東三方ヶ森
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高縄山地は、愛媛県の中部、直径 約50kmのドーム状の形状をして、標高900~1200m台の山がある山地であるが、そのうちこの「東三方ヶ森」は、標高的には最高峰となっている。
しかし、この山地にある「高縄山」、「楢原山」などと比べ、麓からも目立たず、登山道も荒廃ぎみであり、あまり登られていない。山頂部も樹々が生い茂っており、展望はほとんどない。この山の大部分が、スギなどの人工林となっているが、尾根沿いの一部には、ヤマザクラやシャクナゲなどの自然林が多少残されている。 [1] [2]
南面は、松山平野を潤して瀬戸内海へ注ぐ、重信川(しげのぶがわ)の源流部となっており、その一部は「阿歌古渓谷」(あかごけいこく)と呼ばれ、いくつかの滝がある。ただし、そこを通る登山道が荒れているため、訪れる人は少ない。[1] [2]
登山ルート
地質
「高縄山地」(高縄半島)は全体的に、「白亜紀」後期の花崗岩類が大部分を占めており地質構成としてはやや単調であるが、日本の地帯(地体)構造区分的には、「領家帯」(りょうけたい)に属し、山地の南部には、「領家変成岩類」と呼ばれる変成岩も分布している。[3] [4] [5]
高縄山地の南東部にある、この「東三方ヶ森」は、あまり注目される山ではないが、以下に説明するように、地質学的にはバラエティーに富んだ山といえる。
まず山頂部およびその北側は、花崗岩類の一種、「白亜紀」後期の「花崗閃緑岩」からなる。[3] [4]
一方、上記の登山ルートがある山体の南側は、「領家変成岩類」が、標高 約1100mから約700m付近まで比較的広く分布している。具体的な岩石の種類としては、分布域の北側では、相対的に高変成度の「泥質片麻岩」、「泥質片岩」が分布し、分布域の南側では相対的に低変成度の「粘板岩」が分布している。変成ピーク年代は、「白亜紀」後期から「古第三紀」の「暁新世」の間と推定されている。[3] [5]
また、その「領家変成岩類」分布域より南側の山麓部は 標高約700mから約400m付近まで、「和泉層群」(いずみそうぐん)に属する砂岩、礫岩が、東西方向に細長く分布している。[3]
「和泉層群」は海成の堆積層であり、堆積時代は「白亜紀」後期末の「カンパニアン期」から「マーストリヒチアン期」と推定されている。[6]
その他
- 1979年10月5日、「東三方ヶ森」の北側で、林道の測量業者がバラバラになった飛行機の機体の部品と遺骨の一部を発見。後日、機体は1973年2月11日に行方不明となっていたセスナ機(乗員・乗客3人)であることが確認された[7]。

