1976年アメリカ西グランプリ
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| レース詳細 | |||
|---|---|---|---|
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| 日程 | 1976年シーズン第3戦 | ||
| 決勝開催日 | 3月28日 | ||
| 開催地 |
ロングビーチ市街地コース | ||
| コース長 | 3.251 km (2.020 mi) | ||
| レース距離 | 80周 260.080 km (161.606 mi) | ||
| 決勝日天候 |
晴(ドライ)[1] 最高気温: 21.1 °C (70.0 °F) 最大風速: 7.6 m/s (17 mph)[W 1] | ||
| ポールポジション | |||
| ドライバー | |||
| タイム | 1:23.099[W 2] | ||
| ファステストラップ | |||
| ドライバー |
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| タイム | 1:23.076(61周目)[W 3] | ||
| 決勝順位 | |||
| 優勝 |
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| 2位 | |||
| 3位 | |||
1976年アメリカ西グランプリ(1976ねんアメリカにしグランプリ、英: 1976 United States Grand Prix West、正式名称: II Grand Prix of Long Beach[W 5])は、1976年のF1世界選手権の第3戦として、1976年3月28日にロングビーチ市街地コースで開催された自動車レース。1973年にブラジルグランプリとスウェーデングランプリがF1世界選手権レースに追加されて以来、新たにF1カレンダーに追加されたレースである。カリフォルニア州でのF1世界選手権レースの開催は、ロングビーチからわずか50マイル (80 km)離れたリバーサイド・インターナショナル・レースウェイで行われた1960年アメリカグランプリ以来2回目であった。レースは3.251kmの市街地コースを80周し、総距離は約260kmであった。
レースは、スイス人ドライバーのクレイ・レガツォーニがフェラーリ・312Tで優勝し、チームメイトで選手権ポイントリーダーのオーストリア人ドライバーであるニキ・ラウダに42秒差をつけた。フランス人ドライバーのパトリック・デパイユはティレル・007で3位に入った。
背景
開催に至る経緯
イギリス生まれの元レーシングドライバーで、渡米後はロングビーチで旅行代理店の社長を務めていたクリス・プーク(Chris Pook)は、1967年にインディ500の実況放送を聴いたことがきっかけとなり、市内の広い道路を利用してモナコGPのようなグランプリレースを開催し[2]、ロサンゼルスとサンディエゴの間に隠れて苦境に立たされていたロングビーチを「西海岸のモナコ」に変貌させるアイデアを思いついた[W 6]。ダン・ガーニーもレース開催のための検討委員会に参加し、プークは諦めずに市議会や市当局への働きかけを行った結果[W 6]、1974年11月19日にこのアイデアは承認された[2]。ガーニーらの委員会により、市内の公道を使用したコースレイアウト案が出され[2]、国際スポーツ委員会(CSI、後のFISA)からの改良勧告に従った最終案ができあがり[3]、翌1975年3月19日にF1世界選手権の1戦として開催することを承認した[4]。レースを主催する新会社として「ロングビーチ・グランプリ・コーポレーション」が設立され、プークが社長に就任した[4]。本GPに先立って1975年9月28日に開催されたF5000の「ロングビーチグランプリ」が大成功を収め、サーキットの安全性も実証された[4]。
1957年にイタリアは1年間に2回のF1選手権レースを開催した最初の国となった[注 1]。アメリカでは秋にニューヨーク州のワトキンス・グレンでアメリカグランプリが開催されているが、ロングビーチで初の「アメリカ西グランプリ」が加わったことで2番目の複数レース開催国となった[注 2]。
なお、開催が決定した当初の周回数は99周(321.849km)の予定だったが、ドライバーやマシンの負担を考慮し、80周に変更すると公式発表された[5][注 3]。
サポートレース
本GPのサポートレースとしてヴィンテージグランプリが開催され、元チャンピオンのファン・マヌエル・ファンジオ、デニス・ハルム、ジャック・ブラバムに加え、スターリング・モス、キャロル・シェルビー、ルネ・ドレフュス、リッチー・ギンサー、イネス・アイルランド、モーリス・トランティニアンも参戦した。また、ガーニーとフィル・ヒルも、このイベントの共同ディレクターとして出席した[W 7]。
レース前
エントリー
フェラーリは2台とも従来型の312Tを持ち込んだ[11]。マーチは4台目のドライバーとしてアルトゥーロ・メルツァリオを起用し、オヴォロ(Ovoro)カラーに塗られた761を走らせる[11][W 8]。サーティースは前述の通りアラン・ジョーンズが加わり、ブレット・ランガーとの2台体制とした[11][W 8]。コパスカーは開幕戦のブラジルGPに続いてインゴ・ホフマンをスポット参戦させ[W 8]、今回はフィッティパルディと同じFD04をドライブする[W 9]。
エントリーリスト
- 追記
- タイヤは全車グッドイヤー
予選
予選は金曜日の2回と土曜日1回の合計3回のセッションで行われた[11][10]。F1CA(後のFOCA)は、市街地コース特有の狭いコース幅を理由に、安全上の観点から決勝の出場台数を20台に制限することを決定した。これにより、参加した27台のうち7台が予選を通過できなかった。
マシンがコースに繰り出されると、2つのヘアピンカーブと、水辺に沿って長くうねる「ストレート」を特徴とするこのコンクリート舗装の市街地サーキットについて、ドライバーたちの評価は分かれた。フェラーリの前年度王者ニキ・ラウダは、このコースはモナコよりもはるかに凹凸が激しく、マシンへの負担は大きいものの、ドライバーにとっては走りやすいと語った。エマーソン・フィッティパルディはこのコースを非常に気に入っていると語ったが、フランス人のジャック・ラフィットとパトリック・デパイユは同意しなかった。
初日はデパイユがトップタイムを記録した。2日目はクレイ・レガツォーニがデパイユを0.2秒上回るトップタイムを記録し、ポールポジションを獲得した[5]。ジェームス・ハントはラウダを上回る3番手タイムを記録した[5]。
予選結果
| 順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | Grid |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | フェラーリ | 1:23.099 | - | 1 | |
| 2 | 4 | ティレル-フォード | 1:23.292 | +0.193 | 2 | |
| 3 | 11 | マクラーレン-フォード | 1:23.420 | +0.321 | 3 | |
| 4 | 1 | フェラーリ | 1:23.647 | +0.548 | 4 | |
| 5 | 16 | シャドウ-フォード | 1:23.677 | +0.578 | 5 | |
| 6 | 10 | マーチ-フォード | 1:24.157 | +1.058 | 6 | |
| 7 | 17 | シャドウ-フォード | 1:24.163 | +1.064 | 7 | |
| 8 | 9 | マーチ-フォード | 1:24.168 | +1.069 | 8 | |
| 9 | 28 | ペンスキー-フォード | 1:24.170 | +1.071 | 9 | |
| 10 | 7 | ブラバム-アルファロメオ | 1:24.265 | +1.166 | 10 | |
| 11 | 3 | ティレル-フォード | 1:24.344 | +1.245 | 11 | |
| 12 | 26 | リジェ-マトラ | 1:24.442 | +1.343 | 12 | |
| 13 | 8 | ブラバム-アルファロメオ | 1:24.472 | +1.373 | 13 | |
| 14 | 12 | マクラーレン-フォード | 1:24.541 | +1.442 | 14 | |
| 15 | 27 | パーネリ-フォード | 1:24.566 | +1.467 | 15 | |
| 16 | 30 | コパスカー-フォード | 1:24.779 | +1.680 | 16 | |
| 17 | 22 | エンサイン-フォード | 1:24.803 | +1.704 | 17 | |
| 18 | 34 | マーチ-フォード | 1:25.122 | +2.023 | 18 | |
| 19 | 19 | サーティース-フォード | 1:25.214 | +2.115 | 19 | |
| 20 | 6 | ロータス-フォード | 1:25.277 | +2.178 | 20 | |
| 上位20台が決勝進出 | ||||||
| 21 | 21 | ウルフ・ウィリアムズ-フォード | 1:25.436 | +2.337 | DNQ | |
| 22 | 31 | コパスカー-フォード | 1:25.557 | +2.458 | DNQ | |
| 23 | 35 | マーチ-フォード | 1:25.737 | +2.638 | DNQ | |
| 24 | 5 | ロータス-フォード | 1:25.890 | +2.791 | DNQ | |
| 25 | 20 | ウルフ・ウィリアムズ-フォード | 1:26.528 | +3.429 | DNQ | |
| 26 | 24 | ヘスケス-フォード | 1:26.824 | +3.725 | DNQ | |
| 27 | 18 | サーティース-フォード | 1:26.828 | +3.729 | DNQ | |
| 出典: [W 2][W 11][10] | ||||||
決勝



スタート直後、クレイ・レガツォーニが猛然と飛び出し、ジェームス・ハント、パトリック・デパイユ、そしてチームメイトのニキ・ラウダを抑えてトップに立った。第1コーナーの出口で、ヴィットリオ・ブランビラとカルロス・ロイテマンが接触し、両者ともリタイアとなった[5]。続いて、港沿いのカーブしたバックストレートで、グンナー・ニルソンのロータス・77が火を吹き[5]、時速160マイル (260 km)で壁に激しく激突してマシンは使い物にならなくなったが、ニルソンは軽いむち打ちだけで済んだ[5]。
4周目、ハントは2位を争うデパイユに猛追していた。バックストレート直前の右ヘアピンに差し掛かる際、ハントはデパイユのインを突こうとしたが、デパイユがラインを塞いだため、ハントは左側から回り込むしかなかった。2台が並走状態でコーナーを抜け出した際、デパイユはハントをバリアへ押し出した[6]。これによりリタイアとなったハントはデパイユの行為に怒り心頭となり、デパイユが周回するたびに拳を振り上げて抗議した[6][12]。
その同じ周、ジョン・ワトソンがジャック・ラフィットに後方から接触し、ノーズを破損させた。ラフィットはこの接触でスピンし、8位から14位に順位を落とした。一方、ラウダは5周目にデパイユを抜き去って2位に浮上したが、もはや手の届かない存在になりつつあったレガツォーニとは7秒差があった。
マリオ・アンドレッティは、パーネリ・VPJ4Bで15番手スタートから9位まで順位を上げ、その時点でファステストラップも記録していたが、エンジン内の冷却水が枯渇したためリタイアとなった(ただし、エンジンが完全にオーバーヒートした15周目まで実際にはピットインしなかった)。これが、アメリカのパーネリにとって最後のレースとなった[13]。3シーズンにわたり16戦に出場し、アンドレッティのみが走行した[W 12]。ロングビーチでのレースを終え、ピットに戻ったアンドレッティにテレビのレポーターが近づき、「これがF1での最後のレースになるのでしょうか?」と尋ねた。アンドレッティは「何の話だ?」と返した。レポーターは「ヴェル(ヴェルコ・ミレティッチ)[注 4]がそう言っていたんです」と言った。アンドレッティは「彼にとっては最後のレースだったかもしれないが、私にとってはそうではない」と答えた。アンドレッティは次戦スペインGPからロータスへ移籍した[13]。
アンドレッティがリタイアしたのとほぼ同時期に、デパイユがスピンして3位から7位に後退し、20周を終えた時点で、レガツォーニがラウダ、ジョディー・シェクター、そしてシャドウのトム・プライスを13秒差でリードしていた。自身のミスに激怒したデパイユは猛追を開始し、わずか6周の間にジャン=ピエール・ジャリエとロニー・ピーターソンを抜き去った。33周目にプライスがドライブシャフトを破損し、34周目にシェクターがフロントウィッシュボーンを破損したことで、デパイユは2台のフェラーリに次ぐ3位に返り咲いた。
ワトソンと接触した後、ラフィットはマトラ製エンジンを搭載した新型リジェでのわずか3戦目にして見事な走りを見せた。45周目にヨッヘン・マスを、46周目にジャリエを抜き、4位に浮上した。残り20周となった時点で、ラウダはギアチェンジにトラブルを抱えており[14]、レガッツォーニを追うよりも、マシンを慎重に走らせてゴールを目指すことにした。ジャリエもギアボックスのトラブルで、マスに抜かれて6位に後退し、さらに最終ラップの1周前には1速と5速しか使えなくなり、エマーソン・フィッティパルディにも抜かれて入賞圏外の7位に後退してしまった。フィッティパルディはこのレースで、自身のチームであるコパスカーに初のポイントをもたらした。
レガツォーニは予選タイムよりも速いファステストラップを叩き出す群を抜いた走りで[15]キャリア4勝目を挙げ、ポールポジション、ファステストラップ、優勝、そして全周回ラップリーダーというグランドスラムを達成した。ラウダは不調のマシンを駆り、42秒差の2位でフィニッシュし、デパイユはスピンからの見事な挽回劇で3位に入った。第1回アメリカ西グランプリは成功裏に幕を閉じた。実際、かつてロブ・ウォーカー・レーシングチームのオーナーを務めていたロブ・ウォーカーは、「ロングビーチGP(アメリカ西GP)の創設は、この10年間におけるモータースポーツ界最大の功績だったと思う」と語っている。
レース結果
| 順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | Grid | Pts. |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | フェラーリ | 80 | 1:53:18.471 | 1 | 9 | |
| 2 | 1 | フェラーリ | 80 | +42.414 | 4 | 6 | |
| 3 | 4 | ティレル-フォード | 80 | +49.972 | 2 | 4 | |
| 4 | 26 | リジェ-マトラ | 80 | +1:12.828 | 12 | 3 | |
| 5 | 12 | マクラーレン-フォード | 80 | +1:22.292 | 14 | 2 | |
| 6 | 30 | コパスカー-フォード | 79 | +1 Lap | 16 | 1 | |
| 7 | 17 | シャドウ-フォード | 79 | +1 Lap | 7 | ||
| 8 | 22 | エンサイン-フォード | 78 | +2 Laps | 17 | ||
| 9 | 8 | ブラバム-アルファロメオ | 77 | +3 Laps | 13 | ||
| 10 | 10 | マーチ-フォード | 77 | +3 Laps | 6 | ||
| NC | 19 | サーティース-フォード | 70 | 規定周回数不足 | 19 | ||
| NC | 28 | ペンスキー-フォード | 69 | 規定周回数不足 | 9 | ||
| Ret | 3 | ティレル-フォード | 34 | サスペンション | 11 | ||
| Ret | 16 | シャドウ-フォード | 32 | ハーフシャフト | 5 | ||
| Ret | 27 | パーネリ-フォード | 15 | 水漏れ | 15 | ||
| Ret | 11 | マクラーレン-フォード | 3 | アクシデント | 3 | ||
| Ret | 34 | マーチ-フォード | 2 | アクシデント | 18 | ||
| Ret | 9 | マーチ-フォード | 0 | 接触 | 8 | ||
| Ret | 7 | ブラバム-アルファロメオ | 0 | 接触 | 10 | ||
| Ret | 6 | ロータス-フォード | 0 | サスペンション | 20 | ||
| DNQ | 21 | ウルフ・ウィリアムズ-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 31 | コパスカー-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 35 | マーチ-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 5 | ロータス-フォード | 予選不通過; | ||||
| DNQ | 20 | ウルフ・ウィリアムズ-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 24 | ヘスケス-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 18 | サーティース-フォード | 予選不通過 | ||||
| 優勝スピード(勝者レガツォーニの平均速度):137.720 km/h | |||||||
| ファステストラップ:クレイ・レガツォーニ - 1:23.076(61周目)[W 3] | |||||||
| 出典: [W 13][W 4][W 11][1] | |||||||
| ドライバー | 周回数 | リードラップ |
|---|---|---|
| クレイ・レガツォーニ | 80周 | 1-80(全周回) |
| 出典: [W 14] | ||
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