篠山 (高知県・愛媛県)
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 篠山 | |
|---|---|
|
南側から望む | |
| 標高 | 1,065 m |
| 所在地 |
愛媛県愛南町・ 高知県宿毛市 |
| 位置 | 北緯33度03分21秒 東経132度39分33秒 / 北緯33.05583度 東経132.65917度座標: 北緯33度03分21秒 東経132度39分33秒 / 北緯33.05583度 東経132.65917度 |
| 山系 | 四国山地 |
篠山(ささやま)は、四国の南西部、愛媛県と高知県との県境に位置する、標高;1065mの山である。[1]
この山は、「日本三百名山」の1つに選定されている。[2] また「四国百名山」の1つにも選定されている。[3]
更に、山頂部付近だけであるが、「足摺宇和海国立公園」の一部に指定されており、山頂部付近は、アケボノツツジ、シャクナゲなどの自然が豊かである。[1] [2] [3]
この山は、四国の南西部、高知県 宿毛市(すくもし)と、愛媛県 愛南町(あいなんちょう)との境にある山で、「四国山地」の他の山々とはやや独立した感じの位置にある。[1] [2] [3]
この山の名称は、古くは山頂部の形状から、「矢筈山」(やはずやま)とも呼ばれていたというが、その後、現在の「篠山」と呼ばれるようになったという。[1]
「篠山」という名前の由来は定かではないが、笹が多い山であったから、ともいう。
後述の通り、この山は8合目より上は自然林が豊かで、また山頂部からは良い展望が得られ、眼下には宇和海、宿毛湾、土佐湾、北には宇和海市に近い「鬼ヶ城山系」、また遠望が利く日には、西方遥かに九州が望める。[1] [2] [3] [4]
山岳信仰
この山は、この一帯では標高が高く、周辺地域から目立つ山であることもあり、古くからの信仰の山、霊山でもあった。[1] [2] [3] [4]
古くは飛鳥時代の「用明天皇」の頃に、山頂部に「篠山権現」(ささやまごんげん)と「観世音菩薩」(かんぜおんぼさつ)が祀られた、という民間伝承がある。[3] [4]
このうち「観世音菩薩」を祀っていた「観世音寺」には、弘法大師(空海)も訪れた、との伝承もある。[4]
特に江戸時代には、この「観世音寺」は、「四国八十八カ所霊場;番外札所」として参詣者が多かったというが、明治政府の神仏分離令に伴い廃寺となり、現在はその跡が残っているだけである。[1] [2]
江戸時代には、愛媛県側、高知県側とも周辺地域の人々からの信仰が篤く、愛媛県側の南部(南予地方)では、「お篠参り」(おささまいり)と称して、この山に詣でる習慣があった、ともいう。 [2] [3]
現在は山頂部に、元の「篠山権現」が明治期に転じた、「篠山神社」のみが残されている。車道が8合目まで通じたことから、高知県側、愛媛県側の麓からあった、かつての参詣道も、自然に還りつつある。 [1] [2] [3]
領地争い
この山をめぐっては、古くは室町時代から「伊予国」と「土佐国」との領地争いの場となり、特に江戸時代に入ってからは、この山の森林資源などをめぐって、土佐藩(高知側)と、宇和島藩(愛媛側)とが激しい領地争いをした。そのため江戸幕府が仲介役となり、1659年(万治2年)に、この山を両者の共有地とし、神社の神主は「土佐藩」から、「別当」(べっとう)は「宇和島藩」から出すということで、ひとまず落ち着かせた。[2]
最終的には、明治期に入ってから、1873年(明治6年)[注釈 1]に、愛媛県知事、高知県知事立ち合いの元で、山頂に現在もある県境の碑を建て、ようやく領地争いが決着した。[2]
その際に建てられた山頂部の石碑には、「北 土佐国境・南 伊予国境」と刻まれている。[1]
自然、植生
「篠山」は、「足摺宇和海国立公園」に指定されてはいるが、実はその範囲は頂上部付近の狭い部分だけである。[6]
実際にも8合目より下部は、自然林は伐採され、大部分がスギなどの人工林と化している。[3]
しかし、8合目から山頂部までは原生林が残されている。特に、春から初夏に咲く「アケボノツツジ」、「シャクナゲ」が多いことで知られている。ただし「アケボノツツジ」は、近年は樹勢が衰え気味の為、一部は立ち入り禁止となっている。[1] [2]
上部は常緑広葉樹、常緑針葉樹が多く、優占種は「アカガシ」、その他、「ヒメシャラ」、「コウヤマキ」、「ハリモミ」などの樹々がある。特に「ハリモミ」は、四国の他の山では見ることが無く、この山にのみ確認されている、貴重な植生である。 [1] [2] [3]
