樽本樹邨
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名古屋市に生まれる[2][4]。中京商業高校在学中は野球部に所属し、所属中の1954年に同部は全国高等学校野球選手権大会で優勝を果たしたが、部員のレベルが高く、樽本自身はボールさえ持たせてもらえなかった立場であり、のちに書道部へ移った[4]。書道部では中林子鶴の指導を受け、張猛龍碑の書写を重ねたことが、その後の書業の基礎になったと回想している[4]。
中京大学商学部を1960年に卒業した[4]。その後、中京商業高校教諭、中京大学文学部講師、助教授、教授を務め、のちに中京大学名誉教授となった[4][5]。青山杉雨に師事し、力強い楷書で知られた[2][5]。
1962年、25歳で日展に初入選した[4][2]。1982年および1984年に日展特選を受賞し、2008年には「應詔讌曲水詩」により日展文部科学大臣賞を受賞した[5]。また、「現代書道二十人展」で活動し、全日本書道連盟理事長なども歴任した[2]。創業間もないコメダ珈琲店の屋号を書いたことでも知られる[2][4]。
受賞・栄典
脚注
参考文献
- “歴代授賞者一覧”. 日本藝術院. 2026年4月5日閲覧。
- “「コメダ珈琲店」の看板文字を手掛けた書家、樽本樹邨さん死去…読売書法会顧問”. 読売新聞オンライン. 2026年4月5日閲覧。
- “日展会員の逝去について”. 公益社団法人日展. 2026年4月5日閲覧。
- “樽本樹邨”. コトバンク. 2026年4月5日閲覧。
- “歴史証言「あのころ」 樽本英信さん”. 梅村学園. 2026年4月5日閲覧。
関連項目
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| 太字は恩賜賞受賞者。雅号、筆名、芸名等は受賞時のものによる。表記揺れによる混乱を避けるため、漢字は便宜上新字体に統一する。 | |||||||||