遠くからの声 (松本清張)
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民子は津谷敏夫と結婚した。交際期間の間、民子の妹の啓子は、ときどき姉に利用された。啓子は女子大を卒業する前の年であった。民子は敏夫と式をすませると、日光の中禅寺湖畔に行った。すると三日目の昼過ぎに、啓子が宿にはいってきた。民子は妹の闖入にきっとなったが、啓子は平気なものだった。
夜になって、三人で湖畔を散歩した。霧が一面に立って湖を匿していた。啓子は、一人で先にずんずん歩いていった。やがて見えぬ向こうから大きな声が聞こえた。「おにいーさまあ」。民子は、妹がこんな場所にまで割りこんでくるのが、平静な気持ちで受けとれなかった。
敏夫と民子は、東京に家をもった。啓子が、さぞたびたび、遊びにくるだろうと思ったが、ついぞ一度も覗きにこなかった。まったく手の裏を返したようであった。翌年、啓子に十五年上の中年男との結婚の話が出て、その男と結婚できなければ死ぬと言って騒いだというのであった。啓子は父母の反対を押しきって結婚式をあげるが、それから二か月も経たないうちに、啓子が駆落ちをしたという知らせが入る。啓子は九州の炭鉱の事務員と同棲していることがわかった。
半年ばかり経って、敏夫は福岡に出張し、啓子を訪ねてみる気が起こった。筑豊炭田の真ん中の、幸袋駅を出たときに、敏夫は、「お兄さま」と横から呼びかけられた。啓子の声であった。