菊枕 (松本清張)
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お茶の水高等女学校を卒業し美貌にも恵まれたぬいは、明治四十二年、三岡圭助と一緒になったが、美術学校卒業にもかかわらず、野心や覇気とは無縁の夫がいっこうに画壇に出ようとしないのに失望し、軽蔑を覚える。ぬいは趣味で俳句をはじめたが、女流俳句の新しい秀絶であると評され、大正六年頃から、当代随一の俳匠である宮萩栴堂が主宰する『コスモス』に投句しはじめ、やがて巻頭をたびたびとり、天下の俳人にその名を知られるようになった。大正八年頃には栴堂はぬいの太陽となり、栴堂に会わないかという手紙がくると、上京して栴堂を訪ね、一生の感激だと栴堂信者になって帰ってきた。栴堂が以前脳溢血をやったと知ると、菊枕を作って栴堂に呈した。しかし、ぬいの自負の強さは栴堂の周囲から顰蹙され、排斥される。
ぬいは昭和十年頃から神経に苛立ちが感ぜられ、様子が変わった。『コスモス』に投稿しても載らなくなった。栴堂に手紙を毎日のように書いたが返事はめったになく、昭和十一年、外遊に出る栴堂に会おうとするが、ぬいは『コスモス』同人を除名される。その後もぬいはしきりと栴堂に手紙を出したが、終わりになるほど常態を失い、昭和十九年、ぬいは精神病院にはいった。ある日、圭助が面会に行くと、非常によろこび「あなたに菊枕を作っておきました」と言って嚢をさしだした。圭助は、狂ってはじめて自分の胸にかえったのかと思った。ぬいは昭和二十一年に病院内で死んだ。