菊枕 (松本清張)

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日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
菊枕
『文藝春秋』掲載の『菊枕』
『文藝春秋』掲載の『菊枕』
作者 松本清張
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
発表形態 雑誌掲載
初出情報
初出文藝春秋1953年8月
出版元 文藝春秋新社
刊本情報
収録 『戦国権謀』
出版元 文藝春秋新社
出版年月日 1953年10月10日
装幀 末松正樹
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菊枕』(きくまくら)は、松本清張短編小説。『文藝春秋1953年8月号に掲載され、同年10月に短編集『戦国権謀』収録の1編として、文藝春秋新社より刊行された。サブタイトル「ぬい女略歴」が付されている。

お茶の水高等女学校を卒業し美貌にも恵まれたぬいは、明治四十二年、三岡圭助と一緒になったが、美術学校卒業にもかかわらず、野心や覇気とは無縁の夫がいっこうに画壇に出ようとしないのに失望し、軽蔑を覚える。ぬいは趣味で俳句をはじめたが、女流俳句の新しい秀絶であると評され、大正六年頃から、当代随一の俳匠である宮萩栴堂が主宰する『コスモス』に投句しはじめ、やがて巻頭をたびたびとり、天下の俳人にその名を知られるようになった。大正八年頃には栴堂はぬいの太陽となり、栴堂に会わないかという手紙がくると、上京して栴堂を訪ね、一生の感激だと栴堂信者になって帰ってきた。栴堂が以前脳溢血をやったと知ると、菊枕を作って栴堂に呈した。しかし、ぬいの自負の強さは栴堂の周囲から顰蹙され、排斥される。

ぬいは昭和十年頃から神経に苛立ちが感ぜられ、様子が変わった。『コスモス』に投稿しても載らなくなった。栴堂に手紙を毎日のように書いたが返事はめったになく、昭和十一年、外遊に出る栴堂に会おうとするが、ぬいは『コスモス』同人を除名される。その後もぬいはしきりと栴堂に手紙を出したが、終わりになるほど常態を失い、昭和十九年、ぬいは精神病院にはいった。ある日、圭助が面会に行くと、非常によろこび「あなたに菊枕を作っておきました」と言って嚢をさしだした。圭助は、狂ってはじめて自分の胸にかえったのかと思った。ぬいは昭和二十一年に病院内で死んだ。

モデルと目される人物

本作はフィクションであり、時系列や設定など、実在の人物とは異なる虚構が含まれている。

エピソード

舞台版

脚注

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