盲目のギター弾き
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| スペイン語: El ciego de la guitarra 英語: The Blind Guitarist | |
| 作者 | フランシスコ・デ・ゴヤ |
|---|---|
| 製作年 | 1778年 |
| 種類 | キャンバスに油彩 |
| 寸法 | 260 cm × 311 cm (100 in × 122 in) |
| 所蔵 | プラド美術館、マドリード |
『盲目のギター弾き』(もうもくのギターひき、西: El ciego de la guitarra, 英: The Blind Guitarist)は、17-18世紀のスペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤが1778年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。ゴヤが制作した4番目のタピストリー連作のための下絵 (カルトン) の1点をなしていた。タピストリー連作は、エル・パルド王宮内のアストゥリアス公 (後のスペイン王カルロス4世) の寝室控えの間を装飾するためのものであった[1][2]。タピストリー用下絵は1869年まで失われたものと考えられていたが、美術史家のグレゴリオ・クルサダ・ビリャミル (Gregorio Cruzada Villaamil) によりマドリード王宮の地下室で発見され、1870年1月19日と2月9日の勅令でプラド美術館に移されて以来、同美術館に所蔵されている[1][2]。これらの作品は、プラド美術館の1876年の目録で初めて言及されている[3]。
第4期タピストリー連作用下絵に含まれていたのは、本作以外に『ブランコ遊び』、『洗濯女たち』、『若牛での闘牛』、『タバコ密輸監視人』、『鳥の近くにいる子供』、『木の近くにいる子供』、『樵たち』、『ギター弾きのマホ』、『待ち合わせ』、『医師』、『シーソー』に加え、現存しない『子犬』 [3]と『泉』であった[4]。本作は、ほかの下絵に先立って、1778年4月28日に王立サンタ・バルバラ・タピストリー工場に引き渡されている[1]。しかし、この下絵はタピストリーとして織るのが難しかったために、半年後に変更を加えるべくいったんゴヤに返却された。ふたたび下絵が引き渡された正確な時期はわかっていないが、1780年3月以前のことである[2]。
作品

本作の場面は、当時のマドリードの社会を描いている。18世紀のマドリードで一般的な人物であった、スペインの歌を歌う盲目の歌手 (画面左寄り) が構図の中心である[2]。こうした歌手は町から町へと渡り歩き、一般に悲劇的で凄絶な知らせを広めた[1]。歌手の周囲には、優雅な装いの紳士 (ゴヤによれば外国人[1])、マホとマハ (アンダルシア風の衣装を着た男女)、仮面を着けた男や子供たちがいる[2]。ゴヤは、歌手の知らせが人々に与える感情を描いている[1]。ちなみに、研究者のファンデルホーテン (Vandergoten) は、この場所を (祭りが行われる) マドリードのセバダ広場 (Plaza de la Cebada) と見ているが、おそらく本作が彼にマドリードの祭りを想起させるのに加え、このタピストリー連作用下絵は祭りが共通する主題だからである[2]。
ゴヤが変更した部分は画面の左側である[2]。同名のエングレービングでは、ゴヤが変更する前の本作を引き渡した時に説明書きに記したように、ムルシア人が牡牛を引いている。しかし、変更後の本作は、左側に非常に装飾的な性質の高い木と、その根元に釣り竿を持つ人物を表しており、削除された牡牛のモティーフに比べ、適切なものとはいえない。また、画面右側の人物の数も減らされ、家々も変更されているが、中央の人物群は本来のまま残されている[2]。
人物像の中で、最も目立つのは黒い服を着た右側手前の水売りで、彼は荷の重さのために屈んでいる。ゴヤは水売りの人物像用の素描を何点か描いたが、残念ながら失われている[2]。なお、画面下部右側にはメロン売りがおり[1]、作品のピラミッド型構図が強調されている[1]。本作は、18世紀にスペインで活動したイタリア人画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの作品に影響を受けている[3]。
本作は、ゴヤのタピストリー用下絵の中で、彼が本来の構図を表すエングレービングを制作した唯一の例で、おそらく彼は本来の構図に非常に満足していたのであろう。エングレービングは完全に本来の構図を再現していないものの、それがどんなものであったかを想起させるのに役立つ[2]。