田中幾之助

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生誕 1903年4月19日
死没 1983年5月14日
職業 能楽師
流派 宝生流
たなか いくのすけ
田中 幾之助
生誕 1903年4月19日
死没 1983年5月14日
職業 能楽師
流派 宝生流
受賞 日本藝術院賞(1982年度)
重要無形文化財(総合認定)保持者(1957年)
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田中 幾之助(たなか いくのすけ、1903年4月19日 - 1983年5月14日)は、日本の能楽師宝生流シテ方として活動し、1957年(昭和32年)日本能楽会(重要無形文化財「能楽」保持者に総合認定された者の団体)が結成され、同年から日本能楽会会員(初代認定された40人の内の一人)。1982年度(第39回)に日本藝術院賞を受賞した。[1][2]

1914年、先々代宝生宗家に入門した。1919年に『金札』で初シテを勤め、以後、宝生流を代表するシテ方の一人として活動した。[1]

芸歴

宝生流や宝生九郎知栄に関する解説では、田中幾之助は松本長野口兼資近藤乾三高橋進らとともに、宝生九郎知栄門下の名手として挙げられている。[3]

1982年度(第39回)には、日本藝術院賞を受賞した。授賞対象は「能楽界に尽くした業績に対し」であった。1983年5月14日、死去した。[1][2]没後には勲四等旭日小綬章が追贈された。法名は一華院至道禅機居士。

雑誌『宝生』には「仕舞講座―蝉丸」を寄稿しており、宝生流の芸の伝承にも関与していたことがうかがえる。[4]

栄典

  • 1957年 重要無形文化財(総合認定)保持者(能楽[1]
  • 1982年度(第39回) 日本藝術院賞(邦楽、「能楽界に尽くした業績に対し」)[2]

ビデオグラム

脚注

参考文献

関連項目

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