内藤洋子 (女優)
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4人姉妹の3番目として誕生。父は勤務医だった[2]。内藤家は藤原氏の庶流で、現在の静岡県浜松市の在で代々地主を務め、洋子の曽祖父の代からは医業を生業とした[3]。
小学校5年生の時に学校にエースコックのワンタンメンのCM撮影隊が訪れ、それがきっかけで雑誌『りぼん』のモデルを始めるようになり[4][出典無効]、在学中の1965年、黒澤明監督の『赤ひげ』でデビュー[注釈 1]。
1966年、『氷点』には辻口陽子役で出演。番組が高視聴率を続けたことで、遊覧コースとして観光バスが自宅前を通過する程の事態となった(しかも「あちらに見えますのは、ドラマ『氷点』で陽子を演じている内藤洋子さんのご自宅でございます」と紹介された)[6]。主演の新珠三千代たっての共演であった。
恩地日出夫監督の『あこがれ』に主演し、ゴールデン・アロー賞などを獲得[要検証]。
歌手としても成功し、松山善三監督の『その人は昔』の挿入歌だった「白馬のルンナ」が50万枚の大ヒットとなった[5][1]。
1つ年上の酒井和歌子とともに東宝からは「青春スター」と呼ばれて売り出された。「永遠の美少女」と評され、内藤のほうが早く売れた。
1970年、音楽家の喜多嶋修と結婚して芸能界を完全引退[2][1]。
1974年、長女・舞が2歳の頃に家族共々アメリカ・カリフォルニア州に移住した(子どもは舞のほか、渡米後に出生した長男と次女がいる)[2]。その後は本名の喜多嶋 洋子(きたじま ようこ)名義で絵本などを発表しているほか、時折テレビにも出演している[5]。
代表作
映画
- 赤ひげ(1965年)
- 大菩薩峠(1966年)
- あこがれ(1966年)
- お嫁においで(1966年)
- 伊豆の踊子(1967年)
- 続・名もなく貧しく美しく 父と子 (1967年)
- その人は昔(1967年)
- 育ちざかり(1967年) - 大内陽子
- 君に幸福を センチメンタル・ボーイ (1967年)
- 年ごろ(1968年)
- 兄貴の恋人(1968年)
- 若者よ挑戦せよ(1968年)
- 社長えんま帖 (1969年)
- 続・社長えんま帖 (1969年)
- 華麗なる闘い (1969年)
- 地獄変(1969年)
- 娘ざかり(1969年)
- 社長学ABC(1970年)
- クレージーの殴り込み清水港 (1970年)
- 続・社長学ABC (1970年)
- バツグン女子高校生 16才は感じちゃう(1970年)
- 日本一のワルノリ男 (1970年)