1975年シーズンのサンフランシスコ・49ers
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攻撃陣の迷走
1975年シーズンの49ersは、ディック・ノーランHC体制の8年目であり、最終成績5勝9敗でNFC西地区4位(最下位)に沈んだ。シーズン終了後、1970年代序盤の黄金期を築いたノーランHCが解任され、チームは再建に向けた大きな転換期を迎えることとなった。
攻撃陣は、リーグ21位の総得点255点(1試合平均18.2点)を記録。QBポジションは、この年ジャイアンツから加入したベテランのノーム・スニード(パス1,337ヤード、9TD)と、生え抜きのスティーブ・スパリアー(パス1,151ヤード、5TD)が先発の座を分け合ったが、いずれもチームを浮上させる決定力に欠けた[2]。
ターゲット陣では、エースWRジーン・ワシントンがチームトップの735ヤード、9TDを挙げ、依然として高い能力を証明した。地上戦では、2年目のデラヴィン・ウィリアムズがチーム最多の631ランヤードを記録し、後のブレイクを予感させる活躍を見せたが、オフェンシブラインの脆弱さもあり、攻撃全体が波に乗ることはなかった。
守備陣の限界
守備陣は、平均失点20.4点(リーグ15位)を記録。
フロントセブンでは、DEセドリック・ハードマンが孤軍奮闘を続け、自身3度目となるプロボウルに選出された。しかし、かつての中心選手であったラインバッカー陣の不在が響き、失点以上にラン守備で主導権を握られる場面が目立った。 セカンダリーでは、37歳となったCBジミー・ジョンソンが依然として全試合に先発出場し、驚異的なスタミナと技術を見せた。しかし、これがジョンソンにとっても現役最後のフルシーズン(翌1976年に引退)となり、一つの時代の終わりを感じさせるものとなった[3]。
直近のチーム成績
| 年 | 成績 | Con | 地区 | 勝 | 敗 | 分 | 率 | 地区 | Con | SOS | SOV | 平均得点 | 平均失点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1975 | レギュラーシーズン敗退 | 8位 | 2位 | 5 | 9 | 0 | .357 | 3-3 | 3-3 | .439 | .357 | 18.2 | 20.4 |
| 1974 | レギュラーシーズン敗退 | 8位 | 2位 | 6 | 8 | 0 | .429 | 4-2 | 4-2 | .480 | .310 | 16.1 | 16.9 |
| 1973 | レギュラーシーズン敗退 | 9位 | 3位 | 5 | 9 | 0 | .357 | 2-4 | 2-4 | .622 | .479 | 18.7 | 22.8 |
| 1972 | ディビジョナル敗退 | 3位 | 優勝 | 8 | 5 | 1 | .607 | 3-2-1 | 3-2-1 | .436 | .424 | 25.2 | 17.8 |
| 1971 | NFC決勝敗退 | 3位 | 優勝 | 9 | 5 | 0 | .643 | 2-4 | 2-4 | .510 | .476 | 21.4 | 15.4 |
| 1970 | NFC決勝敗退 | 2位 | 優勝 | 10 | 3 | 1 | .750 | 3-2-1 | 3-2-1 | .444 | .429 | 25.1 | 19.1 |
| 1969 | レギュラーシーズン敗退 | 4位 | 4 | 8 | 2 | .357 | 2-4 | 2-4 | .564 | .402 | 19.8 | 22.8 | |
| 1968 | レギュラーシーズン敗退 | 3位 | 7 | 6 | 1 | .536 | 2-3-1 | 2-3-1 | .543 | .352 | 21.6 | 22.1 | |
| 1967 | プレーオフボウル勝利 | 3位 | 7 | 7 | 0 | .500 | 3-3 | 3-3 | .528 | .388 | 19.5 | 24.1 | |
| 1966 | レギュラーシーズン敗退 | 4位 | 6 | 6 | 2 | .500 | 6-5-2 | 6-5-2 | .510 | .452 | 22.9 | 23.2 | |
| 1965 | レギュラーシーズン敗退 | 4位T | 7 | 6 | 1 | .536 | 6-5-1 | 6-5-1 | .534 | .425 | 30.1 | 28.7 | |