フェルナンド7世騎馬像
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| スペイン語: Fernando VII a caballo 英語: Ferdinand VII on Horseback | |
| 作者 | フランシスコ・デ・ゴヤ |
|---|---|
| 製作年 | 1808年 |
| 種類 | キャンバスに油彩 |
| 寸法 | 285 cm × 205 cm (112 in × 81 in) |
| 所蔵 | 王立サン・フェルナンド美術アカデミー、マドリード |
『フェルナンド7世騎馬像』(フェルナンドななせいきばぞう、西: Fernando VII a caballo, 英: Ferdinand VII on Horseback)は、18-19世紀のスペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤが1808年にキャンバス上に油彩で制作した肖像画である。カルロス4世が退位し、フェルナンド7世がスペイン国王として宣言された直後の1808年3月29日に王立サン・フェルナンド美術アカデミーからゴヤに委嘱された[1][2]。作品は現在、同アカデミーに所蔵されている[1][2]。
ゴヤはこの肖像画のためにフェルナンド7世の実像を描くことを求めたが、王は1808年4月8日と9日にそれぞれ45分ずつポーズをとったにすぎなかった[1][2]。翌日10日にナポレオンと会うためにマドリードを発った王は、父親のカルロス4世とともにフランスのバイヨンヌに拉致されてしまう。その後、ナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトがスペイン王ホセ1世として即位し[1]、フェルナンド7世がスペインに帰国するのは1814年になってからである。彼は同年5月7日にマドリード入城を果たした[3]が、その際に初めて本作を見ることとなった[2]。
スペイン人たちはフェルナンド7世のバイヨンヌでの状況を知らなかったため、彼は陰謀の犠牲者で、正当なスペインの王であると見なしていた[1]。1808年9月にマドリードがフランス軍に占領された際、ゴヤは王立サン・フェルナンド美術アカデミーに本作を騎馬肖像とすることを申し出た。1ヶ月後に完成した本作はゴヤの全作品中で最もベラスケス的なもののうちの1つで、明らかにベラスケスの『フェリペ3世騎馬像』 (プラド美術館、マドリード) [4]を参照している[1]。
総司令官姿のフェルナンド7世は、暗色のフロックコート、黄色いズボン、乗馬靴、二角帽子を身に着けている[2]。胸の上には、金羊毛勲章とカルロス3世勲章の大綬が見える[1][2]。王は左手で手綱を持ち、右手で軍の指揮棒を掲げている[1]。一方、馬は後ろ脚で立ち、前脚を上げて前方に跳ねる姿で表されている[2]。風景の山並みは、ベラスケスの『フェリペ4世騎馬像』 (プラド美術館) [5]中の山並みを想起させる[1]。遠方では、曇り空が明るい色に変わりつつある[2]。
なお、ゴヤは1812年に本作と同様の構図で『ウェリントン公爵騎馬像』 (アプスリーハウス、ロンドン) [6]を描いており、同年、王立サンフェルナンド美術アカデミーで公開している[1]。
ギャラリー
- ディエゴ・ベラスケス『フェリペ3世騎馬像』 (1635年ごろ)、プラド美術館、マドリード
- ディエゴ・ベラスケス『フェリペ4世騎馬像』 (1635年ごろ)、プラド美術館、マドリード