片岡孝太郎
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| かたおか たかたろう 片岡 孝太郎 | |
今宮戎神社宝恵駕行列途次、戎橋南詰戎舞台にて (2017年1月10日) | |
| 屋号 | 松嶋屋 |
|---|---|
| 定紋 | 追っかけ五枚銀杏 |
| 生年月日 | 1968年1月23日(58歳) |
| 本名 | 片岡康雄[1] |
| 襲名歴 | 1. 片岡孝太郎 |
| 出身地 | 京都府 |
| 父 | 十五代目片岡仁左衛門 |
| 兄弟 | 片岡サチ 片岡京子 |
| 子 | 片岡千之助 |
| 当たり役 | |
| 歌舞伎 『女殺油地獄』のお吉 『河庄』の小春 テレビ 『白い巨塔』の佃友博 『太平記』の足利義詮 | |
片岡 孝太郎[1](かたおか たかたろう、1968年〈昭和43年〉1月23日 - [1])は、日本の歌舞伎役者、俳優。屋号は松嶋屋。定紋は追っかけ五枚銀杏。本名は片岡 康雄(かたおか やすお)[1]。
京都府出身。父は十五代目片岡仁左衛門。妹が女優の片岡サチと片岡京子、長男に片岡千之助がいる。
- 1968年(昭和43年)1月23日 - 片岡孝夫(当時)の長男として生まれる。
- 1973年(昭和48年)7月 - 歌舞伎座『夏祭』の市松で片岡孝太郎を名乗り初舞台。
- 1987年(昭和62年) - 眞山青果賞新人賞。
- 1991年(平成3年) - 関西で歌舞伎を育てる会奨励賞。
- 1993年(平成5年) - 歌舞伎座賞。
- 1994年(平成6年) - 名題昇進
- 1998年(平成10年) - 2度目の十三夜会賞奨励賞。
- 1999年(平成11年) - 関西・歌舞伎を愛する会奨励賞。
- 2000年(平成12年) - 眞山青果賞奨励賞。
- 2001年(平成13年) - 眞山青果賞。
- 2003年(平成15年) - 国立劇場優秀賞。
- 2005年(平成17年) - 大阪舞台芸術奨励賞(歌舞伎部門)。
- 2007年(平成19年) - 国立劇場優秀賞。
- 2011年(平成23年) - 国立劇場優秀賞。
来歴
上方歌舞伎の特色を活かした赤姫や娘役、傾城反魂香』(吃又)のおとくなどの女房役もつとめる一方で、『彦山権現誓助剣』(毛谷村)のお園など強い女性の役にも積極的に挑戦している。上方歌舞伎にも力を入れており、『女殺油地獄』のお吉や『心中天網島』(河庄)の小春といった役もつとめる。伝統歌舞伎保存会会員の一人としても活動している。
近年では歌舞伎以外の分野でも俳優としての活動の幅を広げている。1987年(昭和62年)にはスティーヴン・スピルバーグ監督映画『太陽の帝国』に特攻隊員の少年として出演したのを皮切りに、1991年(平成3年)には大河ドラマ『太平記』は足利義詮役を演じた。2003年(平成15年)には『白い巨塔』では忠実な部下役である医局の佃友博を演じた。2008年(平成20年)には後藤俊夫監督の映画『Beauty うつくしいもの』での主人公・小椋半次(おぐらはんじ)役を演じた。2012年にはハリウッド映画『終戦のエンペラー』で、昭和天皇を演じた[2]。
大の自動車好きであり、移動の際も自ら運転する機会も多い。しかし父からは「身の丈以上の車に乗ってはいけない」という教えを受けていたため、免許を取った当時大流行していたトヨタ・マークII等、好きなクルマを買えなかったというエピソードがある。また、『ニューモデルマガジンX』の愛読者であり、自らスクープ写真(都内を走るレクサス・LFAの走行シーン)を投稿して採用されたことがある[3]。
1995年、元ファンの女性と結婚。2000年3月1日に孝太郎・博子夫妻の第1子として長男・正博が誕生。しかし2002年頃から別居し、2013年協議離婚成立[4]。
2020年11月新型コロナウィルスに感染し、出演中であった国立劇場11月歌舞伎公演を休演、公演そのものも中止となった[5]。
同年8月に歌舞伎座で歌舞伎公演が再開して以来、歌舞伎関連の舞台で感染者が出るのはこれが初の事例。
父十五代目片岡仁左衛門も濃厚接触者に認定され、 翌12月の南座吉例顔見世興行も親子共に数日休演[6]。 また、感染発覚の数日前に対面で会話をしていたとして五代目坂東玉三郎も濃厚接触者に認定され、歌舞伎座十二月大歌舞伎への出演を数日間取りやめるなど、歌舞伎界に新型コロナウィルスの深刻な影響を示すこととなった[7]。
2015年3月14日、デザイナーの女性と結婚。3月30日、湯島天満宮にて挙式[4][8]。
2021年3月10日、孝太郎・真麻夫妻の第1子として男児が誕生(夫・孝太郎にとっては第2子)[9]。
次男の命名を「孝明(たかあき)」と自身のブログで発表[10]。