海老原一郎
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東京府生まれ。本所区の府立第三中学校卒業。1924年、東京美術学校(東京芸術大学美術学部の前身)建築科に入学[1]。
在学中に山口文象と知り合い、近代建築運動団体・創宇社建築会(1923年結成)に参加。1929年の創宇社第6回展・第7回展、1930年の第8回展に、労働診療所、労働者アパートメント、消費組合食堂などの作品を出品した。
1930年3月に東京美術学校を卒業後、石本建築事務所に勤める。1938年に独立し、海老原建築事務所を設立する[2]。
1950年代に尾崎記念館(現在の憲政記念館)、1960年代に日本最初の超高層ビル「ディックビル」(18階建)を設計。1971年日本芸術院賞受賞[3]、1976年から1980年まで日本建築家協会会長、1980年芸術院会員。母校である東京藝術大学建築科の講師も務めた。
作品
- 日本バイリーン工場
- 大日本インク工場
- 憲政記念館(東京都千代田区永田町、1958年) - 建築設計コンペ当選作。2023年取壊し。
- 新世界ビルディング(東京都台東区浅草、1959年) - 海老原建築設計事務所(海老原一郎・倉田康男・橋本朋之)として。地上7階(塔屋除く)・地下2階建の複合娯楽ビル[4]。
- ディック(DIC)ビル(東京都中央区日本橋、1967年) - 大日本インキ化学工業(現DIC)の本社ビル。18階建、74mで霞が関ビル(1968年)が建てられるまで日本一の高さだった。2013年取壊し。
- 川村理化学研究所(佐倉市、1986年)
- 川村記念美術館(佐倉市、1990年) - 大日本インキ化学工業の川村勝巳社長の依頼で設計。川村は府立三中の同級生だった。
脚注
外部リンク
- 老有自 - 海老原事務所で川村記念美術館などを担当した根本誠の「建築ものがたり」。根本は日本バイリーン滋賀工場に感銘を受け、海老原事務所に入所、川村記念美術館などを担当した。根本によれば、事務所の取引先の7割はDIC関連だったという。
関連項目
- 山本勝巳 - 美術学校の同期卒業
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| 太字は恩賜賞受賞者。雅号、筆名、芸名等は受賞時のものによる。表記揺れによる混乱を避けるため、漢字は便宜上新字体に統一する。 | |||||||||