1995年の日本プロ野球
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1995年の日本プロ野球(1995ねんのにほんぷろやきゅう)では、1995年の日本プロ野球(NPB)における動向をまとめる。
- 2月1日
- 2月7日
- 近鉄バファローズは球団社長兼球団代表の前田泰男が退任し、後任の球団社長に近鉄本社取締役事業局長の筑間啓亘が、球団代表には常務取締役代表補佐の佐々木恭がそれぞれ就任すると発表。前田は取締役となる[5]。
- 5月2日
- 5月12日
- 日本ハムファイターズの河野博文が東京ドームでの対福岡ダイエーホークス7回戦に先発し1回を投げ、プロ通算1000投球回を達成[20]。
- 5月13日
- 近鉄バファローズの鈴木貴久が藤井寺球場での対オリックス・ブルーウェーブ6回戦の3回裏に2号2点本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成。史上100人目[21]。
- 5月17日
- 横浜スタジアムでの横浜ベイスターズ対読売ジャイアンツ8回戦で読売ジャイアンツはプロ野球タイ記録の1試合6併殺打[22]。
- 5月23日
- 広島東洋カープの前田智徳が対ヤクルトスワローズ戦(神宮)の1回表、一塁を駈け抜けた際に右足アキレス腱を断裂。
- 5月26日
- 福岡ダイエーホークスのケビン・ミッチェルが球団に無断でアメリカに帰国していたことが明らかになる[23]。
- 千葉ロッテマリーンズは臨時株主総会を開き、球団社長の松井静郎の退任と、後任にロッテ本社専務の金親良吉の就任を承認[24]。
- 6月2日
- 中日ドラゴンズのオーナーの加藤巳一郎が10時50分、急性心不全のため死去[25]。
- 中日ドラゴンズは監督の高木守道が対阪神タイガース7回戦限りで監督を辞任し、ヘッドコーチの徳武定祐が代理監督に就任すると発表[26]。高木は対阪神タイガース7回戦の阪神タイガースが6回裏の攻撃の一死満塁の場面で阪神タイガースの久慈照嘉の打球を判定した一塁塁審の友寄正人を右手で突き、暴行により退場処分を受けた[27]。
- 6月4日
- 広島東洋カープの大野豊が東京ドームでの対読売ジャイアンツ10回戦に先発し2回裏槙原寛己から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[28]。
- 6月8日
- 近鉄バファローズの石井浩郎が西武球場での対西武ライオンズ9回戦に4番・一塁で先発し、362試合連続先発四番打者として出場のプロ野球新記録[29]。
- 6月9日
- 6月13日
- 6月20日
- 日本ハムファイターズの松浦宏明と横浜ベイスターズの岡本透の交換トレードが成立したと日本ハムファイターズ、横浜ベイスターズ両球団が発表[32]。
- 6月27日
- ナゴヤ球場での中日ドラゴンズ対ヤクルトスワローズ10回戦で中日ドラゴンズ、ヤクルトスワローズの両投手陣が共に10与四球を記録し、1試合20四球のセ・リーグタイ記録[33]。
- 6月29日
- 6月30日
- 千葉ロッテマリーンズは一軍にヘッドコーチを新設し、二軍ヘッドコーチの江尻亮が就任すると発表[35]。
- 7月2日
- オリックス・ブルーウェーブの福良淳一が西武球場での対西武ライオンズ14回戦の1回表に安打を放ち、通算1000安打を達成。史上180人目[36]。
- 近鉄バファローズの鈴木貴久が藤井寺球場での対福岡ダイエーホークス16回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成。史上325人目[37]。
- 7月5日
- 7月23日
- 読売ジャイアンツのジャック・ハウエルがナゴヤ球場での対中日ドラゴンズ17回戦の6回表に14号3点本塁打を打ち、プロ野球通算100本塁打を達成[39]。
- 中日ドラゴンズはナゴヤ球場での中日ドラゴンズ対読売ジャイアンツ17回戦の試合終了後に、監督代行の徳武定祐が休養し後任に二軍監督の島野育夫が代行となると発表[40]。
- 阪神タイガースの監督の中村勝広が球団社長の三好一彦に対し、現状29勝48敗と5位の不成績の責任を取り辞任を申し出る[39]。
- 7月24日
- 阪神タイガースの監督の中村勝広が大阪市福島区の阪神電鉄本社にオーナーの久万俊二郎を訪ね、成績不振を理由に辞任を申し出て了承される。球団は二軍監督の藤田平が監督代行となると発表[41]。
- 7月30日
- 中日ドラゴンズは広島市民球場での対広島東洋カープ13回戦で6回まで0-9と9点差を逆転し10-9で勝利。9点差を逆転し勝ち試合となったのは33年ぶり[42]。
- 8月3日
- オリックス・ブルーウェーブのイチローは千葉マリンスタジアムでの対千葉ロッテマリーンズ16回戦で4打数0安打、無四死球の成績で連続試合出塁の記録が67で止まる[43]。
- 8月6日
- ヤクルトスワローズの吉井理人が神宮球場での対広島東洋カープ17回戦に先発し、3回表にセ・リーグタイ記録の1イニング5与四球[44]。
- 8月8日
- 8月9日
- オリックス・ブルーウェーブのD・Jがナゴヤ球場での対近鉄バファローズ16回戦の1回表に11号本塁打を打ち、プロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打[46]。
- 8月18日
- 日本ハムファイターズの西崎幸広が千葉マリンスタジアムでの対千葉ロッテマリーンズ19回戦に先発して今季7勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[47]。
- 8月19日
- 読売ジャイアンツは一時帰国中のジャック・ハウエルの退団、任意引退を発表[48]。
- 8月22日
- 中日ドラゴンズの大豊泰昭が西宮球場での対阪神タイガース17回戦の六回表に16号本塁打を打ち、プロ通算150本塁打を達成[49]。
- 8月26日
- オリックス・ブルーウェーブの佐藤義則が藤井寺球場での対近鉄バファローズ19回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成。40歳での達成は史上最年長[50]。
- 8月30日
- 近鉄バファローズの大石大二郎が東京ドームでの対日本ハムファイターズ22回戦の9回表に二塁盗塁を決め、プロ通算400盗塁を達成[51]。
- 9月8日
- 9月9日
- ヤクルトスワローズのテリー・ブロスが東京ドームでの対読売ジャイアンツ22回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成[53]。
- 9月15日
- 9月17日
- 日本ハムファイターズのロブ・デューシーが対福岡ダイエーホークス戦(東京ドーム)の初回に坊西浩嗣に暴行し退場。前日に続き2試合連続の退場は日本プロ野球初[57]。
- 9月19日
- オリックス・ブルーウェーブが西武球場での対西武ライオンズ23回戦に8-2で勝利し、11年ぶり12度目のパ・リーグ優勝達成。オリックスになってからは初[58]。
- 9月21日
- 日本ハムファイターズの田中幸雄が千葉マリンスタジアムでの対千葉ロッテマリーンズ26回戦の4回裏に南渕時高の二ゴロで二塁封殺の際に落球し、同年6月7日から続いていたパ・リーグ遊撃手の連続守備機会無失策記録が「339」で途切れた[59]。
- 西武ライオンズの鹿取義隆が西武球場での対オリックス・ブルーウェーブ25回戦で先発登板し、通算700試合登板を達成。史上12人目[60]。
- 9月23日
- 横浜ベイスターズの監督の近藤昭仁が球団社長の大堀隆に対し、今季限りでの辞任を申し入れて了承される[61]。
- 9月30日
- ヤクルトスワローズが神宮球場での対読売ジャイアンツ25回戦に5-0で勝ち、2年ぶり4度目のセ・リーグ優勝を達成[62]。
1995年 日本シリーズ
| 日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
| 10月21日(土) | 第1戦 | ヤクルトスワローズ | 5 - 2 | オリックス・ブルーウェーブ | グリーンスタジアム神戸 |
| 10月22日(日) | 第2戦 | ヤクルトスワローズ | 3 - 2 | オリックス・ブルーウェーブ |
| 10月23日(月) | 移動日 |
| 10月24日(火) | 第3戦 | オリックス・ブルーウェーブ | 4 - 7x | ヤクルトスワローズ | 明治神宮野球場 |
| 10月25日(水) | 第4戦 | オリックス・ブルーウェーブ | 2 - 1 | ヤクルトスワローズ |
| 10月26日(木) | 第5戦 | オリックス・ブルーウェーブ | 1 - 3 | ヤクルトスワローズ |
| 優勝:ヤクルトスワローズ(2年ぶり3回目) |
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| 1930年代 | |
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| 1940年代 | |
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| 1950年代 | |
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| 1960年代 | |
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| 1970年代 | |
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| 1980年代 | |
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| 1990年代 | |
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| 2000年代 | |
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| 2010年代 | |
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| 2020年代 | |
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