日光中宮祠事件 (松本清張)
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岡本綺堂『半七捕物帳』の愛読者である私は、雑誌『捜査研究』に掲載された日光市の一家無理心中事件の小さな紹介に興味を持ち、東京近県の県警察本部刑事部長のK氏とその部下の吉田警部に古い料亭で会い、長い話を聞きはじめる。
1955年の夏、三人組の強盗傷害事件が発生し、久喜警察署の捜査本部で事件に従事、主犯の新井志郎を調べるうちに、続々と未解決事件を自供する。するとある日、犯行記事を見た日光市の隆円寺の住職・加島竜玄が駆けつけ、1946年5月4日に起きた親戚の無理心中事件と手口が似ているので、取り調べてもらいたいと云う。日光市中宮祠の飲食店兼旅館業の芦尾厳市が、家族五人を殺し家に放火して無理心中したとされるこの事件は、町の人も殺人放火だと噂したくらいであるが、住職自ら資料を集め地検あてに嘆願書を出したものの、捜査のやり直しはされなかった。
当時所轄の日光警察署は、芦尾厳市による一家心中事件と断定していたが、加島竜玄の申告にもっともなところがあると思ったK捜査一課長(当時)は、検察庁や地検から事件記録をとりよせて目を通し、警察署の捜査が最初から一家無理心中と規定し、面子の上から最初の方針に固執、違背するデータが外されているとの感を抱く。新井志郎に尋問すると、自分と金子という朝鮮人の共犯と述べるが、供述にあいまいで不審な点が多かったため、K捜査一課長、吉田警部補(当時)および福島孝平刑事は、事件の再捜査に乗り出す。