フロリダブランカ伯爵の肖像 (プラド美術館)
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| スペイン語: Retrato del Conde de Floridablanca 英語: Portrait of the Count of Floridablanca | |
| 作者 | フランシスコ・デ・ゴヤ |
|---|---|
| 製作年 | 1782-1783年ごろ |
| 種類 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 196 cm × 116.5 cm (77 in × 45.9 in) |
| 所蔵 | プラド美術館、マドリード |

『フロリダブランカ伯爵の肖像』(フロリダブランカはくしゃくのしょうぞう、西: Retrato del Conde de Floridablanca, 英: Portrait of the Count of Floridablanca)は、18-19世紀のスペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤが1782-1783年ごろ、キャンバス上に油彩で制作した肖像画である。モデルの右手に「Memoria pa./la formación/Del Banco/Nacional/de Sn. Carlos (サン・カルロス国立銀行の創設に関する覚書)」という銘が記されている[1][2][3]。作品は1975年にカサ・トーレス (Casa Torres) 侯爵フェルナンド・デ・アラゴン・イ・カリーリョ・デ・アルボルノス (Fernando de Aragón y Carrillo de Albornoz) から寄贈されて以来、マドリードのプラド美術館に所蔵されている[1][2][3]。
ホセ・モニーノ・イ・レドンド (後のフロリダブランカ伯爵) は、1728年にムルシアで生まれた。オリウエラで法律を学び、サラマンカ大学で博士課程を修めた。彼は1766年にカルロス3世によってカスティーリャ王室諮問会議の最高検察官に任命され、1767年にはイエズス会士のスペイン追放を行うことで、教会権力の国家への移譲を支持している。ローマ教皇との交渉を経て、イエズス会修道会の解散が1773年に実現すると、ホセ・モニーノは伯爵の称号を得て、カルロス3世勲章を授けられた[1][2]。
1766年にフロリダブランカ伯爵は宰相に任命され、スペインが1779年に介入することになるアメリカ独立戦争 (1775-1783年) では対イギリスの立場で支持した。1781年にはサン・カルロス国立銀行の創設に加わっており、この銀行は1782年6月2日に営業を開始している。彼はまた、貴族が独占していた行政権の一部を政府省庁に移譲することを促進し、1787年に国家最高評議会を創設し、自らその議長を務めた。しかし、アランダ伯を初めとする反対勢力によって、1792年に議長の座から引きずり降ろされている。後の1808年、ナポレオンによりスペインが侵略されると、フロリダブランカ伯爵は国家防衛を目的として創立された中央最高評議会の議長に選出された。彼は同年に没している[1]。
作品
本作に描かれているのは、フロリダブランカ伯爵が1781年10月22日に「サン・カルロス国立銀行の創設に関する覚書」を国王カルロス3世に献上する場面で[1]、その覚書は上述のように彼の右手に見て取れる[1][2][3]。背景は、簡素な円柱とカーテンのある宮廷風の高貴な雰囲気を持つ空間である[1]。全身像の伯爵は、トルコ石色の青いジャケット、ウェストコート、銀糸の縁取りのある半ズボンを身に着けている。正面向きの姿で足を一歩踏み出し[3]、コントラポストに由来する優美なポーズで立っている。このポーズにより前進するような動きが示されている[1]。
顔はきわめて自然主義的に描かれている[1]一方、謹厳で表情が見られない[3]が、赤みを帯びた地塗りが透けて見えることで効果が高められた、絹の衣装や銀のアクセサリーのまばゆい光のきらめきと対比をなしている。伯爵の身体に比べて不釣り合いなほど大きいカルロス3世勲章のサッシュと大十字勲章が際立っている[1]。
なお、ゴヤは、自身が建築家のフアン・デ・ビリャヌエバ (1739-1811年) とともに書斎にいる『フロリダブランカ伯爵の肖像』 (1783年、スペイン銀行、マドリード) も描いている[1]。