神の里事件
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引地新六は、兵庫県の青垣町に向かうバスの中で、20歳くらいのバスガールが沿線の旧蹟案内をするのを聞く。バスは多可郡の鍛冶屋を経て杉原川沿いに進むが、祝詞調を交えたバスガールの説明は引地を目指しているように思えた。
加美町でバスを降りて東の道に進むと、新興宗教団体である豊道教の本部があった。豊道教は、伊井百世という女子を初代教祖として設立、神器を奉じて伊勢神宮の神威の上に出ようと宣伝している。教祖の下に補佐する教務総統を置き、現在は青麻紀元という40歳すぎの男が教団全体の任務を総括していた。忌服屋の窓から26、7歳くらいの女が舟形の梭を操っているのが見え、引地はこれが教祖だと直感する。
町に戻って鍛冶屋駅前の旅館に入り、女中のお文さんにバスガールの話をすると、彼女は伊井千代といい、豊道教の教祖の従妹というのであった。引地は、豊道教の宝物殿に起った殺人事件のことを聞き出すつもりで、そのきっかけを狙っていた。
三か月前、引地の友人で考古学の趣味を持つルポライターの石田武夫が、古代中国の舶載鏡が残っているということで、豊道教の神鏡探検を思い立ち、播磨に向かった。しかし石田は、豊道教の宝物殿内で、後頭部を槍のようなもので突き刺され、動脈を断たれてこときれているのが、信徒三名によって発見された。信徒の話では、白衣に水色の袴をはいた青麻教務総統が、両手で頭を抱えながら杉林の中に一散に駆けて見えなくなった。青麻の行方はその夜は分らず、四日後に本部から西のかた、近くの千ヶ峰の西麓の山中で、石田と同じ殺害方法で死体となって見つかった。
教祖は、石田は二千年の時間を飛翔したアメノヒボコによる神罰を蒙ったといった。青麻教務総統も石田を宝物殿に入れたために神罰で殺されたのだという。警察は、凶器は山芋掘りの鉄棒と判断するが、その凶器は発見できず、また、青麻は山林をあとから追って来た犯人に殺されたと考えるも、そのような人間を見た者は誰もいなかった。
翌朝、引地は千ヶ峰に向かう。岩座から青麻の死体の発見場所に視線を向けた引地のうしろに、バスガールの制服ではない、巫女の伊井千代が姿をあらわす。引地は千代に事件の推理を語るが、千代は引地の考えを一蹴する。
宿に帰った引地は、お文さんを呼び、自らの推理を立て直し、お文さんと共に豊道教の本部へ乗り込む。