女体山 (さぬき市)

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標高 774 m
位置 北緯34度12分10.16秒 東経134度12分33.58秒 / 北緯34.2028222度 東経134.2093278度 / 34.2028222; 134.2093278
女体山
長尾町から望む女体山
標高 774 m
所在地 香川県さぬき市東かがわ市
位置 北緯34度12分10.16秒 東経134度12分33.58秒 / 北緯34.2028222度 東経134.2093278度 / 34.2028222; 134.2093278
山系 讃岐山脈
女体山の位置(香川県内)
女体山
女体山
女体山 (香川県)
女体山の位置(日本内)
女体山
女体山
女体山 (日本)
プロジェクト 山
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女体山(にょたいさん)は、香川県徳島県の県境に沿って東西に長く延びる「讃岐山脈[注釈 1] のうち、東部に位置する、標高;774mの山である。[1] [2]

なおこの項では、同名の「女体山」など周辺のピークも合わせて説明する。

女体山は、「讃岐山脈」の東部にある山であるが、むしろ四国八十八か所 結願(けちがん)の寺(88番目の寺)である「大窪寺」(おおくぼじ)のすぐ近くにある山として、よく知られている。「大窪寺」にお参りする際には、「大窪寺」の背後を守っているかのようにそびえており、借景のようにもみえる。なお中腹には「大窪寺」の「奥ノ院」もあり、「大窪寺」とは関連の深い山である。[1] [2] 

なおこの山は「四国百名山」の一つに選定されている。[2]

 女体山の名前の由来としては、後述の「民間伝承」の項にあるように、里の女性が亡くなった後 「水の神」となってこの山に鎮座したから、という民間伝承や [2] 、讃岐平野から見た姿が 女性が寝ている様に見えるから、など諸説あるが、いずれも根拠が不明瞭で民間伝承の域を出ず、はっきりした由来は解らない。

 「讃岐山脈」の主稜線の大部分は、香川県徳島県との分水嶺となっているが、この「女体山」一帯は、地理的には、その分水嶺が不明瞭となっており、南側の山塊との間は「大窪寺」のある谷状地形となっているため、なかば独立した山塊を形成している。

この女体山を含む一帯は、地理院地図で見ると、西から順に「矢筈山」(やはずやま;789m)、「女体山」(774m)、同名の「女体山」(三角点ピーク;761.6m)、「東女体山」(673.3m)と、似たような標高の小ピークが連なっている。[3]

一般的には、「大窪寺」からの登山道の終点となっていて「女体宮」(「女体神社」とも呼ぶ)というお社がある、774mピークを「女体山」の山頂とすることが多いが、三角点のあるほうの「女体山」(三角点ピーク;761.6m)にも、頂上に「女体山」の表示と、こちらも「女体宮」のお社がある。[1] [2]

なお「東女体山」は、整備された登山道がなく、藪のなかにある。

「女体山」の西にある峰は、名前は「矢筈山」であり、「女体」という名前ではないが、「女体山」(744mピーク)とは直線距離でわずか500mしか離れておらず、姉妹峰のようにもみえる。北側の讃岐平野側からは最も目立つ形状をしたピークでもある。[1] [3] 

 これらの峰々のうち、「女体山」(774mピーク)と、「矢筈山」は 香川県 さぬき市(旧;長尾町)に属する。「女体山」(三角点ピーク)は、さぬき市(旧;長尾町)と香川県 東かがわ市との境界部に位置する。「東女体山」は東かがわ市に属する。 [3]

 このうち「女体山」(三角点ピーク)には、四等三角点が設置されている。公式名称は(「女体山」ではなく)「北ケ原」、標高値は、761.60mである。また「矢筈山」には、一等三角点が設置されている。公式名称は「矢筈山」、標高値は、787.40mである。「東女体山」にも四等三角点が設置されている。公式名称は「東女体山」、標高値は、673.32mである。[4] なお「女体山」(744mピーク)だけは三角点が設置されていない。

信仰

「女体山」は、四国八十八か所霊場 結願の地である「大窪寺」のすぐ裏手にそびえており、その中腹には「大窪寺」の「奥ノ院」がある。山頂へ至る登山道も「大窪寺」の境内から始まる。[1]  従ってこの山は、「四国八十八か所」信仰、「大窪寺」信仰と大きく関係した、「信仰の山」と言える。なお「大窪寺」のご本尊は「薬師如来」である。

 一方で、後述の「民間伝承」の項に示すように、この山の北側の讃岐平野の人々では、「里の女性が亡くなった後、水の神となり、その後、この山の山頂に鎮座し、雨乞いの神として祀られ信仰された」、と言う民間伝承がある。[2]  これは前記の「四国八十八か所」とは別系統の信仰だが、この点からも、この山は「信仰の山」と言えよう。

登山ルート

一般的に良く使われる登山ルートは、南側の「大窪寺」からのルートである。やや急な登りが続くが、「四国のみち」として、よく整備された登山道である。また途中には登山道から少し離れた場所に「大窪寺・奥の院」がある。そこを過ぎてさらに登っていくと、「女体山」774mピークのすぐ脇の林道にでる。[2]

その他には、北側からの古くからの雨乞い信仰に関係した登山ルートがある。「道の駅ながお」付近が登山口で、そこから「四国のみち」として整備された道を登っていき、「女体山」774mピークに着く。[1]

「女体山」のうちもう一つの「女体山」三角点ピーク(762m)へは、前述のピークから、稜線沿いに続く林道を東へ進むと数十分で着く。こちらには展望台もあり、周辺の景色が眺められる。[2]

なお北側のさぬき市(旧;長尾町)から、「矢筈山」の山頂近くを通り、「女体山」(774mピーク)山頂部を経由し、「女体山」(三角点ピーク)へと、稜線部に車道が通じており、その先は南側の「大窪寺」付近へと至る。

地質

讃岐山脈」の大部分は、「和泉層群」(いずみそうぐん)と呼ばれる、「白亜紀」後期末に海に堆積した「砂岩」、「泥岩」、「礫岩」などからなる。[5]

 しかし、この「女体山」とその一帯の山塊は、「讃岐山脈」の主軸からやや北側に位置しているため、「和泉層群」の分布域から外れており、讃岐平野に多い、「白亜紀」後期の「花崗岩」からなる。「大窪寺」周辺も、同じくこの「花崗岩」分布域である。[5]  [6]

民間伝承

山名の由来に関係した、以下のような民間伝承が、北側のさぬき市(旧 長尾町)にある。[7]

<さぬき市造田地区に伝わる女体山の話>

『 昔、志度湾に玉取(海女の玉取伝説)にきた藤原房前(中臣鎌足の孫)にお伴をした女官がいた。

この女官は房前が都へ帰った後も志度にとどまって、漁師について海女の業を習っていた。女官はあるとき一人の漁師に襲われ、さらには病気になったことから嘆いて津田地区の雨滝山にこもったが、ここも浜から近く、海の匂いがすることから、匂いを嫌って造田地区の青木に移り住んだ。

やがて女官は造田の土民と結婚したが、女官の肌は普通の人と違っていたため人から「女体さん」と呼ばれるようになったという。その後久しくして男の子が生まれた。この子は成長ののちに励んでよく働いたが、田畑の水不足に悩まされることが度々あった。母はこれをあわれんで「われ百歳ののち、水神となって農家に水利の便を与えん」と願いをかけた。

母の死後、遺体を青木の山に葬って祠を建てた。生前の念願のためか干ばつの際、土民が集まって「青木女体」に雨を念ずると必ず降ったという。しかし、この青木山では不敬なことが多いため、後に長尾の八幡池(宇佐八幡宮-宮池)の東にある山頂に女体神社として遷宮したが、この女体神社に念ずる人が多く、再び東讃きっての高峰、矢筈山の東に移して祀るようになったという。』

以来この山を女体山と呼ぶようになった、という。なお女体山の山頂部には前述の青木女体神社と石田女体神社の2社がある。また女体山のふもと、前山地区の中津地域には女体神社第1の鳥居がある。

ギャラリー

脚注

参考文献

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