清元美寿太夫

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生誕 1943年1月29日
職業 清元節太夫
著名な実績 重要無形文化財「清元節」保持者
きよもと よしじゅだゆう
清元美寿太夫
生誕 1943年1月29日
職業 清元節太夫
著名な実績 重要無形文化財「清元節」保持者
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清元 美寿太夫(きよもと よしじゅだゆう、1943年1月29日 - )は、日本の清元節太夫。2014年、重要無形文化財「清元節」保持者に認定された[1]

東京都生まれ。本名は小柳吉弘。1956年、六代目清元延寿太夫および三代目清元栄次郎に師事し、1959年に清元美寿太夫の名を許された。父は清元若寿太夫、母は清元延若福、兄は初代清元榮三である[2]

経歴

1959年、新橋演舞場「西川流鯉風会」の「梅川」ほかで初舞台を踏み、同年には歌舞伎座「昔噺桃太郎」で歌舞伎の初舞台も務めた。1977年には京都南座「夕顔棚」で初めて歌舞伎の立語りを勤めた[2]

文化デジタルライブラリーの人物履歴によれば、1959年1月28日から「清元美寿太夫」、1971年2月6日から「宮薗千弘太夫」、1988年7月3日から「富柳美寿」の名で公演記録が確認できる[3]

ENEOS音楽賞資料によれば、1969年ごろから宮薗節を宮薗千之に学び「宮薗千弘太夫」を名乗り、1983年ごろからは地唄を富崎冨美代に学んで「富柳美寿」を名乗ったとされる。1986年にはアルバム『清元榮三・清元美寿太夫花吟集』を発表した[2]

2014年、重要無形文化財「清元節」保持者に認定された[1]

評価

ENEOS音楽賞邦楽部門の贈賞理由では、清元美寿太夫は清元節の重鎮として、長年にわたり太夫として活動し、その「美しいのど」で多くの聴衆を魅了してきたとされる。また、歌舞伎や舞踊の会だけでなく、素浄瑠璃の演奏会においても欠かせない存在であり、「安定した語り」が高く評価されていると述べられている[4]

同じ贈賞理由では、40年あまり共演した三味線方・清元美治郎との演奏会「二人会」などの活動によってその実力が広く認められたとされ、清元節らしい「情感のこもった節回し」を次世代へ伝えることが期待されている[4]

受賞・認定

関連項目

脚注

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