村の闘牛

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製作年1814-1816年ごろ
種類板上に油彩
寸法45 cm × 72 cm (18 in × 28 in)
『村の闘牛』
スペイン語: Corrida de toros en un pueblo
英語: A Village Bullfight
作者フランシスコ・デ・ゴヤ
製作年1814-1816年ごろ
種類板上に油彩
寸法45 cm × 72 cm (18 in × 28 in)
所蔵王立サン・フェルナンド美術アカデミーマドリード

村の闘牛』(むらのとうぎゅう、西: Corrida de toros en un pueblo, : A Village Bullfight)、または『闘牛』(とうぎゅう、西: Corrida de toros, : The Bullfight)は、18-19世紀のスペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤが1814-1816年ごろ、板上に油彩で制作した絵画である。ゴヤのパトロンであった銀行家のマヌエル・ガルシア・デ・ラ・プラダ (Manuel García de la Prada) が所有していた作品で、1836年の彼の遺書王立サン・フェルナンド美術アカデミーに遺贈され [1][2][3][4]、1839年以来[1][2]、同アカデミーに所蔵されている[2][3][4][5]。これらの作品は人々の狂気を表したものである[3]

ガルシア・デ・プラダの1836年の遺言書には、「高名なる宮廷画家ドン・フランシスコ・デ・ゴヤによる5枚の油彩作品を王立サン・フェルナンド美術アカデミーに遺贈する...いずれもアカデミー教授から絶賛を博したものばかり」と記されている[3]。5枚の作品とは、本作以外に『異端審問の法廷[6]、『狂人の家[7]、『苦行者の行列[8]、『鰯の埋葬[9] (すべて王立サン・フェルナンド美術アカデミー蔵) である[1]。そのうち、本作は、『異端審問の法廷』、『狂人の家』、『苦行者の行列』とともに、1828年のゴヤの死の際に制作された目録で「祭りと伝統の4点の小作品」として言及されている連作作品に同定できる[2]。これらの作品は人々の狂気を表したものである[3]

連作のほかの作品 (1812-1819年)

作品

ゴヤ『若牛での闘牛』 (1779-1780年)、プラド美術館
ゴヤ「闘牛技」中の『昔のスペイン人が馬に乗って原野で牡牛を狩りする方法』 (1816年)

本作は表面的には祭りの情景を表す装飾目的の風俗画であるが、実際には連作のほかの作品と共通して「狂気」を表現している[5]。ゴヤは闘牛を非常に好み、その嗜好は『若牛での闘牛』 (プラド美術館、マドリード) 以降、版画集「闘牛技」にいたるまで、彼が生涯制作した闘牛主題の作品に示されている[2][5]

ゴヤは、あらゆる社会階層の人々が観覧した闘牛の情景をよく知っていた。フェリペ5世の治世以来、啓蒙思想に影響された様々な王令により、牛を殺すこと、あるいは闘牛そのものが禁止された。しかしながら、公的な禁止令は無視され、僧職者、青年、老人、若い貴婦人などあらゆる人々がスペイン中で開催されたこの余興を観覧し続け、観衆は、広場に木の板を使って即興で作られた闘牛場に詰めかけたのである[5]

ゴヤが本作で表現しているのは、まさにそうした情景である[5]。背景には家並みが見え、この場が町であることを示している。家々は軽く薄い筆触で描かれ、空と溶け合っている。観客を闘牛のイベントから隔てる木のリングがはっきりと確認できるが、奥のほうでは家々や人物像同様にうっすらとしか見えない。画面最前景の中央には背を向けて座っている男がおり、彼は画面の中心軸をなしている。闘牛場の中央では、ピカドール (馬に乗った闘牛士) が牡牛を突き刺すところである。ほかにも闘牛士が何人かおり、後景には別のピカドールも見える[5]

前景右端の木の上に腰かけている人物の背後には、眼を大きく見開いて鑑賞者を見ている女性の姿が確認できる。その顔は目撃している光景の恐ろしさを反映しているが、彼女は闘牛の残虐さと大衆の狂気に気づいている唯一の存在なのである[5]

脚注

参考文献

外部リンク

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