大川嶺
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| 大川嶺 | |
|---|---|
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笠取山(左)と大川嶺(右奥) | |
| 標高 | 1,525.2 m |
| 所在地 | 愛媛県久万高原町・内子町 |
| 位置 | 北緯33度33分52秒 東経132度55分22秒 / 北緯33.56444度 東経132.92278度 |
| 山系 | 四国山地 |
大川嶺(おおかわみね)は、「四国山地」の西部に位置する、標高;1525mの山である。[1]
「大川嶺」と隣接する「笠取山」(かさとりやま)などを含めて、一帯は高原状の大きな山塊を形成しており、まとめて「大川嶺連峰」(おおかわみねれんぽう)と呼ぶ場合もある。[2]
また地元 愛媛県のハイカーや登山者は、この高原状の山塊全体の通称として、「大川嶺」と呼ぶこともある。以下ではこの山塊全体を、説明の為に「大川嶺連峰」と称する。
「大川嶺」を含む、ここでいう「大川嶺連峰」は、なだらかな高原状の山容であり、「大川嶺」のほか、その南側に、この連峰の最高峰、「笠取山」(かさとりやま、標高;1,562m)、「大川嶺」の北東側に、「美川嶺」(みかわみね、標高;1,520m)、「笠取山」の東側に、「ウバホド山」(標高;1,482m)と、似たような標高の、複数の山頂部をもつ。[1]
「大川嶺連峰」は、その高原状の地形や、隣接する「四国カルスト」、「中津明神山」なども、1400~1500m台の似たような標高をもつことから、「隆起準平原」とも考えられている。[2] ただし明確な証拠はない。
なお、「大川嶺」という山名は、ここでいう「大川嶺連峰」の北側、「美川」地区にある「大川」という地名に由来する、という。[1]
この「大川嶺連峰」は、高原状の地形で樹木が少なく、笹の草原が広がっている為、眺めは良く、「大川嶺」の山頂部などからは、東側に「中津明神山」(なかつみょうじんやま、標高;1541m)、南側には「四国カルスト」に属する「大野ヶ原」(おおのがはら、標高;約1200~1300m)から「五段高原」(ごだんこうげん、標高;約1400m)あたりを間近に望める。また北東から北側には、「石鎚山脈」の「石鎚山」、「筒上山」、「皿ヶ峰」などが望める。[1]
なお「大川嶺連峰」から「四国カルスト」一帯は、愛媛県の「四国カルスト県立自然公園」に指定されている。[3]
「美川嶺」から「笠取山」まで続く稜線沿いは笹原であり、5月には「ツルギミツバツツジ」が開花する。また「大川嶺」から「笠取山」の頂上部は、草原状の為、初夏から夏には、シコクフウロ、コオニユリ、シモツケソウ、マイヅルソウ、ナデシコなどの高原の花々が咲く。[1] [2]
一方で東側山腹の「伊豆ガ谷」という場所には、ブナやミズナラの原生林が残っている。また西側は深い渓谷を形成し、「小田深山渓谷」(おだみやまけいこく)と呼ばれる、紅葉の名所となっている。
この「大川嶺連峰」は、なだらかな山容を生かして、1990年代までは、牛の放牧も行われていた。また、この連峰の一部にはかつて、四国のスキーの発祥地でもあり、四国一の規模を誇っていた「美川スキー場」があって、1990年代頃まではスキーヤーで賑わっていたが、2014年に営業停止となった。[1]
「大川嶺」山頂には二等三角点がある。公式名称は「大川山」、標高値は1525.19mである。[4]
他にこの一帯では、「笠取山」山頂に三等三角点「笠取山」(1562.10m)、「ウバホド山」山頂に四等三角点「伊豆ケ谷」(1481.84m)、「美川嶺」山頂付近に電子基準点「美川」(1509.51m)、その南東側の峰に、四等三角点「美川嶺」(1516.76m)が設置されている。[4]
登山ルート
地質
「大川嶺」を含む、ここでいう「大川嶺連峰」の地質構造や位置付けは、やや複雑である。
地質図で見ると、「大川嶺連峰」は、「泥質千枚岩」、「変成チャート」、「変成玄武岩」といった、原岩が「付加体」と推定され、やや弱い変成作用を受けた高圧型変成岩が、東西方向に何本もの帯状に分布している、という地質構造をしている。 また変成ピーク時代は、「白亜紀」の「アルビアン期」から、「古第三紀」の「暁新世」、とされている。[5]
日本の地帯(地体)構造区分では、このゾーンの北側に位置する「石鎚山脈」が、高圧型変成帯である「三波川帯」に区分されているが、このゾーンの地質体も、変成度は低いものの、高圧型変成岩であり、変成ピーク時代も「三波川帯」の変成岩と同じである。[5]
但し、このゾーンの地質体を、「三波川帯」に含めるか、あるいはその南側の、主に「ジュラ紀」の「付加体」からなる「秩父帯」のうち弱変成ゾーンとするかなど、研究者によって見解が異なり、明確にはなってない。[6] [7] [8] [9]


