1976年シーズンのサンフランシスコ・49ers

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成績 8勝6敗
地区 NFC西地区2位
CON NFC6位
結果 レギュラーシーズン敗退
サンフランシスコ・49ers 1976
成績 8勝6敗
地区 NFC西地区2位
CON NFC6位
結果 レギュラーシーズン敗退
組織
オーナー ジョセフィーヌ・モラビト・フォックス
ジェーン・モラビト
GM ルイス・スパディア英語版
HC モンテ・クラーク英語版
ホーム キャンドルスティック・パーク
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1976年シーズンは、サンフランシスコ・49ersNFL27年目のシーズンであり、AAFC時代を含め31年目のシーズン。モンテ・クラークが1年だけヘッドコーチを務めたシーズン[1]

攻撃陣の変革

1976年シーズンの49ersは、新ヘッドコーチ(HC)に元マイアミ・ドルフィンズ助監督のモンテ・クラークを迎え、最終成績8勝6敗を記録した。1972年以来4年ぶりとなる勝ち越しを決め、前年の5勝9敗から大きく成績を改善させたが、強豪ひしめくNFC西地区においてプレーオフ進出を果たすことはできなかった。

攻撃陣では、シーズン開幕前にニューイングランド・ペイトリオッツから1971年のドラフト全体1位指名QBジム・プランケットをトレードで獲得した。プランケットはパス1,592ヤード、13タッチダウン(TD)を記録。16インターセプトを喫するなど荒削りな面も見せたが、チームに新たな活力をもたらした。

地上戦では、3年目のRBデラヴィン・ウィリアムズが1,050ランヤード、7TDを挙げ、球団史上4人目となる1,000ヤードラッシャーへと成長を遂げた。空中戦では、エースWRジーン・ワシントンがチーム最多の711ヤード、6TDを記録。また、この年ドラフト2巡目で加入した新人のTE バーニー・ケイシーらが新たなターゲットとして台頭した[2]

守備陣の躍進

このシーズンの最大の特徴は守備陣の劇的な改善である。クラークHCの下で守備ユニットはリーグトップクラスの堅守を誇り、平均失点13.6点はリーグ2位という驚異的な数値を記録した。

フロントセブンでは、DE セドリック・ハードマン(12.5サック)とトミー・ハート(16サック)の両エッジが猛威を振るい、当時のQBサックは非公式記録ながらリーグ最多級の計28.5サックを記録。また、セカンダリーでは殿堂入りコーナーバック(CB)のジミー・ジョンソンが16年目の現役最終シーズンを迎え、全14試合に先発出場して有終の美を飾った。ジョンソンはこの年を最後に引退し、背番号「37」は後に永久欠番となった[3]

シーズンの結果

チームは開幕戦から5連勝を飾るなど絶好のスタートを切ったが、シーズン後半に宿敵ロサンゼルス・ラムズにスイープを許すなど足踏みし、最終的にプレーオフ圏内には届かなかった。しかし、勝ち越しを達成し守備が再建されたことで、ファンはチームの復活に大きな期待を寄せた。ところが、シーズン終了後にクラークHCがフロントとの対立によりわずか1年で解任されるという不可解な人事が発生し、チームは再び混迷の時期を迎えた。

直近のチーム成績

49ers の当年及び近年のシーズン成績
成績Con地区地区ConSOSSOV平均得点平均失点
1976 レギュラーシーズン敗退6位2位860.5715-25-2.467.39319.313.6
1975 レギュラーシーズン敗退8位2位590.3573-33-3.439.35718.220.4
1974 レギュラーシーズン敗退8位2位680.4294-24-2.480.31016.116.9
1973 レギュラーシーズン敗退9位3位590.3572-42-4.622.47918.722.8
1972 ディビジョナル敗退3位優勝851.6073-2-13-2-1.436.42425.217.8
1971 NFC決勝敗退3位優勝950.6432-42-4.510.47621.415.4
1970 NFC決勝敗退2位優勝1031.7503-2-13-2-1.444.42925.119.1
1969 レギュラーシーズン敗退4位482.3572-42-4.564.40219.822.8
1968 レギュラーシーズン敗退3位761.5362-3-12-3-1.543.35221.622.1
1967 プレーオフボウル勝利3位770.5003-33-3.528.38819.524.1
1966 レギュラーシーズン敗退4位662.5006-5-26-5-2.510.45222.923.2

レギュラーシーズン

参照

外部リンク

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