若牛での闘牛
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| スペイン語: La novillada 英語: Amateur Bullfight | |
| 作者 | フランシスコ・デ・ゴヤ |
|---|---|
| 製作年 | 1779-1780年 |
| 種類 | キャンバスに油彩 |
| 寸法 | 259 cm × 136 cm (102 in × 54 in) |
| 所蔵 | プラド美術館、マドリード |
『若牛での闘牛』(わかうしでのとうぎゅう、西: La novillada, 英: Amateur Bullfight)は、17-18世紀のスペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤが1779-1780年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。ゴヤが制作した4番目のタピストリー連作のための下絵 (カルトン) の1点をなしていた。連作タピストリーは、エル・パルド王宮内のアストゥリアス公 (後のスペイン王カルロス4世) の寝室控えの間を装飾するためのものであった[1][2][3]。タピストリーのための下絵は1869年まで失われたものと考えられていたが、美術史家のグレゴリオ・クルサダ・ビリャミル (Gregorio Cruzada Villaamil) によりマドリード王宮の地下室で発見され、1870年1月19日と2月9日の勅令でプラド美術館に移されて以来、同美術館に所蔵されている[1][2][3]。これらの作品は、プラド美術館の1876年の目録で初めて言及されている[3][4]。
作品
この絵画について、ゴヤは画料請求書の中で以下のように記している。
若牛と戯れる4人の若者。1人は若牛に目隠しをつけようとしており、もう1人はケープで技を行い終わった仕草である。残りの2人は逃げている。少し離れたところに、塁壁から身を乗り出してこの気晴らしを見物している人々が見える[3]。

ゴヤは闘牛を非常に好み、この主題を繰り返し取り上げている。その中で、本作は最初の作例である[2]。作品が描かれた直前の1778年に、闘牛を好まなかったスペイン国王カルロス3世は全王国内で闘牛を禁じていた[3]。そのため、ゴヤは本格的な闘牛の代わりに祭りのような情景にしており、牡牛に対峙するプロの闘牛士ではなく、町の勇敢な若者を描いている[2]。
場面は、背景の大きな建築物が示すように、町の郊外にある堡塁の中である[3]。左側の建築は窓が高い位置にあり、ゴヤの故郷アラゴン地方の建築を想起させる[2]。4人の若者がスペイン語で「novillada (ノビリャーダ)」と呼ばれる2歳から3歳の牡牛と闘って楽しんでいる[3]。右側の赤い服を纏っている若者はゴヤの自画像であると考えられてきた[1]が、根拠はない[2][3]。ゴヤが普通のマホ(伊達男)のように自身を描いたはずはないと主張する研究者もいる。とはいえ、闘牛を熱烈に愛好していたゴヤは、自身を闘牛士として描いたのかもしれない[2]。
ゴヤの説明のように、前景左側の黄色い服の若者は、片面に接着剤を塗った布切れを目隠しとして牛の額に貼りつけようとしている。一方、赤い服を纏った若者はケープで牛をあしらい終えたところであり、誇らしげに微笑みながら、鑑賞者の方を見ている。しかし、牛の角が自分の大腿部と腹部に致命的な危険をもたらす可能性があることには思い至っていない。彼の左隣にいる男は、主人公さながらに右側にいるはずの画面には見えない観衆を誇らしげに見やっている。画面奥からは、マホの格好をした何人かの人物が心配そうにこの見世物を見るために近づいてきている。そのうち、すでに堡塁の石壁の上に身を乗り出している男は、考え込んでいる様子である[3]。
見えない観衆に対峙する若者たちの眼差しや、画面左側の見えない壁に遮られて斜めにできた影は、堡塁が八方塞であることを示している。この情景で仄めかされているあからさまな危険は、チェーザレ・リーパの図像学集『イコノロギア』中の「剛胆さと安定」という道徳的エンブレムと関連づけられるものである。本作は、そうした剛胆な行為に疑問符を投げかけるようなイメージを生んでいる[3]。
研究者トムリンソン (Tomlinson) によれば[2]、本作は『タバコ密輸監視人』とともに男性の傲慢さを表す対作品となっており、反対側の壁に掛けられた、女性の官能性を表す『ブランコ』及び『洗濯女たち』と対比された[1][2]。