マクラーレン・M23
From Wikipedia, the free encyclopedia
|
1974年イギリスGPでのM23 エマーソン・フィッティパルディがドライブ | |||
| カテゴリー | F1 | ||
|---|---|---|---|
| コンストラクター | マクラーレン | ||
| デザイナー |
ゴードン・コパック ジョン・バーナード | ||
| 先代 | マクラーレン・M19C | ||
| 後継 | マクラーレン・M26 | ||
| 主要諸元 | |||
| エンジン | フォードDFV | ||
| 主要成績 | |||
| チーム |
マクラーレン Scribante Lucky Strike Racing Lucky Strike Racing Chesterfield Racing Iberia Airlines Centro Asegurador F1 Melchester Racing BSファブリケーションズ | ||
| ドライバー |
デニス・ハルム ピーター・レブソン エマーソン・フィッティパルディ ジェームス・ハント ヨッヘン・マス ネルソン・ピケ | ||
| 出走時期 | 1973 - 1978年 | ||
| コンストラクターズタイトル | 1(1974年) | ||
| ドライバーズタイトル | 2(1974,1976年) | ||
| 初戦 | 1973年南アフリカGP | ||
| 初勝利 | 1973年スウェーデンGP | ||
| 最終戦 | 1978年イタリアGP | ||
| |||
マクラーレンM23 (McLaren M23) は、マクラーレンがF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、ゴードン・コパックとジョン・バーナードが設計した。1973年の第3戦から、1978年第14戦まで実戦投入された。インディ500用マシンのM16が開発のベースとなっている。
M23はシャーシナンバー1-12までの12台製作された。そのうちのシャーシナンバー8は、1974年イギリスGPから計15戦(1戦の非世界選手権含む)に使用された後に改修され、8-2として1975年スイスGPから再び使用された。
1971年から使用されてきたM19Cの後継として1973年にデビュー。前年までのM19は、コークボトルタイプのボディが特徴だった。M23はロータスの影響を強く受け、サイドラジエーター、ウェッジタイプのノーズ、角張ったボディへと変わった。基本的な設計は以後も変わることなく1978年まで使用される。
サスペンションは、フロントはベラミー式リンクのプログレッシブサスペンション、リヤは不等ピッチコイルによるプログレッシブサスペンションと、特異なものを採用していたが、これらはM19から引き継いだ実績のあるものだった。ホイールベースは2,565mmで、2,387.6mmのブラバム・BT37より177mmも長く、コーナリングでの俊敏性より安定性を重視した設計だった。
搭載するフォード・コスワース・DFVエンジンはジョン・ニコルソンが設立したニコルソン・マクラーレン・エンジンズがチューニングを行った。
シーズン
1973年

デビュー戦の南アフリカGPでデニス・ハルムがPPを獲得。ハルムは1勝、ピーター・レブソンが2勝をあげた。
1974年
1972年のチャンピオンを獲得したエマーソン・フィッティパルディがロータスから移籍、いきなりドライバーズ・チャンピオンを獲得。そしてマクラーレンもチーム初となるコンストラクターズ・チャンピオンを獲得。この年から、マールボロのスポンサーシップが開始。以後1996年まで続く『マールボロ・マクラーレン』の誕生である。このシーズンはマールボロ2台とヤードレイ1台の3台体制での参戦だった。
1975年
M23はフロントサスをロッキングアームに変更し、また、ホイールベースを80mm延長し2,647mmとした。また、リヤ周りも改修を受け、今まではエンジン部分が外部に露出していたが、リヤタイヤ前方にオイルクーラーを設置。サイドポンツーンなどのボディワークをさらに後方に延長した。加えて、ダウンフォースの増加に努めるため、フロントウイングが大型化され、リヤウイングも厚みを増し、フラップの迎角も大きくなった。
フェラーリのニキ・ラウダが新型マシン312Tと共にシーズンを席巻。フィッティパルディは2勝でドライバーズ・ランキング2位となった。彼はこのシーズン終了をもって実兄であるウィルソン・フィッティパルディが興した新チームのコパスカーに移籍した。
1976年

この年から施行された新レギュレーション(安全性向上のためマシンの全高を制限)に伴って大型インダクションポッドを撤去。ドライバーの頭部左右から吸気する方式を取った。また、シャーシは14kgもの軽量化がなされた。さらにホイールベースが伸ばされ、2,717.8mmとブラバム・BT45と比して254mmも長くなった。
新たにフィッティパルディに代わってヘスケスからジェームス・ハントがマクラーレンに移籍加入。ハントはフェラーリのニキ・ラウダとチャンピオン争いを展開。第9戦イギリスGP終了時点ではラウダのリードを許していたが、第10戦ドイツGPでのラウダのクラッシュ、以後2戦欠場の間に猛追。最終戦日本GPでラウダが天候悪化によるリタイヤを決断する中を走り続け、ハントにとって唯一となるドライバーズ・チャンピオンを獲得した。第12戦オランダGPではヨッヘン・マスが新車M26で出走したが、決勝での結果が9位と良くなかったこともあり、次戦から再びM23となった。
1977年
新車M26が開幕戦から実戦投入される予定だったが、熟成不足と判断されハントは第1-4,6戦で、マスは第9戦までM23を使用、その後はようやくM26が実戦投入され移行した。第10戦イギリスGPではジル・ヴィルヌーヴがM23を駆ってF1デビュー。決勝は水温計がどんどん上昇していったため(実際には水温計は故障していた)途中ピット・インを余儀なくされたが、それまでは新車M26を駆るハントやマスに引けをとらないタイムで周回していた。また、M23はジルのF1キャリアの中で唯一となる「フェラーリ以外でドライブしたマシン」でもある。
1978年
カスタマーシャーシとして、新人ネルソン・ピケがBSファブリケーションチームでドライブするなど、登場から延べ6年という長期にわたって活躍したマシンとなった。
スペック
シャーシ

- シャーシ名 M23
- ホイールベース 2,565-2,717.8mm
- フロントトレッド 1,631-1,663mm
- リヤトレッド 1,587-1,676mm
- ブレーキ ロッキード
- ホイール フロント:13×10-11インチ、リア:13×16-18インチ
- タイヤ グッドイヤー
- サスペンション フロント・ベラミー式リンク→ロッキングアーム/リヤ・ダブルウィッシュボーン
- ギアボックス ヒューランドFG400(5速)→DG400(6速)
エンジン

- エンジン名 フォード・コスワースDFV
- 気筒数・角度 V型8気筒・90度
- 排気量 2,993cc
- 圧縮比 11.1
- ピストンボア 85.6mm
- ストローク 64.8mm
- 最大馬力 450-495馬力
- スパークプラグ チャンピオン
- 燃料・潤滑油 テキサコ
- イグニッション ルーカス
- インジェクション ルーカス間接噴射
- マシン重量 575-601.6kg(含エンジン)