近畿の鉄道
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近畿圏の鉄道市場の地理的特質として大阪と周辺の府県庁所在地を結ぶ区間に官設鉄道(→国鉄→JR)[注釈 1]と私鉄、あるいは私鉄同士の競合が存在し、それ以外の神戸‐姫路間や京都‐奈良間などにおいても競合していることが特徴である[2]。
他鉄道との競合の帰結として私鉄各社による標準軌の採用、高架線・複々線等の鉄道設備の優秀さ、高性能車両の運転と運行本数の多さや、沿線の開発などで私鉄各社は技術・サービス両面で官設鉄道に対して優位性を確立していった[3]。また山陽鉄道は瀬戸内海航路の各船舶事業者間と熾烈な競争下にあったため、技術・サービスで船舶事業者に対抗し食堂車、寝台車など日本初の鉄道サービスを導入した[4]。1907年(明治40年)に創業した箕面有馬電気軌道の小林一三は、沿線での宅地分譲、動物園や遊園地を開園するなどして誘客に努め、これらは私鉄の多角化経営のロールモデルとなった[5][6][7]。

一方で近畿地方は数多の鉄道技術のパイオニアでもあった。官設鉄道の京都‐大阪‐神戸間は日本初の本格的鉄道路線として敷設され[9]、同区間の中で日本初の鉄道トンネルや鉄製橋梁が建設された[10]。また官鉄神戸工場では客車[11]や蒸気機関車の国産化が行われるなど[12]、その後の日本の鉄道技術の基礎が確立された。1877年(明治10年)に官鉄は大阪駅構内に工技生養成所を設立した。同養成所ではお雇い外国人によって数学・測量・製図・力学・土木学一般・機械学・運輸大要といったカリキュラムが組まれ、卒業生たちは鉄道技師として日本各地で活躍した[13]。
歴史
明治時代
明治政府による東海道本線の建設

近畿地方における鉄道建設計画は1865年(元治元年/慶應元年)、五代友厚による京都‐大坂間の施設計画が最初のもので[14][15][16]、1866年(慶應2年)には徳川幕府により江戸‐京都間の建設計画が構想された[17][18] 。他にも1868年(明治元年)に神戸駐在のアメリカ領事モリソン、翌年には兵庫駐在のアメリカ領事のロビネットも阪神間の鉄道建設を計画が存在したがいずれも実現しなかった[19][20]。 王政復古後の1869年(明治2年)12月6日、明治政府は東京‐京都、米原‐敦賀、京都‐神戸間の鉄道建設を決定した[21] 。この時点では幹線は東京‐大阪間のみで、東京‐横浜間と大阪‐神戸間は枝線とする計画であった[22]。ただし近畿地方の最初の鉄道は明治政府によるものではなく1869年(明治2年)に開通した生野鉱山の人車軌道があり[23]、政府系鉄道としても1871年(明治4年)9月開通の造幣寮馬車鉄道が先行していた。特に造幣寮馬車鉄道は初の官設鉄道・旅客鉄道として日本鉄道史上にその名を残している[24]。
1874年(明治7年)2月に鉄道寮は大阪堂島に移転して京都‐神戸間での鉄道建設工事を進め[25]、同年5月11日に大阪‐神戸間が竣工し営業を開始した[26]。新橋‐横浜間は橋梁はすべて木製でトンネル建設も省略され、レンガもほとんど使用されない鉄道土木としては簡便なものであったが、大阪‐神戸間は鉄製橋梁の採用やトンネルの建設、レンガの本格的な採用など日本の鉄道土木史の起点に位置づけられる、日本初の本格的鉄道路線であった[27]。
鉄道技術の国産化

明治期の近畿地方では鉄道の技術の国産化が推進された。1877年(明治10年)、大阪駅構内に日本人鉄道技師の養成を目的とした工技生養成所が設立され、お雇い外国人によって数学・測量・製図・力学・土木学一般・機械学・および運輸大要の教育を行った[13]。1878年(明治11年)から始まった東海道本線京都‐大津間の建設工事は、逢坂山隧道を始め工技生養成所出身者を中心に日本人のみで建設され、1880年(明治13年)に開業した[28][29]。鉄道車輛においても 1876年 (明治9年)に初代1号御料車が官鉄神戸工場で製作され[30]、1893年(明治26年)にはやはり神戸工場で初の国産蒸気機関車・AE形 221号が製造された[12]。
民営鉄道の台頭

明治期には「鉄道熱」と言われる民営鉄道の起業ブームが2度存在し、日本鉄道と阪堺鉄道の成功によって引き起こされた明治20年代前半の鉄道熱では[31][32][33] [34]山陽鉄道、関西鉄道、大阪鉄道などの幹線の建設が進められた[35]。なかでも瀬戸内海航路と競合状態にあった山陽鉄道は、スピード性能の向上に力を入れ1894年(明治27年)に設定された急行列車の平均時速は官鉄など諸鉄道を押さえ日本最速の列車として運転された[36]。続く20年代後半から30年代前半の第2次鉄道熱は[37][38][39]、「電鉄ブーム」とも言われるように電気鉄道として多くの私鉄が創業した。これらの私鉄は寺社参詣や遊覧客の輸送を主目的としたものが多かった中[40][41][42]、1905年(明治38年)には日本初のインターアーバンとして阪神電鉄が開業した。同区間は阪神電鉄と官鉄は競合することになるが、鉄道行政を所管する逓信省は「軌道条例ニ依ル電気鉄道ハ多少既成鉄道ニ妨害ヲ与ヘント雖其存立ヲ妨クル程ノモノニアラズ」と軌道法による都市間鉄道の建設を軽視していた[43]。しかし営業を開始するとアメリカのインターアーバン用車両に匹敵する高性能な車両[44]、運行本数の多さや低廉な運賃、停車駅の数で官鉄を圧倒し[45]、官鉄の利用者は63パーセントの大幅な減少となった[46][47]。阪神電鉄の成功により近畿地方では電鉄ブームが到来し、京阪電鉄、箕面有馬電軌、大阪電軌などが相次いで創業した[48]。
鉄道国有化
1906年(明治39年)、国は陸軍が求めていた主要幹線の国有化を実施した[49][50]。これにより1905年(明治38年)時点で、民営鉄道が官設鉄道の2.1倍の路線距離を有しており、日本の鉄道は民営鉄道が主体であったが[51]、国営化により開業距離90.9パーセント、輸送人キロで91.4パーセント、従業員数で88.4パーセントを占める巨大な国有鉄道、国鉄が出現した[52][53][54]。近畿地方では山陽鉄道、西成鉄道、京都鉄道、阪鶴鉄道、関西鉄道、参宮鉄道が国有化の対象となった[55]。その結果国鉄は全国レベルの鉄道を管掌し、民営鉄道は地域レベルの鉄道経営へと役割が変化した[56]。
年表
1869年(明治2年)
1870年(明治3年)
1871年(明治4年)
1873年(明治6年)
1874年(明治7年)
1875年(明治8年)
1876年(明治9年)
1877年(明治10年)
1878年(明治11年)
1879年(明治12年)
- 8月 官鉄東海道本線京都‐大谷間が竣工し、仮運転開始[80]。
1880年(明治13年)
1881年(明治14年)
1882年(明治15年)
1883年(明治16年)
1884年(明治17年)
1885年(明治18年)

1887年(明治20年)
1898年(明治31年)

- 1月1日 関西鉄道、列車ボーイの乗車開始[127]。
- 1月30日 高野鉄道、大小路-狭山間開業[128]。
- 3月24日 河陽鉄道、柏原‐古市間営業開始[129][130][131]。
- 4月2日 高野鉄道、長野延伸[128]。
- 4月5日 西成鉄道、大阪‐安治川口間開業[132]。
- 4月11日 紀和鉄道、五条‐橋本間開通[133]。
- 4月14日 河陽鉄道、古市‐富田林間開通[129][37]。
- 5月3日 紀和鉄道、和歌山‐船戸間開通[134]。
- 6月8日 阪鶴鉄道、塚口‐神崎間、宝塚‐有馬口間開通[121]。
- 9月1日 阪鶴鉄道、官鉄大阪駅に乗り入れ開始[135]。
- 9月30日 南海鉄道、阪堺鉄道を合併[88][136]。
- 9月 山陽鉄道、畳敷き客車を制作[137]。
- 10月22日 南海、和歌山北口延伸 [88]。
1899年(明治32年)
1900年(明治33年)

1901年(明治34年)
1902年(明治35年)
1903年(明治36年)

1904年(明治37年)
- 1月 阪鶴鉄道、大阪‐舞鶴間の直通列車の運行を開始[135]。
- 2月14日 山陽鉄道、日露戦争特別運行に移行[160]。
- 5月 近畿私鉄大合同の協議会、大阪で開催[161]。
- 6月 京都電鉄、本社と東洞院車庫が火災にあう[152]。
- 7月20日 政府、日露戦争普通運行(第二戦時運行)を実施[162]。
- 7月 大阪市電、日本初の2階建て電車の運行を開始[163]。
- 9月1‐23日 政府、2度目の日露戦争特別運行を実施[162]。
- 9月 南和鉄道と関西鉄道が合併[161]。
- 11月 官設鉄道、園部‐舞鶴間開通[164]。
- 11月3日 阪鶴鉄道、官設鉄道の園部‐舞鶴間を借り受け運行[165]。
- 11月 奈良鉄道と関西鉄道が合併[161]。
1905年(明治38年)

1906年(明治39年)
1907年(明治40年)
1908年(明治41年)
1909年(明治42年)
1910年(明治43年)

1911年(明治44年)
大正時代
都市化の進展と郊外の成立

明治末から昭和初期の関西は経済や消費、生活文化の面で日本随一の先進地域であり、鉄道においてもハード、ソフトの両面で日本の先端を行っていた[201]。この時期、都心の住宅難を背景に郊外では新中産階級を対象とする住宅地の開発が進められ[202][203][204][205]、阪神は1909年(明治42年)から分譲住宅の建設を行い私鉄による不動産経営の先駆的存在となり[206]、翌1910年(明治43年)には阪急も同様に住宅地の開発を開始した[207]。 国鉄京阪神区間の定期旅客は大幅に増加し[208]、電鉄各社もフリークエントサービスによって旅客輸送を充実させていった[209]。国鉄大阪駅のある梅田には阪神と箕有が進出し、大阪市電も大阪駅前に乗り入るようになり、梅田はターミナルの集中する一大鉄道拠点へと発展した[210]。
電鉄各社は沿線住民向けの娯楽施設も開設していった[211]。日本で最初に郊外で宅地開発が行われた阪神間において[212]、阪神は鳴尾(甲子園)の開発を行い、鳴尾百花園、競馬場、ゴルフ場、運動場を開場させ[213]、阪急も明治末に箕面動物園や宝塚進温泉をオープンさせ、沿線開発を推進した[214][215]。
市内交通モンロー主義
1903年(明治36年)、大阪市は市営モンロー主義と言われる交通政策を導入した。市営モンロー主義とは民営鉄道の市内への乗り入れを制限し、大阪都心の交通は大阪市が一元的に経営するもので、市財政の充実がその目的であった[216]。1900年代初頭、大阪市は路面電車による路線網を整備し、都市内移動手段の人力車や水上交通等から鉄道への転換が進められた[217] 。しかし1910年代後半になると、大阪市の人口増加により路面電車の輸送力は限界に達し、都市計画と一体化した地下鉄の建設計画が浮上した[218]。1927年(昭和2年)6月大阪市は内務省から軌道法の特許を獲得、1929年(昭和4年)6月には都市計画事業の認可を得て[219]、1933年(昭和8年)に公営としては初の地下鉄1号線が開業した。
年表
1912年(明治45年 /大正元年)
- 4月 阪堺電軌、浜寺延伸[148]。
- 6月16日 加太軽便鉄道、加太‐北島間開通[220]。
- 7月11日 兵庫電軌、須磨‐一の谷間開通[221][222]。
- 7月 三重交通、日永‐宝山間開通[223]。
- 8月15日 京津電気軌道、三条大橋‐浜大津・札ノ辻間開業[224][225][197]。
- 8月15日 三重軌道、八王寺‐日永間開通[226]。
- 8月17日 松阪軽便鉄道、松阪‐大石間開通[183]。
- 8月 松阪軽便、松阪駅‐大石間開業[184]。
- 10月25日 吉野軽便鉄道、吉野口‐吉野間開業[227][184]。
- 11月1日 阪神電鉄本線、滝道延伸[228][176][176]。
- 11月 南海、喫茶室付き急行列車の運行を終了[229]。
- 12月14日 京津電軌、三条大橋‐札ノ辻間の直通運転開始[230]。
1913年(大正2年)
- 1月26日 大阪電軌旧生駒トンネル建設現場で崩落事故。死者19名、生き埋め123名[231][232]。
- 3月1日大津電車軌道、大津‐膳所間開通[233][234][197]。
- 4月13日 能勢電軌(能勢電)、能勢口‐一の鳥居間開業[235]。
- 4月 播州鉄道、加古川町‐国包間開通[236]。
- 5月11日 兵庫電軌、一の谷‐塩屋間開通[221][222]。
- 5月 三重軌道、諏訪延伸[226]。
- 5月 吉野軽便鉄道、吉野鉄道に改称[184]。
- 6月1日 四日市鉄道、諏訪‐湯ノ山間、湯ノ山‐川島村間開通[227][237]。
- 6月1日 京阪宇治線開通[224][197]。
- 7月4日 京阪、本線で貨物輸送を開始[238]。
- 7月 南海上町線、住吉神社前‐住吉公園間開通[148]。
- 7月 養老鉄道、池野‐養老間開通[239][240]。
- 9月24日 四日市鉄道開業[241]。
- 9月 神戸電鉄平野線全面開通[194]。
- 12月 湖南鉄道開通[242]。
1914年(大正3年)

- 1月1日 加太軽便鉄道、南海鉄道和歌山市駅延伸[243]。
- 2月2日 工事中の大阪高野鉄道紀見隧道で崩落事故発生[244]。
- 2月15日 大津電軌、蛍谷‐石山寺間開通[245]。
- 4月5日 北勢鉄道、西桑名‐桑名町間開業[246]。
- 4月30日 大軌、上本町‐奈良(仮駅)間開通[188][247][231]。
- 4月 北勢軽便鉄道、大山田‐楚原間開通[248]。
- 5月15日 京阪、深夜0時台にノンストップの急行を運転。京阪特急の起源[195][249]。
- 6月12日 阪神電鉄梅田地上駅使用開始[176]。
- 7月8日 大軌、奈良駅開業[188]。
- 8月19日 阪神北大阪線開業[250]。
- 9月 京阪、宇治線で貨物輸送を開始[251]。
- 9月 播州鉄道、高砂‐高砂浦間が開通し全面開通[236]。
- 10月21日 高野登山鉄道、長野‐三日市間開通[128]。
- 10月27日 京阪、三条に延伸京阪電気鉄道開業[224]。
- 10月 高野登山鉄道、木津川停車場を新設[252]。
- 12月29日 安濃鉄道、新町‐椋本間開通[253][254]。
1915年(大正4年)
- 2月7日 天理軽便鉄道、新法隆寺‐天理間開業[227][255][189]。
- 3月11日 高野鉄道、三日市‐橋本間開業[128][244]。
- 3月 播州鉄道北条支線開通[236]。
- 4月1日 京阪、日本初の三位式色灯信号機の使用を開始[256][257]。
- 4月30日 高野登山鉄道、大阪高野鉄道に改称[128]。
- 4月 初瀬鉄道、長谷鉄道に吸収合併される[189]。
- 5月 有田軽便鉄道、海岸‐下津野間開通[258][259]。
- 6月 南海、阪堺電軌を合併[148]。
- 7月 新宮軽便鉄道、觜崎 - 新宮町間開通[260]。
- 9月10日 伊勢鉄道、高田本山‐白子間開通[261][184]。
- 9月 篠山軽便鉄道、弁天‐篠山町間開通[262]。
- 10月27日 京阪、三条延伸[257]。
1916年(大正5年)
1917年(大正6年)
1918年(大正7年)

1919年(大正8年)
1920年(大正9年)
1921年(大正10年)

1922年(大正11年)
1923年(大正12年)
- 2月28日 紀勢西線 、和歌山‐簑島間開通[293]。
- 3月20日 紀勢東線、相可口‐松原間開通[294]。
- 3月21日 大軌畝傍線全通[295][285]。
- 3月 別府軽便鉄道、別府‐土山間開業[259]。
- 4月13日 大阪鉄道、大阪天王寺‐道明寺間電化開業[296]。
- 4月 播丹鉄道設立。播州鉄道の事業引き継ぎ[297]。
- 4月 別府軽便鉄道土山線開通[298]。
- 5月 養老鉄道全線電化完成[240]。
- 5月 大和鉄道、味間‐桜井町間開業[270][189]。
- 6月 国鉄吹田操車場完成[299]。
- 6月 日本初の半鋼製電車、神戸市電 G車デビュー[300]。
- 7月1日 国鉄吹田操車場開業[301]。
- 8月19日 神戸姫路電鉄、明石‐姫路間直流1500ボルトで開業[221][222][302]。
- 9月 北丹鉄道、福知山‐河守間開通[303]。
- 11月3日 能勢電、妙見に延伸し全通[235]。
- 11月 淡路鉄道、市村‐賀集間開通[304]。
- 12月5日 吉野鉄道、吉野口‐橿原神宮前間開通。全線電化完成[295][184]。
1924年(大正13年)
1925年(大正14年)

- 1月16日 摩耶鋼索鉄道開業[275][308][309]。
- 2月1日 京阪電鉄と京津電軌が合併[234][197]。
- 3月15日 南海、本線と高野線の連絡線を岸ノ里に整備[128]。
- 3月 高野山電気鉄道、難波乗り入れ[252]。
- 3月21日 大軌八木線、高田‐八木間開通[307]。
- 4月1日 京阪、京津電軌を合併[310]。
- 5月5日 京津電軌、大津延伸[311][197]。
- 5月16日 信貴生駒ケーブル開業[275]。
- 6月 播州水力電気、播電鉄道に社名変更[260]。
- 7月17日 国鉄、ねじ式連結器から自動連結器への一斉交換を実施[312]。
- 7月30日 南海高野線、高野下延伸[128]。
- 8月26日 朝熊登山鉄道開業[275][158]。
- 8月 妙見鋼索鉄道開業[313]。
- 9月27日 京都電燈、出町柳‐八瀬間開業[314]。
- 9月30日 大軌信貴線八尾‐恩智間開通[307]。
- 11月 信貴鉄道、信貴生駒電鉄に改称[290]。
- 11月 日本初の全鋼製電車、阪急500形 510がデビュー[315]。
- 12月12日 伊勢鉄道神戸支線開通[289]。
- 12月20日 京都電燈鋼索線開業[275][316][317]。
- 12月 水間鉄道、貝塚南‐名越間開通[318]。
1926年(大正15年/昭和元年)

- 1月 水間鉄道、名越‐水間間開通[318]。
- 2月 伊勢電(II)、電化完成[319]。
- 3月 南海高野線・本線、岸ノ里‐天下茶屋に連絡線完成[320]。
- 5月 伊賀鉄道電化[184]。
- 6月22日 男山索道開業[275][321]。
- 7月16日 阪神甲子園線、甲子園‐浜甲子園間開業[322]。
- 7月 阪急、梅田‐十三間に日本初の高架複々線を完成させる[323]。
- 8月 朝熊登山鉄道開業[309]。
- 10月 大阪電軌、大阪鉄道の筆頭株主となる[324]。
- 11月 大阪鉄道、南大阪鉄道を合併[240]。
- 12月18日 阪急西宝線、今津延伸。今津線に改称[268]。
- 12月3日 南海、特急の運行を開始[292]。
- 12月26日 伊勢電、津‐松坂間電化[289]。
- 12月30日 生駒鋼索鉄道の複線化完成[273]。
- 12月 阪急電鉄今津線、西宮北口‐今津間開通[288]。
- 12月 加悦鉄道開通[325]。
昭和時代
東海道線電化と私鉄の対応

昭和初頭、鉄道省は東海道京阪神区間の電化計画を発表した。先行の電鉄各社は当初は計画の阻止に動いていたものの、その後積極的な設備投資により国鉄に対抗した。新京阪は1931年(昭和6年)、西院から京阪京都まで延伸し、1933年(昭和8年)には阪神が地下線で三宮乗り入れと京阪の蒲生信号所までの複々線化が完成した。1936年(昭和11年)、阪急は高架線で神戸延伸を実現し、阪神も三宮‐元町間を延伸開業させた[326]。国鉄は京阪神電化区間で毎時3本の電車列車の運転を計画していたが、各電鉄の積極策を受けてフリークェントサービスと急行電車の運行に踏み切った。軌道強化・複々線を含む大規模投資を実施とともに[327]、革新的な流線形電車モハ52を導入した[328]。この結果近畿圏の鉄道高速化が実現し、国鉄のモハ52急行は大阪‐神戸間を平均速度約80km/hで走行し[329]、新京阪の超特急が77.4km/h、阪和の特急も76.5km/hの平均時速の高速運転を行ったほか、南海と阪急神戸線の特急も平均時速60km/h台での運行を行い、設備投資の効果を乗客の利便性に反映させた[330]。
大阪市営地下鉄の創業

1925年(大正14年)の第二次市域拡張により、大阪市は日本最大にして世界6位の巨大都市に成長し、「大大阪」と呼ばれていた[331]。1893年(明治26年)に約54万人だった大阪市の人口は、1935年(昭和10年)には約299万人と6倍近く増加した[332]。大阪市は都市内の輸送力を強化するため、市内交通を路線バスと市電から地下鉄の整備へと転換した。大阪市営地下鉄の整備は都市計画と一体となっていた点に特徴があった[333][334]。 そのため、満州国の奉天や新京が地下鉄建設を企図した際には、両市とも大阪市に計画への参画を求めた[335][336] 。日本最初の公営地下鉄として1933年(昭和8年)に開業した1号線(御堂筋線)は、将来の長編成化を見越して8連対応で建設された。車両も全長17.7mの大型車両が用意され、主電動機170kW×2は戦前の日本の電車では最大であり、91.8kW×2の東京地下鉄・1000形の2倍近い出力を誇った[337]。
1930年代の好況と沿線開発の進展
1920年代後半以降、鉄道網の整備などによりさらに都市化が進んだ[338]。1932年(昭和7年)から始まった好景気のなか[339]、電鉄各社はターミナルや沿線への投資を活発に行い経営の多角化を進めていった。代表的なものが百貨店で1932年(昭和7年)の南海難波駅の高島屋[340]、翌1933年(昭和8年)の京阪天満駅の京阪デパート[341]と阪神三宮駅のそごう[342]、1936年(昭和11年)の大軌上本町駅の大軌百貨店[343]、1937年(昭和12年)の大阪鉄道阿部野橋駅の大鉄百貨店がターミナルに隣接して建設され[344]、1936年(昭和11年)の梅田阪急の大食堂では1日の来店客が2,500人にもなり賑わいを見せた[345]。また1930年代後半、電鉄各社はターミナルビルにニュース映画館を設け、都市住民の時間つぶしと待ち合わせ場所として機能していた[346]。この時期阪神、阪急、南海がプロ野球チームの経営に乗り出し1936年(昭和11年)に大阪タイガースと阪急軍、1938年(昭和13年)には南海軍が誕生した[347]。
トラック輸送との競合
永く貨物輸送の主役を務めてきた国鉄貨物だが、1920年代後半以降近畿圏ではトラックによる近距離輸送が発展し国鉄貨物輸送との競合状態へと至った[348]。1926年(大正15年/昭和元年)の 阪神国道開通によりトラックにシェアを奪われ、阪神電鉄の貨物営業は廃止され国鉄の貨物取扱量も大きく減少した[349][350]。
1933年(昭和8年)6月、京阪国道が開通すると、国鉄は対応策として貨物運賃の特別割引の導入と貨物快速列車を運行を開始した。貨物快速は従来京都‐大阪間が44時間、大阪‐神戸間は38時間を要していたが京都‐大阪・大阪‐神戸間を5時間半、京都‐神戸間は6時間で結び輸送時間の大幅短縮を実現した[351]。その後、貨物快速は関西本線、福知山線でも快速貨物列車を運行してシェアを拡大し続けるトラック輸送に対抗したが[352]、1936年(昭和11年)頃には大阪‐東京間で貨物自動車の営業も始まり[353]、鉄道貨物輸送は退潮傾向を示すようになった[354]。しかし1941年(昭和16年)に政府が貨物自動車も対象とした改正陸運統制令を施行した。トラック輸送は軍需輸送優先、ガソリン消費の規制、50キロ以上の運送禁止等の規制を受け総力戦体制に組み込まれることになった[355]。
総力戦と鉄道


中国大陸に満州国が建国された1932年(昭和7年)、国鉄と陸軍参謀本部との間で軍事輸送協定が締結された。1937年(昭和12年)6月には鉄道省は鉄道調査部を設置した。翌月、日本は日中戦争に突入し鉄道による軍事輸送は本格化していった[356][357]。軍事輸送は京浜地区と阪神地区への輸送が集中し[358]、近畿地方では1938年(昭和13年)に竜華操車場が新たに開業し、吹田操車場と梅田貨物駅の輸送機能の強化が図られた[359]。一方で旅客は列車も設備も縮小された。1943年(昭和18年)7月から不要不急路線の休廃止と単線化が推し進められ[360][361]、近畿地方では京阪石坂線の約半数の駅が休廃止され[362]、大阪地下鉄も戦争による資材不足などを理由に路線の建設が中断された[363]。政府主導による私鉄の再編も行われ、1943年(昭和18年)に京阪と阪急が統合されて京阪神急行が誕生し、翌1944年(昭和19年)には南海山手線を国有化の後、南海と関西急行が合併して近畿日本鉄道が成立した[364]。
一方で国民精神総動員運動下の皇威発揚を建前とした橿原神宮、伊勢神宮、神武天皇陵への巡礼などを主とする観光需要は旺盛で[365]、1940年(昭和15年)の皇紀2600年奉祝参拝を目的とした奈良県下への旅行客は、前年比2,095万人増の3,800万人に上った[366]。その後も戦争特需による好景気もあり観光需要が収まることは無かったが[367]、1944年(昭和19年)4月に政府が旅客輸送抑制を目的に1等車・寝台車・食堂車の廃止と急行列車の削減と[368]、「戦時特別賃率」による大幅値上げを行いようやく国民の旅行熱は沈静化した[369]。
1944年(昭和19年)の夏以降戦局の悪化が鮮明となり、鉄道輸送にもその影響が出始めた。サイパン陥落以降の空襲増加により鉄道車両・施設の被害が増加したのに加え、アメリカ軍による攻撃のため船舶の喪失も増えて海上輸送力の低下により、輸送の鉄道依存がさらに高まった。その結果、同年夏には大陸輸送の最重要幹線である山陽本線で輸送が破綻し始めていた[368][370]。
1945年(昭和20年)になると空襲による鉄道施設の損害も大きくなり、3月の空襲で阪神は尼崎の本社が[371]、南海は難波駅や天下茶屋工場などが被害を受けた[372]。6月には京阪新京阪線の淀川橋梁が被害を受け翌日から新京阪の梅田乗り入れが中止され[373]、7月には南海が再び空襲に会い車両29両を失い[374]、近鉄名古屋線の揖斐・長良川橋梁が空襲にあい崩落した[375]。同じく7月には国鉄東海道本線の阪神間で1日に1本しか列車が運行されない日も現れ、鉄道輸送が末期的状況を示した後[376]、日本は連合国に全面降伏して戦争は終わった。11月、国鉄は貨物列車の大幅減便と旅客列車を増便させる戦後初のダイヤ改正を実施した。貨物列車は山陽本線姫路口で1944年(昭和19年)当時から37往復減の23往復とされた[377]。在阪私鉄の強制的な国策合併の解消も行われ1947年(昭和22年)に南海は近鉄から独立し[378]、京阪神急行も1949年(昭和24年)に京阪と阪急に分かれたが、新京阪線は阪急に移管された[379][380]。
1947年(昭和22年)10月8日、近鉄は特急列車の運行を開始した。戦後鉄道界として最初の有料特急の運転であり画期的なものだった[381][382]。1949年(昭和24年)になると国鉄も東海道本線京阪神区間の急行電車と[383][384]、東海道本線の特急の運転を再開した[385]。
新幹線の開通とその影響
戦後の復興と共に東海道本線の貨客列車の運行本数は増加し、東海道本線の輸送力は飽和状態になっていったため、国鉄は戦前から計画されていた標準軌の高速鉄道、東海道新幹線を建設することになった[386]。東海道新幹線は開業した1964年(昭和39年)の毎時2本から3年後の1967年(昭和42年)には毎時6本、10分間隔へと運行本数も増え[387]、新幹線の輸送人数は順調に伸びていった[388]。
一方で、それまで名阪間の鉄道輸送で主導的地位にあった近鉄特急への影響は大きいものがあった。近鉄特急は新幹線開業直前の1964年(昭和39年)上半期では名阪間で69.4パーセントの輸送シェアを持っていたが、1965年(昭和40年)下半期24.7パーセントとなり、1966年(昭和41年)にはさらに19パーセントにまで低下した[389]。名阪間ではシェアを失った近鉄だが、東海道新幹線を利用した観光客の近鉄沿線への呼び込みには成功しており、名古屋‐宇治山田間の名伊特急は新幹線開業前の1963年(昭和38年)3月改正時の10往復から[390]、1965年(昭和40年)には25往復へと増発した他[391]、京都‐奈良間の京奈特急や湯の山特急、吉野特急も新幹線開業後に新たに設定した[392]。 その結果、近鉄特急全体の利用者数は1962年(昭和37年)を100とすると、1966年(昭和41年)には188と大幅に増加させていた[393]。
ニュータウンの建設と鉄道
1960年代の高度成長期に入ると大阪都市圏が拡大し郊外の宅地化が進み[394]、京阪神圏人口は1955年(昭和30年)の820万3000人から、1965年(昭和40年)には1129万1000人へと急増した[395]。近畿圏の中でも大阪と兵庫は日本の中でも特にニュータウンの開発が活発な地域であり[396]、日本最初のニュータウンである千里ニュータウンには阪急千里線と北大阪急行が開業し[397]、泉北ニュータウンには泉北高速鉄道が新たに敷設された[398]。
一方で路面電車は苦境に立たされていた。1960年代以降の都市化・郊外化は都心住民の減少を招き、またモーターリゼーションの進展による渋滞の慢性化による利便性の低下も利用者に敬遠された、全国的に路面電車は退潮傾向が鮮明になった[399]。 近畿圏でも1969年(昭和44年)の大阪市電と1971年(昭和46年)の神戸市電の全廃の後、1978年(昭和53年)には京都市電も廃止され京阪神から公営の路面電車が姿を消すことになった[400]。
1970年の大阪万博
1970年(昭和45年)には大阪万博が大阪府吹田市で開催された。5,000万人の来場者が見込まれた日本史上最大のイベントは[402]、結果的に予想を上回る6,422万人の来場者数を記録し、国鉄の利用者は約2,200万人にのぼった[403]。国鉄は万博輸送に備えて1969年(昭和44年)10月改正で新幹線の16連化と3‐6ダイヤによって輸送力を増強させ約1,000万人の輸送を達成した[404][405]。在来線でも山陽本線の輸送力強化のために27両の国鉄583系電車が増備などが行われた[406]。
また万博会場へのアクセス路線として、地下鉄御堂筋線と直通の北大阪急行が開業したほか、大阪市は大阪地下鉄堺筋線と千日前線の開業と、谷町線、中央線の延伸開業させた[407]。在阪私鉄でも近鉄が万博で来阪する観光客の取り込みを図ろうと大阪線の難波延伸、鳥羽線の開通、志摩線の改軌や600V区間の1500V化工事を実施した[408]。近鉄はこれらの路線にも特急を運行させ、1日約300本の特急列車を運転する近鉄特急ネットワークを完成させた[393]。
新快速の登場

1970年(昭和45年)10月のダイヤ改正から国鉄は新快速の運行を新たに開始した[409]。特別料金不用の京都‐大阪‐三宮間の速達運転に徹した列車であったが、当初は1時間に1本の運転であまり注目されることもなかった。1972年(昭和47年)にパターンダイヤが導入され[410]、1980年(昭和55年)に新快速専用の117系が投入されたが[411]、運賃の高さなどが敬遠され競合する京阪、阪急優位の状況を覆せない状況が続いた[411] 。
国鉄財政の破綻と解体

1950年代以降国鉄は自動車や海運にシェアを奪われ旅客・貨物ともに低下し[412][413]、1970年代には旅客・貨物とも輸送量そのものが減少するようになっていた[414]。このような状況下で国鉄は「東京五方面作戦」といわれる首都圏の通勤輸送改善策のために大規模投資を行い、財政破綻を招いてしまった[415][416]。その結果国鉄は毎年巨額の赤字を生み出し、1983年(昭和58年)には約10兆円もの債務を抱え込むことになった[417]。国鉄も人員削減や生産の向上など合理化を行おうとしたが、当時の国鉄は深刻な労使問題を抱えており、再建策は成果を上げることは無かった[418]。
1975年(昭和50年)11月に国鉄の労働組合が1週間にわたって実施したスト権ストは国鉄の乗客・貨物利用者のひんしゅくを買い[419][420]、翌1976年(昭和51年)に運賃の約50パーセント大幅値上げを行うと利用者の国鉄離れが発生した[421]。東海道新幹線の輸送人員は1978年(昭和53年)に、ピークの1975年(昭和50年)から20パーセントの減少を記録した[422]。国鉄は1976年(昭和51年)以降も運賃の値上げを続けたため乗客は減り続け、1980年(昭和55年)10月のダイヤ改正では終戦直後を除いては初の減量ダイヤを実施した[423]。
1970年代まで国鉄の再建策は輸送拡大による増収を図るものだったが、モータリゼーションや飛行機の利用が進む中、上手くいかなかった[424]。他方で赤字ローカル線問題もクローズアップされ、1980年代に入ると特定地方交通線問題として、貨物輸送の合理化と共に対策が進められた[425]。1984年(昭和59年)2月のダイヤ改正では、貨物輸送の赤字の元凶だったヤード系輸送は三分の一に大幅削減され、貨物列車の運行本数は半減した[426]。しかし国鉄の再建化は国鉄の解体・民営化へと進んでゆき1986年(昭和61年)11月に日本国有鉄道改革法が可決され、1987年(昭和62年)4月のJRへの移行が決定した[427]。
JR発足を目前にした1986年(昭和61年)11月のダイヤ改正では京阪神区間の普通列車が強化され、1時間当たり新快速4本、快速4本、普通8本のパターンダイヤが確立された。これに併せて117系電車を18両、京阪神緩行線用に205系電車が28両増備され、国鉄大阪局はJR移行後の電鉄各社との競争の準備を整えた[428]。また福知山線の全線電化も完成した[429]。
年表
1927年(昭和2年)


- 1月1日 宇治川電気、兵庫電軌を合併[430][222]。
- 3月15日 比叡山鉄道開業[275][431]。
- 4月1日 宇治川電気、神戸姫路電鉄を合併する[430][302][222]。
- 7月1日 大軌八木線布施‐八木間[280][295]、恩智‐高田間開通[307]。
- 7月1日 阪神国道線開通[228][432]。
- 9月 桑名電軌、桑名駅前‐桑名町開業[316]。
- 9月10日 琵琶湖鉄道汽船、坂本延伸[233][433]。
- 9月28日 大軌により参宮急行(参急)発足[434][435]。
- 10月 京阪電鉄、600形ロマンスカーをデビューさせる[234]。
- 11月 四日市鉄道、四日市‐諏訪間廃止[254]。
- 12月 国鉄、下関‐梅小路間で鮮魚特急の運行を開始[436]。
1928年(昭和3年)

- 1月21日 大津電軌と太湖汽船が合併し琵琶湖鉄道汽船が成立[310]。
- 1月 大軌、長谷鉄道を合併[319][189]。
- 2月 日本電気鉄道[注釈 2]、標準軌で東京‐大阪間を6時間で結ぶ高速鉄道を計画[437]。
- 3月 大阪鉄道、古市‐久米寺間開通[273]。
- 3月 大阪鉄道と吉野鉄道、相互運転を開始[319]。
- 3月29日 野上軽便鉄道、野上‐生石口間開通[438][263]。
- 4月養老鉄道、養老電鉄に経営譲渡[240]。
- 5月15日 琵琶湖鉄道汽船、湖南鉄道を合併[310]。
- 5月 男山索道、男山鉄道に改称[321]。
- 5月 大和鉄道桜井町‐桜井間開通[270]。
- 6月18日 高野山電気鉄道、高野下‐神谷間開業[439][440]。
- 6月 奈良電鉄開業[441]。
- 7月11日 阪神国道線、上甲子園‐甲子園間開通[228][322]。
- 8月1日 日本初のトロリーバス路線、日本無軌道電車運行開始[442]。
- 8月26日 宇治川電気、日本初の複電圧車を導入。兵庫‐姫路駅前間の直通運転を開始[430][222][443]。
- 9月10日 琵琶湖鉄道汽船、石山‐坂本間全通[444]。
- 9月 野上軽便鉄道、野上電気鉄道に社名変更[445][263]。
- 10月 京都電燈鋼索線開通[446][317]。
- 10月 奈良電気鉄道、桃山御陵前‐向島間に澱川橋梁を架設[447]。
- 11月1日 新京阪鉄道開業[257]。
- 11月3日 奈良電鉄(奈良電)桃山御陵‐西大寺間開業[448][449] [450] 。
- 11月15日 奈良電、京都延伸[451]。
- 12月1日 国鉄大阪荷扱所開業[452]。
- 12月10日 大軌、奈良電に乗り入れ開始[451]。
- 12月18日 神戸有馬電鉄有馬線、全線開業[453][454]。
- 12月20日 大阪鉄道、大阪阿部野橋電化延伸[455]。
- 12月 阪神電鉄伝法線全線開業[228][306]。
- 12月 京都電燈、全線複線化完了[317]。
- 12月 国鉄大阪荷扱所、梅田駅に名称変更[456]。
- 12月 鞍馬電鉄、山端‐市原間開通[457][458]。
1929年(昭和4年)

- 1月5日 大軌八木線、八木‐桜井間開通[295][280]。
- 1月10日 伊勢電鉄、四日市‐桑名間開通[459][184]。
- 2月21日 高野山電気鉄道、神谷‐極楽橋間開通[439][440]。
- 3月15日 国鉄城東貨物線開通[301]。
- 3月27日 大阪電気軌道生駒鋼索線開業[279][275]。
- 3月29日 大阪鉄道、久米寺延伸。吉野鉄道と直通運転を開始[295][240][455]。
- 3月 大軌、伊賀電鉄を合併[460][184]。
- 4月11日 京阪、琵琶湖鉄道汽船を合併[233][461]。
- 4月15日 世界初のターミナルデパート、阪急百貨店開業[462]。
- 4月 愛宕山鉄道、嵐山‐清滝間開業[313]。
- 4月 阪神、出屋敷‐東浜間開通[306]。
- 4月 養老電鉄、伊勢電鉄と合併[240]。
- 7月10日 信貴生駒電鉄、枚方東口‐私市間開業[463][290]。
- 7月18日 阪和電鉄、阪和天王寺‐和泉府中間、鳳‐阪和浜寺間開業[464]。
- 7月25日 愛宕山鉄道開業[275]。
- 7月27日 阪神電鉄本線、住吉‐石屋川間高架化[306][228]。
- 7月 南海、喫茶室付き急行の運行を終了[149]。
- 7月 出石鉄道、出石‐江原間開通[465]。
- 7月 愛宕山鉄道鋼索線開業[313]。
- 7月 志摩電気鉄道開通[158]。
- 8月1日 大軌、吉野鉄道を合併[466][295][184]。
- 10月1日 伊勢電と養老電鉄が合併[467][319]。
- 10月27日 参宮急行、桜井‐長谷寺間開通[295]。
- 10月29日 大軌、大阪鉄道を事実上の子会社化[466]。
- 10月 伊勢電鉄、養老電鉄を合併[459]。
- 12月 鞍馬電鉄、市原‐鞍馬間開通[457][458]。
1930年(昭和5年)

- 2月21日 参急、長谷寺‐榛原駅間開通[434]。
- 4月1日 伊勢電、津新地‐新松坂間開通[468][184]。
- 4月25日 東海道本線石山駅で脱線事故発生。
- 5月10日 京阪、和歌山支店を合同電気に売却[291]。
- 5月18日 参急津新線、中川‐久居間開通[434][460]。
- 5月 京都府、比叡登山鉄道の鋼索鉄道免許出願が風致上の理由で不許可とする[469]。
- 6月3日 阪神甲子園線、浜甲子園‐中津浜間開通[322]。
- 6月4日 京都府、東山の鋼索線3路線の建設を風致上の理由により不許可とする[470]。
- 6月16日 阪和電鉄、和泉府中‐阪和東和歌山間開通[464]。
- 6月29日 高野山電気鉄道鋼索線開業[439][440][471]。
- 9月15日 京阪、新京阪を合併[197]。
- 12月20日 参急、大阪‐山田間開通。大軌と参急、相互乗り入れを開始[434]。
- 12月26日 伊勢電、新松坂‐大神宮前間開通[468][184]。
- 12月15日 信貴山電鉄、高安山-信貴山門間と鋼索線が開業[471][279][309]。
- 12月 大軌信貴線、山本‐枚岡間開通[280]。
- 12月 大鉄、尺土‐南和御所前間開通[319][158]。
1931年(昭和6年)
- 1月 江若鉄道、近江今津に延伸し全線開通[284]。
- 3月17日 参急、宇治山田延伸し全線開通[319][434]。
- 3月31日 京阪新京阪線西院‐京阪京都間開業[291]。
- 3月 三重鉄道、四日市鉄道を合併[265]。
- 5月 北勢軽便鉄道、六石‐阿下喜間開通[248]。
- 6月15日 御坊臨港鉄道営業開始[472]。
- 7月8日 北勢鉄道全線開通[246]。
- 7月9日 阪和電鉄、ノンストップ特急の運転開始[473]。
- 8月 在阪私鉄各社、鉄道省の東海道・山陽本線電化の阻止運動を開始[474]。
- 8月 阪神電鉄、貨物営業を終了[475]。
- 9月 大軌、伊賀線を参宮急行に譲渡[184]。
- 11月2日 信貴山電鉄、信貴山急行に改称[476][273][435]。
1932年(昭和7年)
1933年(昭和8年)

- 2月16日 国鉄城東線、桜ノ宮‐大阪間電化[479][481]。
- 3月 国鉄東海道本線、京阪神区間の複々線化完成[456]。
- 5月20日 大阪市営地下鉄地下鉄1号線梅田‐心斎橋間開業[482]。
- 6月6日 宇治川電気、鉄道部門を分離。山陽電鉄発足[302][430]。
- 6月17日 阪神電鉄本線、三宮‐岩屋間地下線化。三宮地下駅開業[278]。
- 8月 山東軽便鉄道、貴志延伸[264]。
- 11月4日 阪和電鉄、紀勢西線直通の特急「黒潮」の運行を開始[483][464]。
- 12月20日 国鉄紀勢本線、紀伊田辺-紀伊富田観開通[473]。
- 12月20日 阪和電鉄、超特急の運行を開始[473]。
- 12月29日 京阪本線蒲生信号所‐守口間複々線化[311][484][485]。
1934年(昭和9年)


- 1月 阪神電鉄、梅田‐尼崎間に「特急車専用線」建設を計画[486]。
- 2月 有田軽便鉄道、海岸‐湯浅間営業休止[487][264]。
- 4月2日 京阪60形電車「びわこ号」 の運転開始[485][488]。
- 5月31日‐6月1日 阪急梅田駅と国鉄大阪駅の切替工事を実施[489][490]。
- 6月 北勢鉄道、北勢電鉄に改称[254]。
- 7月1日 新宮鉄道国有化[491]。
- 7月2日 京阪本線稲荷で、京都市電稲荷線との平面交差において衝突事故が発生。死傷者多数[492]。
- 7月20日 国鉄がダイヤ改正実施。大阪‐神戸間で急行電車の運行開始[493]。
- 7月20日 国鉄東海道・山陽本線吹田‐須磨間電化開業[489][494]。
- 9月9日 国鉄吹田操車場、第2期工事完了。日本最大の操車場誕生[301]。
- 9月20日 山陽本線、須磨‐明石間電化開業[489][495]。
- 9月21日 東海道線瀬田川橋梁で急行7列車が室戸台風による強風に煽られ横転する事故が発生。死者11名[496]。
- 11月17日 南海・国鉄紀勢西線間で相互乗り入れを開始[497]。
- 11月24日 流線形蒸機C53 43が国鉄鷹取工場で落成[498]。
- 12月 播電鉄道、路線廃止[260]。
1935年(昭和10年)
1936年(昭和11年)
- 1月 大軌と参宮急行、関西急行電鉄を設立[319][460]。
- 3月18日 阪神電鉄本線、三宮‐元町間開通[278][306]。
- 4月1日 阪急神戸線、西灘-神戸間高架線開通[501]。
- 5月13日 国鉄、52系電車の運転開始[502]。
- 5月20日 養老電鉄(2代目)設立[503]。
- 7月6日‐10日 鉄道省、大阪鉄道局管内において52系電車の性能試験を実施[504]。
- 7月19日 南海、日本(内地)初の冷房車の営業運転を開始[497]。
- 9月15日 参急と伊勢電が合併し関西急行電鉄発足[503][460]。
- 12月28日 三木電鉄三木線、鈴蘭台-広野ゴルフ場前間開通[454]。
- 12月 国鉄大阪駅の高架化完成[505]。
1937年(昭和12年)
1938年(昭和13年)

1939年(昭和14年)

1940年(昭和15年)

1941年(昭和16年)
1942年(昭和17年)
1943年(昭和18年)
- 2月1日 関西急行、大阪鉄道を合併[510][523][524]。
- 2月1日 中勢鉄道(元・大日本軌道伊勢支社)廃止[183][184]。
- 2月15日 国鉄、ダイヤ改正を実施。臨戦ダイヤに移行[525]。
- 6月 淡路鉄道、淡路交通に社名変更[526]。
- 7月1日 国鉄有馬線廃止[527]。
- 9月12日 関西急行、大阪鉄道を合併[261]。
- 9月25日 国鉄吹田操車場、第3期工事完成[301]。
- 10月1日 国鉄、ダイヤ改正を実施。決戦ダイヤに移行[525]。
- 10月1日 京阪と阪急が合併[528]。
- 11月21日 阪神電鉄武庫川線、洲崎‐武庫川間開通[529]。
- 10月1日 阪急電鉄と京阪電鉄が合併し京阪神急行が誕生[271][530]。
- 10月1日 国鉄信楽線休止[527]。
- 11月21日 阪神電鉄武庫川線、武庫川‐川西工場間開通[508]。
- 12月 大和鉄道営業休止、産業設備営団へ譲渡[270]。
- 12月 桑名電軌、営業を廃止し解散[316]。
- 12月 三重鉄道、諏訪‐内部間電化[248]。
1944年(昭和19年)
- 1月 大和鉄道、田原本‐桜井間廃止[449]。
- 1月 神都交通と朝熊登山鉄道、営業休止[309]。
- 1月 信貴山急行電鉄、営業休止[435][309]。
- 2月10日 妙見鋼索鉄道鋼索線廃止[531][313]。
- 2月11日 三重県下各私鉄が統合し三重交通が発足[441][158][246]。
- 2月15日 神戸有馬電鉄鵯越駅で脱線転覆事故発生。三十数名死亡[532]。
- 2月 摩耶鋼索鉄道休止[309]。
- 2月 六甲越有馬鉄道鋼索線休止[309]。
- 2月 男山鉄道休止解散[321]。
- 2月 愛宕山鉄道鋼索線区間廃止、平坦線区間の単線化実施[313]。
- 2月 有田鉄道、海岸‐藤並間休止[264]。
- 3月 篠山鉄道廃止[262]。
- 4月1日 関西急行、南和電鉄・信貴山急行を合併[441][158][516]。
- 4月8日 京阪神急行新京阪線、梅田乗り入れ[533][501]。
- 5月1日 南海、山手線を鉄道省へ譲渡[464][516]。
- 5月 出石鉄道営業休止[465]。
- 6月1日 関西急行鉄道と南海鉄道が統合し近畿日本鉄道(近鉄)が発足。路線長636.7kmを有する日本最大の私鉄が誕生[441][261][158]。
- 8月1日 国鉄阪和線鳳-東羽衣間単線化[534]。
- 8月 国鉄参宮線一部区間を単線化[534]。
- 8月17日 阪神電鉄武庫川線、武庫川‐武庫大橋間開通[529]。
- 10月 近鉄がダイヤ改正を施行。減速運転の実施と急行を廃止[375]。
- 10月1日 国鉄関西本線奈良-王寺間単線化[534]。
- 10月11日 国鉄東海道線大垣‐関ケ原間に下り迂回線が開通。旧線使用停止[535]。
- 11月12日 阪神電鉄武庫川線、国鉄線に接続[529]。
- 12月1日 東海道線東山隧道下り線・新逢坂山隧道登り外側線共用開始。膳所‐京都間3線化[536]。
- 12月 有田軽便鉄道、海岸‐藤並間休止[259]。
- 12月 愛宕山鉄道平坦線区間廃止[313]。
- 1944年 二見浦旅客索道、二見浦‐音無山間休止[316]。
- 1944年 京福電気鉄道鋼索線、西塔橋‐四明岳間開業。高祖谷‐延暦寺休止[316]。
1945年(昭和20年)

- 1月 阪神電鉄、浜甲子園‐中津浜間休止[431]。
- 1月 別府軽便鉄道、野口‐港口間休止[259]。
- 1月 国鉄明石電車区被災[522]。
- 2月 京都市電気局、東山仁王門‐蹴上間休止[537]。
- 2月 近鉄大浜線、大浜北町‐大浜海岸間休止[537]。
- 2月 近鉄法隆寺線法隆寺‐平端間休止[538][449]。
- 2月 近鉄南大阪線尺土‐橿原神宮駅間単線化[261]。
- 3月13日 南海難波駅・今宮戎駅・天下茶屋工場などが空襲により被災[372]。阪神電鉄尼崎本社被災[371]。
- 3月13‐14日 大阪地下鉄1号線、大阪大空襲に対応して終夜運転を実施[539][521]。
- 3月28日 阪神三宮‐元町間、運行を休止し軍事工場に転用される[540]。
- 3月 天理軽便鉄道撤去[259]。
- 3月 比叡山鉄道休止[431]。
- 4月3日 阪神電鉄尼崎本社被災[508]。
- 4月23日 阪神電鉄三宮駅地下構内被災[508]。
- 4月 別府軽便鉄道、別府鉄道に社名変更[298]。
- 5月1日 京阪神急行、交野電鉄を合併[541][512][291]。
- 5月1日 ‐ 6月30日 国鉄、決戦輸送を実施。軍事物資輸送の重点化[542]。
- 6月1日 近鉄、橿原神宮駅‐畝傍間休止[261]。
- 6月1日 京阪神急行新京阪線新淀川橋梁で空襲により車両が被弾[373]。
- 6月2日 京阪神急行新京阪線、梅田乗り入れ中止[373]
- 6月 愛宕山鉄道解散[313]。
- 6月 京阪神急行神戸・宝塚線、急行列車の運転を休止[543]。
- 6月 京阪神急行、天満・野田橋の両駅が被災[544]。
- 7月9日 南海、空襲により車両の焼失多数[372]。
- 7月11日 国鉄、皇土決戦輸送を実施[545]。
- 7月20日 南海、C58による2001系4連牽引の列車運行開始[372]。
- 7月24日 近鉄名古屋線 揖斐・長良川橋梁が空襲により転落[375]。
- 8月1日 近鉄生駒鋼索線、鳥居前‐生駒山上間運転再開[375][309]。
- 11月13日 阪神電鉄本線三宮‐元町間、単線で復旧[508]。
- 11月18日 三木電鉄鈴蘭台駅で脱線転覆事故発生。39名死亡・重軽傷者百数十名[532]。
- 11月20日 国鉄、戦後初のダイヤ改正を実施[546]。
- 11月 近鉄、[[近畿車輌|田中車輌]を買収。[547]。
- 11月 阪神三宮‐元町間運行を再開[540]。
- 12月15日 国鉄、列車運行本数の削減を行う[546]。
- 12月30日 阪神電鉄、本線の急行運転を再開[508]。
- 12月21日 京阪神急行京阪線と奈良電が相互乗り入れを開始[528][548][549]。
1956年(昭和31年)
1957年(昭和32年)
1958年(昭和33年)

1959年(昭和34年)

- 2月18日 阪急、梅田‐十三間の三複線完成[501]。
- 2月 在阪各私鉄(近鉄・京阪・阪急・阪神)へ大阪都心への乗り入れ免許が交付される[580]。
- 4月20日 国鉄、修学旅行電車「きぼう」の運転開始[581][582]。
- 4月 有田軽便鉄道廃止[259]。
- 7月15日 国鉄紀勢本線、新鹿‐三木里間開通。紀勢本線全通[583]。
- 9月22日 国鉄東海道線上郡電化[577]。
- 9月26日 伊勢湾台風が近畿地方に上陸[584]。
- 9月28日 近鉄大阪線大阪‐宇治山田間、南大阪線運転再開[584]。
- 9月29日 近鉄養老線、名古屋線伊勢中川‐四日市間運転再開[584]。
- 10月1日 近鉄伊賀線、伊勢線運転再開[584]。
- 10月15日 近鉄名古屋線名古屋‐蟹江間運転再開[584]。
- 11月5日 国鉄、東海道本線汐留‐梅田間で初のコンテナ特急「たから」の運行開始[585]。
- 11月19‐27日 近鉄名古屋線改軌工事を実施[586][450]。
1960年(昭和35年)
1961年(昭和36年)
1962年(昭和37年)
1963年(昭和38年)
1964年(昭和39年)
- 2月 三重電鉄設立[591]。
- 3月1日 近鉄湯の山線標準軌化[591][237]。
- 3月22日 国鉄大阪環状線が環状運転を開始[593]。
- 4月1日 近鉄、三重電鉄を合併[605]。
- 5月21日 阪神電鉄西大阪線、西九条延伸[606][607]。
- 9月24日 大阪地下鉄1号線新大阪延伸[608]。
- 10月1日 東海道新幹線開業[609]。
- 10月 近鉄伊賀線、伊賀神戸‐西名張間廃止[591][449]。
- 10月1日 近鉄奈良線新生駒トンネルの供用開始[590]。
- 10月1日 近鉄、信貴生駒電鉄を合併[605][610]。
- 10月31日 大阪地下鉄4号線本町延伸[611]。
- 12月28日 近鉄、湯の山線を標準軌化[509]。
- 12月 三重交通松坂線廃止[449]。
1965年(昭和40年)
1966年(昭和41年)
1967年(昭和42年)
1968年(昭和43年)
1969年(昭和44年)
- 4月16日 大阪地下鉄、5号線野田阪神-桜川間開通[625]。
- 7月25日 大阪地下鉄5号線、谷町九丁目-今里間開通[625]。
- 7月 大阪地下鉄、5号線に今里検車区開設[597]。
- 8月31日 大阪市営トロリーバス、阿倍野橋‐大池橋・8号線・9号線廃止[614]。
- 9月10日 大阪地下鉄5号線、今里‐新深江間開通[625]。
- 9月20日 近鉄奈良・京都・橿原・天理・生駒・田原本各線が1500V昇圧[591]。
- 9月30日 京都市営トロリーバス廃止[626]。
- 9月31日 大阪市営トロリーバス1号線、大阪駅前‐森小路間廃止[614]。
- 12月 近鉄志摩線営業休止[627]。
- 12月6日 大阪地下鉄、堺筋線天神橋筋六丁目-動物園前間開通[628]。
- 12月6日 大阪地下鉄中央線、本町‐谷町四丁目間開通[620]。
- 12月 大阪地下鉄、路線名称を〇号線から路線別名称に変更[619]。
- 12月 大阪地下鉄、港検車場廃止[597]。
- 12月 大阪地下鉄、堺筋線に東吹田検車場開設[597]。
- 12月 阪神電鉄国道線、西灘‐東神戸間廃止[228]。
- 12月 近鉄奈良線、油坂‐近鉄奈良間が地下化[591]。
1970年(昭和45年)
- 2月24日 北大阪急行電鉄(北大阪急行)開業[629]。大阪地下鉄御堂筋線江坂延伸[608]。
- 3月 近鉄、鳥羽線・志摩線の改軌と1500V化完了[591][630][627]。
- 3月11日 大阪地下鉄千日前線、桜川‐谷町九丁目間開通[631]。
- 3月13日 大阪万博会場内のモノレール運転開始[632]。
- 3月15日 近鉄大阪線、難波延伸[630][633]。
- 3月 神戸電鉄、鈴蘭台車庫・鈴蘭台工場新設[634]。
- 4月8日 大阪地下鉄谷町線天神橋筋六丁目駅の工事現場でガス爆発事故が発生[635]。
- 6月14日 大阪市営トロリーバス全廃[614]。
- 9月13日 万国博モノレール営業終了[617]。
- 9月14日 北大阪急行、千里中央‐万博中央口間廃止[636]。
- 9月 阪神電鉄本線、武庫川‐尼崎センタープール間高架化[606]。
- 10月1日 国鉄、東海道・山陽本線京都‐西明石間に新快速の運転を開始[637]。
1971年(昭和46年)
1972年(昭和47年)

1973年(昭和48年)
1974年(昭和49年)
1975年(昭和50年)
1976年(昭和51年)
1977年(昭和52年)
1978年(昭和53年)

1979年(昭和54年)
- 1月26日 姫路市交通局モノレール線廃止[617]。
1980年(昭和55年)

1981年(昭和56年)

- 2月5日 神戸で日本初の新交通システムとしてポートライナーが開業[671][672]。
- 3月16日 大坂市交ニュートラム住之江公園-中ふ頭間開通[673][672]。
- 3月 大阪地下鉄、南港ポートタウン線に南港検車場開設[674]。
- 4月1日 国鉄尼崎港線、旅客営業廃止[675]。国鉄福知山線塚口-宝塚間電化[676]。
- 5月29日 京都市営地下鉄(京都地下鉄)烏丸線北大路-京都間開通[677]。
- 8月 国鉄、新幹線による荷物輸送「レールゴー・サービス」開始[678]。
- 12月2日 大阪地下鉄千日前線南巽延伸[631]。
- 12月20日 能勢電川西能勢口‐川西国鉄前間の貨物営業を終了[235]。
1982年(昭和57年)
1983年(昭和58年)
1984年(昭和59年)

- 1月 南海、高野線の貨物輸送を終了[644]。
- 2月1日 国鉄尼崎港線廃止[682]。
- 2月 博多港‐大阪市場駅間の鮮魚特急がコンテナ列車化[683]。
- 2月 別府鉄道廃線[298]。
- 3月6日 南海高野線河内長野‐御幸辻間の複線化事業完了[653]。
- 4月3日 阪神電鉄、洲崎‐武庫川団地前間営業開始[508][550]。
- 4月 国鉄、地域別運賃制度を導入[684]。
- 10月1日 国鉄奈良線、関西本線奈良-木津間、和歌山線五条‐和歌山間、紀勢本線和歌山‐和歌山市間電化[685]。
- 12月1日 国鉄高砂線廃止[686]。
- 12月4日 京阪本線・宇治線・交野線 、架線電圧の1500V昇圧を実施[687]。
1985年(昭和60年)
1986年(昭和61年)
1987年(昭和62年)
1988年(昭和63年)
平成時代
近鉄名阪特急の復権

戦後、名阪間の旅客輸送においてイニシアチブを握っていた近鉄だったが、1964年(昭和39年)の東海道新幹線の開業によって大打撃を受けた。名阪間において7割の占めていた旅客輸送のシェアは新幹線の開通により2割まで低下した[704]。しかし1976年(昭和51年)以降の国鉄の相次ぐ運賃値上げと、労使紛争の結果名阪特急は競争力を徐々に回復し、新幹線開業前に近い水準まで利用者数を回復させていった[705][706]。そのような状況を好機ととらえ近鉄は1988年(昭和63年)、名阪間に新型特急車アーバンライナーをデビューさせた[701]。高品質なインテリアと最高時速120km/hの車両性能を備えたアーバンライナーは[707]好評で増備を重ね、運用も拡大していった[708]。
JR西日本の発足とその影響

1987年(昭和62年)4月、国鉄が分割民営化され近畿圏の国鉄路線はJR西日本が継承した。JR西日本は京阪神区間を最重要路線と位置づけアーバンネットワークと命名、私鉄が優位に立っていた同地域へ積極投資を行った[709]。1989年(平成元年)、JR西日本はアーバンネットワークの近郊用として221系電車をデビューさせたが、新会社発足後最初の新型車両を同地域に投入したことは、JR西日本の強い意気込みを感じさせた[710]。1991年(平成3年)には新快速の最高速度を120km/hに引き上げと[711]、北陸本線坂田-長浜間の直流化によるアーバンネットワーク区間の拡大を実施してさらに攻勢をかけた[712][713]。
1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神大震災は、沿線の鉄道に大きな被害をもたらした。JR西日本は私鉄各社に先がけ4月1日に復旧を果たし、6月まで復旧が遅れた阪急、阪神から定期旅客が流入することになった[714][715]。その後、1997年(平成9年)3月JR東西線によってアーバンネットワークがさらに強化されると、JR西日本の優位は決定的になった[716]。
年表
1989年(平成元年)
1990年(平成2年)
- 2月21日 六甲ライナー開業[672]。
- 3月10日 JR西日本、ダイヤ改正を実施。大和路快速で120km/h運転開始[719]。山陰本線京都‐園部間電化[720]。
- 3月20日 大阪地下鉄、鶴見緑地線京橋-鶴見緑地間開業。日本初のリニアモーターカー車両を導入[721][722]。
- 3月 大阪地下鉄、長堀鶴見緑地線に鶴見検車場開設[597]。
- 4月1日 JR西日本鍛冶屋線廃止[723]。
- 4月1日 JR西日本宮津線、第三セクター化。北近畿タンゴ鉄道宮津線発足[723]。
- 6月1日 大阪モノレール開業[617]。
- 7月 交通科学館、交通科学博物館に改称[724]。
- 10月24日 京都地下鉄烏丸線北山延伸[703]。
1991年(平成3年)
1992年(平成4年)
1993年(平成5年)
1994年(平成6年)
1995年(平成7年)

1996年(平成8年)
1997年(平成9年)
1998年(平成10年)
- 11月 阪急伊丹駅再建[732]。
1999年(平成11年)
2000年(平成12年)
2001年(平成13年)
2002年(平成14年)
2003年(平成15年)
2004年(平成16年)
2005年(平成17年)

2006年(平成18年)
- 10月1日 阪急と阪神が経営統合。阪急阪神ホールディングス(阪急阪神HD)発足[748][749]。
- 10月21日 JR西日本、ダイヤ改正を実施。長浜‐敦賀間を交流から直流電化に切り替え[750]。
2007年(平成19年)
2008年(平成20年)

令和時代
年表
2019年(令和元年)
2020年(令和2年)
2021年(令和3年)
2022年(令和4年)
2023年(令和5年)
- 3月 大阪駅地下駅開業[761]。






