悠仁親王
日本の親王 (2006-)
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悠仁親王(ひさひとしんのう、2006年〈平成18年〉9月6日 - )は、日本の皇族。身位は親王。敬称は殿下[2]。お印は高野槇(こうやまき)。勲等は「大勲位菊花大綬章」。
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悠仁親王殿下 His Imperial Highness Prince Hisahito |
| 悠仁親王近影 | |
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天皇の甥であり、上皇と上皇后の皇孫にあたる。皇弟および皇嗣である秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第1男子(1男2女のうちの第3子)。皇位継承順位は父・文仁親王に次ぐ第2位。2000年代に誕生した唯一の男性皇族であり、文仁親王から約40年ぶりの皇位継承者となる。姉に小室眞子、佳子内親王がいる。
人物

父の秋篠宮文仁親王以来、40年9ヵ月ぶりの男子皇族として誕生。皇室において60歳未満で唯一の皇位継承資格者(2026年7月16日現在)。継承順位第2位であり、最年少の皇族(皇室構成員)である。
2024年9月6日に成年の儀を迎えたことにより、初めて現皇室典範下で未成年皇族が不在となった[3]。
東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内にある秋篠宮邸を本拠とする。宮邸の改修工事に伴い、2019年(平成31年/令和元年)2月から2022年(令和4年)3月まで、宮邸隣接地に設けた御仮寓所(ごかぐうしょ)に仮住まいをした[4]。2025年(令和7年)4月からは、茨城県つくば市の民間集合住宅も利用し、2拠点生活を送っている。
来歴
誕生をめぐって
2006年(平成18年)2月7日朝、文仁親王妃紀子が秋篠宮邸で超音波検査を受けたところ、胎児の心拍が確認され、羽毛田信吾宮内庁長官が妊娠6週目と発表[5][6][7]。
2月24日15時、宮内庁は「秋篠宮妃殿下が妊娠3か月である」と公式発表。妊娠悪阻(つわり)などの症状があったが、2度目の検査では順調な経過が確認されたと、中林正雄愛育病院[注釈 1] 院長が説明[8][9]。また、秋篠宮同妃の意向により性別の事前検査は実施せず[10]。
8月16日17時、7月12日の検診で「部分前置胎盤」と診断されていた紀子妃が出産準備と安静のため、秋篠宮の付き添いで東京都港区南麻布(当時)の愛育病院に入院[11][12]。また同日、主治医である中林正雄院長と金澤一郎皇室医務主管らが会見を開き、早産の恐れなどがあるため帝王切開の処置を取ることを発表(近代皇室史上初の帝王切開による出産)[13]。
予定日より約20日早い9月6日午前8時27分に誕生[14]。出生時の身長は48.8 cm、体重は2558 g[15]。秋篠宮家では佳子内親王以来12年、皇室では愛子内親王以来5年ぶりの新生児誕生。黒田清子から愛子内親王まで、9方連続で女子皇族が誕生しており、男子皇族は秋篠宮以来40年9か月ぶり。誕生時の皇位継承順位は第3位。
誕生当日には、賜剣の儀が行われ、天皇(明仁)から刀匠天田昭次謹作の短剣(守り刀)が贈られた[16]。
9月12日15時35分、愛育病院で命名の儀が行われ「悠仁」(ひさひと)と名付けられる。「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでいくことを願って」、また過去の皇族名との重複を避けつつ音と意味を重視し秋篠宮が選字[17]。「大きく、まっすぐに育ってほしい」との願いを込めお印は高野槇に選定[17]。儀式では徳丸久衛宮務官が「悠仁」と書かれた和紙を秋篠宮から受け取り、紀子妃に示して白木の桐箱に納めた。続けて徳丸宮務官は「高野槇」と書かれた和紙を紀子妃から受け取り、秋篠宮に示して同じ桐箱に納め、悠仁親王の枕元に安置した。ともに厚手の「大高檀紙」に秋篠宮が染筆。
9月15日、愛育病院退院時には、赤坂御用地までの沿道に約1800人が集まり、警視庁の機動隊など計1200人態勢で警備[18]。
全国各地で奉祝され、明治神宮をはじめとする神社・神社庁で、神輿の奉納・提灯行列・奉祝行進などの祝賀行事が実施された。
2005年(平成17年)男性皇族減少による皇位継承問題があったが、悠仁親王誕生により当面は解消されたことから、第3次小泉改造内閣による皇室典範改正案の国会への提出は見送られた[14][19]。
成長
2010年(平成22年)
4月9日、お茶の水女子大学附属幼稚園に入園[20]。母の紀子妃が同大学大学院人間文化研究科で、日本学術振興会の名誉特別研究員として健康心理学を学んでいることから、同大学が2009年4月に創設した「子育て中の学内女性研究者に対する研究補助者支援[21]」の制度により入園。
2011年(平成23年)
春に「着袴(ちゃっこ)の儀」が予定されていたが、東日本大震災の発災を受け延期[22]。
11月3日、赤坂東邸で、「着袴の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」を挙行[23]。衣紋道においては、代々皇太子が着用する「山科流」の童形服が天皇(明仁)より贈られた。滝の流れをあしらった「落滝津(おちたきづ)」の衣に白袴を着用し、松田慶文宮内庁御用掛が袴の紐を結ぶ[24]。
続く「深曽木の儀」では皇太子(徳仁)と秋篠宮も使用した高さ29cmの碁盤の上に立ち、右手に扇、左手に小松2本と山橘の小枝を持つ。松田御用掛が3回、髪の毛先に鋏を入れたあと、盤上に置かれた2個の黒い小石を踏んで飛び降りる。
2012年(平成24年)
12月14日、翌2013年(平成25年)4月にお茶の水女子大学附属小学校へ入学することが発表される[26]。現行の皇室典範下で皇族が学習院初等科以外の学校に入学するのは初めてだが、宮内庁によると、幼稚園が同大学であることに加え、自主自立の精神を重んじている教育方針、広い視野で物事を見ることを重視する教育目標が意向に沿ったためとされる[27]。

2013年(平成25年)
3月15日、幼稚園卒園を奉告のため、両親と昭和天皇武蔵野陵、香淳皇后武蔵野東陵を参拝。
3月25日〜26日、伊勢神宮に参拝し幼稚園卒園を奉告。
4月7日、両親とお茶の水女子大学附属小学校の入学式に出席[28][29]。
12月10日〜11日、両親と沖縄県を訪れ、沖縄戦跡国定公園(沖縄県糸満市)で「平和の礎」を見学し、「国立沖縄戦没者墓苑」で供花[30]。「沖縄こどもの国」では与那国馬や島ヒージャー(ヤギ)、口之島牛に牧草を与えた[31]。
2016年(平成28年)
8月3日、新潟県津南町の「農と縄文の体験実習館なじょもん」[32] で縄文土器を見学[33]。10歳の誕生日には、宮邸の庭で田んぼや野菜作りをしていることを公表[34]。
11月20日7時半ごろ、友人らと山梨県甲州市の大菩薩峠山麓へハイキングに向かう途中、相模原市の中央自動車道下り線で、悠仁親王、紀子妃、友人、その父兄ら6人の乗るワゴンが前方の車両に追突。けが人はないがワゴンはバンパーが損傷したため、一行は別の車両に乗り換え目的地向かったと報じられた[35][36]。
2017年(平成29年)
夏季休暇中に、母の紀子妃と小笠原諸島を訪問。一般客とともに竹芝客船ターミナルと父島二見港の間を小笠原海運のおがさわら丸で片道24時間かけて往復。「小笠原諸島戦没者追悼之碑」へ献花。小笠原海洋センターでのアオウミガメの観察・餌やりと標識をつけた子ガメの放流。ガイドの案内でふもとから3時間以上かけて森の中を登り、通称「ハートロック」と呼ばれる千尋岩を望むトレッキング。海中公園ではシュノーケルなどを体験。母島ではマンゴーを収穫し、パッションフルーツの挿し木作業を行う[37]。この時の思い出を後述の作文『小笠原諸島を訪ねて』としてまとめる[38]。
8月10日、滋賀県高島市の筆工房「攀桂堂(はんけいどう)」を両親と訪れ、皇族方が愛用する日本古来の筆「雲平筆」の製造工程を見学[39]。前後の数日間、湖西地方に滞在。
9月6日、11歳の誕生日当日に、同年5月の校外学習で両国国技館の大相撲を観戦し、友人とちゃんこを味わったことや、8月下旬に2泊3日で林間学校(長野県の白樺湖周辺)に参加したこと、学校の栽培委員会に所属し、花壇の水やりなどを担っていることなどが伝えられた[40]。
2018年(平成30年)
7月30日、両親と戦傷病者史料館「しょうけい館」(東京都千代田区)を見学[41]。
8月2日〜4日、母と長野県訪問。3日に標高3,180mの槍ヶ岳山頂へ登山。
8月8日、両親と「『沖縄地上戦と女子学生』語り継ぐ集い」式典・発表会に臨席および企画展観覧(京王プラザホテル)[42][要出典]。
8月10日、母と広島市訪問。平和記念公園の原爆死没者慰霊碑へ供花・拝礼。広島平和記念資料館では被爆者から体験談を聞く[43]。
8月19日〜20日、母と河口湖訪問。
4月8日、お茶の水女子大学附属中学校に入学。
4月26日、お茶の水女子大学附属中学校の悠仁親王の教室の机の上に果物ナイフが置かれる事件が発生。犯人とされる男は同月29日に神奈川県平塚市のホテルで逮捕され[44]、2020年(令和2年)2月14日に執行猶予付の懲役刑が言い渡された。男は皇室のあり方に不満を持ち、親王を刺そうと思ったと自供[45]。
5月1日、皇太子(徳仁)の践祚に伴い、皇位継承順位第2位に。
8月16日〜25日、両親とブータンを訪問。初の外国訪問で、万が一の飛行機事故に備え、父の秋篠宮とは空路別便を利用[46]。首都ティンプーの国家中心施設「タシチョゾン」で行われた歓迎式典では紋付き羽織袴姿で臨み、ワンチュク国王の第一王子、ジグメ・ナムゲルとも交流[47]。小中一貫の公立校でボール渡しゲームを、チャンリミタン国立弓技場で国技の「ダツェ(弓技)」を体験[48]。高山地帯に生息するウシ科の希少動物ターキンの保護区も訪れた。パロではブータン国立博物館を見学し、JICA関係者と懇談[49]。
2021年(令和3年)
3月12日、北九州市立文学館が「第12回子どもノンフィクション文学賞」を発表し、悠仁親王が応募した作文『小笠原諸島を訪ねて』[50]が中学生の部・佳作を受賞。
3月20日、「第12回子どもノンフィクション文学賞」の表彰式にオンライン参加[51]。
2022年(令和4年)
2月16日、筑波大学附属高等学校に合格。お茶の水女子大学附属中学校との提携校進学制度において推薦の条件である「秀でた学業成績を十分に満たしている」と判断され、かつ一般受験生とともに5教科の学力検査を受験し、その結果確定した[52]。「悠仁さまを筑附に入れるための制度では」と報じた週刊誌もあったが、同制度は2016年から現在まで続く[53]。
2月16日、宮内庁は前述の作文『小笠原諸島を訪ねて』に関し、一部週刊誌による他の文献との酷似報道を受け、参考文献の記載が不十分だったと説明[54]。側近は「悠仁さまは指摘に感謝されている。貴重な経験となった」と話した[55]。
報道について、 文学賞を主催する北九州市立文学館は「小笠原諸島ができた経緯はいろいろなところに書かれている事実であり、それを紹介したものなので、特に問題はないと考えている」という趣旨の説明。引用漏れとされた箇所、いわゆる「3W」= Wave(波)Wind(風)Wing(翼)という3つの経路で生物が島へ渡ったという説明は、小笠原諸島の生物がどのように渡来したかを説明する際の、ガイドブックでも使われる広く知られたキーワードであり、科学的説明を有する[56]。よって作品全体の評価を覆すものではないと判断。北九州市立文学館は「賞は作品全体を総合評価したもので授与の撤回などは考えていない」と声明[57]。
4月8日、宮内庁の加地隆治皇嗣職大夫は、記者会見で「本文を修正しているわけではなく、参考文献や注釈を記載して今週送付した」と述べた[58]。この原稿を受けて北九州市立文学館は4月12日にオンライン公開した。
4月9日、筑波大学附属高等学校に入学[59]。
10月1日、伊勢神宮を参拝。神宮参拝は2013年以来2回目で、単身での参拝は初めて。その後、神宮美術館を訪問し、伊勢神宮と正倉院のゆかりの文化財などを集めた特別展「生きる正倉院-伊勢神宮と正倉院が紡ぐもの-」を鑑賞[60]。
2023年(令和5年)
7月29日〜30日、父・秋篠宮の地方公務に初めて同行し、「第47回全国高等学校総合文化祭」を視察。西原商会アリーナでの総合開会式に臨み、鹿児島大学で自然科学発表を聴講。鹿児島県立歴史・武術センター黎明館で美術・工芸部門の作品を鑑賞し、曽於高等学校の実験農場も訪問[61]。
9月14日、新型コロナウイルスに感染し、同日から学校を欠席すると発表される。13日から高熱があり、14日は秋篠宮同妃の4年ぶりの記者会見が予定されていたが、濃厚接触があったため延期[62]。
11月22日、学術論文を発表[63]。「赤坂御用地のトンボ相-多様な環境と人の手による維持管理-(Odonata Fauna of Akasaka Imperial Gardens)」と題し、2012年から2022年にかけて赤坂御用地でトンボ相調査をまとめ、8科38種が確認されたことを記したもの。国立科学博物館研究報告A類(動物学)が発表した。 清研究主幹の指導を受けて共同執筆、3月28日に国立科学博物館に論文を提出。半年間の査読を受け9月20日に受理、11月22日に掲載・公開された[64]。
2024年(令和6年)
8月25日、主催者の招待を受け、両親に同伴し「第27回国際昆虫学会議(ICE2024 Kyoto)」(国立京都国際会館)に参加[65]。開会式終了後、昆虫に関する研究のポスター展示を見ながら、ドイツの研究者と懇談した際に「この中に日本の種はいくついますか?」と英語で質問。懇談後にも熱心に質問し同研究者は「専門的な質問をしていただき科学的なやりとりができて嬉しい」と述懐。
8月26日、同会議において『皇居のトンボ相(The Odonata fauna of the Imperial Palace, Tokyo)』と題する学術ポスターを発表[66]。なお、前述の『赤坂御用地のトンボ相』とは別の研究となる。
成年皇族として
9月6日、成年(18歳)。男性皇族が成年を迎えるのは父・秋篠宮以来39年ぶり[67]。誕生日を前に文書で感想を寄せ、「もう成年なのかと思うと、時が経つのは早いと実感しています。この18年の間、多くの方々が、その時々にさまざまな形で心を寄せてくださいました。深く感謝申し上げます。そして、今まで育ててくれた両親と姉たちにも感謝しています」などと綴った[68]。
同日午後、皇居・御所にて天皇皇后に挨拶。従姉妹の愛子内親王も同席した[69]。さらに、仙洞御所にて上皇上皇后に挨拶、謝意を伝達[70]。
その後、秋篠宮邸で側近から祝賀を受けた際、「この先は、自らの務めについて考え、成年皇族としての役割を果たせるよう努力していきたい」と決意表明[71]。
11月28日・29日、筑波大学の小論文試験と個人面接を受験。高校入学当初より一般入試での大学受験を見据えて勉学に励んできたが、筑波大学の推薦要件にある「生物界や生き物の仕組みに関する広い興味を有し、調査書の学習成績概評A段階に属する者[72]」にあたるため、先生からのすすめで推薦入試にて受験[73]。
12月11日、筑波大学生命環境学群生物学類の学校推薦型選抜試験に合格[74]。
2025年(令和7年)
2月14日、警視庁鮫洲運転免許試験場で普通自動車運転免許を取得。都内の自動車教習所に通いながら一般道での路上実習にも臨む[76]。
3月3日14時、成年にあたっての記者会見を赤坂東邸で実施[77][78]。
象徴天皇の存在につきましては、上皇陛下がお考えになってこられ、天皇陛下が先日の記者会見でおっしゃっていましたように、常に国民を思い、国民に寄り添う姿なのではないかと思います。また、皇室の在り方につきましても、天皇陛下のお考えのもと、人々の暮らしや社会の状況に目を向け続けていくことが重要であると思います。そして、出会いを大切にして、人々の幸せを願い、気持ちに寄り添い続けることが重要であると思います。 — 悠仁親王殿下、ご成年をお迎えになっての記者会見
3月18日、筑波大学附属高等学校卒業[79]。
4月5日、筑波大学生命環境学群生物学類に入学、式に出席[80]。
8月17日、赤坂東邸で成年式の公式ポートレイトを準備。装束3パターン(闕腋袍に空頂黒幘、闕腋袍に燕尾纓、縫腋袍に垂纓)、洋装1パターン(勲章佩用の燕尾服)、の計4パターンを撮影。
8月28日、皇居で成年式の習礼(しゅらい)。9月3日にも皇居でリハーサルに臨む。
9月6日、19歳の誕生日に皇居で成年式。午前に加冠の儀が、午後に朝見の儀が行われる。同日付で大勲位菊花大綬章を授与[81][82]。
9月8日、伊勢神宮と神武天皇陵を参拝、9日には昭和天皇陵など4陵を参拝し、成年式を奉告[83][84]。
9月10日、成年を祝う午餐が催され、成年式に関連する一連の行事が終了[85]。
9月24日〜25日、初の単独地方公務として2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)の会場を訪問。24日には日本館とベルギー館、25日には大屋根リングや関西パビリオンを視察し、午後からは父の秋篠宮も合流し、オランダ館、タイ館とブータンのパビリオンがあるコモンズD館を視察[86]。
10月3日、「皇統譜」の第百弐拾五代天皇に属する「皇族譜」悠仁親王欄に、「令和七年九月六日成年式ヲ行フ 右令和七年九月九日ノ公告ニ依リ登録ス 令和七年拾月参日 宮内庁長官 西村泰彦 書陵部長 難波健太」を加筆。
11月15日午前、崇仁親王妃百合子墓所一周年祭の儀(豊島岡墓地、東京都文京区)に参列。同日午後、両親、姉とともに「2025年東京デフリンピック」の開会式(東京体育館)に臨席。
11月22日〜23日、母と伊豆大島を訪問。22日は大島老人ホームや椿油メーカーの高田製油所を視察のあと、平成25年台風第26号土石流災害の語り部らとも交流し犠牲者の慰霊碑に供花。23日は三原山北東「裏砂漠」でデフリンピックのオリエンテーリング競技を観戦。選手に手話で「お会いできて嬉しいです」との思いを伝達。12月9日には、宮邸を表敬訪問したデフリンピックの日本人金メダリスト12人と手話で懇親。
11月23日、新嘗祭の儀(宮中三殿神嘉殿)に臨む。宮中祭祀に初めて参列。
2026年(令和8年)
1月1日、新年祝賀の儀に初めて臨席し、翌2日も一般参賀のバルコニーに立つ。
1月9日、講書始の儀に初めて臨席。
1月14日、歌会始の詠進歌(お題「明」)を初披露し、同儀に臨席。
2月26日〜27日、京都訪問。26日は4カ所の山陵参拝。 宿泊先の京都大宮御所にて京都府知事、京都府議会議長、京都市長、京都市会議長、京都府警察本部長の挨拶を受ける。27日は霞会館京都支所(京都市上京区)を訪問。「蹴鞠保存会」会員と蹴鞠を体験し、「京都絲竹会」の雅楽演奏鑑賞のあと、自ら雅楽器の琵琶、箏、鉦鼓(しょうこ)、鞨鼓(かっこ)を試奏。また、能衣装を手掛ける唯一の織元「佐々木能衣装」(京都市上京区)を視察。
成年式
2025年(令和7年)9月6日
- 9時20分:悠仁親王秋篠宮邸出発。この日に皇居と宮邸の間を往復した車輌は、「親王旗」を装着した天皇差し回しの第1号(皇1)御料車。
- 10時0分:「加冠の儀」(宮殿長和殿春秋の間)。悠仁親王は未成年装束の闕腋袍(けってきのほう)と、表袴(うえのはかま)、絲鞋(しかい=靴)、碧玉材の石帯(せきたい)、空頂黒幘(くうちょうこくさく)を装用し、イチイ材の笏と横目扇を持つ。装束の衣紋は山科流[87]。
- 加冠役は坂根工博侍従次長、先導は吉田尚正皇嗣職大夫、裾持ちは小山永樹皇嗣職宮務官長、「冠箱」奉持・冠紐掛け・鋏入れは加地隆治宮内庁御用掛が、いずれも衣冠束帯で奉仕。悠仁親王は空頂黒幘から燕尾纓の冠に被り替える。
- 11時5分:成年装束の縫腋袍(ほうえきのほう)と、表袴(うえのはかま)、鞸(かのくつ=靴)、石帯、垂纓(すいえい)の冠に着替えた悠仁親王が笏、檜扇を持ち、1913年(大正2年)製造の儀装馬車4号で宮殿南車寄を出発。
- 11時30分:「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」(宮中三殿)。
本日の成年式にあたり、冠を賜り、天皇、皇后両陛下のご臨席のもと、成年式を終えることができましたことに、深く感謝申し上げます。成年皇族としての責務の重さを自覚し、さらに勉学にいそしむとともに経験を積み、これまで賜りましたご恩にお報い申し上げたく存じます。ここにお礼を申し上げます — 悠仁親王殿下、成年式朝見の儀で天皇陛下に対する謝恩の辞
成年式を挙げられたことを心からお祝いします。これからは学業に励まれるとともに、皇族としての務めを立派に果たされるよう願っております。
きょうは成年式おめでとう。これからもお身体を大切にされ、どうぞお元気にさまざまな経験を積まれますよう、お祈りしております。
— 天皇陛下、皇后陛下、悠仁親王成年式朝見の儀でのお言葉

- 14時30分:「勲章親授」(宮殿表御座所鳳凰の間)。天皇が大勲位菊花大綬章を授与。
- 14時40分:「御礼言上」(宮殿表御座所鳳凰の間)。両親とともに天皇皇后へ挨拶。
- 15時0分:「祝賀」(宮殿千鳥・千草の間)。親族や皇族、三権の長、宮内庁幹部、元側近奉仕者らが出席。
- 15時45分:「上皇上皇后両陛下へ挨拶言上」(仙洞御所)。
- 18時30分:「内宴」(帝国ホテル東京桐の間、東京都千代田区)。秋篠宮家主催の祝宴で、天皇皇后、上皇上皇后以下の皇族、元皇族、親族ら30人が出席した。出席者には、秋篠宮家の菊栂(きくつが)紋、お印の高野槙、トンボをあしらったボンボニエール(皇族には銀製、その他出席者には磁器製)が贈られた。
2025年(令和7年)9月8日
2025年(令和7年)9月9日
- 10時20分:武蔵陵墓地4陵(昭和天皇武蔵野陵、大正天皇多摩陵、貞明皇后多摩東陵、香淳皇后武蔵野東陵)参拝、成年式を奉告(東京都八王子市)。悠仁親王は伊勢神宮と各天皇陵でモーニングを着用し、シルクハットとグレーの手袋を手に参拝。
2025年(令和7年)9月10日
- 12時0分:「午餐」(明治記念館金鶏の間、東京都港区)。三権の長、宮内庁の新旧幹部、永田恭介筑波大学学長、室伏きみ子お茶の水女子大学前学長、羽入佐和子同大学元学長ら32人が出席の公的な祝宴。乾杯の発声は額賀福志郎衆議院議長。悠仁親王は黒のフォーマルスーツを着用。
2026年(令和8年)2月26日
学術研究
2023年11月22日、高校在学2年時に『赤坂御用地のトンボ相―多様な環境と人の手による維持管理―』についての論文を発表[88]。研究主体は悠仁親王だが、共同研究者として清拓哉(国立科学博物館動物研究部)、飯島健(宮内庁)、喜多英人(日本蜻蛉学会)、須田真一(東京大学総合研究博物館)がいる。
2024年8月26日、『皇居のトンボ相』についての学術ポスターを発表[89]。
帝王学
年譜
2006年(平成18年)
2010年(平成22年)
- 4月9日(3歳)- お茶の水女子大学附属幼稚園 に入園。
2011年(平成23年)
- 11月3日(5歳)- 着袴の儀、深曽木の儀。
2013年(平成25年)
- 3月14日(6歳)- お茶の水女子大学附属幼稚園を卒園。
- 4月7日(6歳)- お茶の水女子大学附属小学校に入学。
2019年(平成31年)
- 3月15日(12歳)- お茶の水女子大学附属小学校を卒業。
- 4月8日(12歳)- お茶の水女子大学附属中学校に入学。
2022年(令和4年)
2023年(令和5年)
- 7月29日(16歳)- 初めて秋篠宮の地方公務に同行し、鹿児島総文祭の開会式に出席[94]。
- 11月22日(17歳)- 共同執筆した学術論文『赤坂御用地のトンボ相』を発表。
2024年(令和6年)
- 7月31日(17歳)- 2度目となる地方公務同行として、両親とともに岐阜総合文化祭の開会式に出席[95]。
- 8月25日(17歳)- 京都市で開催された「国際昆虫学会議」に両親とともに出席[96]。
- 8月26日(17歳)- 同会議で学術ポスター『皇居のトンボ相』を発表。
- 9月6日(18歳)- 39年ぶりに男性皇族として成年を迎える[97]。
2025年(令和7年)
- 3月3日(18歳) - 成年にあたっての記者会見。
系譜
| 悠仁親王の系譜 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 悠仁親王 | 父: 文仁親王(秋篠宮) |
祖父: 上皇 |
曾祖父: 昭和天皇 |
| 曾祖母: 香淳皇后 | |||
| 祖母: 上皇后美智子 |
曾祖父: 正田英三郎 | ||
| 曾祖母: 正田富美子 | |||
| 母: 紀子 |
祖父: 川嶋辰彦 |
曾祖父: 川嶋孝彦 | |
| 曾祖母: 川嶋紀子 | |||
| 祖母: 川嶋和代 |
曾祖父: 杉本嘉助 | ||
| 曾祖母: 杉本栄子 |
悠仁親王の男系(父系)直系祖先
| 1 神武天皇 | 2 綏靖天皇 | 3 安寧天皇 | 4 懿徳天皇 | 5 孝昭天皇 | 6 孝安天皇 | 7 孝靈天皇 | 8 孝元天皇 | 9 開化天皇 | 10 崇神天皇 |
| 11 垂仁天皇 | 12 景行天皇 | 日本武尊 | 14 仲哀天皇 | 15 応神天皇 | 稚野毛二派皇子 | 意富富杼王 | 乎非王 | 彦主人王 | 26 継体天皇 |
| 29 欽明天皇 | 30 敏達天皇 | 押坂彦人 大兄皇子 | 34 舒明天皇 | 38 天智天皇 | 志貴皇子 | 49 光仁天皇 | 50 桓武天皇 | 52 嵯峨天皇 | 54 仁明天皇 |
| 58 光孝天皇 | 59 宇多天皇 | 60 醍醐天皇 | 62 村上天皇 | 64 円融天皇 | 66 一条天皇 | 69 後朱雀天皇 | 71 後三条天皇 | 72 白河天皇 | 73 堀河天皇 |
| 74 鳥羽天皇 | 77 後白河天皇 | 80 高倉天皇 | 82 後鳥羽天皇 | 83 土御門天皇 | 88 後嵯峨天皇 | 89 後深草天皇 | 92 伏見天皇 | 93 後伏見天皇 | 北1 光厳天皇 |
| 北3 崇光天皇 | 伏見宮栄仁親王 | 伏見宮貞成親王 | 102 後花園天皇 | 103 後土御門天皇 | 104 後柏原天皇 | 105 後奈良天皇 | 106 正親町天皇 | 誠仁親王 | 107 後陽成天皇 |
| 108 後水尾天皇 | 112 霊元天皇 | 113 東山天皇 | 閑院宮直仁親王 | 閑院宮典仁親王 | 119 光格天皇 | 120 仁孝天皇 | 121 孝明天皇 | 122 明治天皇 | 123 大正天皇 |
| 124 昭和天皇 | 125 明仁(上皇) | 秋篠宮文仁親王(皇嗣) | 悠仁親王 |
系図
家系図形式
- 各人の囲み上部の数字は生年と没年、下部の数字は即位年と退位年、「前」は紀元前、「?」は不詳を示す。
- 太字は漢風諡号、生没年に併記されているのは諱、斜体字は別名。
- 赤色の囲みは女性を示す。
- カッコ付きの太数字は天皇の代数[要出典]。
- 記紀による初代天皇(神武天皇)以前の系図については、皇室、皇室の系図一覧を参照。
| 前711-前585 神武天皇 前660–前585(1) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 前632-前549 綏靖天皇 前581–前549(2) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 前577-前510 安寧天皇 前549–前510(3) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 前553-前476 懿徳天皇 前510–前476(4) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 前506-前393 孝昭天皇 前475–前393(5) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 前427-前291 孝安天皇 前392–前291(6) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 前342-前215 孝靈天皇 前290–前215(7) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 前273-前158 孝元天皇 前214–前158(8) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 前208-前98 開化天皇 前157–前98(9) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 前148-前29 崇神天皇 前97–前29(10) | 彦坐王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 前68–紀元後70 垂仁天皇 前29–70(11) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 前13–130 景行天皇 71–130(12) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 82?–113? 日本武尊 | 84–191 成務天皇 131–191(13) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 148? –200 仲哀天皇 192–200(14) | 170-269 神功皇后 摂政 201–269 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 200-310 應神天皇 270–310(15) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 257–399 仁徳天皇 313–399(16) | 稚野毛二派皇子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 336? –405 履中天皇 400–405(17) | 336? –410 反正天皇 406–410(18) | 376? –453 允恭天皇 413–453(19) | 忍坂大中姫 | 意富富杼王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 市辺押磐皇子 | 401-456 安康天皇 454–456(20) | 418-479 雄略天皇 456–479(21) | 乎非王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 440-484 飯豊青皇女 臨朝秉政 484 | 大脚 449-498 仁賢天皇 488–498(24) | 450-487 顯宗天皇 484–487(23) | 444-484 清寧天皇 480–484(22) | 彦主人王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 489-507 武烈天皇 498–507(25) | 手白香皇女 | 450-531 繼體天皇 507–531(26) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 509-571 欽明天皇 540–571(29) | 465-536 安閑天皇 531–536(27) | 高田 467-539 宣化天皇 536–539(28) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 538-585 敏達天皇 572–585(30) | 額田部 554-628 推古天皇 593–628(33) | 540? -587 用明天皇 585–587(31) | 泊瀬部 553? –592 崇峻天皇 587–592(32) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 押坂彦人大兄皇子 | 574-622 厩戸皇子 (聖徳太子) 摂政 593-622 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 茅渟王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 軽 596-654 孝徳天皇 645–654(36) | 宝 594-661 皇極天皇 642–645(35) 齊明天皇 654–661(37) | 田村 593-641 舒明天皇 629–641(34) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 葛城 626-672 天智天皇 661–672(38) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 大友 648-672 弘文天皇 672(39) | 鸕野讚良 645-701 持統天皇 690–697(41) | 大海人 631?-686 天武天皇 672-686(40) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 668?–716 志貴皇子 (春日宮天皇) | 阿閇 661-721 元明天皇 707-715(43) | 662–689 草壁皇子 (岡宮天皇) | 676–735 舎人親王 (崇道尽敬皇帝) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 氷高 680-748 元正天皇 715–724(44) | 珂瑠 683-707 文武天皇 697–707(42) | 大炊 733-765 淳仁天皇 758–764(47) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 首 701-756 聖武天皇 724-749(45) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ? -790 高野新笠 | 白壁 709-782 光仁天皇 770–781(49) | 717–775 井上内親王 | 阿倍 718-770 孝謙天皇 749–758(46) 称徳天皇 764–770(48) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 山部 737-806 桓武天皇 (柏原帝) 781–806(50) | 750?–785 早良親王 (崇道天皇) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 安殿 774-824 平城天皇 (奈良帝) 806–809(51) | 神野 786-842 嵯峨天皇 809–823(52) | 大伴 786-840 淳和天皇 (西院帝) 823–833(53) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 正良 810-850 仁明天皇 (深草帝) 833–850(54) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 道康 827-858 文徳天皇 (田邑帝) 850–858(55) | 時康 830-887 光孝天皇 (小松帝) 884–887(58) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 惟仁 850-880 清和天皇 (水尾帝) 858–876(56) | 定省 867-931 宇多天皇 887–897(59) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 貞明 869-949 陽成天皇 876–884(57) | 敦仁 885-930 醍醐天皇 897–930(60) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 寛明 923-952 朱雀天皇 930–946(61) | 成明 926-967 村上天皇 946–967(62) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 憲平 950-1011 冷泉天皇 967–969(63) | 守平 959-991 圓融天皇 969–984(64) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 師貞 968-1008 花山天皇 984–986(65) | 居貞 976-1017 三條天皇 1011–1016(67) | 懐仁 980-1011 一條天皇 986–1011(66) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1013-1094 禎子内親王 | 敦良 1009-1045 後朱雀天皇 1036–1045(69) | 敦成 1008-1036 後一條天皇 1016–1036(68) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 尊仁 1034-1073 後三條天皇 1068–1073(71) | 親仁 1025-1068 後冷泉天皇 1045–1068(70) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 貞仁 1053-1129 白河天皇 1073–1087(72) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 善仁 1079-1107 堀河天皇 1087–1107(73) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 宗仁 1103-1156 鳥羽天皇 1107–1123(74) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 顕仁 1119-1164 崇徳天皇 1123–1142(75) | 雅仁 1127-1192 後白河天皇 1155–1158(77) | 体仁 1139-1155 近衞天皇 1142–1155(76) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 憲仁 1161-1181 高倉天皇 1168–1180(80) | 守仁 1143-1165 二條天皇 1158–1165(78) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1179-1223 守貞親王 (後高倉院) | 言仁 1178-1185 安徳天皇 1180–1185(81) | 尊成 1180-1239 後鳥羽天皇 1185–1198(82) | 順仁 1164-1176 六條天皇 1165–1168(79) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 茂仁 1212-1234 後堀河天皇 1221–1232(86) | 為仁 1196-1231 土御門天皇 1198–1210(83) | 守成 1197-1242 順徳天皇 1210–1221(84) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 秀仁 1231-1242 四條天皇 1232–1242(87) | 邦仁 1220-1272 後嵯峨天皇 1242–1246(88) | 懐成 1218-1234 仲恭天皇 1221(85) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1242-1274 宗尊親王 1252-1266(鎌倉将軍6) | 久仁 1243-1304 後深草天皇 1246–1260(89) | 恒仁 1249-1305 龜山天皇 1260–1274(90) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1264-1326 惟康親王 1266-1289(鎌倉将軍7) | 熈仁 1265-1317 伏見天皇 1287–1298(92) | 1279-1308 久明親王 1289-1308(鎌倉将軍8) | 世仁 1267-1324 後宇多天皇 1274–1287(91) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 胤仁 1288-1336 後伏見天皇 1298–1301(93) | 富仁 1297-1348 花園天皇 1308–1318(95) | 1301-1333 守邦親王 1308-1333(鎌倉将軍9) | 邦治 1285-1308 後二條天皇 1301–1308(94) | 尊治 1288-1339 後醍醐天皇 1318–1339(96) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 量仁 1313-1348 光厳天皇 1332–1334(北朝1) | 豊仁 1322-1380 光明天皇 1336–1348(北朝2) | 義良 1328-1368 後村上天皇 1339-1368(97) | 1308-1335 護良親王 征夷大将軍 1333-1334 | 1326-1338/1344 成良親王 征夷大将軍 1334-1338 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 興仁 1334-1398 崇光天皇 1348–1351(北朝3) | 弥仁 1336-1374 後光嚴天皇 1352–1371(北朝4) | 寛成 1343-1394 長慶天皇 1368–1383(98) | 熙成 1350?-1424 後龜山天皇 1383-1392(99) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1351-1416 伏見宮栄仁親王 | 緒仁 1339-1393 後圓融天皇 1371–1382(北朝5) | 参照: 南朝、北朝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1372-1456 伏見宮貞成親王 (後崇光院) | 幹仁 1377-1433 後小松天皇 1382-1392(北朝6) 1392–1412(100) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 彦仁 1419-1471 後花園天皇 1428–1464(102) | 躬仁 1401-1428 称光天皇 1412–1428(101) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 成仁 1442-1500 後土御門天皇 1464–1500(103) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 勝仁 1464-1526 後柏原天皇 1500–1526(104) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 知仁 1497-1557 後奈良天皇 1526–1557(105) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 方仁 1517-1593 正親町天皇 1557–1586(106) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1552-1586 誠仁親王 (陽光院) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 和仁 1572-1617 後陽成天皇 1586–1611(107) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 政仁 1596-1680 後水尾天皇 1611–1629(108) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 興子 1624-1696 明正天皇 1629-1643(109) | 紹仁 1633-1654 後光明天皇 1643–1654(110) | 良仁 1638-1685 後西天皇 1655–1663(111) | 識仁 1654-1732 靈元天皇 1663–1687(112) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 朝仁 1675-1710 東山天皇 1687–1709(113) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1704-1753 閑院宮直仁親王 | 慶仁 1702-1737 中御門天皇 1709–1735(114) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 昭仁 1720-1750 櫻町天皇 1735–1747(115) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1733-1794 閑院宮典仁親王 (慶光天皇) | 遐仁 1741-1762 桃園天皇 1747–1762(116) | 智子 1740-1813 後櫻町天皇 1762–1771(117) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 英仁 1758-1779 後桃園天皇 1771–1779(118) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1780-1843 勧修寺婧子 | 師仁 1771-1840 光格天皇 1780–1817(119) | 1779-1846 欣子内親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 恵仁 1800-1846 仁孝天皇 1817–1846(120) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 統仁 1831-1867 孝明天皇 1846–1867(121) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 睦仁 1852-1912 明治天皇 1867–1912(122) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 嘉仁 1879-1926 大正天皇 1912–1926(123) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 裕仁 1901-1989 昭和天皇 摂政 1921-1926 1926–1989(124) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 明仁 1933- 上皇明仁 1989–2019 (125) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 徳仁 1960- 今上天皇 2019- (126) | 1965- 皇嗣 秋篠宮文仁親王 | 1969- 黒田清子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2001- 愛子内親王 | 1991- 小室眞子 | 1994- 佳子内親王 | 2006- 悠仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
家族・親族
系図
| 122 明治天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 123 大正天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 124 昭和天皇 | 秩父宮雍仁親王 | 高松宮宣仁親王 | 三笠宮崇仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 125 上皇 | 常陸宮正仁親王 | 寬仁親王 | 桂宮宜仁親王 | 高円宮憲仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| 126 今上天皇 | 秋篠宮文仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 悠仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
母方曾祖父である川嶋孝彦は東京帝国大学法学部卒業後、内閣統計局長などを歴任した官僚。また曾祖母にあたる川嶋紀子(いとこ)は、旧会津藩士・福島士族である池上武輔の子、池上四郎(戊辰戦争を経験)の娘。つまり悠仁親王は会津藩士の子孫にあたる。
祖父は経済学者で学習院大学名誉教授の川嶋辰彦。 叔父は獣医師・獣医学者の川嶋舟。 叔母は実業家の栗原菜緒。 義兄はニューヨーク州弁護士で法務博士の小室圭。
栄典
皇位継承順位
2026年7月16日現在において、最年少の皇位継承資格者である。
称号・宮号の有無や敬称の表記など
逸話
誕生時には、21か国の元首から天皇(明仁)・皇后(美智子)へ、31か国の元首から天皇(明仁)へ、それぞれ皇孫誕生の祝電が寄せられた[100]。誕生に際し、天皇(明仁)は北海道の滞在先で「どうもありがとう」と満面の笑みで周囲の祝意に直接的な感謝の意を述べた[101]。
悠仁親王が誕生したことで、2006年(平成18年)の今年の漢字に「命」が選ばれた。また2位には「悠」がランクインした[102]。さらに3位には「生」、5位には「子」がランクインしている[103]。
佳子内親王と同様に左利きで、バドミントンをプレーする際は左手でラケットを握り、文字を書く際などは右手を使うという[104]。
祝賀
誕生後の病院に天皇(明仁)・皇后(美智子)が初めて訪れた際、皇后は白いベビーシューズを母子に贈った。この靴は、悠仁親王1歳の誕生日の記念写真でソファ脇の机に飾られているのを見ることができる[105]。
トルコのトプカプ宮殿博物館からは国宝「金のゆりかご」が貸し出され、2007年(平成19年)8月から9月まで東京都美術館で開催された「トプカプ宮殿至宝展」で特別展示された。トプカプ宮殿博物館において「門外不出」とされる宝物の一つであり、悠仁親王の誕生を祝して、当時の館長イルベル・オルタイルの判断により特別出品された [106] 。
お印が高野槇と決まった後、高野槇を市の木とする岐阜県中津川市の中津川観光協会が高野槇の写真入のパンフレット用紙袋を製作した。また高野槇の名の由来である高野山への交通手段である南海電気鉄道では、誕生記念として難波駅で高野槇1000本を乗客に無料配布した。
記帳所
悠仁親王は皇室では41年9ヵ月ぶりの男子誕生だったが、宮内庁はあくまで一宮家の生まれであるとして誕生を祝うための記帳所を設けなかった。しかし地方自治体や寺社などでは独自に記帳所を設けたところもあった。
国内外メディアの報道
悠仁親王の誕生は世界各国のメディアで報道された。王室を持つイギリスでは日本の皇位継承問題に関心があったこともあり、BBCニュースはトップニュースで報道[107]。またアメリカのCBSでは「It's a boy!」と大きく報じられ[108]、CNNも速報で伝えた。またニューヨーク・タイムズ紙電子版、中国の新華社通信、韓国の聯合ニュースや朝鮮日報[109] なども速報記事や特集記事を出した。また日本国内でも各メディアが報じたが、独立局である三重テレビでは10:59のスポットCM枠で特設ニュース枠が設けられ報じられた。
研究業績
- 秋篠宮悠仁、飯島健、清拓哉「赤坂御用地のトンボ相―多様な環境と人の手による維持管理―」『国立科学博物館研究報告A類(動物学)』第49巻第4号、2023年11月22日、129–153頁、doi:10.50826/bnmnszool.49.4_129。
