伊勢桃代
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京都府出身[3]。慶応義塾大学文学部社会学科に進学し、有賀喜左衛門のもとで社会学に興味を持ち社会学を専攻し、社会学学士号を取得[3][4]。1962年、シラキュース大学マックウェル大学院にて計量社会学学士号を取得[3]。1964年までハーバード大学にて比較文化研究に従事する[3]。1964年からオファーを受けたことでジョンソン大統領下で反貧困政策に従事する[4][3]。この経歴が評価されたことや、伊勢がニューヨークタイムズ紙に掲載された市民権のないイスラエル人の労働を違法であると認めるべきの内容を読んだことがきっかけとなり、1969年より国連職員としてニューヨーク本部で勤務する[2][5][4]。1974年から1976年にかけて国連大学の設立計画に参画[3]。1976年から1979年にかけて国連大学ニューヨーク連絡事務所所長を務める[3]。1978年、コロンビア大学で都市計画修士号を取得[3]。1988年から1989年には国連大学事務局長を務めた[3]。この間に第39回NHK紅白歌合戦の審査員を行っている。1990年から1993年にかけて国連本部人材管理部部長[3]、1993年から1997年にかけて国連本部専門官部部長を歴任し[3]、1997年、国際連合を退職[3]。1998年には外務大臣より表彰を受ける[6]。
国連退職後は1997年から2005年にかけて財団法人女性のためのアジア平和国民基金専務理事、及び事務局長、財団法人日本国際連合協会理事を務め、学校法人AICJ鴎州学園理事長を務めた[3]。他、国連システム元国際公務員日本協会(AFICS-Japan)の会長を長年務めた[7]。
人物
脚注
- ↑ “伊勢桃代前会長を偲んで”. Association of Former International Civil Servants (AFICS) – Japan. 国連システム元国際公務員日本協会. 2026年3月6日閲覧。
- 1 2 3 「伊勢桃代さん 4代目、日本人初の国連大学事務局長」『朝日新聞』1988年11月29日、朝刊、総合面。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 “伊勢桃代さんの略歴”. Association of Former International Civil Servants (AFICS) – Japan. 国連システム元国際公務員日本協会. 2026年3月10日閲覧。
- 1 2 3 4 “Momoyo Ise, First Executive Director of the United Nations University and President of the Association of Former International Civil Servants-Japan” (英語). 慶応義塾大学. 慶応義塾大学. 2026年3月10日閲覧。
- ↑ “人事--国連大学事務局長に着任した伊勢さん”. アエラ (朝日新聞社). (1982-12-13).
- ↑ 「明石康氏ら外相表彰に(永田町霞が関・外交)」『朝日新聞』1998年7月2日、朝刊、政治面。
- ↑ “新春対談:ポストコロナへ向けた大学のあり方”. 三田評論online. 慶応義塾大学. 2026年3月10日閲覧。