フジキセキ

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フジキセキ
齊藤四方司の勝負服
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 青鹿毛[1]
生誕 1992年4月15日[1]
死没 2015年12月28日(23歳没)
サンデーサイレンス[1]
ミルレーサー[1]
母の父 Le Fabuleux[1]
生国 日本の旗 日本北海道千歳市[1]
生産者 社台ファーム千歳[1]
馬主 齊藤四方司[1]
調教師 渡辺栄栗東[1]
厩務員 星野幸男
競走成績
タイトル JRA賞最優秀3歳牡馬(1994年)
生涯成績 4戦4勝[1]
獲得賞金 1億2965万円[1]
勝ち鞍
GI朝日杯3歳S1994年
GII弥生賞1995年
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フジキセキ1992年4月15日 - 2015年12月28日)は、日本競走馬種牡馬である。

1994年中央競馬でデビュー。同年の朝日杯3歳ステークスに優勝し、JRA賞最優秀3歳牡馬[注 1]に選出。翌1995年の弥生賞を制し4歳クラシック戦線における最有力馬と目されたが、その初戦・皐月賞を前に屈腱炎を発症して引退した。その後は種牡馬となり、GI級競走7勝のカネヒキリをはじめとして11頭のGI級競走優勝馬を輩出している。

生い立ち

※2000年以前の出来事については、馬齢を旧表記(数え年)で記述している。

父・サンデーサイレンス

1992年4月15日、北海道千歳市社台ファーム千歳にて誕生。父・サンデーサイレンスは1989年の全米年度代表馬であり、種牡馬として日本に輸入された後に12年連続のリーディングサイアー(首位種牡馬)を獲得、「日本競馬に革命を起こした種牡馬」と言われた。本馬はその初年度産駒の1頭である。馬産地ライターの後藤正俊によれば、父に似た馬が活躍する傾向にあったヘイロー系(サンデーサイレンスの父)にあって、同年に生まれた67頭の中で同じ青鹿毛という点も含めて最も父に似た馬であり、サンデーサイレンス産駒が続々と誕生していた頃、牧場に対して「一番の期待馬」を尋ねた際、「躊躇なく挙げられたほど傑出した馬」であった[2]

出生直後に馬主の齊藤四方司が購買し、当時の社台ファーム千歳場長・吉田照哉の推薦で、渡辺栄厩舎(栗東トレーニングセンター)への預託が決まった。渡辺は直後に北海道へ飛び、実馬を見た際の印象を「垢抜けした、均整の取れた良い馬」と語っている[3]。2歳時から始まった育成調教においても、牧場スタッフからの評判は高かった[4]。競走年齢の3歳に達した1994年6月、「フジキセキ」と命名されて滋賀県栗東トレーニングセンターの渡辺厩舎に入った。馬名の「フジ」は富士山を意味し、「キセキ」には奇跡、輝石、軌跡といった様々な意味が込められている[5]。馬名登録の時は『富士奇石』として申請した。鉱物に詳しい友人の勧めで静岡県富士市出身の齋藤四方司は「富士山とキセキ(輝石、奇跡、軌跡)輝くような、ミラクルを起こして欲しい、栄光の軌跡を残して欲しい」そんな心情をこめて名付けた。『石』の文字が付いたことで当時、渡辺栄調教師は「ちょっと重そうな名前ですね」と言って笑っていた。

調教でも良好な動きを見せて渡辺に期待を抱かせたが、デビュー前の必修審査であるゲート試験(発馬機からの発走試験)には手こずり、合格までに5回を要した[6]

戦績

同年夏から始まった新馬戦ではサンデーサイレンス産駒が続々と勝ち上がり、「サンデーサイレンス旋風」と評された[7]。こうした中、フジキセキは8月20日の新潟開催新馬戦でデビュー。蛯名正義を鞍上に、当日2番人気の評価であった。スタートで大きく出遅れて最後方からのレースとなったが、最後の直線で先行勢を捉えると、そのまま独走態勢となり、1分9秒8のタイムで2着に8馬身差を付けて勝利を挙げた[8]

消耗を防ぐため[9]に夏はこの1戦のみに留めて調整に入り、2戦目は10月8日のもみじステークスとなった。本競走から、騎手は渡辺厩舎に所属していた角田晃一に替わった。レースでは全くの馬なり[注 2]のまま、レコードタイムでの勝利を挙げた[8]。2着馬は翌年の東京優駿(日本ダービー)を制することとなるタヤスツヨシであった。

12月11日に臨んだ3歳王者戦・朝日杯3歳ステークスでは、単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持された。レースでは引っ掛かる素振りを見せながらの先行策となった[5]が、最後の直線では楽に先頭に立った。ゴール前では最後方から追い込んだスキーキャプテンと馬体を接したが、並ばれるとまた伸びる勝負根性を見せてスキーキャプテンをクビ差退けて勝利した[8]。僅差にもかかわらず、鞭を使うことなくレースを終えた角田は、「とにかくエンジンが違うという感じ。加速する時なんか凄いですよ。楽勝でした。まだ今日で3戦目、今後どのように成長するのかとても楽しみです[5]」と、翌年に向けての期待を口にした。

朝日杯後は休養に入ったが、フジキセキは冬場も休むことなくトレーニングを行った[8]。当時、800メートルの坂路を駆け抜けるタイムは53秒台だったが、フジキセキはそれを上回る51秒台で駆け抜けていたため、その能力は「真剣に走ればもっとタイムを詰められた」とも言われていた[8]。しかしフジキセキは食欲が非常に旺盛であったため、トレーニングを行いながらも体重がどんどん増えていっていた[8]

1995年、4歳となったフジキセキはクラシックに向けて皐月賞トライアル競走弥生賞から始動。前走から16kg増という馬体重であったが、直前の調教では坂路コースで一番時計を出し、当日の単勝オッズは1.3倍を示した[10]。当日の馬場コンディションは重馬場で、ぬかるんで滑るため瞬発力を身上とする馬には分が悪いものとなっていた[8]。レースは前半1000m通過62秒5というスローペースの中で先行2番手を進み、第3コーナーから早々と先頭に立った。しかし後続との差を広げることができず、一旦は追い込んできたホッカイルソーに交わされかけた。しかし残り100mの地点から同馬を一気に突き離し[8]、2馬身半差を付けて勝利。並ばれてから僅か100mで2馬身半差を付けた瞬発力は二段ロケットにも喩えられ[11][12]大阪日刊スポーツ記者の蔵内哲爾は、「ターフを沸かせた過去のスーパーホースたちをも超えかねない資質を感じる。まさに"輝石"そのものだ」と賞賛した[13]

名実共にクラシックへの本命と目されたが、3月24日、左前脚に屈腱炎を発症していることが判明した。復帰までには1年以上を要すると診断され、馬主、生産者、調教師の協議の結果、そのまま引退・種牡馬入りが決定した[14]

種牡馬時代

引退後は種牡馬として社台スタリオンステーションで繋養された。繁殖シーズン途中の種牡馬入りだったが、父サンデーサイレンスの代用としても人気を集め、初年度から118頭の交配相手を集めた[15]。しかし初年度産駒は勝ち上がり率こそ悪くなかったが、GI戦線で目立った成績を挙げるものは現れなかった。2年目の産駒からはダイタクリーヴァが重賞で活躍、GI競走でも2着2回を記録したが、デビュー前に故障した期待馬も数多く、他に同等以上の活躍馬は出なかった[15]

種牡馬入り4年目には、日本初のシャトル種牡馬としてオーストラリアに渡り、南北半球で異なる繁殖シーズンを最大限に利用した。しかし、フジキセキ産駒はオーストラリアの競馬スタイルに合わず、同地では長距離向きの種牡馬と評価されたこともあって、オーストラリア産のフジキセキ産駒は南アフリカなどへ分散していった[16]

その後、2005年にカネヒキリジャパンダートダービーを制して産駒のGI競走初勝利を挙げると、翌2006年にはドリームパスポートが、勝利こそなかったもののクラシック競走や国際招待競走のジャパンカップで好走した。2007年からはGI級競走の優勝馬が相次ぎ、オーストラリア産馬からも、2008年のドバイシーマクラシックを制した南アフリカ調教馬・サンクラシーク高松宮記念を連覇したキンシャサノキセキなどが現れた。徳武英介は産駒の変化の要因として、フジキセキの血統的特徴が把握され始めたこと、東西のトレーニングセンターや民間の調教設備の充実により、産駒の故障が減った点などを挙げ、「時代がフジキセキに向いてきた」と語っている[17]。 数々のGI馬を輩出しながらクラシック競走には中々手が届かなかったが、2014年にイスラボニータが皐月賞を制し、16世代目にして悲願の産駒クラシック初制覇を果たした。

現時点ですべての出走世代から重賞勝ち馬を輩出している。2010年5月9日のNHKマイルカップで産駒のJRA通算重賞勝利数が50となり、49勝のシンザンを抜いて歴代単独10位、戦後の内国産種牡馬ではトサミドリに次ぐ歴代2位となった。さらに2012年3月10日の阪神スプリングジャンプでバアゼルリバーが勝利したことで55勝のトサミドリを抜いて戦後の内国産種牡馬では単独1位となった[注 3]。また、2011年5月7日の新潟競馬第12競走で産駒のJRA通算勝利数が1136となり、1135勝のトサミドリを抜いて歴代単独11位、内国産種牡馬では歴代トップとなった[19][注 4]

こうした産駒の活躍から、例年200頭前後、2006年には自己最多となる252頭の繁殖牝馬に種付けを行う人気人気を誇ったが[21]、2011年以降は種付けが行われなかった。社台スタリオンステーションから正式なアナウンスはなく、一部報道では「体調不良」と伝えられていた[22]。その後イスラボニータが皐月賞を勝った際、腰痛(頚椎狭窄症の治療)もあり[23]前年の2013年に種牡馬を引退し、社台スタリオンステーションの功労馬専用馬房でのんびり余生を送っていることが明らかにされた[23][24]

2015年12月28日、頚椎損傷の為死亡[23]。23歳没。

2021年、メガオパールカフェが登録抹消となり、JRAに所属するフジキセキ産駒がいなくなった[25]

競走成績

以下の内容は、JBISサーチ[26]およびnetkeiba.com[27]に基づく。

競走日競馬場競走名距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順タイム
(上がり3F)
着差騎手斤量
[kg]
1着馬(2着馬)馬体重
[kg]
1994.8.20 新潟 3歳新馬 芝1200m(良) 8 2 2 2.9(2人) 1着 1:09.8(34.8) -1.3 蛯名正義 53 (シェルクイーン) 472
10.8 阪神 もみじS OP 芝1600m(良) 9 7 7 1.2(1人) 1着 R1:35.5(35.2) -0.2 角田晃一 53 タヤスツヨシ 486
12.11 中山 朝日杯3歳S GI 芝1600m(良) 10 1 1 1.5(1人) 1着 1:34.7(35.7) -0.1 角田晃一 54 スキーキャプテン 492
1995.3.5 中山 弥生賞 GII 芝2000m(重) 10 8 9 1.3(1人) 1着 2:03.7(36.4) -0.4 角田晃一 55 ホッカイルソー 508
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

評価

競走馬として

1995年のクラシック三冠各競走は、皐月賞をジェニュイン(サンデーサイレンス産駒)、日本ダービーをタヤスツヨシ(同前)、菊花賞マヤノトップガンブライアンズタイム産駒)が優勝した。これらの競走へ不出走に終わったフジキセキであったが、無事ならば三冠を達成していた、または故障の前に三冠達成を予感していたとする者も存在する。3戦に騎乗した角田晃一は、「菊花賞は分からないですけど、皐月賞、ダービーまではたぶん大丈夫だったんじゃないかと思います」と語った一方で、「順調に使えていれば……って言いますけど、順調に使って勝った馬には敵わないです」とも語っている[28]

例えば、血統評論家の吉沢譲治は弥生賞を回想し、以下のように語っている。

次元の違う走りに衝撃を受けたものだ。サンデーサイレンス産駒に特有のすさまじい爆発力。それを最初に見せつけたのも、思えばフジキセキだった。
母系は名馬ミルリーフ英ダービー)が出た欧州伝統の名牝系で、母の父ルファビュリューも名ステイヤー[注 5]。この血統背景からも皐月賞の勝利は確信したし、前年のナリタブライアンに次ぐ2年連続の三冠馬誕生もあるように思えた。それほどにフジキセキの弥生賞は私に強烈なインパクトを残した[29]

吉沢は2006年4月に宝島社が刊行した『サンデーサイレンス大全』の誌内で企画された座談会に参加した際、参加者が一頭ずつ選出する「SS代表馬」(最も優秀なサンデーサイレンス産駒)において、競馬評論家の石川ワタルと栗山求が当時現役だったディープインパクトを選定したのに対して、吉沢はこれと最優秀2歳牡馬にフジキセキを選定し、理由として「故障は、SSの血が最高級ベンツであることを知らなかった初年度産駒の悲劇。スケールはディープインパクトよりも上だった。もしディープインパクトが初年度産駒であったなら、フジキセキと同じような使い方をされ、同じように壊れていたはず」と述べている[30]。なお、石川は「2歳のころは、ほんと、強かった」として最優秀2歳牡馬に、栗山は「他部門で選に漏れたので」という理由で、特別賞としてフジキセキをそれぞれ選定した[30]

また、後藤正俊は以下のように語っている。

平成7年だけで4頭のGI勝ち馬を輩出したサンデーサイレンスだが、代表産駒を1頭挙げればやはりフジキセキとなる。「幻のダービー馬」とか「無事なら三冠馬」と言われる馬はこれまでにもたくさんいた。見出しに困ったマスコミが安易に「幻」を連発していたためだが、フジキセキはそのなかで数少ない本当の「幻の三冠馬」だったような気がする。4戦4勝の成績、破ったホッカイルソー、スキーキャプテン、タヤスツヨシなどのその後の成績からの推測もあるが、それ以上に関係者の誰もが「サンデーサイレンスの代表産駒はタヤスツヨシやジェニュインではなくフジキセキ」と口を揃えていることが、その何よりの根拠となっている[31]

種牡馬として

社台スタリオンステーションの徳武英介は、前述の種牡馬としての初期のフジキセキの不振の原因を以下のように分析している。

「サンデーサイレンスをイメージして配合し、育成、調教してしまったことが大きな間違いでした。サンデーサイレンスは重厚感のある欧州系のステイヤー牝馬と合い、重たさを解消してシャープな馬を出しましたが、フジキセキは筋肉質で身体のボリュームもある馬です。サンデーサイレンスは全体に細身でつなぎが長く、クッションのいい馬が多いのですが、フジキセキは前脚がかために出るタイプで、かき込む走法になる。だから、どうしても脚元に負担が掛かってくるのです。産駒はただでさえ大きくなるから、余計に負担が掛かって故障馬が出ました」『優駿』2008年8月号、p.69

吉沢譲治は、日本国内における2005年頃までのフジキセキ産駒の一般的評価として、

  • 早熟のマイラー[注 6]
  • 大レースの底力が足りない
  • 牝馬しか活躍しない
  • 脚部不安を抱えた産駒が多い

の4点を挙げている[32]

故障が多いというイメージは、重要な牝馬の交配相手としては敬遠され、その質を下げる原因ともなっていた[15]。他方、吉沢譲治は初期のフジキセキの成績を、同じくサンデーサイレンス産駒のダンスインザダークと合わせて以下のように擁護している。

たしかに偉大な父と比べると内容は物足りない。しかし、それは父の実績があまりにも突出しているからであって、本来の種牡馬レベルから考えれば、かなり優秀である。しかも2頭は現在、強敵サンデーサイレンスと戦っているのだ。そのハンデを考えると、水準級どころか、大成功の部類に入るだろう。『優駿』2002年10月号、p.31

種牡馬成績

年度別種牡馬成績(平地、中央+地方)

出走勝利順位AEI収得賞金
頭数回数頭数回数
1998年3210913162350.699748万5000円
1999年1125654966351.185億8207万5000円
2000年18710747812771.9015億4706万3800円
2001年222144711419961.8117億1119万1000円
2002年21713978918351.9616億7854万2000円
2003年233140610919381.6715億0094万6000円
2004年296174512019041.7118億5550万8500円
2005年310191814524631.9823億0560万1000円
2006年317193114423822.2127億5492万6000円
2007年306188912622351.8222億2057万1000円
2008年329196811820921.9125億5504万2500円
2009年326215613223261.7322億3253万8000円
2010年356216615826321.8927億7263万7000円
2011年331200115329271.7422億5432万2500円
2012年341235415226261.6520億2445万1000円
2013年3492456159269101.5020億1819万2000円
2014年2741979118202111.6318億0841万4000円
2015年153131869166151.7711億3206万4500円
2016年886752649351.575億9858万3500円
2017年434051830611.913億6037万1000円
2018年18170571450.794313万1000円
2019年1062111671.0979万4000円
2020年15004400.21182万0000円
通算CPI=1.63

GI級競走優勝馬

英字馬名は日本国外の調教馬。

グレード制重賞優勝馬

地方重賞優勝馬

母父としての主な産駒

グレード制重賞優勝馬

※太字はGI級競走、*は地方重賞を示す。英字馬名は日本国外の調教馬。

Yosei

地方重賞優勝馬

血統表

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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