清元美寿太夫
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経歴
1959年、新橋演舞場「西川流鯉風会」の「梅川」ほかで初舞台を踏み、同年には歌舞伎座「昔噺桃太郎」で歌舞伎の初舞台も務めた。1977年には京都南座「夕顔棚」で初めて歌舞伎の立語りを勤めた[2]。
文化デジタルライブラリーの人物履歴によれば、1959年1月28日から「清元美寿太夫」、1971年2月6日から「宮薗千弘太夫」、1988年7月3日から「富柳美寿」の名で公演記録が確認できる[3]。
ENEOS音楽賞資料によれば、1969年ごろから宮薗節を宮薗千之に学び「宮薗千弘太夫」を名乗り、1983年ごろからは地唄を富崎冨美代に学んで「富柳美寿」を名乗ったとされる。1986年にはアルバム『清元榮三・清元美寿太夫花吟集』を発表した[2]。
2014年、重要無形文化財「清元節」保持者に認定された[1]。
評価
受賞・認定
関連項目
脚注
- 1 2 3 “第251回文化審議会文化財分科会議事要旨” (PDF). 文化庁. 2026年3月27日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “「第56回ENEOS児童文化賞」および「第51回ENEOS音楽賞」贈賞理由ならびに各受賞者のプロフィール” (PDF). ENEOSホールディングス (2021年6月15日). 2026年3月27日閲覧。
- ↑ “人物履歴:清元 美寿太夫”. 文化デジタルライブラリー. 独立行政法人日本芸術文化振興会. 2026年3月27日閲覧。
- 1 2 3 “第56回ENEOS児童文化賞・第51回ENEOS音楽賞” (PDF). ENEOSホールディングス (2021年12月1日). 2026年3月27日閲覧。
- ↑ “平成26年度(第69回)文化庁芸術祭賞受賞一覧(参加公演)” (PDF). 文化庁. 2026年3月27日閲覧。
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| 太字は恩賜賞受賞者。雅号、筆名、芸名等は受賞時のものによる。表記揺れによる混乱を避けるため、漢字は便宜上新字体に統一する。 | |||||||||