笄橋
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| 笄橋 | |
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| 基本情報 | |
| 国 |
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| 所在地 | 長野県千曲市大字力石 - 埴科郡坂城町大字坂城字苅屋原 |
| 交差物件 | 千曲川 |
| 用途 | 道路橋 |
| 路線名 | 長野県道339号新田坂城停車場線 |
| 管理者 | 長野県千曲建設事務所 |
| 竣工 | 1984年(昭和59年)6月 |
| 開通 | 1984年(昭和59年)7月7日 |
| 座標 | 北緯36度27分58.1秒 東経138度9分55.6秒 / 北緯36.466139度 東経138.165444度 |
| 構造諸元 | |
| 形式 | 桁橋 |
| 材料 | 鋼・プレストレストコンクリート |
| 全長 | 230.76 m |
| 幅 | 4.5 m |
| 最大支間長 | 50.0 m(径間長) |
| 関連項目 | |
| 橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 | |
笄橋(こうがいばし)は、長野県千曲市大字力石 - 埴科郡坂城町大字坂城字苅屋原の千曲川に架かる長野県道339号新田坂城停車場線の橋長230.76 m(メートル)の桁橋。
名称の由来
この笄の渡しの由来は2つ伝えられ、1つは1553年(天文22年)4月に村上義清が武田晴信(武田信玄)に敗れ、義清側室の於フ子一行が居城の葛尾城から千曲川対岸の荒砥城に敗走しようとした際に、船頭が舟を出して無事に対岸の力石まで渡したことの返礼に髪に挿していた髪飾りの一種である笄を贈ったことである[2][3]。この説に対しては後世つけれられたもので江戸期には力石舟渡とされていたとする説もある[1]。
もう1つはかつてこの渡しが、葛尾城の付近の千曲川右岸では川岸まで崖が高くそびえており、力石から先は山腹を渡し船で渡していたことから高崖(こうがい)の渡しと呼ばれるようになり、転じて笄の渡しになったというものである[2]。

