中津明神山
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| 中津明神山 | |
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大川嶺中腹から望む中津明神山 | |
| 標高 | 1,540.6 m |
| 所在地 | 愛媛県久万高原町・高知県仁淀川町 |
| 位置 | 北緯33度34分32秒 東経133度02分48秒 / 北緯33.57556度 東経133.04667度座標: 北緯33度34分32秒 東経133度02分48秒 / 北緯33.57556度 東経133.04667度 |
| 山系 | 四国山地 |
中津明神山(なかつみょうじんさん)は、「四国山地」の西部、愛媛県と高知県との県境部に位置する 、標高;1541mの山である。[1]

中央遠方には石鎚山を望む
「四国山地」西部では、標高が1500mを越える山は数が少ないが、この「中津明神山」は1500mを越えており、仁淀川(によどがわ)をはさんで西側にある「大川嶺」(おおかわみね)と対峙し、膨大な山容を呈している。 また端正な三角形の形状をしており、頂上部に巨大な白いレーダードームが出来たため、例えば石鎚山などからも良く見え、遠方からでもよく目立つ山である。[1]
この山の名前は、一般的には、「中津明神山」と呼ばれているが、中津山(なかつさん)あるいは明神山(みょうじんさん)とも呼ばれ、国土地理院の地形図には、「中津山(明神山)」と表記されている。 元々、愛媛県側(旧;柳谷村 中津地区、現;久万高原町、この山の南麓)では、「中津山」と呼ばれ、高知県側(旧;吾川村、現;仁淀川町、この山の東麓)では、「明神山」と呼ばれていた、ともいう。[2]
この山の東側には「中津渓谷」があり、高知県の「中津渓谷県立自然公園」に指定されている。渓谷沿いに遊歩道などが整備されている。[3]
この山の山腹部には、ブナやミズナラなどの自然林が多い。また、東側の中腹部には、かつてスキー場として開発された場所があり、その後、「吾川(あがわ)スカイパーク」として、パラグライダーを楽しめる場所となっている。 [4]
標高 約1,300m付近を過ぎると一面の笹原となっており、「ダイセンミツバツツジ」や「コツクバネウツギ」などの低木が見られる。また、笹原の中に、初夏から夏にかけては、「ササユリ」、「ツリガネニンジン」、「イヨフウロ」など、晩夏から秋にかけては、「リンドウ」、「アキノキリンソウ」などの花を見ることもできる。[2] [5]
山頂部には、大きな鳥居、「明神様」を祀った2つの祠や、「蔵王権現」の仏像などがあり、古くから、周辺の人々の信仰の対象であったことを偲ばせる。[1] [2]
また山頂部には、一等三角点が設置されている。公式名称は山名と同じく「中津明神山」、標高値は、1540.61 mとなっている。 [6]
山頂部には、国土交通省の雨量観測所として、白い巨大なレーダードームが設置されている。この白いドームは周辺の山々からも良く目立つ。
上記のレーダードームがややじゃまであるが、笹原の為、山頂部からの見晴らしは良く、西側には間近に「大川嶺」が、南側には「天狗高原」、「五段高原」、「大野ヶ原」など「四国カルスト」の一帯が見えるほか、北には「石鎚山」をはじめとする「石鎚山脈」の山々が望める。さらに、遠望が利く日には、東の方はるかに「剣山地」など四国山地の主な山々を望めることもある。 [1] [2] [5]
登山ルート
東側(仁淀川町側)の麓から、「高知県道363号 中津公園線」が山頂まで通じており、幅は狭いが舗装されており、車で山頂まで行くことができる。
車道が頂上部まで通じている為、歩いて登山する人は比較的少ないが、愛媛県側からだと、中津地区の上部へ続く林道からの、古くからの登山道がある。但し、登山口までの林道は未舗装でやや悪路である。[5]
地質
「中津明神山」とその周辺では岩場がほとんどないので、直接的に構成している地質体を確認することは難しいが、詳しい研究によると、この一帯の地質構造は、かなり複雑であることが判明している。
まず「中津明神山」の山頂部や中腹部のうち上部は、「苦鉄質 千枚岩」という弱く変成作用を受けた変成岩が分布している。また中腹部の下部や、「中津川」沿いは、「泥質 千枚岩」や「変成チャート」という、「苦鉄質 千枚岩」と同様に、弱く変成作用を受けた変成岩が分布している。[7]
これらの変成岩類の変成ピーク時代は、「白亜紀」の「アルビアン期」から「古第三紀」の「暁新世」の間とされ、北隣の「三波川帯」の変成岩が高圧型の変成作用を受けた時期と同じであるが、変成度が異なる。[7]
これらの地質体はまとめて、「中津川ユニット」と呼ばれており、変成作用を受ける前の原岩は、「ジュラ紀」の「付加体」と考えられている。[8]
また、「中津明神山」山頂部からみて南東側に、標高1234m、及び1175mの、2つの小ピークがあるが、この一帯には、「泥質 千枚岩」や「大理石」(結晶質石灰岩)といった弱く変成作用を受けた変成岩が分布している。しかしその変成ピーク時代は、「トリアス紀」後期から「ジュラ紀」後期であり、前述の「中津明神山」本体を構成している変成岩類とは別の時代に変成作用を受けた、別個の地質体である。[7] [8]
この地質体はまとめて、「吾川ユニット」と呼ばれており、変成作用を受ける前の原岩は、「ペルム紀」の「付加体」と考えられている。[8]
この「吾川ユニット」と呼ばれている地質体の位置付けについては研究者によって見解が異なり、コンセンサスは得られていない。一例としては、「ジュラ紀の付加体」である「中津川ユニット」の上に、スラスト断層(衝上断層)によって移動してきてのし上がった、「クリッペ」状地質体、という見方もある。[8]
