怒和島
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地名の由来
社会
地域・集落
元々は倉橋島から島の北部に移住したのが始まりといわれる[3]。当初は一つの集落であったとみられるが、天正13年小早川軍に攻略され、また冬の季節風の影響を避けるため、何時の頃からか(江戸時代初期には既に2村に分かれていたという[2])移り住み[注釈 1]、島の東には上怒和、西に元怒和の2つの集落ができた。離島航路がそれぞれに寄航している。2つの集落は愛媛県道206号上怒和元怒和線にて結ばれている。以前には元怒和に神和村の役場があったため、商店なども数軒ある。
人口
- 2015年7月1日現在 人口:409人(上怒和:175、元怒和:234 )
- 世帯数:209戸(上怒和:78、元怒和:131 2015年7月1日現在[注釈 2])
- 2020年 世帯数153、人口278(元怒和90世帯、157人。上怒和63世帯、121人)国勢調査による
学校
小中学校共に休校ないし廃校となっており、島内にはなくなっている。
- 小学校:1校(2019年3月休校)
- 中学校:1校(2005年3月閉校)
公共(的)施設
歴史
時期不明ながら倉橋島から移り住んだ。
藩政期は大洲藩領。
産業
交通
- 元怒和港及び上怒和港が唯一の島外との交通手段。
- 愛媛県道206号上怒和元怒和線 - 島内の上怒和と元怒和を結ぶ。
