ラジオ塔

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清水山公園(静岡市葵区)に残るラジオ塔

ラジオ塔(ラジオとう 旧仮名表記:ラヂオ塔[1])とは、放送事業者ラジオの普及を目的に、公衆にラジオ放送を聞かせるため、公園などの公共空間に設置した、ラジオ受信機を内部に収めたである。

素材は、木造、石造または鉄筋コンクリート造で、高さは約3メートルから5メートル、幅・奥行きは1.5メートル程度のサイズで建造された[2][3][4]。ラジオ受信機本体を塔内の空洞に収納する型[5]や、側面にスピーカー、外側にスイッチを配置している組み込み型[2][3][4][6][7]があった。この型では、「放送が十分間流れたあと、自動的に電源が切れる仕掛けになっていた[8]」。

歴史

ラジオ塔の起源は定かではないが、1926年(大正15年)3月20日から5月31日まで大阪市で開催された電気大博覧会第一会場において、「ラヂオ塔」が設置された記録がある[9][10][11]。また、同年7月1日から8月20日まで岡崎公園 (京都市)で開催された皇孫御誕生記念こども博覧会(大阪毎日新聞社主催)では、現在の京都市勧業館の位置にあった本館の屋上と中庭の2か所に「ラヂオ塔」が、本館から二条通を隔てて北東にあった第二会場に「大ラヂオ塔」がそれぞれ設置され、大拡声器をもって大阪放送局の無線電話を刻々に伝えることに成功した[12][13]

常設のラジオ塔は、社団法人大阪放送局を継承した社団法人日本放送協会(NHK)大阪中央放送局1930年昭和5年)6月15日大阪市天王寺公園旧音楽堂跡に初めて設置した[6]。正式名称は「公衆用聴取施設」である[5][7]

大阪中央放送局はこれ以前から、ラジオの加入者数の増加と解約者数の抑制を目的に、数々の施策を積極的に実施していた。加入者への戸別訪問によるアンケートの他、受信機器の普及・維持のための講習会や無料相談所を開設した。さらにプロモーション映画の製作と上映や、電車の車内広告・新聞などを利用して番組の告知なども行った[14]。そうした多くのプロモーション活動の中で最も効果的であるとされたのが、都市部の公園での拡声器の臨時設置によるラジオ放送であった[15]

1930年(昭和5年)3月、大阪中央放送局は「一般ノラヂオ知識ノ普及ヲ図」り「民衆ニ対スル教化、慰安、報道ノ使命ヲ如実ニ示」す事を理由に大阪市にラジオ塔の寄付を申請し、受理された[16]。大阪市側も天王寺公園の音楽堂を撤去し、ラジオ塔設置場所周辺の整備を行うなどして協力した[17]。それまでの公園などでのプロモーション活動では、臨時に設置した拡声器で放送局側が選んだ特定の番組を市民に聴取させていたが、この天王寺公園のラジオ塔は常設であり、聴取者が聞きたいときに聞けたことが、それまでの屋外でのラジオ放送と異なっていた[18]

天王寺公園のラジオ塔は好評で、甲子園で行われた全国中等学校野球大会の実況中継は特に人気を集めた[19]

1931年(昭和6年)には奈良市奈良公園神戸市湊川公園に、1932年(昭和7年)には京都市円山公園に設置[6]され、市民がいつでも自由にラジオが聴ける環境が整備されていった[20]。同年、ラジオ受信契約数が100万件を突破したことを機に、その記念事業の一つとしてラジオ塔を全国の公園等に50基建設することを計画[5][21]。こうしてラジオ塔は近畿地方以外へも普及していった。

1937年(昭和12年)の支那事変以降、政府はラジオを国民に重要事項を必聴させるためのメディアとして重要視し、「一戸一受信機」キャンペーンと共にラジオ塔建設が進めていった[22]。その結果1943年(昭和18年)までに、全国の公園、寺社、学校など450箇所以上[6]に整備された(後述)。NHKの寄付によって設置される例のほか、地元の有志の出資によって設置された例があった[6]。またNHKは、ラジオ塔の設置と並行して、鉄道省の主要駅構内にラジオ放送設備の設置を行った[23][24]

NHK設置のラジオ塔は、ラジオ体操スポーツ中継放送の際に広く用いられたとされる[6]

民間放送開始後の1955年(昭和30年)7月16日には、信越放送上田城跡公園にラジオ塔を設置している[25][26][27]

各家庭にラジオ受信機が普及したことで、次第に利用されなくなり、放置されたり、撤去されたりする例が相次いだが、現存しているものについては文化財として保全・活用する事例が出てきている。

外地での設置状況

日本政府・軍は外地住民に対して放送によってプロパガンダをおこなうため、各地にラジオ塔を建設した[28]。1934年(昭和9年)8月、台湾放送協会により台北新公園広場に台湾初のラジオ塔が建設された[28]。1939年(昭和14年)には、満州に20基のラジオ塔が設置された[28]。さらに南方だけで合計600基以上ものラジオ塔を設置する計画が立てられた[29]インドネシアジャワ島では人口1万人に1基を想定し、1944年(昭和19年)2月時点で1500基ものラジオ塔を建設したとされる[30]。またセレベス島ボルネオ島の海軍担当地域では130基以上を建設した[31]。一方フィリピンでは、コレヒドール島を拠点に日本軍に抵抗を続けるアメリカ・フィリピン軍が、短波ラジオで対日・対比放送を行っていたため、日本軍の命令で住民所有の受信機から短波帯の切断を実施。代わって市場などにラジオ塔を設置した[32]

この他、海南島[33]樺太にもラジオ塔が建設された[34]

ラジオ塔の所在地一覧

NHKのラジオ塔の所在地・設置年は日本放送協会(編)『ラヂオ年鑑』『ラジオ年鑑』[5][35][2][3][4][36][37][23][24][38]によった。『ラヂオ年鑑』『ラジオ年鑑』における所在地の記載は誤記が多いとみられている[39]が、明らかな誤り以外は修正せずそのまま引用している。自治体名は現時点のもの。

設置先の施設・土地自体が現存しない例や、計画のみで設置にいたらなかったかもしれない例も含む。

現存する、または復元されたものについては★を付す。これらは、形態のみのものがほとんどであり、中波(AMラジオ)放送の受信と拡声という本来の機能まで維持されているものは少ない。活用例については各箇条書き項目に特記。

設置当初のものは現存しないが設備としてのラジオ塔が依然利用されている例については■を付す。

北海道

1932年(昭和7年)設置
1933年(昭和8年)設置
1936年(昭和11年)設置
1938年(昭和13年)設置
1940年(昭和15年)設置
1941年(昭和16年)設置
設置時期不明

東北

1932年(昭和7年)設置
1939年(昭和14年)設置
1940年(昭和15年)設置
設置時期不明

関東

1932年(昭和7年)設置
1933年(昭和8年)設置
1934年(昭和9年)設置
  • 移動ラジオ塔 - 『ラヂオ年鑑 昭和8年版』に「必要に応じ各所へ臨時移動設置せむとする」計画が記述され、『ラヂオ年鑑 昭和9年版』以降の直轄管内欄に「移動用」と記載されている
1937年(昭和12年)設置
1938年(昭和13年)設置
1940年(昭和15年)設置
設置時期不明

北陸・甲信越

1932年(昭和7年)設置
1933年(昭和8年)設置
1937年(昭和12年)設置
1940年(昭和15年)設置
1955年(昭和30年)設置
設置時期不明

東海

1932年(昭和7年)設置
1933年(昭和8年)設置
1940年(昭和15年)設置
1942年(昭和17年)設置
設置時期不明

近畿

1930年(昭和5年)設置
1931年(昭和6年)設置
1932年(昭和7年)設置
1933年(昭和8年)設置
1935年(昭和10年)設置
1937年(昭和12年)設置
1938年(昭和13年)設置
1939年(昭和14年)設置
1940年(昭和15年)設置
設置時期不明

中国

1932年(昭和7年)設置
1933年(昭和8年)設置
1935年(昭和10年)設置
1936年(昭和11年)設置
1939年(昭和14年)設置
1940年(昭和15年)設置
設置時期不明

四国

1932年(昭和7年)設置
1933年(昭和8年)設置
1935年(昭和10年)設置
  • ★塩釜神社(香川県三豊市[140] - 現存[67][141]。1957年(昭和32年) 「流下式塩田竣功記念」の銘鈑貼付。地域の事業竣功記念のために設置されたラジオ塔はあるが、これはラジオ塔がのちに記念碑に転用された珍しい事例[142][143]
1939年(昭和14年)設置
1940年(昭和15年)設置
設置時期不明

九州・沖縄

1932年(昭和7年)設置
1935年(昭和10年)設置
1936年(昭和11年)設置
1937年(昭和12年)設置
1938年(昭和13年)設置
  • 湊公園(長崎市)
1939年(昭和14年)設置
1940年(昭和15年)設置
1941年(昭和16年)設置
設置時期不明

旧外地など

1934年(昭和9年)設置
1940年(昭和15年)設置
1941年(昭和16年)設置
設置時期不明

ギャラリー

脚注

参考文献

関連項目

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