フアン・バウティスタ・デ・ムギーロ
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| スペイン語: Juan Bautista de Muguiro 英語: Juan Bautista de Muguiro | |
| 作者 | フランシスコ・デ・ゴヤ |
|---|---|
| 製作年 | 1827年 |
| 種類 | キャンバスに油彩 |
| 寸法 | 103 cm × 85 cm (41 in × 33 in) |
| 所蔵 | プラド美術館、マドリード |
『フアン・バウティスタ・デ・ムギーロ』(西: Juan Bautista de Muguiro, 英: Juan Bautista de Muguiro)は、18-19世紀のスペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤが1827年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。「D.n Juan de Muguiro, por / su amigo Goya á los / 81. años, en Burdeos, / mayo de 1827 (1827年5月、ボルドーで、81歳の友人ゴヤによるフアン・デ・ムギーロ氏)」という銘が画面下部右の机に記されている[1]。ゴヤは翌年の1828年4月に他界しているため[2]、本作はゴヤの絶筆である可能性が高い[2][3]。作品は、1945年にモデルの家系の子孫から『ボルドーのミルク売り娘』とともに寄贈されて以来[1][2]、マドリードのプラド美術館に所蔵されている[1][2][3]。

フェルナンド7世の絶対主義の復活を機に、ゴヤは1824年にスペインを離れてフランスのボルドーへ移り、客死するまでの晩年を同地で過ごした。ボルドーではスペインから亡命中の親仏主義者たちと親交を持ったために、ゴヤの最晩年の肖像画は、貴族ではなくブルジョワ階級の人物に特化したものとなっている[3]。
本作のモデルの人物フアン・バウティスタ・デ・ムギーロも亡命者の1人であった[3]。ちなみに、フアン・デ・ムギーロの兄ホセ・フランシスコ・デ・ムギーロ (José Francisco de Muguiro) は、ゴヤの義理の娘の姉マヌエラ・ゴイコエチェア (Manuela Goicoechea) と結婚した人物である。兄弟二人は、スペインに侵攻したナポレオンと経済的に結びつきがあったようで、それでボルドーに亡命したのであろう[1]。
この絵画には、以前の貴族を描いた肖像画とは大きな差異を認めることができる[3]。仕事机の隣に腰かけているフアン・デ・ムギーロは、実業家として読もうとしている手紙を手に持っている。身に着けているのは、謹厳な暗色のスーツ、白いシャツ、暗色のネクタイで、それは彼の職業にふさわしい[1]。技法的にも、ゴヤは新しい類型の肖像画を試みている[1]。以前の作品に比べて、構図は簡素で、色彩はずっと限られており暗い。仕事机の上には、インク壺と、抽象化の度合いの高い、大雑把に描かれた書類が載せられている[1]。
若い時代からのゴヤの確実な筆致は晩年の初期まで維持されていたが、本作にそれは見られない。老いと病気のために筆致は揺れており、生気に欠けている[2]。しかしながら、フアン・デ・ムギーロの顔と手の描写において、彼の技巧は精緻でミニアチュール画家のようである。短く湿った筆致による色彩の混合は、この最後の絵画においてさえ、ゴヤが近代的な様式に向かっていたことを明らかにしている。そして、画家は、フアン・デ・ムギーロの人となりの静けさ、強い精神、理想主義を明示しているのである[2]。