バルコニーのマハとセレスティーナ
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| スペイン語: Maja y celestina en un balcón 英語: Maja and celestina on the balcony | |
| 作者 | フランシスコ・デ・ゴヤ |
|---|---|
| 製作年 | 1808-1812年 |
| 種類 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 166 cm × 108 cm (65 in × 43 in) |
| 所蔵 | 個人蔵 |
『バルコニーのマハとセレスティーナ』(西: Maja y celestina en un balcón, 英: Maja and celestina on the balcony)[1] は、18-19世紀のスペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤが1808-1812年にキャンバス上に油彩で制作した風俗画である[1][2]。現在、個人蔵となっている[3]。

スペイン独立戦争 (1808-1814年) 中に、ゴヤはほとんど公的な委嘱を受けなかった[4]。彼は、戦争の末期の短期間に作品において戦争の主題を放棄し、すでに版画集「ロス・カプリーチョス」に登場していた社会的風刺と社会悪の主題に立ち返った[5][6]。しかしながら、ゴヤの色彩と主題解釈は変化し、彼の作品には新たな表現が与えられた[7]。
この時期に生まれた風俗画は魔女や娼婦を表現した絵画を含んでおり、それらとしては、本作に加え、最も有名な『バルコニーのマハたち』 (個人蔵)、『老女たち』 (リール宮殿美術館) など挙げられる。また、ほかの風俗画としては、働く町民たちを描いた『刃物を研ぐ男』、『水売り女』 (ともにブダペスト国立西洋美術館)、『鍛冶場』 (フリック・コレクション、ニューヨーク) なども挙げられる[5]。この時期、ゴヤは、18世紀の絵画、そしてタピストリー用下絵の牧歌的ロココ様式と決定的に決別した[8]。マハを描いた作品は女性像の官能性によって特徴づけられるが、それは、ゴヤが晩年の精神的伴侶レオカディア・ソリーリャと出会った結果なのかもしれない[8][9]。

ゴヤによる、多くのスペインの庶民を描いた絵画同様、本作も委嘱によるものではなく、彼の生前に展示も売却もされなかった。ゴヤの趣味により、マドリードのバルベルデ (Valverde) 通りの自宅を装飾するために描かれたのである[10]。『バルコニーのマハたち』と本作『バルコニーのマハとセレスティーナ』は、鑑賞者が両側にバルコニーのある通りでマハたちに見られているかのような感覚を持つように、おそらく並べて掛けられるべく意図された[11]。おそらくブルジョワ階級とクルチザンヌ (高級娼婦) のともに若い女性を並置しているが、彼女たちは男性に依存し、おそらく「囚われ」ており、それは硬い鉄のフェンスによって象徴されている[12]。両作品を『老女たち』と並置してみると、美の儚さの主題が強調されることとなる[13]。
妻ホセファの1812年の死に際に作成されたゴヤの財産目録で、『老女たち』は23番として、「バルコニーの若い女性の2点の絵画」 (『バルコニーのマハたち』および『バルコニーのマハとセレスティーナ』) は24番として目録に記載されている。これら3点の絵画は類似したサイズで、17世紀初頭のスペインの別の画家によるものと思われる絵画上に描かれている。X線調査によれば、これら画面下の絵画は、アドリアーン・コラールトの版画にもとづいて四元素の寓意を表したものであることが判明した。『老女たち』は「大気の寓意」の上に、『バルコニーのマハたち』は「大地の寓意」の上に、そして『バルコニーのマハとセレスティーナ』は「火の寓意」の上に描かれている[11]。スペイン独立戦争中、ゴヤは絵画制作のための材料に事欠いたため、しばしば自身の絵画を再利用して描いた[14][15]。財産目録中におけるゴヤの3作品の類似性、類似したサイズ、そして、これらの3作品が連作をなしていた別の作品の上に描かれていることにより、3品もまた、それぞれの意味が互いに補完し合う連作をなしていたことが示唆される[11]。
作品


「マハ」(maja, 伊達女)という言葉は、流行の衣装を派手に纏った、最下層の若く美しい女性を指す。18世紀末の貴族 (ゴヤのムーサであったアルバ公爵夫人も含め) はしばしばマハの格好をして、彼女たちの色彩豊かで誘惑的なファッションを真似た[16]。本作のマハはおそらく若い娼婦で、通り過ぎる男性を引き寄せようとバルコニーから通りを見ている。この金髪の女性は、胸を大きく露わにするネックラインの白色と金色のドレスを大胆に纏っている[5][17]。オペラグローブを着けた手は、彼女のすべてが売り物ではなく、体は提供するが、魂と本当の愛は提供しないことを仄めかす[12]。彼女の美しさと優雅さは、背後にいる老いた「セレスティーナ」の醜い姿と対比されている。彼女は偽善を象徴する。手の中のロザリオ (カトリック教会の祈りの道具) の大きな玉を握りつつ、共謀者の笑みで通行者に捧げるために若い娼婦を指差しているのである[5]。
スペイン語で、「casamentera」 (結婚目的で男女と彼らの家族を結びつけるために誠実に行動する仲人) 、あるいは「alcahueta」 (不法な男女の結びつきを取り持つ遣りて婆) の同義語として解釈される「セレスティーナ」という名前は、フェルナンド・デ・ロハスの『ラ・セレスティーナ』と題された16世紀の人気小説から採られている。ゴヤの友人レオナルド・フェルナンデス・デ・モラティンがゴヤにこの小説を与えていた。ゴヤにとって、もう1つのインスピレーションとなったのは、バルトロメ・エステバン・ムリーリョの『窓辺の二人の女性』 (ワシントン・ナショナル・ギャラリー) にもとづくホアキン・バレステル (Joaquín Ballester) の版画であった[8]。この版画は当時、流布していた[2]。とはいえ、若さと老い、美醜の対比はゴヤ独自の世界となっている[2]。
来歴
この絵画は、ゴヤの妻ホセファの死の際に作成された目録に記載されている。この目録は、彼女の財産をゴヤと息子のハビエル (Javier) の間で分けるために作られたものである。そこには、「バルコニーにいる若い女性たちの2点の絵画」(『バルコニーのマハとセレスティーナ』及び『バルコニーのマハたち』) と記されており、24の目録番号が付され、400ベロンレアル (real de vellón) と見積もられている。本作の画面下部左側に「X.24 」という目録番号が記されているが、ほとんど見えない。フランシスコ・デ・アセバル・イ・アラティア (Francisco de Acebal y Arratia) がハビエル・ゴヤから作品を購入し、次いでルイス・マック=クロオン (Luis Mac-Crohon) が購入している。1942年には、収集家フアン・マルチに購入され、息子のバルトロメ・マルチ (Bartolomé March) に相続された。2003年には、別の個人収集家に売却された[4]。