる年』(この年はTBSが制作)が、この年からカラー放送を初めて実施。全国10元生中継を実施したものの、一部中継はモノクロだった為、パートカラーで放送。[180]
その他テレビに関する話題
- 1月20日 - 日本テレビ系『11PM』のホスト(月・水曜担当)などを務めた小島正雄(ジャズ演奏家・評論家)が心筋梗塞のため急死(54歳没)。
- 2月20日 - NHK徳島教育テレビジョン、日本で最初のUHF局[注 22]として放送開始。[2]
- 3月1日 - 中京ユー・エッチ・エフテレビ放送(CTV、愛称・中京テレビ〈後の中京テレビ放送〉)設立。
- 3月2日 - 新潟総合テレビ(NST、後のNST新潟総合テレビ[注 23])設立。
- 3月8日 - 毎日放送で、カラー中継車が稼働開始。[24]
- 3月10日 - 「TBS成田事件」が発生。TBSがこの日の新東京国際空港(通称:成田空港)建設反対集会の取材で、自社のマイクロバスに空港反対派10名を同乗させたことが、翌11日に閣議で問題化。12日に郵政省がこの事に対しTBSに警告。同月22日にTBSは、報道局長ら8人を処分した[6]。この事件は後のTBS闘争の原因の一つとなった(同項目も参照)。
- 4月1日
- 4月21日 - 日本民間放送連盟、1951年のこの日に日本で初めて民間放送に対し予備免許が交付されたのを記念し、この日を「放送広告の日」と定める。後の1993年には「民放の日」と改称される(「民放の日」の項目を参照)。
- 5月5日 - 当時米領だった沖縄の琉球放送テレビと沖縄テレビ放送がカラー放送開始。[6][44]
- 5月16日 - この日に発生した十勝沖地震の影響で、電電公社のテレビ同時ネット回線の札幌・青森への下り回線が停電及び電源障害により青森県東北町の甲地中継局で途切れた[66]ものの、4時間程度と早く復旧した[67][68](詳細は「#番組関係のできごと」の同日欄を参照)。この事故が契機で電電公社はこういう災害が起こっても回線事故を予め防ぐ為に、北日本の従来の回線を強化させ、1970年2月に北日本(東北)ループ回線を開通、中継回線の全国ループ化が完成する(「NTT中継回線#年表」の項を参照)。
- 6月26日 - NHKが後に開局する岐阜放送・サンテレビ・近畿放送の3UHF局へ、テレビニュース番組の提供を決定する。[6]
- 7月1日 - 日本科学技術振興財団テレビ事業本部(東京12チャンネル)、再建方策として制作部門を分離。三井物産、三菱商事、毎日放送(MBS)[注 25]などの出資によって、東京12チャンネルの番組制作・広告営業などの事業会社・株式会社東京12チャンネルプロダクション(後のテレビ東京)が設立。[6]
- 8月12日 - 日本初の民放UHFテレビ局(親局)として、岐阜放送テレビジョン(GBS、後のぎふチャン)放送開始[3](当初はモノクロ放送のみ。カラー放送はそれから約4ヶ月半後の12月24日に開始[182])。[6][183]
- 10月31日 - ソニーがトリニトロン方式の13インチトランジスタカラーテレビ「KV-1310」発売。発色や明るさなど従来のシャドーマスク方式との違いをアピールした。以降トリニトロン方式は業務用モニターとしても重用され、長きに渡りブラウン管カラーテレビの代名詞となる。消費電力75W、重さ13.8Kg、価格は118,000円[184]。
- 11月3日 - 北海道テレビ放送(HTB)開局。[6][185][186]
- 11月8日 - NHK、ソビエト連邦放送委員会とラジオ・テレビ部門での2年間の協力協定が成立。[6]
- 11月20日 - NHK、カラー受信契約数が100万を突破。[6]
- 12月16日 - 新潟総合テレビ(NST、後のNST新潟総合テレビ)開局[6][187][182][188]。今まで民放テレビが1局しかなかった地域での初のUHF民放局の開局となる。
- 12月24日 - テレビ静岡開局(静岡、浜松両局)[182][188]。
- 年内 - 東芝とTBSが共同でスタジオカラーカメラ(型番:PK-31)を開発。自社の『東芝日曜劇場』での撮影に使われたのを始め、TBS・JNN系列局や多くの放送局等へ納入され、十数年に渡って製造された名器となった。[189][190]
開局・放送開始
岐阜放送以外は、カラー放送も同時開始。
*はこの開局により、いままで民放テレビが1局しか視聴できなかったのが2局になった地域。
- 2月20日 - NHK徳島教育テレビジョン - 日本最初のUHFテレビ局[2]
- 8月12日 - 岐阜放送 - 民放初のUHF局にして独立局[3][6](当初はモノクロのみ。カラー放送は同年12月24日に開始[182]。)
- 11月3日 - 北海道テレビ放送[6][185][186](サービス試験放送開始:10月29日[191])
- 12月16日 - 新潟総合テレビ*(サービス放送開始:11月29日[注 26])[6][187][182]
- 12月24日 - テレビ静岡*(サービス放送開始:11月1日)[182]
視聴率
(※関東地区、ビデオリサーチ調べ)
- 第19回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)76.9%
- 連続テレビ小説 旅路(NHK総合、3月9日)56.9%
- 連続テレビ小説 あしたこそ(NHK総合、10月24日)54.7%
- 世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×ライオネル・ローズ」(フジテレビ、2月27日)53.4%
- メキシコオリンピック・第13日(NHK総合、10月25日 7:20-8:20)51.8%
- ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)51.3%
- 世界J・ウェルター級タイトルマッチ「藤猛×ニコリノ・ローチェ」(TBS、12月12日)47.3%
- 世界バンタム級タイトルマッチ「ライオネル・ローズ×桜井孝雄」(フジテレビ、7月2日)45.8%
- メキシコオリンピック・閉会式(NHK総合、10月27日)44.9%
- ニュース(NHK総合、9月25日 7:00-7:20)43.4%
- 冬季オリンピック1968(グルノーブル大会)(NHK総合、2月16日 8:00-8:12)42.2%
- スタジオ102(NHK総合、2月16日)41.4%
- ニュース(NHK総合、2月16日 8:30-8:45)40.7%
- ニュース(NHK総合、2月16日 7:20-7:35)40.0%
- カメラリポート(NHK総合、10月28日)39.8%
- ザ・ガードマン(TBS、2月9日)39.7%
- 参議院選挙と今後の政局(NHK総合、7月9日 7:30-8:12)38.5%
-
- 第23回原爆慰霊平和祈念式(NHK総合、8月6日)38.0%
- 歌まつり明治百年(NHK総合、10月23日)38.0%
- 世界J・ライト級タイトルマッチ「小林弘×レネ・バリエントス」(日本テレビ、3月30日)37.9%