鹿児島茶
From Wikipedia, the free encyclopedia
特徴
歴史
鹿児島県における茶の栽培は鎌倉時代初期に平家の落人が阿多白川(南さつま市)にもたらしたとする言い伝えがあるが、記録として残っているのは元応年間(1319年から1320年)に宇治(宇治市)から来た寺の住持が吉松(湧水町)の般若寺で栽培したものが最初である。
江戸時代に薩摩藩が茶の栽培を奨励し藩内各地で栽培されるようになった。当時の主な産地は阿久根(阿久根市)から吉松にかけての鹿児島県北部地域が中心であり、主として田の畦や屋敷の生け垣で栽培された。江戸時代後期に編纂された薩摩藩の地誌『三国名勝図会』には阿久根、吉松、都城に産するものが名品とされている。
日本の開国をきっかけとして輸出用茶葉の栽培が盛んになり、特に薩摩半島南部と曽於市付近で多くの茶畑が開墾された。明治初期において粗悪品が流通し問題となったため明治20年(1887年)に鹿児島県茶業組合が結成され品質向上が図られることになった。明治初期から1950年代にかけて紅茶用の茶葉の栽培が試みられたが定着しなかった。その後安価な海外製品に太刀打ち出来ず、苦しい状況に追い込まれ、1960年代に緑茶に転換[4]。
昭和40年(1965年)頃から本格的な増産が行われたが、もともと鹿児島茶の知名度が低かったため単独では市場に受け入れられず、もっぱら静岡茶などの他県産のブレンド用として生産された[5]。昭和60年(1985年)頃から地域ブランドとしての販売戦略が強化されている。
昭和39年(1964年)6月3日に発足した鹿児島県緑茶生産協会が、後に鹿児島県紅茶生産協会と合併して、昭和46年(1971年)に鹿児島県茶生産協会が発足し、昭和47年(1972年)7月1日に社団法人として認可されているが、鹿児島県茶生産協会による事業の一環として、消費者に安全、安心、信頼を与えるため鹿児島県の茶業関係者全体で取り組む茶づくりの運動が「クリーンなかごしま茶づくり運動」として始まった平成5年(1993年)から、かごしま茶というブランド名が用いられるようになった[6]。平成9年(1997年)には、八十八夜にちなみ輝きを8本の光にアレンジした朝日、桜島、茶畑、錦江湾に映る影をイメージしたシンボルマークが、かごしま茶を広くアピールする目的で商標登録され、鹿児島県茶業会議所が定めた標章茶規格基準に合格した茶については、シンボルマークが表示され販売されている[7]。
2000年代以降は需要が拡大するペットボトル飲料用向けに力を注ぎ、年に複数回収穫や平地を生かした機械化による大量生産[5]、官民一体で効率的生産体制の整備やスマート農業の実用化をするなど生産量及び栽培面積を年々増やしている[4][8]。
普及活動
平成22年(2010年)からは、年間を通して全国各地の様々なイベントに出店し、鹿児島茶の入れ方についてのアドバイスや、鹿児島県の郷土菓子1個と急須で淹れた温かい鹿児島茶1杯が楽しめる「煎茶セット」[注釈 2]を100円という安価で提供している「かごしま百円茶屋」が行われており、そのシンボルマークも、平成23年(2015年)に商標登録された[7]。
霧島茶のPRを行う霧島市公式ご当地キャラクター・茶ノミコト、知覧茶のPRを行う南九州市公式ご当地キャラクター・お茶むらい、かごしま茶のPRを行う鹿児島県公式ご当地キャラクター・
南九州市頴娃町牧之内にある「畑の郷
専門店
- すすむ屋茶店(鹿児島、東京)