ペロタの競技

From Wikipedia, the free encyclopedia

製作年1779年
寸法261 cm × 470 cm (103 in × 190 in)
『ペロタの競技』
スペイン語: El juego de pelota a pala
英語: The Game of Pelota
作者フランシスコ・デ・ゴヤ
製作年1779年
種類キャンバス油彩
寸法261 cm × 470 cm (103 in × 190 in)
所蔵プラド美術館マドリード

ペロタの競技』(ペロタのきょうぎ、西: El juego de pelota a pala, : は、18-19世紀のスペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤが1779年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。アストゥリアス公(後のカルロス4世)の寝室のためのタピストリー用下絵 (カルトン) 7点に含まれていた[1][2]。これらの作品は1856年か1857年に王立サンタ・バルバラ・タピストリー工場英語版からマドリード王宮に移された後、1870年1月19日と2月9日の勅令プラド美術館に収蔵され、以来、同美術館に展示されている[1][2][3][4]

ゴヤがアストゥリアス皇太子夫妻の寝室のために制作した7点のタピストリー用下絵は、本作『ペロタの競技』、『マドリードの祭り』、『兵隊ごっこをする少年たち』、『手押し車の子供たち』、『陶器売り』、『兵士と婦人』、『アセロラ売りの娘』 (すべてプラド美術館蔵) であった[1]。これら7点は、祭りの主題を表している点で共通している[2]一方、場面がマドリードの郊外に設定されている点で寝室控えの間用のタピストリー用下絵とも共通している[1]。本作は、寝室の北側の壁に掛けられた[2]

連作のほかの作品 (プラド美術館蔵)

作品

ゴヤ『狩猟の一行』 (1775年)、プラド美術館

本作はペロタ (スティックボール) の競技を表しているが、その主題は皇太子の寝室用のタピストリー下絵とは一致していないように思われる。ほかの作品は、マドリードの郊外で毎年開かれる祭りという口実で、スペインの人々と風景を描いているからである。しかし、本作は、ほかの作品同様に当時のゴヤの心理を反映する楽観主義という点で共通している[2]

本作の構図は、前景から後景にかけて多くの人物を配置している点で、ゴヤの初期のタピストリー用下絵『狩猟の一行』 (プラド美術館) と類似している[2]。実際、王立サンタ・バルバラ・タピストリー工場に送った請求書の中で、ゴヤは、本作に描かれている人数の多さを強調している。それぞれの競技用の位置を占めている3人の選手からなる2つの集団に加え、競技を観戦している様々な集団をなす25人が様々なポーズで表されている[1]。ちなみに、研究者グディオル (Gudiol) は、登場人物の1人の顔がゴヤの自画像である可能性があると指摘している[2]

本作はゴヤの構図面での卓抜性を示しており、遠近法キアロスクーロ、色彩における技巧は明らかである。ゴヤは空間と奥行き感を自然に表現しており、鑑賞者は、構図の幾何学的な厳格さに気づくことはない。画家は、イタリアルネサンスバロックの偉大な画家たちに関する知識を披露している[1]

アメリカの研究者ジャニス・トムリンソン (Janis Tomlinson) によれば、スティックボールの競技は性的な比喩である。彼女は、その証拠として、スペイン語の「ペロタ」という語が持つ二重の意味、中央のマホ (伊達男)英語版が鑑賞者の注意を自身の男性器に向けているような仕草、そして、ペロタの競技が16-17世紀において実際に性的な比喩として見なされていたことを挙げている[2]

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI