1973年のテレビ (日本)
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1973年のテレビ(1973ねんのテレビ)では、1973年(昭和48年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。
- 東京12チャンネル(後のテレビ東京)、被免許者及び運営会社が変更。
東京12チャンネルの運営が、10月31日付で「日本科学技術振興財団テレビ事業本部」の免許期限により閉局し、新たに11月1日付で「株式会社東京十二チャンネル」への新規免許により開局。それまで同社はの同局の番組を制作する会社「株式会社東京十二チャンネルプロダクション」として運営しており、運営変更に伴う新規免許に当り、10月24日に「株式会社東京十二チャンネル」に会社名を変更している。放送設備等は被免許者の変更に伴い、全て新会社が引き継いだ。
- 開局
- 4月1日にUHF独立局の奈良テレビ放送が開局。
- NHK、中京広域圏内の県域ローカル放送体制を完成させる為に、2月17日にNHK岐阜放送局、3月3日にNHK津放送局(三重県)の各総合テレビ(共にUHF)が開局、4月2日には共に県域(ローカル)放送を開始する(教育テレビは引き続きNHK名古屋放送局管轄となる)。
- 中京地方、テレビ系列整理が完了。
4月1日、名古屋テレビ放送がNET=ANN系列、中京テレビ放送がNTV=NNN・NNS系列に各々一本化したことで、同地方に於いての「複合ネット」が解消され、東海地区の4系列4局によるフルネット化が完了(後述)。
これにより、日本テレビ(NTV)=読売新聞、TBS=毎日新聞、フジテレビ=サンケイ新聞、日本教育テレビ(NET)=朝日新聞、東京12チャンネル=日本経済新聞の形による「新聞・放送」の株式単一化が進められた。これが契機で、後に大阪準キー局のネットチェンジへと発展する(当時TBS系の朝日放送とNET系の毎日放送が各々のキー局系列を交換、1975年3月31日に実施)。
3601の総座席数を持ち、NHKのテレビ・ラジオ番組の公開放送等を始め、音楽コンサート、演劇舞台等の多目的ホールとして活用される。当ホールでは、ベルリンのカール・シュッケ社製のパイプオルガンも設置された(完成当時日本最大のパイプオルガンであった)。
- 第四次中東戦争勃発、それに伴う第1次オイルショック発生に伴い、各局ニュース報道・特集を始め、放送時間短縮の動きも始まる。
- 10月31日には、NHK総合の朝の生活情報番組『こんにちは奥さん』で当時の中曽根康弘通産大臣がこの番組でも同月19日に呼びかけたのと同様、紙不足に懸念を示し節約を呼びかけたにも関わらず、大阪府の千里ニュータウンでのトイレットペーパーの買いだめが始まったを契機に「トイレットペーパー騒動」が発生。挙句の果てに全国に広がり、トイレットペーパー以外の日用品へまで買い占めが相次ぎ社会問題化、各局でこの騒動のニュースが連日大きく取り上げられる様になる(同騒動の項目を参照)。
- 12月16日には、岐阜放送テレビが電力節減のため放送時間を短縮を開始、翌月にはNHK・民放各局にも及ぶ様になる。
- 全面カラー化への動き
東京のキー局4局(日本テレビ、TBS、フジテレビ、NET(一部の学校放送番組を除く))が、番組の全面カラー化を完了(過去の再放送や、故意の場合等を除く)。
- テレビ番組
- この年、TBS系『8時だョ!全員集合』の後半コントで、加藤茶(ザ・ドリフターズ)が発した「ちょっとだけよ、あんたも好きねぇ」が人気を博した。
- 1月14日、エルビス・プレスリーのハワイ公演の模様がアジア・オセアニア地域に衛星生中継され、日本では日本テレビにて生放送。音楽公演の衛星生中継の先駆けとなる。
- 『日立グループ』一社提供番組に於いて、「日立の樹」(この木何の木気になる木)のCMが放送開始(後述)。
- TBS系『木下恵介・人間の歌シリーズ』にて、ホームドラマ『それぞれの秋』が放送開始。当時ホームドラマで流行していた「暖かい大家族もの」とは逆の「家族がすべてドラキュラだったら」の構想による同ドラマでの新境地を開拓、後に第6回テレビ大賞本賞や第11回ギャラクシー賞を受賞。
- 局の看板となる、以下の番組が放送開始。
- その他
NHK、カラーテレビ受像機の普及を最優先方針としたこと等から、音声多重放送の実験放送を12月9日に終了(後述)。以後同放送は、1978年9月28日の日本テレビの実用化試験放送開始まで行われなかった。
番組関係のできごと
1月
- 1~3日 - NHK総合、正月3が日に渡り、年始特集『新春討論 - 日本を考える』を放送。1日は「世界の中でどう生きるか」、2日は「東京中心 主義は変えられるか」、3日は「成人になるために何が必要か」をテーマに討論を繰り広げた。[1]
- 2日 - 関東・関西・東海の広域圏内のUHFテレビ8社[注 1]と放送番組センターの共同企画によるドキュメンタリー番組『名作のふるさと』放送開始。[1]
- 3日 - NHK総合、『海外取材番組』で「アジアの自然」が放送開始( - 2月14日、全4回)。[1]
- 7日 - NHK総合、大河ドラマ第11作『国盗り物語』(主演:平幹二朗)放送開始( - 12月23日、全51回)。[1]
- 14日 - 日本テレビ系、米NBC制作のエルビス・プレスリーのライブ中継『アロハ・フロム・ハワイ』を、ハワイのホノルル・インターナショナル・センター・アリーナ(後のブレイズデル・センター)からアジアとオセアニアの視聴者に向けて衛星生中継するに当り、その公演の模様を日本テレビ開局20周年記念特別番組『エルビス・プレスリー・ショー』として生放送[1]、視聴率37.8%を記録[2]。このコンサートは、後の録画での放送を含め、世界38カ国で放送、視聴者数は10億人以上と言われている[2](「アロハ・フロム・ハワイ」の項も参照)。[注 2]
- 24~28日 - ベトナム戦争に於ける停戦合意・パリ協定締結に伴い、NHK総合・民放各社が特別番組を放送。
2月
- 1日
- 10日 - 毎日放送制作・NET(後のテレビ朝日)系列で1971年4月3日に開始した特撮番組『仮面ライダー』(藤岡弘、佐々木剛主演)がこの日放送の第98話「ゲルショッカー全滅!首領の最後!!」をもって終了。翌週17日より仮面ライダーシリーズ第2作『仮面ライダーV3』(宮内洋主演)が放送開始( - 1974年2月9日、全48話)。
- 21日 - NHK総合、『海外取材番組』で「ユダヤの世界」が放送開始( - 3月28日、全6回)。[1]
- 27日 - フジテレビ系列『火曜ワイドスペシャル』で、バレーボール系スポーツバラエティ番組『オールスター紅白バレーボール大会』のこの日から開始。1981年まで計11回放送された[注 3]。
3月
- 7日 - NHK総合、テレビ放送開始20周年記念番組として、吉永小百合のリポートによる『国境のない伝記』放送開始( - 3月28日、全4回)。[1]
- 13日 - いずれもNHK総合
- 19日 - NHK総合、放送記念祭特集として『巨大開発 ―ドキュメンタリー― ~青森県上北郡六ケ所村~』を放送。[1][5]
- 20日 - NHK総合・民放各局、熊本水俣病第一次訴訟の第1審判決が9時30分から熊本地方裁判所で言い渡されるのを受け、特別番組や通常番組内での特別枠を設けるなどして放送。[1]
- NHK総合では、9時から1時間半に渡り特別番組『水俣病裁判判決』を熊本地裁からラジオ第1と同時に中継[6]、21時15分からは特別番組『水俣判決と公害対策』を放送[7]。[1]
- TBS・JNN系列は、9時30分からJNN報道特別番組『水俣病に判決下る』を53分間に渡り放送。同番組内では熊本地裁の他に水俣市からも中継した。尚、系列の熊本放送が当時1台しかないカラーテレビ中継車を熊本地裁に出していた為、水俣市からの中継は同系列の南日本放送が鹿児島から同中継車を出動させて協力した。[8]
- 日本テレビ・フジテレビ・NETの各系列は、テレビ熊本を中心に制作体制を敷いて福岡の各系列のテレビ局が協力して放送した(日本テレビ系は福岡放送、フジテレビ系はテレビ西日本、NET系は九州朝日放送)。[9]
- 22日 - NHK総合、『70年代われらの世界』で「放送と社会 ―情報化時代への動き―」を放送。[1][10]
- 24日 - NHK総合、『テレビ討論』で「ひる休み2時間論」を、東京・広島・仙台・富山を結んで多元放送。[1][11]
- 27日 - NHK総合、特別番組『大都市改造をどうする』を放送。田中角栄・黒川紀章・緒方彰が出演。[1][12]
- 30・31日 - NHK教育、『教養特集』(モノクロ)で「性教育を考える」で2日間に渡り放送。30日は「日本人と性」[13]、31日は「学校教育の役割」[14]を放送。[1]
4月
- 1日
- 2日
- NHK、新年度編成を開始。
- フジテレビ系で子供向け番組『ひらけ!ポンキッキ』が放送開始[1][15]。この番組のオリジナルキャラクターとして誕生したガチャピンとムックが人気者となり、また、大ヒットとなった「およげ!たいやきくん」(子門真人)に代表されるような様々な楽曲も生まれた。番組は以後も放送枠移動、タイトル改題、放送波移籍等のリニューアルを繰り返しつつ、2018年3月まで約45年間続く長寿シリーズとなった。
- NET系の月曜夜8時枠に、渡辺プロダクション制作の『スター・オン・ステージ あなたならOK!』放送開始( - 9月24日)。日本テレビ系の『NTV紅白歌のベストテン』の真裏にぶつける形となり、いわゆるナベプロ事件が勃発。
- 朝日放送で横山やすし・西川きよし司会による恋愛バラエティ番組『プロポーズ大作戦』がこの日から関西ローカルで放送開始。1975年12月2日からNET(→テレビ朝日)系全国ネット番組に昇格、1985年3月26日まで12年続いた。[1]
- 名古屋放送・NET系、早朝の子供向け番組『こどもワイドショー ブンブンバンバン』放送開始( - 1975年3月28日)。[1]
- 4日 - NHK総合、『海外取材番組』で「インドシナ-ベトナム停戦以後」が放送開始( - 5月2日、全4回)。[1]
- 5日
- 日本テレビ系で単発特別番組枠『木曜スペシャル』放送開始。当初は1時間枠(20:00-20:55)だったが、同年10月より90分枠(19:30-20:55→20:54)に拡大、その後も枠拡大や縮小を繰り返しながら、1994年3月31日まで21年続いた。この番組から『ユリ・ゲラー超能力特集』・『矢追純一UFOシリーズ』・『元祖どっきりカメラ』・『アメリカ横断ウルトラクイズ』等といった人気企画が誕生した。
- NET系、刑事ドラマ『非情のライセンス』第1シリーズが放送開始( - 1974年3月28日、全52話。原作:生島治郎、脚本:橋本忍 ほか、出演:天知茂 ほか)[1]。その後第3シリーズまで制作された(番組の項を参照)。
- 6日
- 日本テレビ系金曜夜7時枠で、横山やすし・西川きよし司会による、ものまね歌謡バラエティ番組『歌まね合戦スターに挑戦!!』[注 5]放送開始。同系では続く7時30分枠でも、コント55号メインの公開バラエティ番組『コント55号のなんでそうなるの?』放送開始。2度の中断期間[注 6]をはさみながら1976年3月まで継続する。
- TBS系、金曜夜7時台前半枠で、円谷プロダクション製作のウルトラシリーズ第6弾『ウルトラマンタロウ』が放送開始( - 1974年4月5日、全53話)。
- NET(後のテレビ朝日)系で、1969年7月から金曜20時枠で放送されていた『NET日本プロレスリング中継』(旧:『ワールドプロレスリング』)に代わり、この日より新日本プロレス中継に変更したうえで『ワールドプロレスリング』に再改題、2025年現在も継続中[注 7]。
- 7日
- 21日 - 朝日放送制作・TBS系で、時代劇『必殺シリーズ』の第2作『必殺仕置人』放送開始( - 10月13日。全26回)。藤田まこと演じる中村主水が本作より登場。[1]
- 24日 - NHK総合、「首都圏国電暴動(通称:4・24騒動、4・24事件)」発生に伴う国鉄スト関係ニュースを深夜まで放送。[1]
- 29日 - NHK総合、天皇誕生日特集『天平の甍 - 唐招提寺』を放送(出演:井上靖・森本孝順・村井康彦)。[1][17]
- 30日 - NHK総合、特別番組『友好の土俵 ―訪中大相撲の記録―』放送。[1][18]
5月
- 3日 - NHK総合、ゴールデンウィークの特集番組の1つとして、『平等の旗の下に- 松本治一郎の生涯』を放送。[1][19]
- 3〜6日 - NHK総合、沖縄の本土復帰を記念して、通常とは異なる「特別国体」として開催された「復帰記念沖縄特別国民体育大会」の模様を4日間に渡り中継放送。[1]
- 9日 - NHK総合、『海外取材番組』で「都市と災害」が放送開始( - 6.13、全6回)。[1]
- 29日 - NHK総合、特別番組『揺れるホワイトハウス ―ウォーターゲート事件公聴会の記録―』を、一部衛星中継録画を含めて放送。[1][20]
- 30日 - 日本テレビ、関東ローカルの毎日の放送開始最初の番組で、当時唯一のモノクロ番組だった『モーニングメロディー』がこの日で終了[21]。これにより、モノクロ番組が自然消滅し、日本テレビの全番組のカラー化が完了(過去の再放送や故意の演出の場合等を除く)。
- 31日・9月20日 - NHK総合、クラシック音楽番組『NHKコンサートホール』で、当時のソ連から初来日したエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団(後のサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団)の東京文化会館での同年5月26日の公演を放送。5月31日は、1937年11月21日このコンビで初演をしたショスタコーヴィチの代表作、交響曲第5番 ほかを放送[22]。9月20日は、ベートーヴェン作曲 交響曲第4番 ほかを放送[23]。[注 8]
6月
- 2日 - TBS取材班、北朝鮮の招きでピョンヤン(平壤)に滞在中、「よど号ハイジャック事件」の犯人たちとの会見等をテレビ取材、後日TBS・JNN系のニュース等で放送。[1]
- 3日 - TBS系の日曜夜の不二家一社提供枠『不二家の時間』が、最終放送作品の『新諸国漫遊記 笛吹童子』がこの日で最終回を迎え、16年弱の幕を降ろす。
- 5日 - NHK総合・民放各社、「第1回世界環境デー」関連で特別番組等を放送。[1]
- NHK総合では、特別番組『選択の時代 ―第1回世界環境デー―』を放送。[1][25]
- 日本テレビ系では、『NNNドキュメント'73』で「怒りの海」等を放送。[1]
- NET系では特別番組『ぼくたちの地球のために』を放送。[1]
- 15日 - NHK総合、『あすへの記録』で、前年6月14日に起きた「日航機ニューデリー空港墜落事故」の謎を追求した「空白の110秒 ―日航機ニューデリー事故―」を放送[26]。後に1974年のイタリア賞を受賞。[1]
- 18日 - フジテレビ系の『夜のヒットスタジオ』の生放送中、司会の前田武彦が「共産党バンザイ事件」を起こしてしまう。→詳細は「夜のヒットスタジオ § 番組の挫折とバラエティ色の強化(1973 - 1976)」、および「前田武彦 § 共産党応援とテレビ局の報復」を参照これにより前田は『夜ヒット』の司会降板(9月24日放送分)のみならず、1971年の放送開始から解説を務めた映画番組『ゴールデン洋画劇場』を6月22日放送分で降板(→高島忠夫に交代)する等、この年の秋改編を目途としてレギュラー番組の大半を失う形となった。
- 20日 - NHK総合、『海外取材番組』で「中国」が放送開始( - 7月4日、全3回)。[1]
- 23日 - 東海テレビ(東海地方ローカル)、無農薬農業をとりあげたドキュメンタリー番組『汚れなき土にまけ』を放送。[1]
7月
- 2日 - TBS系で午後のワイドショー『3時にあいましょう』放送開始[1]。初代司会者は船越英二(俳優)野際陽子(女優)らで[1]、以後野村泰治(元NHKアナウンサー)→岡部達(TBSアナウンサー)→蓮舫(タレント、2024年まで参議院議員)が司会を務めた。(1992年9月、後に『スーパーワイド』へリニューアル(1996年5月終了))。
- 7日 - NHK総合、『刑事コロンボ』シリーズの放送を開始( - 9月11日、全8回。東京と大阪では実験中の音声多重放送にて二か国語放送を実施)。[1]
- 11日 - NHK総合、『海外取材番組』で「文明と食生活」が放送開始( - 8月22日、全6回)。[1]
- 21日 - NHK総合・民放各局、前日に「ドバイ日航機ハイジャック事件」が発生したのを受け、ニュース速報や終夜に渡る特設ニュース等を含め、8~11時間の特別番組を編成。[1]
- 22日 - 日本テレビ系、『NNNドキュメント'73』で、シリーズ「終戦特集・28年目の証言」が放送開始(全4回)。[1]
- 23日 - テレビ神奈川(TVKテレビ)、『暮らしのリビング・ポート』に視聴者が企画立案する「あなたが作るテレビ番組」のコーナーが登場する。[1]
- 23〜25日 - NHK総合、特別番組『海はだれのもの』を3日間連続で放送。[1]
8月
- 3日 - NET系、平日正午のワイドショー『アフタヌーンショー』にて、1966年1月31日から司会を7年半務めた桂小金治がこの日の放送で卒業。翌週6日からは俳優・山田吾一が新司会となるも、10月26日の放送をもってわずか3ヶ月で降板してしまう。急遽、当時NETアナウンサーだった馬場雅夫を新司会に迎え、翌1974年3月1日に降板するまで務めた。→詳細は「アフタヌーンショー § 度重なる司会者交代と主なコーナーなど」を参照
- 4日 - NHK総合、夏恒例の『第5回思い出のメロディー』を、この年竣工したばかりのNHKホール(渋谷区神南)から初めて公開生放送。司会は宮田輝(当時:NHKアナウンサー、この年の紅白白組司会)。
- 5〜12日 - NHK総合・民放各社が原爆・終戦関連番組を放送。
- 7・14・21・28日 - NHK総合、経済番組『1億人の経済』で「都市問題を考える」と題し、長野県軽井沢町で開設された緑陰講座の模様を4週に渡り放送[1]。7日は「都市は生きている」[28]、14日は「都市政策に科学を」[29]、21日は「地方都市のめざすもの」[30]、28日は「都市を経営する」[31]をそれぞれ放送。
- 13日 - NHK総合、特別番組『星空の散歩』を放送。京都大学の飛騨天文台の天体望遠鏡がとらえた宇宙の姿を、この1月に開発されたばかりの、月明かりで撮像できる超高感度カラーテレビカメラ(池上通信機製 型番:SK-307 米RCA製SIT採用。後述)を使って放送。[1][32]
- 25日 - NHK総合、朝鮮民主主義人民共和国の国立平壌マンスデ芸術団の東京文化会館での訪日公演を録画した特別番組『革命歌劇「花を売る乙女」』を放送。[1][33]
- 27日 - この日、2つの地方民放局が青少年がテーマの海外取材番組を放送。山陽放送では『この目でみたアメリカ・派遣中学生の記録』を、高知放送では『豊かなる旅路・青年の船 (マニラ・香港)』をそれぞれ放送。[1]
- 27〜29日 - NHK総合、3日間に渡り緊急海外取材特別番組『食糧危機と日本』を放送。27日はセネガル・インド・インドネシアで取材をした「飢える世界」を[34]、28日はアメリカで取材した「輸出規制の背景 ―アメリカの悩み―」を[35]、29日はオーストラリア,セネガル,インドネシアで取材した「安定確保への道」[36]をそれぞれ放送。[1]
9月
- 5日 - NHK総合、『海外取材番組』で「ラテンアメリカ」が放送開始( - 10月10日、全6回)。[1]
- 6日
- 7日 - NHK総合、「長沼ナイキ事件」の第1審判決公判の模様を、特別番組『長沼ナイキ訴訟判決』として札幌地裁からの中継を入れて放送[38]。同日21時15分からは関連特別番組『自衛隊に違憲判決 ―長沼ナイキ訴訟―』を44分間放送[39]。[1]
- 14日 - NHK総合、ドキュメンタリー『「18年」 ―森永ミルク中毒被害者たち―』を放送。[1][40]
- 15日 - NHK総合、同月6日に上野・本牧亭で開催された『第1回NHK新人浪曲コンクール』を放送[41]。以後同コンクールは毎年実施される。[1]
- 29日 - フジテレビ系、1965年3月から続いたハナ肇とクレージーキャッツ出演のミニ番組『(クレージーの)待ッテマシタ!』(月 - 土曜 20:56 - 21:00)が、10月のゴールデンタイムミニ番組枠1分拡大(後述)にともない、この日の放送をもって8年7ヶ月の幕を降ろす。なお、クレージーキャッツの番組は10月1日より平日午後枠に移り『クレージーの奥さ〜ん!』(月 - 金曜 15:55 - 16:00)が開始。
10月
- 1日 - フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』の司会を1968年の番組開始当初より前田武彦とのコンビで務めてきた芳村真理がこの日から一時降板[注 9]。翌1974年3月までの半年間はゲスト歌手2名による司会輪番制で放送を継続。
- 2日 - 関西テレビ・フジテレビ系、花登筺原作・脚本、西郷輝彦主演のテレビドラマ『どてらい男(ヤツ)』が放送開始(1975年4月から日曜21時枠に移動。 - 1977年3月25日、全181回)。[1]
- 5日
- 7日
- 8日 - NHK総合、特別番組『第4次中東戦争』放送。[1][42]
- 13日 - NET系、『デビルマン』『ミクロイドS』に続く土曜20:30枠のテレビアニメとして、永井豪原作の『キューティーハニー』を開始( - 1974年3月30日。全25回)。
- 14日 - フジテレビ、関東ローカルの毎日の放送開始最初の番組『おはよう!フジテレビ』がこの日からカラー化[43]。これを最後に、フジテレビの全番組のカラー化が完了(過去の再放送や故意の演出の場合等を除く)。
- 17日 - NHK総合、『海外取材番組』で「アメリカ '73」が放送開始( - 11月21日、全6回)。[1]
- 21日 - NHK教育、『全日本空手道選手権大会』を初中継(於:神戸市立中央体育館)。[1][44]
- 31日 - NHK総合、生活情報番組『こんにちは奥さん』でこの日は第四次中東戦争に伴う第1次オイルショックを受け、同月19日に「紙節約の呼びかけ」を行った当時の通商産業大臣である中曽根康弘らが出演して、「紙不足はどうなる」と題して放送[45]。ここでも中曽根通産大臣は同月19日に呼びかけたのと同様、この番組でも紙不足に懸念を示し節約を呼びかけた。しかしこの日、この呼びかけにも関わらず、大阪府の千里ニュータウンでのトイレットペーパーの買いだめが始まったを契機に「トイレットペーパー騒動」が発生。挙句の果てに全国に広がり、トイレットペーパー以外の日用品へまで買い占めが相次ぎ社会問題化した(同騒動の項目を参照)。[1][46]
11月
12月
- 3日 - 日本テレビ系、『月曜スター劇場』枠で宇津井健主演のテレビドラマ『たんぽぽ』(第1シリーズ) [注 10]が放送開始( - 1974年5月6日。全22回)。1978年10月まで全5シリーズ制作された同局の看板ドラマとなった。
- 10日 - NHK総合、『ニュース特集』で「「中東和平と石油」―シリア外相・アブダビ国務相にきく―」を放送。[1][50]
- 10・11日 - NHK総合、特別番組『史上最強のゴルファー ジャック・ニクラウス』を2夜に渡って放送[1]。10日は「勝利への道」[51]、11日は「私のゴルフ」[52]と題して放送。
- 31日
- TBS系、『第15回日本レコード大賞』放送。大賞は五木ひろしの「夜空」。
- NHK総合、『第24回NHK紅白歌合戦』放送。紅白歌合戦はこの年からNHKホールにて行われるようになる[1]。なお、白組司会の宮田輝は翌年NHKを退局したため、この回が最後の『紅白』出演となった。
- 一方でこの年『紅白』を出場辞退した美空ひばりが、『紅白』の裏番組として、NET系で放送の冠特番『美空ひばりワンマンショー』(23:00 - 23:45[注 11])に出演。以来1977年まで5年間にわたりNET(→テレビ朝日)のひばりの大晦日恒例特番が放送されるようになる[53]。
その他テレビに関する話題
- 1月23日 - 池上通信機、月明かりで撮像できる超高感度カラーテレビカメラ(型番:SK-307、米RCA製SIT採用)を開発。[1]
- 2月17日 - NHK岐阜放送局の総合テレビが開局(UHF)。[1][54][55]
- 3月3日 - NHK津放送局の総合テレビが開局(UHF)。[1][55][56]
- 4月1日
- 名古屋放送(NBN、名古屋テレビ。後の名古屋テレビ放送、メ〜テレ)が日本テレビと日本教育テレビ(NETテレビ。後のテレビ朝日)のクロスネットからNETテレビ系列のシングルネット局に、中京テレビ放送(CTV)もNETテレビと日本テレビのクロスネットから日本テレビ系列のシングルネットにそれぞれ一本化されるのと同時に、CTVはNBNから入れ替わる形でNNSとNNNに加盟。これにより、中京地方に於いての「複合ネット」が解消され、東海地区の4系列4局によるフルネット化が完了。
- 奈良テレビ放送(UTN、後のTVN)開局[57]。この年の民放の新規開局は、後述する東京12チャンネルを除くとこの1局のみであった。
- 日立グループ(日立製作所ほか)の企業CM「日立の樹」[注 12]が、日本テレビ系『日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行』番組内で放映開始[注 13]。「この木なんの木」のフレーズで知られるCMソング(作詞:伊藤アキラ、作曲:小林亜星)と共にお茶の間に親しまれ、何度ものマイナーチェンジを経て、2021年現在も続く長寿CMとなっている[注 14][58]。
- 4月2日 - NHK津放送局およびNHK岐阜放送局の各総合テレビで、県域(ローカル)テレビ放送が開始。[59]
- 5月20日 - ソニーのトリニトロンカラーテレビが米エミー賞を受賞。[1]
- 6月3日 - 「必殺仕置人殺人事件」が、神奈川県川崎市で発生。
- 6月20日 - 渋谷区神南のNHK放送センターの隣に新しいNHKホールが開場。3601の総座席数を持ち、NHKのテレビ・ラジオ番組の公開放送等を始め、音楽コンサート、演劇舞台等の多目的ホールとして活用される。当ホールでは、ベルリンのカール・シュッケ社製のパイプオルガンも設置された(完成当時日本最大のパイプオルガンであった)(同ホールの項目も参照)。[1][60]
- 7月3日 - ソニー、当時としては世界最大画面(27インチ、114 度偏向)のカラーテレビを完成。[1]
- 7月5日 - 松下電子工業(後のパナソニック ライティングデバイス)、カラーテレビカメラの撮像管の開発に於いて、逆光撮影の際の障害をとり除いた新型プランビコン撮像管「ACT管」を開発。[1]
- 7月16日 - NHK第10代会長を務めた前田義徳が退任、後任の第11代会長に元郵政事務次官の小野吉郎が翌17日に就任。[1][61]
- 7月28日 - 日本俳優連合所属の声優約180人が、テレビ局各局に対し、出演料アップと再放送分の報酬支払いの待遇改善を要求して東京都内をデモ行進。翌8月8日には24時間ストライキを行った。[1]
- 7月31日 - NHK、本部機能を千代田区内幸町の旧放送会館から渋谷区神南の放送センターに移転が完了。これにより、内幸町の放送会館が閉鎖。[1][62]
- 7月 - NHK、カラー映像信号からクロマキー信号をつくり出す「ラインクロマキー装置」を開発。カメラだけでなくVTRやテレシネなどの信号からもクロマキーが可能になる。[1]
- 8月20日 - NHK、ミニコンピューターを利用した「VTRテープ自動倉庫設備」の運用を開始。[1]
- 8月 - NHK放送技術研究所が、テレビカメラと中継車間のケーブル代わりに利用する「ミリ波(EHF)中継器」の開発に成功。[1]
- 10月 - TBSとNET(一部の学校放送番組を除く)が、番組の全面カラー化を完了(過去の再放送や故意の演出の場合等を除く)[63]。
- 10月1日 - 日本民間放送連盟のCM基準改正により、ゴールデンタイムにおけるスポットニュース等のミニ番組の放送枠が、これまでの4分から5分に拡大。
- 10月19日 - 郵政省、テレビジョン放送用周波数割当計画の一部修正。京浜地区の民放教育専門局用周波数2波(第10と第12チャンネル)を廃止し、総合番組局用(チャンネルは同じ)割り当て。同時に宮城(32チャンネル)と広島(31チャンネル)に各1波割り当て。長野・新潟と静岡には3民放を認める。
- 10月24日 - 東京12チャンネルの番組を制作する株式会社東京十二チャンネルプロダクションが、株式会社東京十二チャンネルに社名変更[64]。「放送法によるテレビジョン等放送事業」を目的に追加。日本科学技術振興財団テレビ局の資産等を受け継ぐ。
- 10月31日 - 日本科学技術振興財団テレビ事業本部が運営していた東京12チャンネルがこの日をもって放送終了(日本科学技術振興財団が7月に行った再免許申請を取り下げた。このため財団所属の1社8局が廃局)。
- 郵政省、NETと東京十二チャンネルに対して総合番組局としての予備免許交付。番組編成に関して教育20%以上、教養30%以上の確保が条件(翌11月1日本免許)。
- 11月1日
- 12月 - 在京キー局と新聞社とがそれぞれ保有する株式の整理が実施され、日本テレビ=読売新聞、TBS=毎日新聞、フジテレビ=サンケイ新聞、NET=朝日新聞、東京12チャンネル=日本経済新聞の形による「新聞・放送」の株式単一化が進められた。
- 12月9日 - NHK総合、カラーテレビ受像機の普及を最優先方針としたこと等から、東京と大阪での音声多重放送の実験放送を、この日の19時のニュースの2か国語放送を最後に終了[注 15][69][70]。以後同放送は、テレビ放送が全面カラー化した[注 16]以後の、1978年9月28日の日本テレビの実用化試験放送開始まで行われなかった。
- 12月16日 - 岐阜放送テレビ、電力節減のため土・日曜日を除き放送開始時刻を11:25から17:00に変更[1]。第1次オイルショックに伴う放送時間短縮の始まりとなり、翌年にはNHK・民放各局共に実施する様になる。
- 12月22日 -【訃報】2020年度後期NHK連続テレビ小説『おちょやん』のヒロインのモデルとなった人物で、松竹新喜劇の看板女優を経て映画などに出演し、テレビドラマではNHK大河ドラマ『太閤記』(1965年)や『細うで繁盛記』シリーズ(読売テレビ制作・日本テレビ系)などに出演し、また大塚製薬「オロナインH軟膏」のCM・ホーロー看板でも知られた女優の浪花千栄子が死去(66歳没)。
開局・放送開始
- 2月17日 - NHK岐阜放送局の総合テレビ[1][54][55]
- 3月3日 - NHK津放送局の総合テレビ[1][55][56]
- 4月1日 - 奈良テレビ放送[57]
- 11月1日 - 東京12チャンネル (株式会社運営の一般局として) 日本科学技術振興財団が運営していたテレビ事業本部「東京12チャンネル(科学テレビ)」を、これまで財団の番組を制作してきた「東京十二チャンネルプロダクション」(10月24日に「東京十二チャンネル」に社名変更)が、施設や資産を引き継いだ。しかし免許に関しては郵政省によるチャンネルプランの変更(10月19日。京浜地区の民放教育専門局用(第10と第12チャンネル)を廃止し、改めて民放総合局用(同一)を割り当てる)もあり財団が科学技術教育局として申請していたのを取り下げ、東京十二チャンネル側に一般局としての免許が付与された。よって「財団テレビ局が10月31日に廃局。11月1日に12チャンネル開局」という形である。
周年
番組
- 放送開始20周年
- 放送開始15周年
- 『ロッテ 歌のアルバム』(TBS)
- 放送開始10周年
- 放送開始5周年
開局・放送開始
- 2月1日 - 日本放送協会(NHK)テレビジョン本放送開始20周年。
- 2月22日 - NHK熊本、鹿児島放送局テレビジョン放送開始15周年。
- 3月1日、RKB毎日放送テレビジョン放送開始15周年
- 4月1日
- 開局10周年 - 福島テレビ
- 6月1日 - 山陽放送テレビジョン放送開始15周年
- 7月1日 - 西日本放送テレビジョン放送開始15周年
- 8月12日 - 岐阜放送テレビジョン放送開始5周年
- 8月28日
- 10月25日 - 信越放送テレビジョン放送開始15周年
- 11月1日
- 11月3日 - 北海道テレビ放送開局5周年
- 11月22日 - 関西テレビ放送開局15周年
- 12月1日 - 北陸放送、南海放送テレビジョン放送開始15周年
- 12月16日 - 新潟総合テレビ開局5周年
- 12月24日 - 新潟放送テレビジョン放送開始15周年
- 12月25日 - 東海テレビ放送開局15周年
記念回
- 2月24日 - 仮面ライダーシリーズ(毎日放送)100回[注 20]
- 8月26日 - スター誕生!(日本テレビ)100回
視聴率
(関東地区、ビデオリサーチ調べ)
報道
- スタジオ102(NHK総合、4月25日)44.4%
- 首都圏交通情報[注 21](NHK総合、4月27日 8:05-8:12)44.1%
- 首都圏交通情報[注 21](NHK総合、4月27日 7:20-7:35)44.0%
- 報道番組(ドバイ日航機ハイジャック事件、国会会期再延長)(NHK総合、7月24日)43.6%
- ニュース(NHK総合、12月31日 20:55-21:00)43.2%
- ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)43.0%
- カメラリポート(NHK総合、11月30日)42.6%
- ニュース(NHK総合、4月27日 7:00-7:35)41.7%
- JNNフラッシュニュース(TBS、4月7日)41.6%
- 報道番組(日航ジャンボ機乗っ取り事件他)(NHK総合、7月23日)41.5%
スポーツ
- プロボクシング世界ジュニア・ミドル級タイトルマッチ「輪島功一×ミゲル・デ・オリベイラ」(フジテレビ、1月9日)42.0%
バラエティー
- 第24回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)75.8%
- 8時だョ!全員集合(TBS、4月7日)50.5%
- 第4回輝け!日本歌謡大賞(日本テレビ、11月20日)47.4%
- '73新春スターかくし芸大会(フジテレビ、1月1日)44.1%
- 1973年度輝く!日本レコード大賞(TBS、12月31日)44.1%