自画像 (ゴヤ)
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| スペイン語: Autorretrato 英語: Self-portrait | |
| 作者 | フランシスコ・デ・ゴヤ |
|---|---|
| 製作年 | 1815年 |
| 種類 | キャンバスに油彩 |
| 寸法 | 46 cm × 51 cm (18 in × 20 in) |
| 所蔵 | 王立サン・フェルナンド美術アカデミー、マドリード |
| スペイン語: Autorretrato 英語: Self-portrait | |
| 作者 | フランシスコ・デ・ゴヤ |
|---|---|
| 製作年 | 1815年 |
| 種類 | キャンバスに油彩 |
| 寸法 | 45.8 cm × 35.6 cm (18.0 in × 14.0 in) |
| 所蔵 | プラド美術館、マドリード |
『自画像』(じがぞう、西: Autorretrato, 英: Self-portrait)は、18-19世紀のスペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤが1815年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。2点のヴァージョンがそれぞれ、マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミー[1][2][3]とプラド美術館[4][5][6]に所蔵されている。王立サン・フェルナンド美術アカデミーの作品には、左側 (ゴヤの肩の左側) に「Goya 1815」[1][2]、プラド美術館の作品にも、同じ位置に「Fr. Goya / Aragones (アラゴン人) / Por el mismo / 1815」[4]という画家の署名と制作年が記されている。ゴヤは生涯に何点もの自画像を描いているが、これら2点のヴァージョンは69歳の時の姿を表わしている[1][2][3][4][5]。
ゴヤの死後の1828年に、晩年の彼の家であったキンタ・デル・ソルドの財産目録を作った画家ブルガダ (Burgada) は、ゴヤの手になる2点の胸像の『自画像』について記している[4][6]。ゴヤの息子ハビエルが所有していたものであるが、彼は王立サン・フェルナンド美術アカデミーとゴヤの莫大な資産に関する問題を解決した時、そのうちの1点の『自画像』をアカデミーに譲渡することに同意した[2]。翌1829年に、ハビエルは、1808年にアカデミーがゴヤに発注した『フェルナンド7世騎馬像』 (王立サン・フェルナンド美術アカデミー) の代金を受領し、『自画像』をアカデミーに譲渡している[2][3][4]。
プラド美術館蔵の『自画像』は通常、サン・フェルナンド美術アカデミーの『自画像』の複製であると考えられてきた。しかし、最近の洗浄の結果、署名が発見された、この『自画像』も公的な性格の作品であることが示唆される[4]。両作品とも1815年に描かれているが、どちらが先に描かれたのか、そして両作品を制作した経緯がどのようなものであったかもわかっていない[2]。とはいえ、サン・フェルナンド美術アカデミーの作品に見られるシャツの描き直しといった躊躇はプラド美術館の作品には見られず、前者が第1ヴァージョン (そうであれば、知られているゴヤの自画像中の16番目のもの) で、後者が第2ヴァージョンであることを示唆する[1]。
プラド美術館の作品は、ゴヤ自身のために描かれたのか、それとも親しかった人物のために描かれたのかわからない[4]。しかし、ともに署名と制作年が記された、類似する2点が存在することは、プラド美術館の作品もまた別の美術アカデミー、おそらくバレンシアあるいはサラゴサのアカデミーのために意図されながら、結局送られなかったことを示唆する[4]。
プラド美術館の『自画像』はハビエルの手元に残ったが、美術コレクターのロマン・ガレタ (Román Garreta) あるいはロマン・デ・ラ・ウエルタ (Román de la Huerta) に売却された (記録によって両者が記されている)[4]。1866年4月5日の王令で、当時マドリードにあったトリニダー美術館が『自画像』の所有者に400エスクードを支払い、買い取った。その後、1872年に同美術館がプラド美術館と合併した際、『自画像』はプラド美術館の所有となった[4][5][6]。
作品
この2点の『自画像』が描かれた1815年は、スペイン独立戦争の後、スペインに戻り王政を復古したフェルナンド7世の反動体制が始まった年である。自由主義に傾倒していたゴヤの不安は日ごとに大きくなっていたに違いない[6]。また、当時のゴヤは立て続けに6人の子供を失い、1812年には妻ホセファ・バイエウ (Josefa Bayeu) も失っていた[1]。2点の『自画像』で、ゴヤは自身の個性などを象徴するものは一切用いずに、完全にありのままの姿を描いている[6]。実際、これらの『自画像』は、ゴヤが描いたすべての自画像中、もっとも真摯で直截的なものである[4]。
2点の自画像は、構図の点ではほぼ同じである[1][2]。赤みがかった茶色のビロード[6]のフロックコート (昔ながらの美術家の装束[6]) と白い開襟シャツも同じで、ゴヤが鑑賞者を見つめている点でも共通する。しかし、サン・フェルナンド美術アカデミーのヴァージョンでは、ゴヤの頭部は画架に向かっているかのように傾けられ、ほとんど対角線が形成されている[1][2]。絵具は厚く塗られ、それは首の部分に明らかである。また、背景は黒一色で、画家の顔にレリーフのような印象を与えている[2]。
一方、プラド美術館のヴァージョンの暗色の背景は、素早く力強い、交差する筆致で描かれ、下塗りが透けている[4][5][6]。この奔放な背景は、より精緻に描かれているフロックコートと白い開襟シャツに存在感を与えている[5]。このようなヴェネツィア派的な様式により、晩年に差し掛かったゴヤの柔らかく、バラ色のいくぶんたるんだ皮膚が強調されており、ほとんどベラスケス的な雰囲気の中、彼の顔は光をほぼ必要とせずに輝いている[5]。服装と背景には重要性が与えられておらず、その顔が究極的な表現力を持つ[5]。
プラド美術館の『自画像』で、69歳のゴヤは疲れ、病気で、少々懐古的であるように見える。その視線は、長い人生で多くの辛酸を経験してきた人物が持つ諦念と力を伝えているが、同時に澄んでおり、誇り高く尊厳さえも見せている[4]。一方、サン・フェルナンド美術アカデミーの『自画像』で、69歳のゴヤはプラド美術館の姿ほど病んでおらず、疲れてもいなければ、老けても見えない[2]。その顔は澄んでおり、強さを示している[1]。
ゴヤの自画像
- 『自画像』1771-1775年ごろ、 ゴヤ美術館=イベルカハ・コレクション=カモン・アスナール美術館
- 『自画像』1783年、アジャン美術館
- 『リネンの自画像』1796年ごろ、プラド美術館
- 『アトリエでの自画像』1790年、王立サン・フェルナンド美術アカデミー
- 『アリエタ医師のいる自画像』1820年、ミネアポリス美術館