ベンタ・ヌエバでの喧嘩

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製作年1777年
寸法275 cm × 414 cm (108 in × 163 in)
『ベンタ・ヌエバでの喧嘩』
スペイン語: La riña en la Venta Nueva
英語: A Fight at the Venta Nueva
作者フランシスコ・デ・ゴヤ
製作年1777年
種類キャンバス油彩
寸法275 cm × 414 cm (108 in × 163 in)
所蔵プラド美術館マドリード

ベンタ・ヌエバでの喧嘩』(ベンタ・ヌエバでのけんか、西: La riña en la Venta Nueva, : A Fight at the Venta Nueva)は、18-19世紀のスペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤキャンバス上に油彩で制作した絵画である。1777年に、エル・パルド王宮英語版内に掛けられるためのタピストリー連作用の下絵 (カルトン) の1点として描かれた[1][2]。1869年まで失われたものと考えられていたが、美術史家のグレゴリオ・クルサダ・ビリャミル (Gregorio Cruzada Villaamil) によりマドリード王宮の地下室で発見され、1870年1月19日と2月9日の勅令プラド美術館に移されて以来、同美術館に所蔵されている[1][2]。作品は、プラド美術館の1876年の目録で初めて言及されている[3]

本作は、ゴヤがタピストリー用に制作した下絵の第2連作に属している[4]。これらのタピストリーは「田舎の主題」を表すものとされ[1]、当時のアストゥリアス公(後のカルロス4世)と妃のマリア・ルイサ・デ・パルマがパルド王宮内で使用していた食堂用であった[2][4]。連作のほかの作品は、『マンサナーレス河畔での軽食』、『マンサナーレス河畔での踊り』、『アンダルシアの散歩道』、『水を飲む男』、『日傘 』、『凧上げ』、『カード遊びをする人々』、 『膀胱を膨らませる少年たち』、『果実を採る少年たち』(すべてプラド美術館蔵) である[1][2]。本作は、1777年3月3日に王立サンタ・バルバラ・タピストリー工場英語版に『アンダルシアの散歩道』、『水を飲む男』、『日傘』とともに引き渡されている。本作は50センチほど横幅が切断されているものの、連作中で最大の作品で、その中心となる作品であったと思われるが、これらの作品が皇太子夫妻の食堂にどのように配置されたかを示す記録はない[2]

『ベンタ・ヌエバでの喧嘩』の習作『メソン・デ・ガリョでの喧嘩』、プラド美術館

マドリードの近郊には、当時「ベンタス・デル・エスピリトゥ・サント (Ventas del Espíritu Santo) 」と呼ばれた宿屋がいくつかあったが、それらは、旅行者や、ラバに荷役を載せて運ぶ商人たちが立ち寄る場所であった[1][2]。本作は、ゴヤが「ベンタ・ヌエバ (新しい居酒屋)」と呼んでいる宿屋に設定されている[1]

絵画は、スペインの新古典主義の劇作家ラモン・デ・ラ・クルス英語版笑劇を想起させる[2]。しかし、壮大な構図は、イタリアの古典主義的作品から直接採られたものである[1]。風景を背景にして、4つの人物集団が描かれている。右側の宿屋の主人、中央の5人の男、左側の地面で喧嘩をしている2人の男、左端で石を投げようとしているもう1人の男である。宿の切妻屋根の丸い窓からは、「venta nueba」と書かれた看板が掛けられている[2]。描かれているのは、登場人物たちがカード遊びに起因すると思われる喧嘩をしている場面である。彼らの服装は注目すべきもので、啓蒙主義時代にスペインの様々な人々の服装に寄せられた関心を反映している。 たとえば、中央で鑑賞者に背中を見せている男は、そのズボンサンダルの装いからムルシア出身者と特定できる[2]

研究者のトムリンソン (Tomlinson) は、本作が属していた連作には道徳的性格があるという解釈をしている[2]。ゴヤは、エル・エスコリアル修道院に所蔵されていたヒエロニムス・ボス (に帰属される) 作 『七つの大罪と四終』 (プラド美術館) や、王宮に所蔵されていた16世紀のフランドルのタピストリーに影響され、七つの大罪の主題に触発されたのかもしれない。この仮説にしたがえば、本作『ベンタ・ヌエバでの喧嘩』は、七つの大罪のうち憤怒を表したものと同定できるであろう[2]

連作中のほかの作品 (プラド美術館蔵)

脚注

参考文献

外部リンク

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