ジェフユナイテッド市原・千葉
日本のサッカークラブ
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ジェフユナイテッド市原・千葉(ジェフユナイテッドいちはら・ちば、英: JEF United Ichihara Chiba)は、日本の千葉県市原市、千葉市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。Jリーグ創設当初からのチーム、オリジナル10の1つ。呼称はジェフユナイテッド千葉(ジェフユナイテッドちば)。
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クラブハウス | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 未上場 |
| 本社所在地 |
〒260-0835 千葉県千葉市中央区川崎町1-38 ユナイテッドパーク[1] |
| 設立 | 1991年6月11日[2] |
| 業種 | サービス業 |
| 法人番号 | 8040001014252 |
| 事業内容 | サッカークラブの運営 |
| 代表者 | 島田亮 |
| 資本金 | 4億9000万円[3] |
| 売上高 |
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| 営業利益 |
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| 経常利益 |
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| 純利益 |
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| 総資産 |
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| 決算期 | 1月期 |
| 主要株主 |
東日本旅客鉄道 50%[2] 古河電気工業 50%[2] |
| 特記事項: 2009年10月1日に株式会社東日本ジェイアール古河サッカークラブより商号変更。またチーム事務所は当初浦安市→市原市にあった。 | |
概要
1993年の開幕時からJリーグに参加。ホームタウンは千葉県市原市、2003年シーズンから千葉市が加わった。ホームスタジアムはリーグ開幕時から2005年シーズン途中まで市原臨海競技場、2005年シーズンの途中からフクダ電子アリーナに代わった。練習場は2000年から市原市の姉崎公園サッカー場(フットパーク・あねさき)を使用していたが、2009年10月よりフクダ電子アリーナに隣接するユナイテッドパークに移動した。また、クラブハウスも同地に新築している。
組織
クラブの運営会社はジェフユナイテッド株式会社(株式会社 東日本ジェイアール古河サッカークラブより2009年10月1日改名[5])。東日本旅客鉄道(JR東日本)と古河電気工業(古河電工)が50%ずつ出資(資本金:4.9億円)[6]。なお、2008年までは1億円であったが、2009年秋に完成予定のクラブハウス建設費調達などの関係から、2009年に増額された[7]。
クラブ名の「ジェフユナイテッド」(JEF UNITED、ユナイテッド=結束した)はクラブとホームタウンの結びつき、チームの協調・連帯感を表現しており、1991年に公募で決定された[1]。また、JEFは、クラブの母体となったJR-East(=JR東日本)・Furukawa(=古河)の略称にも由来する[8]、UNITED(ユナイテッド=結束した)はクラブとホームタウンの結びつき、結束力を示し、2005年から千葉市を含めた地域との結びつきも含むようになった。1991年に公募により決定される[9]。
マスコットは秋田犬の兄弟がジェフィ(兄)とユニティ(弟)。背番号2を付けているのがジェフィ、背番号9を付けているのがユニティである。両マスコットの背番号は足すと11、これは1つのチームを示している。
2001年のチームスローガン「WIN BY ALL!」を複数年に渡って使用している。他クラブが1年ごとにチームスローガンを設定し直す中、千葉はこのスローガンを25年以上掲げており、千葉を象徴するフレーズとして浸透している。
スクール及びジュニアユースチームは市原市の辰巳台地区と習志野市の茜浜地区にある。千葉県外ではこの他に、栃木県宇都宮市、青森県八戸市にサッカースクールを所有している。また、宮城県名取市の東北電力名取スポーツパーク(NASPA)と提携してNASPAスクールの運営も行っている。これはジェフがJリーグ発足当初、市原市を中心とし、JR東日本沿線の東北、関東、甲信越の各地域を広域的にネットワークする構想を持っていたことの名残りである。実際、秋田、仙台、山形、新潟と、古河電工の事業所がある福井でホームゲームを開催した実績がある。また、スクールのデリバリー版として「サッカーおとどけ隊」が主に市原市、千葉市内の保育園・幼稚園・小学校・中学校くらいまでを範囲として訪問している。さらに千葉大学と提携して指導者向けの講習も行っている。
下部・関連組織としてアマチュアチームとなる「ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ」があったが、2011年に活動を停止した。
女子チームとしてジェフユナイテッド市原・千葉レディースがある。レディースチームは当初(1992年)からジェフの下部組織として運営されている。様々な事情から活動を停止することが多い日本の女子サッカーチームとしては、かなり息の長い存在となっている。
特色
クラブ発足当初は古河色を色濃く残しており、監督に古河OBの永井良和を、コーチにこれも古河OBの岡田武史を充てていた。ただし、外国人選手にヨーロッパ出身者を当てる伝統は既にこの頃から始まっており、元ドイツ代表ピエール・リトバルスキー、チェコ出身のパベル・ジェハークを迎え彼ら中心のチーム編成を行っていた。
Jリーグ開幕からこれまでにヨーロッパを中心に、20カ国以上にも及ぶ国籍の選手が在籍しており、これはJリーグ加盟チームで最多である。ヨーロッパだけでなく南米やアジア・アフリカ・オセアニア出身の選手も所属していたことがある。
その後も監督には清雲栄純、奥寺康彦と続けて古河OBを監督に充てていたが、ゼネラルマネージャーに祖母井秀隆が就任した1997年シーズンのヤン・フェルシュライエンから2009年シーズン中のアレックス・ミラーまで、12年にわたってヨーロッパ出身の監督を起用していた。
歴史
1993年まで(前身時代)
前身は1946年に設立された古河電気工業サッカー部。1965年の日本サッカーリーグにスタート時から参加。日本リーグ時代は一度も下部リーグ(日本リーグ2部、旧JFL)に降格したことのない唯一のクラブチームであった[10]。日本リーグ時代は三菱重工(現:浦和レッズ)や日立(現:柏レイソル)とともに丸の内御三家と言われていた。日本サッカーリーグ2回、天皇杯全日本サッカー選手権大会4回、JSLカップ3回優勝の名門。また、1986年/1987年にはアジアクラブ選手権で日本のクラブとしては初めてとなるアジアタイトルを獲得した。
プロリーグ発足に関しては、古河電工単独でのプロクラブ化は難しかったため、1991年に古河電工と取引関係にあったJR東日本と合弁でクラブチームに移行し「東日本JR古河FC」となった。
- プロクラブ化に関しての曲折は古河電気工業サッカー部、また、ジェフユナイテッドの誕生に尽力した小倉純二の項目も参照のこと。
当初は当時、古河電工サッカー部が活動本拠地としていた横浜市をホームタウンとすることを企画していたが、早々に横浜フリューゲルス及び横浜マリノス(当時)が横浜市をホームタウンとすることを決定したため、新たなホームスタジアム探しが始まった。
まず千葉市にかけあったが断られ、JR東日本の関係から仙台市に話を持っていったが、ここでも断られた[11]。一時は千葉県習志野市の習志野市秋津サッカー場を本拠地にすることが内定したものの、騒音問題などを危惧した周辺住民からの反対運動により断念[12]。最終的に1992年5月に千葉県市原市をホームタウンとすることが決定した[13]。また、ホームスタジアムとして、市原緑地運動公園臨海競技場(以下「市原臨海」)を改修して使用することになった。
なお、1992年のJリーグカップは、太田市運動公園陸上競技場(群馬県)、平塚競技場(神奈川県)、千葉県総合スポーツセンター陸上競技場(千葉県)、および西が丘サッカー場(東京都北区)で主催試合を開催、9試合で5勝4敗、10チーム中6位で大会を終えた[14]。
Jリーグ開幕から1999年
1993年、Jリーグ元年の開幕戦を前にサッカー西ドイツ代表として1990 FIFAワールドカップで優勝したピエール・リトバルスキーが加入。開幕戦はサンフレッチェ広島F.Cと対戦、パベルがチーム第1号のゴールを挙げたが1-2で敗戦した[15]。2節のヴェルディ川崎戦で初勝利を挙げ、横浜マリノスを5-0で破るなど、リトバルスキー加入効果で一時は首位に立つ好スタートを切るが[16]、攻撃面ではリトバルスキー依存症とも言える状態となり[16]、失速してファーストステージは5位で終えた[16]。セカンドステージからオッツェが加入するも、リトバルスキーの分まで守備で奮闘していたフランタがメンバーから外れるようになるとチームのバランスが崩れ[16]、また下川健一ら守備陣の負傷離脱もあって低迷[16]、9位でセカンドステージを終えた[16]。このシーズン限りで加藤好男は現役を引退した。
1994年、日本代表でコーチを務めていた清雲栄純が監督に就任、ルーキーとして城彰二、秋葉忠宏が加入、城はデビュー戦から4試合連続で得点を挙げる活躍を見せたが[17][18]、1stステージは6位、2ndステージは9位に終わった。2ndステージからマスロバルが加入、2ndステージ途中、監督との関係が上手くいかないリトバルスキーと来期の契約を結ばないことが明るみに出るなど[19]、リトバルスキーは終盤戦には全く起用されなくなり、攻撃の中心はマスロバルへと移った。年間順位も9位と振るわない中、30得点を挙げたオッツェが得点王となるが、このシーズン限りで退団[20]、パベル、フランタ、阪倉裕二らも退団、リトバルスキーは引退した。
1995年、清雲栄純が監督を続投、ウィントン・ルーファー、ゴラン・バシリエビッチらを獲得。1stステージ6位、2ndステージ7位、年間総合では5位となった。1stステージ5節で柏レイソルとのJリーグ史上初の千葉ダービーが行われ、バシリエビッチが得点を決めて勝利した[21]。宮澤ミッシェルは引退、越後和男、後藤義一、バシリエビッチらが退団した。
1996年、奥寺が監督に就任。イワン・ハシェックを獲得、シーズン後半からピーター・ボスが加入したが、リーグ戦は年間9位。ルーファーがシーズン終盤に、城彰二、ハシェックがシーズン終了後に退団した。
1997年、初の外国人監督となるヤン・フェルシュライエンが監督に就任。ラデが加入。マスロバルが年間を通じて負傷でフル稼働出来なかったことも影響して、1stステージは15位、2ndステージは14位、天皇杯ベスト16、Jリーグカップはベスト8。2ndステージ開幕を前にラデが退団し、アーノルド・スコルテンが加入したがチームは低迷した。
1998年までに運営会社の本社機能を浦安市から市原市へ移転。武田修宏、金大儀を獲得したが、1stステージ11位。2ndステージ開幕を前にマシュー・ビングリーを獲得したが、2勝15敗で最下位、同年年間成績で16位となりJ1参入決定戦に回り、アビスパ福岡に連勝して残留する。同年のJリーグカップでは、準決勝で鹿島アントラーズと対戦、マスロバルのハットトリックで勝利し、初の決勝進出を果たしたが、ジュビロ磐田に敗れて準優勝に終わった[22]。シーズン終了後にマスロバル、スコルテンが契約満了で退団、江尻篤彦が引退した。
1999年はゲルト・エンゲルスが新監督に就任。バロンをレンタルで獲得。1stステージ15位でエンゲルスは解任され、2ndステージからニコラエ・ザムフィールが新監督に就任[23]。ピーター・ボスが複帰したが、2ndステージは最終節前で勝ち点1差の15位で、最終節でG大阪に勝利し他会場の結果により年間13位となり残留。ボスは引退、武田修宏が自由契約となり退団した[24]。
2000年 - 2009年(J1)
1stステージを11位で終えたが、2ndステージで敗戦を重ねて一転最下位に転落し、3年連続で残留争いを繰り広げることに。しかし1stステージでのアドバンテージが功を奏して、1勝(勝ち点3)差で、15位の京都パープルサンガを上回り、年間14位で残留した。
だが、3年連続で降格の危機に面したことに対して、サポーターがクラブの姿勢を激しく糾弾。2000年シーズン終了直前の12月7日には、サポーターが市原臨海競技場を占拠して、当時監督のズデンコ・ベルデニックとチーム統括部長の祖母井秀隆の辞任を求める騒ぎとなった。クラブは成績向上を模索してサポーターと話し合いの場を設ける事に同意し、後日姉崎公園サッカー場のクラブハウス前で執り行われたサポーターミーティングが行われる事になった。これが後のサポーター・コミュニケーション・デーの元となった。
シーズン開幕前には、当時韓国代表 FW崔龍洙が加入。1stステージで2位となり、下馬評を大きく覆して見せ、この年から始まったtotoと共に注目を集めた。しかしそれでも観客動員数は回復せず、これが翌年から始まる抜本的な改革の契機となった。
この年は調子を落としたものの、1stステージは8位、2ndステージは11位で終え、「万年降格争い」と言われた時代を脱却した。また、Jリーグ開幕以来苦手としていた天皇杯において、初の準決勝進出を果たし、2026年現在での過去最高の成績(ベスト4)を記録している。
チーム力の更なる引き上げを目指し、祖母井チーム統括部長は1990年のイタリア・ワールドカップでユーゴスラビア代表監督を務めたイビチャ・オシムを監督に招聘。「賢く走る」「危険を冒すサッカー」をキーワードにチーム強化を図っていった。また同時に、ユース出身で当時21歳の阿部勇樹をキャプテンに指名。改革はチームの意識変化にまで及んだ。
オシムは監督就任1年目で1stステージ3位、2ndステージ2位、年間総合3位という結果を残し、優勝争いに加わるチームに成長させた。特に2003年の2ndステージはステージ優勝を逃したものの、優勝した横浜F・マリノスとは同じ勝ち点で並んでの2位だった。
1stステージでは勝ちきれず引き分けを重ね、中位に後退。2ndステージでは首位を独走する浦和レッドダイヤモンズを猛追するも優勝までは届かず、前年に続き2ndステージ2位。
なお、この頃からオフシーズンに主力選手の引き抜きにあうことになる。2003年オフには中西永輔や崔龍洙、2004年オフには茶野隆行や村井慎二というチームのレギュラーが次々退団していったものの、順位を落とすことなく上位争いに加わったが、主力選手の流出は2008年オフまで続くことになる。

2005年から1シーズン制となったリーグ戦において、序盤は出遅れるも混戦となった中盤から徐々に追い上げ、最終節までもつれた優勝争いに加わる程に健闘した。リーグ年間総合成績もオシム就任以来3年連続4位、この年の勝ち点59は2008年までにおいて過去最高記録である。そしてナビスコ杯では優勝し、Jリーグ創設からチーム初となる念願のタイトルを手中にした。
なお、2003年の1stステージ第5節の横浜F・マリノス戦以降、2005年までおよそ3年間、ホームスタジアムである市原臨海競技場(当時)での試合に負けることはなかった。リーグ戦では2005年の第20節でセレッソ大阪に敗れるまで31試合無敗。また、カップ戦含めた公式戦はナビスコ杯のGL第2節で柏レイソルに敗れるまで26試合無敗を記録した。
前年の初タイトル獲得、キャプテンの阿部勇樹をはじめ成長した生え抜き選手、浸透した戦術・プレースタイルを以って、Jリーグ制覇に向けて動き出したこの年、チームの柱となったFWの巻誠一郎が日本代表に選出され、ドイツ・ワールドカップ出場を果たす。だが、ドイツ・ワールドカップ終了後にオシム監督が日本代表監督として日本サッカー協会(JFA)に引き抜かれるという事態に。無条件で監督を引き渡したクラブに選手・サポーターなど内外から多くの批判が届いた。この際、「クラブとJFAが取り合うことで、最悪の結果、オシムが日本を去る事だけは避けたい」とした旨がフロント陣から発表された。後任にはオシム監督の息子であるアマル・オシムがコーチから昇格して就任した。そして、羽生直剛、佐藤勇人、山岸智ら、いわゆる「オシムチルドレン」が代表に選ばれ、それぞれ代表デビューを飾った。
一方、監督交代でチームの環境は一変。ナビスコ杯は連覇したが、リーグ戦ではパッとせぬままシーズンを11位で終了。天皇杯では、J2の札幌に初戦で敗れる失態も見せた。10月には祖母井部長がフランスのグルノーブルへ引き抜かれ、シーズン終了後には、チームの顔でキャプテンの阿部勇樹が浦和に移籍。また、選手会長の坂本將貴も新潟へ移籍した。フロントは祖母井の後任統括本部長の選任にも後手に回り、唐井直の就任が発表されたのは、選手との契約更改交渉がスタートした後だった。
2007年に入っても巻・佐藤・山岸がチームの今季の方針説明を理由に契約を保留するなど大荒れな年の始まりとなった。シーズン開幕後のチームは調子が上がらず、Jリーグ開幕2連敗・4戦未勝利。第5節の横浜FC戦でシーズン初勝利をあげるも、第8節から第14節には7戦未勝利(3分4連敗)が響き、前半戦は降格ラインでの争いを演じた。さらに、シーズン途中である6月にはイリアン・ストヤノフが一部のメディアで監督批判を行い、謹慎処分の後に契約解除された。後半戦では、代表で経験を積んだ青木、水野、水本など若手の成長もあり、第23節から第28節にかけて、クラブ史上初となる6連勝を記録し降格圏内から脱出こそした。しかし、その後は勝ち星をあげることはできず、最終節では名古屋に0-2で敗れ、シーズン序盤の二の舞を演じ、結局、順位は年間13位、最高でも10位と2桁台にとどまった。また、史上初の3連覇をかけて臨んだナビスコ杯では、当初3連勝を飾るもガンバ大阪に敗戦以降は3連敗を喫し、グループリーグ3位で早々に姿を消す。天皇杯でも、リーグ無敗の大分を相手に破れて4回戦(初戦)敗退と、優勝候補といわれた面影は消え去っていた。シーズン終了後にアマル監督を解任、また唐井統括本部長も解任され、後任の監督・GM候補が二転三転するなど、不穏なシーズンとなった。
2008年は年が明けてもJ1では唯一、監督・GMともに未決定だったため、クラブへの不信感による主力選手の移籍報道が紙面を賑わせた。1月12日に、ようやく後任監督としてヨジップ・クゼの就任を発表。GMには昼田宗昭が就任。また、かつての選手会長だった坂本が新潟から復帰するなど、混乱は沈静化するに見えた。しかしこの報道と同時期に北京五輪代表候補の水野晃樹がスコットランドの名門セルティックへの移籍が決定的と報道された。さらに羽生直剛・山岸智・佐藤勇人・水本裕貴の他クラブへの移籍も決定し、大幅な戦力ダウンで開幕を迎えることとなった。また、4月には、淀川隆博社長が任期満了で退任することが発表された。
2008年シーズン開幕前の「サッカーマガジン」によると、「ジェフは(前身の)古河と同様、数年に一度勢いづいて優勝争いに参加するクラブ」とOB選手たちから評されており、「残留できれば上出来」という下馬評だった。その下馬評通り、開幕11試合を終えても未勝利・かつ5節からは15年ぶりの7連敗を喫するなど9敗2分(勝ち点2)で最下位に定着。その責任を取りクゼ監督は解任、新たにイングランド・プレミアリーグのリヴァプールFCから招聘したアレックス・ミラーが監督に就任。ミラー監督が来日した5月10日の京都戦にホームで1-0で勝利し、開幕12試合目にしてシーズン初勝利を挙げた。なお、ミラー監督は登録が間に合わず、指揮は澤入重雄コーチが代行した。
リーグ戦中断期間にミラー監督体制が本格稼動。広島からMF戸田和幸を、鹿島からFW深井正樹が加入するとチーム状態が回復し、勝ち点を重ねるようになった。特に9月14日の東京ヴェルディ戦を皮きりに上位相手に5連勝など快進撃を続け、最下位を脱出。しかし混戦となった優勝および残留争いの激しさからリーグ終盤に失速し連敗。これにより自力での残留の可能性が消滅し、勝っても降格という状況に追い込まれた(1999年時と類似した状況)。なお、第33節の清水戦で敗戦した際には、巻をはじめ多くの選手が「降格」を覚悟したが、他会場の結果により最終節に望みをつないだ。
12月6日、ホームで迎えた最終節・対FC東京戦では0-2と先行され苦しい状況は一層深刻さを増すが、谷澤達也と新居辰基が途中投入されると、後半29分すぎからのわずか11分間に4得点[25]を挙げた結果、4-2と劇的な逆転勝利を収めた[26]。16位だった東京ヴェルディはホームで0-2で川崎フロンターレに、15位だったジュビロ磐田もホームで大宮アルディージャに0-1で両方とも敗れたため、磐田は16位、東京Vが17位になり、ジェフは年間15位で逆転残留が決定した(2008年J1最終節)。
2009年シーズンは、J1残留の立役者、ミラー監督の続投が正式に発表され、深井も鹿島から完全移籍で獲得し、他チームへの移籍も噂された巻も残留。新たな戦力として、柏からアレックスを、清水から和田拓三を完全移籍で獲得。さらに、鹿島から中後雅喜を、大分から福元洋平を期限付き移籍で獲得するなど、前年とは違い積極的な補強を行ったが、登録選手数はJ1最少[27]。
また、クラブ事務所・練習所も市原市から千葉市に完全集約され、前述どおり法人名を「東日本JR古河サッカークラブ」からチーム名と同じ「ジェフユナイテッド」に変更された。
リーグ戦開幕後、勝ち切れない試合が多く、また前述の選手層の薄さと怪我人の続出でベンチメンバーさえ不足したことも。そのため、ブラジルのECヴィトーリアからFWネット・バイアーノ、柏レイソルから太田圭輔をシーズン半ばに獲得・補強した。
また、同年7月27日に成績不振を理由にミラー監督を解任。後任には生え抜きの江尻篤彦が就任するとともに、コーチ陣が一新された。
しかし守備が少しずつ改善した半面、攻撃が巻頼みで、期待のFWネットバイアーノはプレースタイルが巻と重複するという理由でレギュラー起用にはならず、得点力が低下。その後も成績不振が続き、ついに11月8日の対川崎フロンターレ戦で敗れてJ2降格が決定し、前身の日本リーグ時代を含めて初となる2部リーグ落ちとなってしまった。
なお、この後11月28日に柏レイソルが降格したため、千葉勢はJリーグ創設18年でJ1から姿を消すことになった。同一都道府県のチームが2チーム降格するのはJリーグ史上初である。ただ、この日終了時点では17位にいたが、次の日に大分に敗戦し最下位に転落、最終節もこの順位のまま終えた。
2010年 - 2025年(J2)
- 2010年
- クラブスローガン :「走りきる!そして、その先へ。」
J2降格1年目。江尻が監督を続投。長年ジェフのDFラインを支えた斎藤大輔の引退の他、主将だったMF下村東美、守備の要であったエディ・ボスナーなどが退団するものの、かつてチームの主力として活躍したジュビロ磐田のMF村井慎二、DF茶野隆行、京都サンガF.C.のFW林丈統、MF佐藤勇人の4人と、2009年6月からファジアーノ岡山に期限付き移籍していたFW青木孝太の5選手がそれぞれ復帰を発表した。
その他、大分からの期限付きで加入したDF福元洋平と、鹿島アントラーズからの期限付きで加入したMF中後雅喜の2人が完全移籍に移行し、名古屋グランパスからMF山口慶の加入とオーストラリア代表主将DFマーク・ミリガンの獲得を発表した。
6月10日、淑徳大学とパートナーシップに関する包括協定及びジェフユナイテッドアシストスポンサー契約を調印した。
7月23日、巻誠一郎がロシア・プレミアリーグ・アムカル・ペルミに完全移籍した。
9月12日(第25節)にアビスパ福岡との直接対決で敗れて4位へ転落。11月19日に江尻と来季の契約を行わないと発表。11月23日(第36節)ザスパ草津に敗退して4位以下が確定した(最終順位も4位)。天皇杯は4回戦で敗退。
- 2011年
- クラブスローガン :「WIN BY ALL!」
江尻が退任し、新監督にドワイト・ローデヴェーヘスが就任した。中牧大輔がファジアーノ岡山に、池田昇平が愛媛FCに、谷澤達也がFC東京に、工藤浩平が京都サンガF.C.に、和田拓三がアビスパ福岡に、アレックスが鹿島アントラーズにそれぞれ完全移籍。鎌田翔雅、金沢亮、ネット・バイアーノが退団した。中後雅喜、ガンバ大阪からレンタル移籍していた倉田秋がセレッソ大阪に期限付き移籍した。一方、ロアッソ熊本から藤田俊哉を、横浜FCから大久保択生を、名古屋グランパスから期限付き移籍で竹内彬を、専修大学の藤本修司を、オーレスンFKから204センチの世界最長身選手トル・ホグネ・オーロイを、大分トリニータからレンタル移籍満了に復帰した益山司を、特別指定選手として活動していた明治大学の久保裕一を獲得した。
2月9日、FCエドモントンからU-20カナダ代表のマット・ラムを期限付き移籍で獲得。5月13日、三菱養和サッカークラブユースの田鍋陵太を特別指定選手に承認。6月26日、オフィシャルサプライヤーのFrom AQUAが、2011シーズンよりオフィシャルパートナーに関する契約を締結。7月30日、ジェフU-18の佐藤祥と井出遥也が、トップチーム登録(2種登録)した。8月9日、アルビレックス新潟から大島秀夫を期限付き移籍で獲得。
10月21日、ドワイト・ローデヴェーヘス監督、ハンスヘッドコーチの解任に伴い、監督に神戸清雄、コーチに菅澤大我が就任した。11月19日、J2第36節 湘南-徳島戦の結果を以て昇格の可能性が消滅(最終成績は6位)。第91回天皇杯は4回戦で清水エスパルスに敗退した。
- 2012年

J1昇格プレーオフ決勝戦試合前 - クラブスローガン :「DAKKAN 奪還×脱甘」
新監督に前シーズンまで清水エスパルスのコーチで、水戸ホーリーホックで監督経験のある木山隆之が就任。
ベテランの藤田俊哉をはじめ、林丈統、ファン・ゲッセルが退団、セレッソ大阪にレンタル移籍していた中後雅喜が東京ヴェルディに、村井慎二が大分トリニータに、太田圭輔、福元洋平が徳島ヴォルティスに、大島秀夫がコンサドーレ札幌に完全移籍、青木孝太がヴァンフォーレ甲府に、大分トリニータにレンタル移籍していた益山司が松本山雅FCにレンタル移籍、マット・ラムがレンタル移籍期間満了、茶野隆行が引退したが、アビスパ福岡から田中佑昌を、ガンバ大阪から山口智を、モンテディオ山形から佐藤健太郎を、横浜FCから藤田祥史を完全移籍で、ジュビロ磐田から荒田智之を、柏レイソルから兵働昭弘を、横浜F・マリノスから武田英二郎をレンタル移籍で獲得、井出遥也、佐藤祥がユースから昇格、大岩一貴、町田也真人が新加入した。6月には柏レイソルからリカルド・ロボが、7月には浦和レッドダイヤモンズから高橋峻希がレンタル移籍加入した。8月にはFC東京から谷澤達也が完全移籍で復帰した。
J2リーグ戦では、第1節、第19節、第24節で首位に立ったものの、いずれも直後の試合で敗れ首位の座は1節で明け渡している。第13節愛媛戦での勝利以降、第29、30節で7位に後退した時を除いてほぼ通年昇格争いに加わっていたものの、岐阜、富山に未勝利に終わったことや、第28、29節に、前半戦の対戦で完勝していた町田、鳥取との連戦で連敗するなど、下位に低迷していたクラブへの取りこぼしが影響し、最終的にJ1への自動昇格対象の2位以内には届かず、レギュラーシーズン成績は5位に終わった。J1昇格プレーオフは、初戦の横浜FC戦こそ4-0で完勝したものの、引き分けでも昇格となる決勝で、後半41分にかつてジェフに在籍した林丈統によるゴールを許し0-1で大分に惜敗、J1昇格はならなかった。プレーオフ終了後、神戸テクニカルディレクター[28]、および木山監督[29]が同シーズンをもって退団することが相次いで発表された。
- 2013年
- クラブスローガン :「絶対J1!」
- G大阪から期限付き移籍加入していた大塚翔平、柏から期限付き移籍加入していた兵働昭弘がともに完全移籍に移行。清水から碓井健平、昨季C大阪でプレーしていたケンペスをそれぞれ完全移籍で獲得した。なお、韓国1部・済州ユナイテッドFCより獲得したジャイールは7月26日にUAE 1部のエミレーツ・クラブへ期限付き移籍となった。2013年8月、森本貴幸が完全移籍で加入。Jリーグへの復帰は7年ぶりとなった。また、同月には戸島章が藤枝MYFCに期限付き移籍。
第2節で初勝利を挙げ、以後第8節まで7試合連続負けなし(3勝4分)。第10節から第15節まで4連勝を含む6試合負けなし(4勝2分)で、第15節時点で3位に浮上。第16節、第17節とシーズン初の連敗を喫して第16節から第20節まで6位に順位を落としたが、第20節から6連勝で第25節終了時には2位神戸に勝点差3の3位に浮上し、第31節まで3位をキープ。第28節から4試合勝利なし(2分2敗)、第33節から3連敗で第34節・第35節は6位。第36節から3連勝で4位に浮上するが、第39から第42節まで2分2敗に留まり、シーズン成績は5位。プレーオフ準決勝はアウェイで4位徳島と引き分けたが、規定により決勝進出は成らず、2年連続のプレーオフ敗退となった。 第93回天皇杯は3回戦でFC東京にPK戦で敗れた。
- 2014年
- クラブスローガン :「FUN! 〜勝利のために〜」
鈴木体制2年目。米倉恒貴がG大阪へ完全移籍、深井正樹が退団、櫛野亮が引退した一方、横浜FMから田代真一、山形から中村太亮を完全移籍で、横浜FMから天野貴史、柏から山中亮輔を期限付き移籍で獲得した。
しかし開幕から低調で、順位も第6節終了後に9位、第16節、第18節終了後に8位になった以外は2桁順位を推移、第19節で北九州戦に敗れ、7勝6分6敗の勝点27で12位となった直後の6月23日に監督の鈴木と契約解除。テクニカル・ダイレクターの斉藤和夫による代理指揮を挟んで、7月1日に千葉県出身でロンドン五輪日本代表監督を務めた関塚隆が同月8日から後任監督として指揮を執ることが発表された[30]。
関塚就任後はチームの成績も上昇、最終節で讃岐に勝利して3位に食い込み、3年連続のプレーオフ進出を決めた。
第94回天皇杯は準決勝まで駒を進めたものの、同じJ2の山形に敗れ、古河時代以来30年ぶりの決勝進出はならなかった。また、昇格プレーオフも同じく山形に敗れ、3年連続のプレーオフ敗退となった。
- 2015年
- クラブスローガン :「一意専心」
関塚体制2年目。山口慶が引退し、ケンペスが退団。期限付き加入中だった天野貴史(横浜FM)、山中亮輔(柏)、幸野志有人(FC東京)が、いずれも期限付き移籍満了となった。また、碓井健平が清水、山口智が京都、竹内彬が名古屋、兵働昭弘が大分、大塚翔平が北九州へそれぞれ完全移籍、ナム・スンウがベルギーのAFCテュビズへ、戸島章が町田へ期限付き移籍した。一方、新戦力として鳥栖から金井貢史、甲府から水野晃樹、川崎からパウリーニョ、ツルヴェナ・ズヴェズダ(セルビア1部)からネイツ・ペチュニクを、水戸から鈴木隆行をそれぞれ完全移籍で、甲府から岡大生を期限付き移籍で獲得し、千葉U-18から仲村京雅と浦田樹が昇格した。乾貴哉(桐生一高)、北爪健吾(専修大)が新加入した。また、町田から栗山直樹が復帰した。夏場には横浜FMから富澤清太郎を完全移籍で、名古屋から松田力、川崎から安柄俊をそれぞれ期限付き移籍で獲得した。
関塚体制を貫いたものの、勝ち切れない試合を重ねて昨年より低迷。それでも第40節で東京Vに勝利して6位に上がったが、続く第41節と最終節で岡山と讃岐に連敗。最終順位は9位となり、プレーオフ進出を逃した。
- 2016年
- クラブスローガン :「REVOLUTION -NEXT 25-」
関塚体制3年目。鈴木隆行が引退、ネイツ・ペチュニク(大宮)、水野晃樹(仙台)、大岩一貴(仙台)、森本貴幸(川崎)、パウリーニョ(湘南へ期限付き移籍)などの移籍や松田力(名古屋へ復帰)などの期限付き移籍期間満了者を含めて合計24人の選手がチームを去った。その一方で、甲府から阿部翔平、水戸から吉田眞紀人、大分から若狭大志、川崎から船山貴之、山本真希、横浜FMから比嘉祐介、仙台から多々良敦斗、横浜FCから小池純輝、柏から近藤直也、東京Vから佐藤優也、松本から大久保裕樹を完全移籍で、鳥栖から藤嶋栄介、東京Vから菅嶋弘希、浦和から長澤和輝を期限付き移籍で獲得。U-18から岡野洵が昇格し、新外国人選手として、栃木SCから移籍してきたイ・ジュヨンをはじめ、アランダ、エウトンが入団、新加入選手は合計19人に上った。この選手の大幅入れ替えについて、2015年11月にゼネラルマネージャーに就任した高橋悠太(前・神戸チーム統括本部長)は新体制発表会の席上で、過去に移籍加入した選手の移籍金が人件費を圧迫していたためこの問題を解消する必要があったこと(新加入選手のうち移籍金が発生したのは川崎から加入した船山のみであったという)、前年までチームとしての一体感に欠ける場面が見られたため、クラブへの愛や強い気持ちを持っている選手を集めた(結果として千葉県出身者や千葉県内の高校出身者が多く集まった)ことを理由に挙げている[31]。
しかし、リーグ戦で第8節を最後にチームは自動昇格圏内の2位はおろかプレーオフ圏内である6位以内にも入れず、第25節終了後に関塚を解任、さらに小倉勉、里内猛の両コーチも同時に退任した。監督の後任は置かずにコーチの長谷部茂利が監督代行に昇格した[注釈 1]。
同10月30日の長崎戦で引き分けて今季の7位以下が確定し、2年連続の昇格プレーオフ圏外となり、8年連続でJ1復帰を逃すことが確定した[33]。最終順位はJ2降格後ワーストの11位[34]。
- 2017年
- クラブスローガン :「Pasión 力戦奮闘」
監督代行だった長谷部茂利がコーチに戻り、新監督にスペイン・ヘタフェCF元監督のフアン・エスナイデルが就任。
オナイウ阿道が浦和、井出遥也がG大阪へ完全移籍、長澤和輝、藤嶋栄介が期限付き移籍期間満了、谷澤達也が期限付き移籍先の町田へ完全移籍、小池純輝は愛媛FCへ、仲村京雅はYS横浜へ、浦田樹は北九州へ期限付き移籍、富澤清太郎が契約満了で退団後新潟へ移籍する一方で、FC東京から羽生直剛が完全移籍で10年ぶりにチームに復帰、その他、鳥栖から清武功暉、神戸から山本海人が完全移籍で、G大阪から西野貴治、横浜FMから熊谷アンドリューが期限付き移籍で加入、高橋壱晟(青森山田高)、溝渕雄志(慶應大)が新加入となった。新外国人選手としてバニーヤースSCからラリベイ、オリンピアからホルヘ・サリーナスを獲得した。
シーズン中に、新潟から指宿洋史が完全移籍で、清水からキム・ボムヨン、福岡から為田大貴、名古屋から矢田旭が期限付き移籍で加入。一方で阿部翔平が甲府、吉田眞紀人が町田へ期限付き移籍、西野貴治が期限付き移籍契約の解除によりG大阪へ復帰し、イ・ジュヨンが讃岐へ期限付き移籍した。
- 開幕から2勝1分で第3節終了時には首位に立つが、直後に2連敗し12位に落ちると、前半戦は常に2桁順位から抜け出せず前半戦終了時は8勝6分7敗、勝点30の13位、プレーオフ圏内となる6位とは勝点差4、自動昇格圏の2位とは勝点差13に終わった。
- 後半戦に入り、第27節には6位と勝点で並ぶ7位まで順位を上げたものの、第28節から5試合連続勝利なしとなるなど8試合で1勝2分5敗と足踏みしたこともあり、第35節終了時には6位との勝点差を10にまで広げられる。しかし第36節からクラブ新記録の7連勝、特に最終節対横浜FC戦では先制を許し、同点には追いついたものの試合最終盤まで膠着状態だったところ、後半アディショナルタイムにキャプテン近藤直也のゴールで逆転勝利、他会場の結果により逆転で6位となり、J1昇格プレーオフ進出を決めた。プレーオフは準決勝で3位名古屋に敗戦、J1復帰はならなかった。
第97回天皇杯は3回戦でG大阪に敗れた。
- 2018年
- クラブスローガン:「PASIÓN」
エスナイデル体制2年目。大久保裕樹と羽生直剛が現役を引退し、アランダ、キム・ボムヨン、北爪健吾(横浜FC)、比嘉祐介(東京V)、若狭大志(東京V)、多々良敦斗(熊本)らが退団。岡本昌弘が愛媛、山本海人が横浜FC、高橋壱晟が山口に期限付き移籍した。一方で、昨シーズンから期限付き移籍していた熊谷アンドリュー、矢田旭、為田大貴が完全移籍で加入。また、山形から高木利弥、愛媛から小島秀仁、ピアスト・グリヴィツェ(ポーランド1部)からエベルトを完全移籍で獲得し、柏から増嶋竜也、広島から茶島雄介、ロサリオ・セントラルからロドリゲスが期限付き移籍で加入、吉田眞紀人が町田への期限付き移籍から復帰した。そして古川大悟がU-18から昇格し、鳥海晃司(明治大学)、杉山弾斗(市立船橋高校)、本田功輝(四学大香川西高校)が新卒加入した。
開幕からは4戦で1分3敗とスタートダッシュに失敗。3月にはメルボルン・ヴィクトリー(オーストラリア1部)からゲリアが完全移籍で、清水から高木和徹が期限付き移籍で加入。吉田眞紀人が愛媛へ期限付き移籍した。初勝利後も思うように勝ち点は伸ばせず、8勝4分9敗の13位で前半戦を終えた。特にアウェイでは2勝と低調であった。夏の移籍期間では、高木利弥が柏へ完全移籍、岡野洵が大分へ期限付き移籍した。一方で松本から工藤浩平、横浜FMから下平匠が加入した。
後半戦に入っても戦績は上向かず、3連勝を一度も記録しないなど不安定な戦いに終始した。リーグ2位となる72得点を記録したが、失点もリーグワースト2位の72失点となるなど守備が安定せず、結果的に年間を通して上位に浮上することはできなかった。最終的には16勝7分19敗・クラブ史上最低順位の14位でシーズンを終えた。
- 2019年
- クラブスローガン:「PASIÓN」
エスナイデル体制3年目。町田也真人(松本)、近藤直也(東京V)、清武功暉(徳島)、指宿洋史(湘南)、高木和徹(清水)、ラリベイ、ホルヘ・サリーナス、ロドリゲスらが退団。溝渕雄志、杉山弾斗が新たに期限付き移籍した。一方、名古屋から佐藤寿人(18年振り復帰加入[35])、東京Vからアラン・ピニェイロ、川崎から田坂祐介、甲府から堀米勇輝が完全移籍で、クレーベ、ベラスケス、新井一耀、鈴木椋大が期限付き移籍で加入した。また、相澤ピーターコアミ(日本文理高校)が新卒加入した。
- 開幕後、4試合で未勝利(2分2敗)の21位と低迷し、3月17日付で監督のエスナイデルを解任[36][37]。後任にはトップチームコーチの江尻篤彦が2010年以来9年振りに就任した。監督交代直後は2勝1分と持ち直すも以後は再び低迷。4月30日には昨季新潟を退団した安田理大が加入した。前半戦はわずか5勝に留まり、勝ち点23の18位でシーズンを折り返した。夏の移籍期間では古川大悟が三重に期限付き移籍し、米倉恒貴がG大阪から復帰加入した。
- 後半戦も戦績は上向かず、夏場には4連敗を含む6試合未勝利を記録した。後半戦では1度も連勝を記録しないなど下位に低迷し、第40節東京V戦にてようやくJ2残留が決定。結果的にクラブ史上最低を更新する17位でシーズンを終えた。シーズン終了を前に江尻篤彦の今季限りで監督退任が発表された。また、佐藤勇人の現役引退が発表され、最終節後には引退セレモニーが実施された。
- 第99回天皇杯は2回戦で岡山に敗れた。
- 2020年
- クラブスローガン:「WIN BY ALL!」
期限付き移籍加入していた茶島雄介(広島)、ベラスケス(イングランド1部ワトフォード)が期間満了により退団。乾貴哉が水戸に、大野哲煥が栃木に、エベルトがヴィスワ・クラクフ(ポーランド1部)に期限付き移籍、期限付き移籍で加入していたクレーべ(エストリル)、増嶋竜也(柏)、鈴木椋大(G大阪)、米倉恒貴(G大阪)、新井一耀(名古屋)が完全移籍加入、更に川崎から新井章太、山口から山下敬大、磐田から田口泰士と川又堅碁が完全移籍加入、ユースから櫻川ソロモンが昇格、漢陽大学校からチャン・ミンギュ、関東学院大学から見木友哉、流通経済大学から本村武揚が新卒加入した。
開幕戦は米倉恒貴の得点で2017年以来の開幕戦勝利を挙げた。しかし新型コロナウイルス感染拡大の影響によりリーグ戦が約4か月中断した後、第6節から4戦勝利なし(1分3敗)で15位まで順位を落とす。第10節からシーズン初の3連勝で5位まで浮上するも、今度は直後に6戦勝利なし(1分5敗)で16位まで落ち、前半戦(第21節)終了時点で8勝2分11敗の勝点26、同節首位の北九州と勝点差18、J1昇格圏の2位徳島と勝点差17の14位に終わる。
後半戦に入り、第25節以降は17位と16位を推移、第34節で後半戦初の連勝を記録し15位浮上したものの、同節終了時点で2位福岡との勝点差が26となり、同シーズン3位以下が確定、8試合を残してJ2残留が確定した。最終成績は14位(15勝8分19敗)。
また、シーズンを通しての初の逆転勝利は11月11日第33節松本戦と異例の遅さであった。
11月27日にはGMの高橋悠太の退任を発表、翌月3日にテクニカルダイレクターの鈴木健仁のGM就任を発表した。
12月17日に田坂祐介、12月19日には佐藤寿人、更にすでに退団が発表されていた増嶋竜也が12月20日にそれぞれ現役引退が発表され、最終節後に同3名の引退セレモニーが開催された。
- 2021年
- クラブスローガン:「WIN BY ALL!」
尹晶煥体制2年目。
本田功輝(青森)、工藤浩平(栃木シティ)、大野哲煥(岐阜)、ゲリア(オーストラリア1部パース)、下平匠(南葛SC)、アラン・ピニェイロが退団、佐藤優也が熊本へ、クレーベが横浜FC、古川大悟がいわきFC、為田大貴、鳥海晃司がC大阪、山下敬大がサガン鳥栖、乾貴哉が北九州へ完全移籍、堀米勇輝が山形、本村武揚が北九州へ期限付き移籍した。
また、岩崎悠人が札幌から、小田逸稀が鹿島から、サウダーニャがECバイーアから期限付き移籍で、福満隆貴(C大阪)、鈴木大輔(浦和)、大槻周平、末吉塁(山形)、伊東幸敏(鹿島)、小林祐介(柏)が完全移籍で加入、溝渕雄志が栃木への期限付き移籍から復帰、流経大柏高校から松原颯汰、修徳高校からブワニカ啓太が新卒加入した。
開幕から3戦勝ちなし(1分2敗)で第6節には降格圏内である21位まで順位を落とし、スタートダッシュに失敗するも、その後は第12節からの6戦負けなし(3勝3分)と持ち直し、前半戦(第21節)終了時点では10位まで浮上。
夏の移籍期間には岩崎悠人のレンタル期間が終了し鳥栖へ移籍、大槻周平が山口へ、松原颯汰がC大阪へ、溝渕雄志が栃木へ期限付き移籍した。また、檀崎竜孔が札幌より期限付き移籍で加入した。シーズン後半には、13戦無敗(8勝5分)の好調を見せたが、第36節終了時点でシーズン3位以下が確定し、J2残留が確定した。最終成績は17勝15分10敗の8位。失点は36でリーグ2位であった。
12月3日に安田理大、12月4日には船山貴之、矢田旭、相澤ピーターコアミの契約満了を発表した。
第101回天皇杯は2回戦で大宮に勝利したが、3回戦で川崎にPK戦の末敗北を喫し、敗退した。
- 2022年
- クラブスローガン:「WIN BY ALL!」
尹晶煥体制3年目。
小田逸稀(鹿島)、檀崎竜孔(札幌)が期限付き移籍期間満了、溝渕雄志(讃岐)、岡野洵(町田)、矢田旭(愛媛)、船山貴之(相模原)、堀米勇輝(鳥栖)[注釈 2]、伊東幸敏(大分)、杉山弾斗(九州リーグ・都農)、安田理大(松本)、相澤ピーターコアミ(青森)が退団、大槻周平(山口)、本村武揚(北九州)が期限付き移籍先の各チームへ完全移籍。 秋山陽介が仙台から、ダニエル・アウベスがSEパルメイラスから期限付き移籍で、風間宏矢(琉球)、佐々木翔悟(鹿島)[注釈 3]、高木俊幸(C大阪)が完全移籍で加入、松原颯汰がC大阪への期限付き移籍から復帰、ユースから佐久間太一、齋藤来飛が昇格、三菱養和SCユースから西久保駿介、桐蔭横浜大学から篠原友哉が新卒加入した。 開幕直後の3月にはチアゴ・デ・レオンソ(広州城)が完全移籍で加入、齋藤来飛が青森へ育成型期限付き移籍した。
開幕戦ではJ3から初昇格を果たした盛岡にJ2初勝利を、第10節ではここまで勝利の無かった大宮にシーズン初勝利を献上するなど、流れに乗れないまま、第17節終了時点で18位まで順位を落とす。しかし、続く第18節からは3連勝を含む6戦無敗(4勝2分)で前半戦(第21節)を終えて8位、第25節終了時点では昇格プレーオフ圏内の6位に順位を上げる。
夏の移籍期間にはリカルド・ロペス(上海海港)が完全移籍、川崎から田邉秀斗が育成型期限付き移籍にて加入、サウダーニャが成都蓉城へ期限付き移籍した。
後半戦は一進一退を繰り返すも、第41節にて8位以下が確定、J2残留が決定した。また、シーズン中の9月9日に監督の尹晶煥が今シーズン限りで退任することが発表された。最終成績は17勝10分15敗の10位であった。
- 2023年
- クラブスローガン:「WIN BY ALL!」
小林慶行がコーチからトップチームの監督に昇格。
秋山陽介(仙台)、ダニエル・アウベス(SEパルメイラス)が期限付き移籍期間満了、リカルド・ロペス(ウクライナ1部ヴォルスクラ)、チアゴ・デ・レオンソ(アル・ダフラFC)、小島秀仁(YS横浜)、川又堅碁(沼津)が退団、チャン・ミンギュが町田へ完全移籍、櫻川ソロモンが岡山、佐久間太一が八戸へ期限付き移籍した。田中和樹が京都から期限付き移籍で加入、日高大(いわき)、松田陸(金沢)、呉屋大翔(大分)、椿直起(横浜FM)が完全移籍で加入、ユースから新明龍太、矢口駿太郎が昇格、新潟医療福祉大学から小森飛絢が、法政大学から近藤壱成が新卒加入した。サウダーニャは成都蓉城への期限付き移籍が終了し、ネフチ・バクーへの期限付き移籍となった。
外国人選手なしで迎えた開幕戦はルーキー小森の初得点を守り抜き勝利するも、その後は8戦勝ちなしで9節終了時点で降格圏の21位と、開幕ダッシュに失敗。また、3月には昨年からの育成型期限付き移籍を延長していた田邉秀斗が川崎へ復帰した。第10節で久々の勝利をあげると、その後は一進一退を繰り返し、前半戦(第21節)を終えて17位で折り返す。5月にはメンデス(京都)が加入。夏の移籍期間には、ドゥドゥ(今治)が完全移籍で、FC東京から西堂久俊が育成型期限付き移籍で加入し、末吉塁が岡山へ期限付き移籍した。
第27節の首位町田戦で勝利すると、次の第28節山口戦では4-0と圧勝。今シーズン最多得点を記録し、[38] 2連勝した。その後2試合は1分1敗となるが、第31節からは上位の磐田や苦手とする秋田を相手に勝つなど、連勝を続け、第35節の栃木戦の見木の劇的ゴールにて勝利し、PO圏内の6位に浮上した。その後も連勝を続け、第37節岡山戦にて0-5で勝利し、クラブタイ記録の7連勝を挙げ5位に順位を上げた。その後は1分1敗と停滞するも、第40節のいわき戦、第41節の群馬戦で勝利し、最終節を前にPO圏内の6位以上が確定。J1昇格プレーオフ出場を決めた。最終順位は19勝10分13敗で6位。
プレーオフは3位の東京ヴェルディとの対戦になったが、準決勝で1-2で敗れたため敗退。15年ぶりのJ1昇格はまたも達成できなかった。
- 2024年
- クラブスローガン:「WIN BY ALL!」
小林体制2年目。篠原友哉が現役引退し、西久保駿介(磐田)、新井章太(神戸)、新井一耀(長崎)、櫻川ソロモン(横浜)、近藤壱成(群馬)、ブワニカ啓太(いわき)、サウダーニャ(パルチザン)、末吉塁(岡山)、見木友哉(東京V)、福満隆貴(ヴェルスパ大分)、熊谷アンドリュー(金沢)が退団し、西堂久俊が期限移籍満了でFC東京へ復帰、松原颯汰が長野へ期限付き移籍した。一方で田中和樹(京都)が期限付きから完全移籍へ移行、藤田和輝(新潟)、横山暁之(藤枝)、林誠道(金沢)、高木和徹(東京V)、エドゥアルド(磐田)が完全移籍で、FC東京から岡庭愁人と品田愛斗が期限付き移籍、谷田壮志朗がアカデミーより昇格し、立教大学から久保庭良太が新卒加入で入団した。
昨季後半の好調さから昇格候補に挙げられていたものの、リーグ開幕戦の山形戦に敗れ黒星スタートを喫すると、ルヴァンカップもJ3から昇格した鹿児島に敗れ早々に敗退するなど幸先不安な出だしとなる。その後も勝ちと負けが交互し、第8節栃木SC戦でチーム記録となる8得点、16節愛媛戦では7得点を挙げるなど大量得点で勝つ試合もあれば、下位に沈む相手に敗れるといったな不安定な状態が続く。キャプテンの鈴木大輔や新規加入のエドゥアルド等主力選手が相次いで怪我により離脱したことも響き、夏の移籍市場で山越康平(東京V)、小川大貴(磐田)、杉山直宏(G大阪)を期限付き移籍で補強するも、27節終了時点で11勝4分12敗と負け越し、順位もプレーオフ圏外の8位と落ち込む。
そんな中、天皇杯ではJ1のFC東京、札幌を下すなど快進撃を見せ、準々決勝では京都に敗れベスト4進出とはならなかったものの、これをきっかけにリーグ戦でも復調を見せるようになる。
28節から30節まで小森飛絢が3試合連続で2得点を上げ勝利すると、32節山口戦ではハットトリックを達成。チームも5連勝を上げ残り2節を残して順位をプレーオフ圏内の4位まで上げる。
しかし、ホーム最終戦となる37節長崎戦を1-2で落とし6位に落ちると、最終節で同じく昇格プレーオフ進出を争う7位の山形との直接対決で0-4で大敗を喫し、結局プレーオフ圏外となる7位(19勝15敗4分)で終了した。
J1昇格プレーオフへの出場は逃した。これにより、J1復帰までのブランク期間は東京ヴェルディの記録(16年)を上回り、史上最長となることが確定した[39]。しかし、入団2年目だった小森飛絢が23得点でJ2得点王となり、ベストイレブン、そしてJ2最優秀選手となった。J2得点王は2013年のケンペス以来クラブ史上2度目、J2最優秀選手は初の快挙であった。

- クラブスローガン:「WIN BY ALL!」
小林体制3年目。高木和徹(今治)、佐々木翔悟(G大阪)、新明龍太(FCティアモ枚方)、矢口駿太郎(沖縄SV)、藤田和輝(新潟)、岡庭愁人(山口)、山越康平(徳島)、小川大貴(磐田)、青嶋佑弥(栃木SC)、高木俊幸(東京ユナイテッドFC)、ドゥドゥ(岐阜)が移籍により退団し、メンデス、佐久間太一、齋藤来飛は契約満了より退団となった。去就が注目されていた小森飛絢はベルギーリーグのシント=トロイデンVVへ期限付きで移籍し、谷田壮志朗が育成型期限付き移籍で鹿児島へ移籍した。
一方、デリキが(アトレチコ・ゴイアニエンセ)より期限付き移籍で加入し、岩井琢朗(順天堂大学)、猪狩祐真(産業能率大学)が新卒加入し、品田愛斗(FC東京)、杉山直宏(G大阪)が期限付きから完全移籍へ、石川大地(熊本)、河野貴志(秋田)、前貴之(山口)、吉田源太郎(讃岐)、薄井覇斗(松本)、若原智哉(京都)、植田悠太(京都)、安井拓也(町田)、ホセ・アウレリオ・スアレス(徳島)、カルリーニョス ジュニオ(清水)が完全移籍で加入した。また、アカデミー出身の鳥海晃司がC大阪より4シーズンぶりに復帰した。
前年後半の躍進の原動力となった小森の移籍や、ホーム開催のちばぎんカップにおいて柏に0-3で敗れるなど新戦力を加えながらも結果の出ていない状況で開幕を迎えることになるが、アウェーでの開催となった開幕戦でいわきFCに0-2勝利すると、ホーム開幕戦である第2節対カターレ富山戦も2-0で下し連勝を遂げる。第3節で2018年から勝利していなかった山形を3-2で下しチームの開幕連勝記録を更新すると、第4節アウェーでの対札幌戦も1-3で勝利し、札幌ドーム開催の試合でチームとして初の勝利を収め単独で首位となる。ルヴァンカップは富山に敗れ前年に続き初戦での敗退となったが、リーグ戦においては第7節で磐田に敗れるまで勝利を重ね、開幕6連勝と例年にない好調な出だしを切った。
その後4連勝しJリーグ内最速で10勝を達成し4月終了の時点で10勝1敗(勝ち点30)、2位大宮との勝ち点差を7とし独走状態となるが、5月の九州でのアウェイ連戦となった熊本、鳥栖戦を引き分けると、20年ぶりの国立でのホーム開催となった大宮との上位対決は1-2で敗戦。Jリーグ加入後初の対戦となった第15節FC今治戦は終盤のオウンゴールにより0-1で勝利したが、3位仙台との上位対決は0-0で引き分け、2位長崎との首位攻防戦は0-1で敗戦。ホームで開催された山口戦は0-0で勝ち点を取りこぼしてしまう。結果、5月は1勝4分け2敗と失速。6月後半からは高木琢也新監督率いる長崎が猛追、その追撃を凌げず第29節で3位に転落する。それでも第33節で首位の水戸ホーリーホックに勝つ等、上位との差を広げる事無くリーグ戦を進行。J2優勝・J1復帰チャンスを賭けた最終節では5-0で大勝するが、水戸・長崎も勝ち点を挙げて得失点差で水戸の優勝と長崎の2位が決定。最終順位3位で、6度目のJ1昇格プレーオフに挑むこととなった。
6度目にして初のホーム開催となった昇格プレーオフ、1回戦はRB大宮アルディージャと対戦。前半から失点を重ねて0-3と大差を付けられてしまうが、71分からの16分間で4ゴールを上げて大逆転勝利、決勝へと駒を進めた。決勝でも徳島を1-0で下し、見事17年ぶりのJ1復帰を達成(前身の古河時代を含めてもクラブ史上初の「上位ディビジョンへの昇格」である)。これにより2005年以来21年ぶりにオリジナル10が、消滅した横浜Fを除いて全てJ1に揃うことになる[40](2025年のJ1昇格プレーオフ)。
2026年 -(J1)
2026年・J1百年構想リーグ
小林体制4季目。横山暁之(横浜FC)、松原颯汰(鳥栖)が移籍により退団し、新明龍太、矢口駿太郎は契約満了により退団、森海渡(横浜FC)、デリキは期限付き移籍期間満了により退団となった。谷田壮志朗が育成型期限付き移籍でレイラック滋賀FCへ、林誠道が期限付き移籍でFC今治へ、吉田源太郎が期限付き移籍でFC大阪へ移籍した。
一方、石尾陸登(仙台)、津久井匠海(大宮)、天笠泰輝(大分)が完全移籍で加入、安井拓也がFC今治への期限付き移籍から復帰、拓殖大学から松村拓実が新卒加入で入団した。
成績
年度別チーム得点王
- 年度別チーム得点王の一覧。リーグ戦以外での得点は含まない。
| 年度 | チーム得点王 | 得点 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1993 | 16得点 | ||
| 1994 | 30得点 | J得点王 | |
| 1995 | 21得点 | ||
| 1996 | 12得点 | ||
| 1997 | 9得点 | ||
| 1998 | 13得点 | ||
| 1999 | 17得点 | ||
| 2000 | 13得点 | ||
| 2001 | 21得点 | ||
| 2002 | 16得点 | ||
| 2003 | 17得点 | ||
| 2004 | 12得点 | ||
| 2005 | 12得点 | ||
| 2006 | 12得点 | ||
| 2007 | 9得点 | ||
| 2008 | 11得点 | ||
| 2009 | 6得点 | ||
| 2010 | 10得点 | ||
| 2011 | 14得点 | ||
| 2012 | 15得点 | ||
| 2013 | 22得点 | J2得点王 | |
| 2014 | 13得点 | ||
| 2015 | 14得点 | ||
| 2016 | 11得点 | ||
| 2017 | 19得点 | ||
| 2018 | 19得点 | ||
| 2019 | 17得点 | ||
| 2020 | 7得点 | ||
| 2021 | 14得点 | ||
| 2022 | 8得点 | ||
| 2023 | 14得点 | ||
| 2024 | 23得点 | J2得点王 | |
| 2025 | 10得点 |
タイトル・表彰
国内タイトル
その他タイトル
- JリーグDAZNニューイヤーカップ:1回
- 宮崎ラウンド:2016
表彰
- 得点王
- 1994年 - フランク・オルデネビッツ
- Jリーグベストイレブン
- 2005年 - イリアン・ストヤノフ、阿部勇樹
- 2006年 - 阿部勇樹
- フェアプレー個人賞
- 2006年 - 山岸智
- 監督特別賞
- 2005年 - イビチャ・オシム
- 最優秀選手賞
- 2024年 - 小森飛絢
- 得点王
- ベストイレブン
- J2 Most Exciting Player
- 2012年 - 山口智
- 月間MVP
- 月間ベストゴール
- 月間優秀監督賞
クラブ記録

連勝記録
- J1
- J2
- 7連勝
ホームスタジアム無敗
- J1
- J2
- 16試合
- 【2010年 第35節 北九州戦 - 2011年 第29節 北九州戦】
リーグ戦 連敗
- J1
- 7連敗
- 4連敗
リーグ戦 未勝利
- J1
- 17試合【2007年 第29節 浦和戦(フクアリ)- 2008年 第11節 浦和戦(埼玉)】
- J2
リーグ戦 開幕未勝利
- J1
- 11節【2008年 第1節 G大阪戦(万博)- 第11節 浦和戦(埼玉)】
- J2
- 5節【2019年 第1節 愛媛戦(ニンスタ)- 第5節 京都戦(フクアリ)】
最も遅いシーズン初勝利
- J1
- 5月10日 【J1 2008年 第12節 京都戦(フクアリ)】
- ※ 前身の古河時代を含めても遅い。
- J2
- 3月30日 【J2 2019年 第6節 福岡戦(博多陸)】
最多得点試合
- J1
- 6得点
- 【1995年 第17節 横浜F戦(市原臨海) - 得点者:マスロバル(2)、中西永輔、ルーファー(3)】
- 【2007年 第23節 大分戦(フクアリ) - 得点者:佐藤勇人、山岸智、水野晃樹(2)、工藤浩平、青木孝太】
- J2
- 8得点
- 【2024年 第8節 栃木戦(フクアリ) - 得点者:小森飛絢、鈴木大輔(2)、椿直起、高橋壱晟、ドゥドゥ(2)、岡庭愁人】
最多失点試合
- J1
- 6失点
- 【1993年 NICOS(2nd)第18節 名古屋戦(瑞穂球)】
- 【2000年 1st第3節 神戸戦(市原)】
- J2
- 6失点
- 【2014年 第7節 湘南戦(フクアリ)】
得点差
- J1
- 勝利 - 6点差 (6-0) 【2007年 第23節 大分戦(フクアリ)】
- 敗北 - 6点差 (0-6) 【1993年 NICOS(2nd)第18節 名古屋戦(瑞穂球)】
- J2
- 勝利 - 8点差 (8-0) 【2024年 第8節 栃木戦(フクアリ)】
- 敗北 - 6点差 (0-6) 【2014年 第7節 湘南戦(フクアリ)】
国内トップリーグ所属
- 通算:43シーズン連続
- 日本サッカーリーグ:27季連続 (前身・古河電気工業時代)
- Jリーグ ・J1:16季連続 (ジェフユナイテッド市原・千葉)
個人記録
最年少試合出場
- J1リーグ戦
- 16歳333日 -
阿部勇樹 (1998年8月5日J1第16節・ガンバ大阪戦)
- J2リーグ戦
- 17歳38日 -
谷田壮志朗(2022年8月17日J2第28節・ヴァンフォーレ甲府戦)
※2025年5月19日現在。
最年長試合出場
- J1リーグ戦
- 37歳71日 -
モラフチク (2002年9月1日J1 2nd第1節・FC東京戦)
- J2リーグ戦
- 40歳15日 -
藤田俊哉 (2011年10月19日J2第6節・水戸ホーリーホック戦)
※2025年5月19日現在。
公式戦通算最多出場
- 公式戦
- 日本人選手
- 468試合出場 -
佐藤勇人
- 外国籍選手
- 157試合出場 -
マスロバル
※2021年8月30日現在。他クラブでの出場は含まない。
リーグ戦通算出場記録
- 350試合出場
佐藤勇人 - 397試合 (引退)
- 250試合出場
- 200試合出場
※200試合以上。2026年1月12日現在。他クラブでの出場は含まない。
リーグ戦通算最多得点
- 日本人選手
- 54得点 -
船山貴之
- 外国籍選手
- 54得点 -
崔龍洙
※他クラブでの得点は含まない。
最多連続試合出場
- 68試合 -
山岸智 (2006年1st第1節から2007年1st第34節)
リーグ戦シーズン最多得点
- J1リーグ戦
- 日本人選手
- 13得点 -
武田修宏 (1998年 J1)
- 外国人選手
- 30得点 -
オッツェ (1994年 J1)
- J2リーグ戦
- 日本人選手
- 23得点 -
小森飛絢 (2024年 J2)
- 外国人選手
- 22得点 -
ケンペス (2013年 J2)
最年少得点
- 公式戦
- リーグ戦
- 17歳216日 -
阿部勇樹 (1999年4月10日、J1第6節・ヴィッセル神戸戦)
- その他公式戦
- 17歳117日 -
姫野誠 (2025年12月7日、J1昇格プレーオフ準決勝・RB大宮アルディージャ戦)
※2026年1月8日現在。
最年長得点
- 公式戦
- 38歳241日 -
佐藤寿人 (2020年11月8日J2第32節・モンテディオ山形戦)
※2021年1月1日現在。
ハットトリック
- J1リーグ戦
- 3得点
- J2リーグ戦
- 4得点
ケンペス 【2013年J2 第6節 (3月31日) 北九州戦】
- 3得点
- Jリーグ杯
- 3得点
- 天皇杯
記念ゴール
- 通算1500ゴール -
城彰二【1995年4月5日 サントリー第6節 清水(市原臨海)】 - 通算2500ゴール -
江尻篤彦【1995年11月15日 NICOS第23節 平塚(市原臨海)】 - 通算8000ゴール -
崔龍洙【2002年9月14日 2nd第3節 名古屋(瑞穂陸)】 - 通算9000ゴール -
斎藤大輔【2004年3月13日 1st第1節 神戸(神戸ウイング)】 - 通算13,000ゴール -
巻誠一郎【2008年9月14日 第24節 東京V(フクアリ)】
- クラブ記録
- 第1ゴール -
パベル・ジェハーク【1993年5月16日 サントリー第1節 第1節 広島(広島スタ)】
スタジアム

ホームスタジアムは千葉市中央区の千葉市蘇我スポーツ公園内にあるフクダ電子アリーナ(フクアリ、千葉市蘇我球技場)で、2005年10月以降は原則として全てのホームゲームをここで開催している。
Jリーグ発足当初は市原市の市原緑地運動公園臨海競技場(市原臨海、現・ゼットエーオリプリスタジアム)をホームスタジアムとして、複数のスタジアムでホームゲームを開催していたが、2002 FIFAワールドカップ誘致を前提に市原市で計画されていた千葉県営の新スタジアム計画が頓挫したこともあり、クラブは2002年シーズン開幕前に「千葉市蘇我スポーツ公園内の球技場(=フクアリ)が完成した後、市原臨海と同球技場を併用する」方針を示し、2005年10月からフクアリでのホームゲームを開始した。一方、市原臨海は新スタジアム計画が頓挫したことを受けて改修工事が必要となっていたが、日本サッカー協会より「観客席を2万人以上収容出来るようにし、席を全て個別席とすること」「客席の2/3以上覆える屋根を設置すること」「総座席数に対し、毎試合、観客席の8割以上の観客を動員すること」などの条件を与えられており、市営競技場である市原臨海が当該スペックを満たすためには市の負担が大きく、スタジアムの改修工事続行を断念した[41]。なお、市原臨海でのジェフのホームゲームは2006年以降開催されておらず、Jリーグに提示した本拠地登録も2010年を最後に抹消されている。
年度別入場者数
- スタジアム欄の太字はホームスタジアムに登録されている競技場。
- 入場者数の太字はプロ化以降の各所属ディビジョン毎の歴代最多および歴代最少。
- 試合数および観客入場者数データはリーグ戦のみ(関連:日本プロサッカーリーグ#試合入場者数)。
- フクアリ:フクダ電子アリーナ、市原:市原緑地運動公園臨海競技場、国立:国立霞ヶ丘競技場陸上競技場、新国立:新国立競技場。
| 年度別入場者数 | ||||||||||||||
| 年度 | 所属 | 合計 入場者数 | 最多入場者数 | 最少入場者数 | 平均 入場者数 | 試合数 | ホームゲーム 開催スタジアム | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 動員数 | 相手 | 会場 | 動員数 | 相手 | 会場 | |||||||||
| 1993 | J | 364,922 | 53,570 | 浦和 | 国立 | 9,042 | 広島 | 市原 | 20,273 | 18 | 市原10、国立4 栃木グ2、札幌厚別1 宮城陸1 | |||
| 1994 | 489,772 | 54,656 | 清水 | 9,597 | 磐田 | 22,262 | 22 | 市原12、国立5 栃木グ2、札幌厚別1 富山1、福井1 | ||||||
| 1995 | 400,879 | 52,149 | 浦和 | 7,449 | C大阪 | 15,418 | 26 | 市原19、国立3 札幌厚別1、秋田陸1 栃木グ1、福井1 | ||||||
| 1996 | 180,127 | 40,016 | 鹿島 | 7,142 | 京都 | 12,008 | 15 | 市原9、国立3 札幌厚別1、福井1 富山1 | ||||||
| 1997 | 91,086 | 16,484 | 2,245 | 広島 | 5,693 | 16 | 市原12、国立2 秋田陸1、新潟陸1 | |||||||
| 1998 | 91,199 | 11,538 | V川崎 | 2,513 | 横浜F | 5,365 | 17 | 市原16、国立1 | ||||||
| 1999 | J1 | 86,611 | 15,521 | 鹿島 | 2,575 | 平塚 | 5,774 | 15 | 市原14、国立1 | |||||
| 2000 | 95,075 | 17,953 | 横浜FM | 3,296 | V川崎 | 山形県 | 6,338 | 市原12、国立1 仙台1、山形県1 | ||||||
| 2001 | 117,274 | 15,758 | 浦和 | 4,014 | G大阪 | 市原 | 7,818 | 市原12、国立1 秋田陸1、松本1 | ||||||
| 2002 | 118,460 | 23,387 | 3,287 | 仙台 | 7,897 | 市原12、国立2 松本1 | ||||||||
| 2003 | 145,640 | 29,757 | 3,452 | 神戸 | 9,709 | 市原12、国立2 松本1 | ||||||||
| 2004 | 150,187 | 34,793 | 5,093 | 10,012 | 市原13、国立2 | |||||||||
| 2005 | 162,089 | 17,087 | 横浜FM | フクアリ | 4,249 | C大阪 | 9,535 | 17 | 市原11、フクアリ5 国立1 | |||||
| 2006 | 227,680 | 17,438 | 浦和 | 8,567 | 福岡 | フクアリ | 13,393 | フクアリ17 | ||||||
| 2007 | 240,535 | 16,756 | 9,481 | 大宮 | 14,149 | |||||||||
| 2008 | 239,436 | 17,152 | FC東京 | 8,694 | 神戸 | 14,084 | ||||||||
| 2009 | 250,413 | 17,899 | 柏 | 12,349 | 14,730 | |||||||||
| 2010 | J2 | 210,394 | 18,031 | 8,381 | 北九州 | 11,689 | 18 | フクアリ18 | ||||||
| 2011 | 183,911 | 16,360 | FC東京 | 6,955 | 京都 | 9,680 | 19 | フクアリ19 | ||||||
| 2012 | 194,893 | 14,487 | 松本 | 6,235 | 富山 | 9,281 | 21 | フクアリ21 | ||||||
| 2013 | 210,078 | 15,982 | G大阪 | 6,511 | 福岡 | 10,004 | ||||||||
| 2014 | 195,999 | 14,575 | 磐田 | 5,957 | 熊本 | 9,333 | ||||||||
| 2015 | 225,219 | 15,051 | 8,123 | 群馬 | 10,725 | |||||||||
| 2016 | 216,127 | 14,163 | 熊本 | 7,684 | 山形 | 10,292 | ||||||||
| 2017 | 209,637 | 15,994 | 横浜FC | 6,230 | 長崎 | 9,983 | ||||||||
| 2018 | 207,025 | 12,440 | 熊本 | 6,152 | 讃岐 | 9,858 | ||||||||
| 2019 | 203,725 | 14,950 | 柏 | 5,885 | 鹿児島 | 9,701 | ||||||||
| 2020[注釈 4] | 58,344 | 9,701 | 琉球 | 1,409 | 金沢 | 2,917[注釈 5] | ||||||||
| 2021 | 85,437 | 6,732 | 京都 | 3,077 | 愛媛 | 4,068 | ||||||||
| 2022 | 121,267 | 8,639 | 町田 | 3,236 | 山口 | 5,775 | ||||||||
| 2023 | 178,985 | 15,201 | 長崎 | 5,317 | 岡山 | 8,523 | ||||||||
| 2024 | 198,184 | 16,740 | 長崎 | 5,603 | 栃木SC | 10,431 | 19 | フクアリ19 | ||||||
| 2025 | 295,431 | 49,991 | 大宮 | 新国立 | 9,367 | 愛媛 | 15,549 | フクアリ18 新国立1 | ||||||
練習場・クラブハウス
練習場とクラブハウスは千葉市蘇我スポーツ公園・フクダ電子アリーナの隣接地にあるユナイテッドパーク。2009年10月にトップチームやユースチームなどの練習場・クラブハウスとして開設し、公園内の施設共々活用されている。2015年より毎年秋にユナイテッドパークを会場とした「ユナパまつり」も行われ、サポーターや地域住民の交流の場となっている。
Jリーグ発足当初は浦安市千鳥の古河電気工業所有地に練習場(ジェフユナイテッド市原舞浜グラウンド[42])があったが、2000年に練習場が当時のホームスタジアムに近い市原市の姉崎公園サッカー場へ移転。舞浜ではジュニアユースチーム(ジェフユナイテッド・ジュニアユース舞浜)及び舞浜スクールが活動を続けていたが、2005年3月に舞浜スクールが閉鎖され、替わって2005年からは習志野市茜浜のレナウンインテリジェントジャンクション内の天然芝グラウンド(アメリカンフットボールチーム・レナウンローバーズの元練習場で、現在はXリーグ所属のオービックシーガルズが使用)にて習志野スクールが活動している[43]。
レディースの練習場については、「ジェフユナイテッド市原・千葉レディース#練習場・クラブハウス」を参照。
ユニフォーム
チームカラー
ユニフォームスポンサー
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
| 胸 | 富士電機 | Fe 富士電機 | 2007年 - | |
|---|---|---|---|---|
| 鎖骨 | 古河電気工業 | FURUKAWA ELECTRIC | 2018年 - | 1998年1月 - 10月、1999年、2002年、2005年は袖(「古河」表記) 1998年 - 2001年、2003年 - 2004年は背中上部(「古河電工」表記) 2001年 - 2002年4月は胸(「古河電工」表記) 2018年 - 2025年の鎖骨は「古河電工」表記 |
| JR東日本 | JR東日本 | 2018年 - | 1995年、2003年 - 2004年は袖 1998年 - 2000年は胸 1995年は「[vjuː] びゅう」表記 1998年 - 2002年、2005年は「JR東日本」表記 2009年4月 - 2018年は「Suica」表記 | |
| 背中上部 | モバイルSuica | 2001年 - 2002年 2005年 2009年4月 - | ||
| 背中下部 | - | - | - | |
| 袖 | 三井化学 | 三井化学 | 2023年 - [44] | 2023年は「TPX」表記 2024年、2025年は「三井化学 TPX APEL」表記 |
| パンツ前面 | 千葉ステーションビル | PeRIe | 2009年 - | 2009年 - 2016年は「PeRIe JR東日本グループ」表記 |
| パンツ背面 | 古河電気工業 | 「つづく」をつくり、 世界を明るくする。 | 2025年4月 - |
- 鎖骨スポンサーは古河電工が左側、JR東日本が右側。
背番号の書体
Jリーグ加盟以来、継続して「JEF UNITED」のロゴと同一デザインのオリジナルフォントを採用している(Jリーグ統一フォント導入を導入していた2021年から2023年までを除く)。
星
左胸のエンブレム上の星2つ(★)は2005年および2006年のヤマザキナビスコカップの優勝を表している。
ユニフォームサプライヤーの遍歴
歴代ユニフォーム
歴代ユニフォームスポンサー表記
| 年度 | 箇所 | サプライヤー | |||||||
| 胸 | 鎖骨左 | 鎖骨右 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ前面 | パンツ背面 | ||
| 1992 | SEGA[注釈 6] | 解禁前 | - | 解禁前 | Pentel | 解禁前 | 解禁前 | asics | |
| 1993 | JR EΛST FURUKΛWΛ | Mizuno / asics | |||||||
| 1994 | |||||||||
| 1995 | [vjuː] びゅう | ||||||||
| 1996 | 0088 日本テレコム | ||||||||
| 1997 | J-PHONE | テレコムしよう。 0088 日本テレコム | Mizuno | ||||||
| 1998 | JR東日本 | 古河電工 | 古河 / 古河電工不動産 | ||||||
| 1999 | 古河 | ||||||||
| 2000 | J-PHONE | ||||||||
| 2001 | 古河電工 | JR東日本 | - | ||||||
| 2002 | 古河電工 / オートウェーブ | 古河電工 | - | ||||||
| 2003 | オートウェーブ | 古河電工 | JR東日本 | ||||||
| 2004 | |||||||||
| 2005 | JR東日本 | 古河電工 | |||||||
| 2006 | Sammy | 君津住宅 | QB HOUSE | ||||||
| 2007 | Fe 富士電機 | - | Kappa | ||||||
| 2008 | - | - / Sammy | |||||||
| 2009 | - / Suica | PeRIe JR東日本グループ | |||||||
| 2010 | Suica | 君 津 住 宅 | |||||||
| 2011 | |||||||||
| 2012 | |||||||||
| 2013 | |||||||||
| 2014 | |||||||||
| 2015 | - / 大衆酒場 ちばチャン | ||||||||
| 2016 | 新昭和 | 大衆酒場 ちばチャン | |||||||
| 2017 | - | PeRIe | |||||||
| 2018 | 古河電工 | JR東日本 | - / ZOZO TOWN | ||||||
| 2019 | JRE MALL | ZOZO TOWN | |||||||
| 2020 | - | ||||||||
| 2021 | |||||||||
| 2022 | hummel | ||||||||
| 2023 | TPX | ||||||||
| 2024 | 三井化学 TPX APEL | ||||||||
| 2025 | - / 「つづく」をつくり、 世界を明るくする。 | ||||||||
| 2026 百年構想 | FURUKAWA ELECTRIC | モバイルSuica | - | 三井化学 | 「つづく」をつくり、 世界を明るくする。 | ||||
アカデミー・下部組織
サッカースクールは千葉市中央区および美浜区、市原市、木更津市(幼児対象)で運営している[47]。シニア向けや女性向けのスクールも開校されている[47]。かつては浦安市や栃木県宇都宮市(ジェフユナイテッドクオーレ)の他、東北電力名取スポーツパーク(NASPA、宮城県名取市)と提携してスクールの運営も行っていた(東日本大震災後にNASPA自体が閉鎖)。これは、ジェフがJリーグ発足当初、市原市を中心とし、JR東日本沿線の東北、関東、甲信越の各地域を広域的にネットワークする構想を持っていたことの名残りである。また、スクールのデリバリー版として「サッカーおとどけ隊」が主に市原市、千葉市内の保育園・幼稚園・小学校・中学校などを範囲として訪問しており、千葉大学等と提携した指導者向けの講習や、千葉市や周辺地域の指導者講習への講師派遣も行っている。
小学生年代(U-12)には前述の普及に主眼を置いたスクールの他にチームは持っていなかったが、2017年より将来的にトップチームや世界の舞台で活躍する選手を育成することを目的とした「ジェフユナイテッド市原・千葉 エリートプログラムU-12 強化スクール」を開校し、セレクションを開始[48]。2017年10月には、2018年よりジェフユナイテッド千葉U-12を正式に設立し、2018年度のU-10チームより活動を始めることが発表された[49]。
ジュニアユース(U-15)は市原市辰巳台地区と習志野市茜浜地区の2チームが存在したが、2010年より統合されフクダ電子フィールド等を拠点とした1チームで活動している。
ユース(U-18)はトップチームらと同様にユナイテッドパークやフクダ電子スクエア・フクダ電子フィールド等を拠点として活動を行っている。2017年度より下級生などを中心としたBチームも高校生年代のリーグ戦に参入し、育成機会の増加を図っている。
下部・関連組織として、女子チームのジェフユナイテッド市原・千葉レディースがある。ジェフLは当初(1992年)からジェフの下部組織として運営されており、レディースのU-18・U-15チームも活動している。
なお、社会人(第1種)のセカンドチームとしてジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズが活動していたが、2011年を以て活動を終了した。
2023年12月、千葉市を本拠地にアカデミーチームを運営する「特定非営利活動法人・コラソン千葉スポーツクラブ」と業務提携を結び、「ジェフユナイテッド市原・千葉(U-15/U-12)コラソン」とすることが発表された[50]。業務提携の内容としては、
- トレーニング手法・育成プログラムの共有
- 指導実践などの指導者スキルの向上
- チームスタッフなどの相互交流
を挙げている。
出身選手
ジェフ千葉U-18
スタッフ・所属選手
成績
- 準優勝1回 : 1998年
- 準優勝2回 : 1998年、2003年
ジェフ千葉U-15
スタッフ・所属選手
成績
- 優勝1回 1998年
- 準優勝2回 : 1993年,1994年
- 準優勝1回 : 1995年
ジェフ千葉U-12
スタッフ・所属選手
成績
- 準優勝1回 : 2020年
社会連携活動・SDGs
メディア
- テレビ
- WIN BY ALL! - 千葉テレビ放送で放送中の応援番組
- ジェフ1 - J:COMチャンネル千葉で放送中の応援番組
- ジェフ☆コレ - かつてJCN千葉、JCN船橋習志野で放送されていた応援番組
- ジェフ魂12・ジェフ魂12Returns - かつて千葉テレビ放送で放送されていた応援番組
- ラジオ
- ジェフユナイテッド市原・千葉Spirits~WIN BY ALL! - bayfmで放送中の応援番組
- 新聞・雑誌
- JEF PRESS(フリーペーパー)- ジェフユナイテッド千葉が発刊するフリーペーパー。発刊は不定期。
- オフィシャルカメラマン - 今井恭司:第14回日本サッカー殿堂入り
決算
ジェフユナイテッド市原・千葉の決算は、つぎのとおり。
損益
| 年度 | 収入 | 広告料 | 入場料 | 配分 | その他 | 費用 | 事業費 | 人件費 | 管理費 | 利益 | 純利益 |
| 2005 | 2,722 | 1,279 | 439 | 426 | 576 | 2,548 | 2,191 | N.A. | 357 | 174 | -128 |
| 2006 | 2,887 | 1,316 | 564 | 366 | 641 | 2,652 | 2,489 | 1,436 | 263 | 135 | 86 |
| 2007 | 3,112 | 1,347 | 568 | 267 | 930 | 2,692 | 2,412 | 1,310 | 280 | 420 | 94 |
| 2008 | 3,564 | 1,324 | 595 | 252 | 1,394 | 3,173 | 2,859 | 1,612 | 315 | 391 | -11 |
| 2009 | 2,683 | 1,432 | 605 | 219 | 427 | 3,036 | 2,602 | 1,552 | 434 | -353 | -638 |
| 2010 | 2,306 | 1,373 | 454 | 114 | 365 | 2,622 | 2,205 | 1,349 | 417 | -316 | -312 |
| 年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 販売 | 利益 | 純利益 |
| 2011 | 2,422 | 1,622 | 368 | 108 | 44 | 280 | 2,200 | 1,003 | 162 | 216 | 35 | 36 | 748 | 222 | 46 |
| 2012 | 2,408 | 1,617 | 341 | 110 | 53 | 287 | 2,232 | 1,038 | 147 | 230 | 53 | 69 | 696 | 176 | 138 |
| 2013 | 2,330 | 1,515 | 353 | 100 | 55 | 307 | 2,217 | 994 | 146 | 262 | 73 | 66 | 676 | 113 | 97 |
| 2014 | 2,300 | 1,537 | 315 | 98 | 65 | 285 | 2,338 | 1,065 | 140 | 279 | 92 | 68 | 694 | -38 | -89 |
| 2015 | 2,504 | 1,641 | 360 | 93 | 64 | 346 | 2,387 | 1,045 | 153 | 243 | 85 | 71 | 790 | 117 | 31 |
| 年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | 物販 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 物販 | 販売 | 利益 | 純利益 |
| 2016 | 2,556 | 1,659 | 333 | 93 | 64 | 173 | 234 | 2,435 | 899 | 157 | 374 | 89 | 76 | 160 | 680 | 121 | 57 |
| 2017 | 2,593 | 1,704 | 337 | 146 | 111 | 153 | 142 | 2,597 | 1,177 | 156 | 271 | 115 | 70 | 119 | 689 | -4 | -7 |
| 2018 | 2,893 | 1,994 | 332 | 146 | 114 | 145 | 162 | 2,778 | 1,272 | 168 | 334 | 115 | 64 | 116 | 709 | 115 | 63 |
| 2019 | 2,838 | 1,954 | 326 | 144 | 125 | 144 | 145 | 2,722 | 1,153 | 166 | 335 | 143 | 73 | 115 | 737 | 116 | 5 |
| 2020 | 2,503 | 1,906 | 133 | 151 | 76 | 114 | 123 | 2,677 | 1,444 | 142 | 218 | 82 | 42 | 89 | 660 | -174 | -175 |
| 年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | 物販 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 物販 | 販売 | 利益 | 純利益 |
| 2021 | 2,372 | 1,655 | 188 | 158 | 69 | 118 | 183 | 2,359 | 1,053 | 158 | 211 | 98 | 75 | 88 | 676 | 12 | 1 |
| 2022 | |||||||||||||||||
| 2023 | |||||||||||||||||
| 2024 | |||||||||||||||||
| 2025 |
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2021
金額の単位: 百万円
資産
| 年度 | 総資産 | 総負債 | 純資産 | 資本金 |
| 2005 | 646 | 385 | 260 | 100 |
| 2006 | 751 | 404 | 347 | 100 |
| 2007 | 1,041 | 600 | 441 | 100 |
| 2008 | 992 | 562 | 430 | 100 |
| 2009 | 1,519 | 948 | 572 | 490 |
| 2010 | 1,483 | 1,224 | 259 | 490 |
| 2011 | 1,387 | 1,082 | 305 | 490 |
| 2012 | 1,361 | 919 | 442 | 490 |
| 2013 | 1,375 | 835 | 540 | 490 |
| 2014 | 1,313 | 863 | 450 | 490 |
| 2015 | 1,365 | 885 | 480 | 490 |
| 2016 | 1,558 | 1,020 | 538 | 490 |
| 2017 | 1,527 | 997 | 530 | 490 |
| 2018 | 1,836 | 1,243 | 593 | 490 |
| 2019 | 1,662 | 1,082 | 579 | 490 |
| 2020 | 1,810 | 1,405 | 404 | 490 |
| 2021 | 2,080 | 1,674 | 405 | 490 |
オフィシャルソング
関連項目
- ジェフユナイテッド市原・千葉の選手一覧
- ジェフユナイテッド市原・千葉の年度別成績一覧
- ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ
- ジェフユナイテッド市原・千葉レディース
- フクアリの奇跡
- 千葉ダービー
- ちばぎんカップ
- モオノキ
- 千葉大学 - 2006年より連携協定を結んでおり、公開授業も行っている[53]。
- 淑徳大学 - パートナーシップに関する包括協定を締結している。
- 明海大学 - 包括協定の一環としてサッカークリニックを共同で運営[54]。
- 千葉工業大学 - レディースへの支援を契機に包括的連携協定を締結[55]。

