兕
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概説
『論語』や『荘子』といった先秦の様々な文献で、「虎」や「蛟」(蛟竜)と並ぶ猛獣の代名詞として言及される[2]。
『爾雅』郭璞注などによれば、一本角で、色は青(青黒[3])、重さは千斤だった[2]。
『山海経』によれば、兕は「犀」などと一緒に中国内外各地に生息していた[4]。『爾雅』本文によれば、兕が牛に似ているのに対し、犀は豚に似ていた[4]。
兕は楚国と縁が深い[5]。『古本竹書紀年』によれば、周の昭王が楚に南征に訪れた際、大兕に遭遇したという[6]。また様々な文献において、楚の君主が雲夢の地で御狩する猛獣として登場する(例:『公孫龍子』跡府篇などに伝わる「楚弓楚得」説話、『戦国策』楚策一、『楚辞』招魂[7])。
『周礼』考工記などによれば、兕や犀の皮革は甲冑の材料として利用されていた[8]。『荀子』議兵篇などによれば、そのような用法は楚人の慣習だった。
受容
正体
兕觥

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『詩経』には「兕觥」(じこう)という酒器がしばしば出てくる[12]。現代の中国考古学において、「兕觥」は怪獣の身体を模した注酒器を指す。これは民国初期の王国維が、宋代の古物図録『続考古図』の説を採用したことに由来する[13][14]。
しかしながら、「兕觥」は本来、怪獣の身体ではなく兕の角を模した角杯・リュトンのような、円錐形の飲酒器を指していた、とする説もある[12][14]。清代の古物図録『西清続鑑』[12][15]や『金石索』[16]には、円錐形の兕觥の図が載っている。
『詩経』に出てくる兕觥は、罰爵、すなわち饗宴の際に礼を失った者に罰として飲ませる杯だった(『詩経』周南・巻耳の鄭玄箋)[12]。青木正児はその理由について、あたかも日本の可杯のように、円錐形であるがゆえに飲み干すまで置けない(置いたら倒れる)ためだったと推定している[12]。
