オスカー・ピアストリ
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| オスカー・ピアストリ Oscar Piastri | |
|---|---|
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オスカー・ピアストリ (2026年中国GP) | |
| 基本情報 | |
| フルネーム |
オスカー・ジャック・ピアストリ Oscar Jack Piastri |
| 略称表記 | PIA |
| 国籍 |
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| 出身地 | 同・ビクトリア州メルボルン |
| 生年月日 | 2001年4月6日(24歳) |
| F1での経歴 | |
| 活動時期 | 2023- |
| 所属チーム | '23- マクラーレン |
| 車番 | 81 |
| 出走回数 | 73 (71スタート) |
| タイトル | 0 |
| 優勝回数 | 9 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 27 |
| 通算獲得ポイント | 820 |
| ポールポジション | 6 |
| ファステストラップ | 9 |
| 初戦 | 2023年バーレーンGP |
| 初勝利 | 2024年ハンガリーGP |
| 2025年順位 | 3位 (410ポイント) |
| (記録は2026年第3戦日本GP終了時) | |
オスカー・ジャック・ピアストリ(Oscar Jack Piastri, 2001年4月6日 - )は、オーストラリア・ビクトリア州メルボルン出身のレーシングドライバー。
幼少期
オーストラリアのビクトリア州メルボルンで生まれた。 父のクリス・ピアストリは、自動車ソフトウェア会社であるHPチューナーズの創業者兼オーナーである[1]。同社は、ピアストリのジュニア・フォーミュラのキャリアに最大650万豪ドルを後援したという。 父はピアストリがオーストラリアの全国選手権に出場した際に、カートのメカニックを務めた。母のニコール・ピアストリ(旧姓マクファディン)は、オスカーと3人の妹、ハッティー、エディ、メイをメルボルン郊外のブライトンで育てた。 ピアストリは父親からイタリア、ユーゴスラビア、中国の血を引いており、母親からはスコットランドとアイルランドの血を引いている。 幼少期は寝る前によく自動車の本を読まれており、それがきっかけで6歳の頃に出張中の父親がラジコンカーを買い与え、裏庭でレースを始めるようになった。
ピアストリは9歳でリモートコントロールレーシングオーストラリアで競技レースを始め、カートレースに移る前に全国選手権のセカンダリークラスで優勝した。
カート
ラジコンレースでの成功に続き、2011年に10歳で地元メルボルン郊外のクレイトンサウスにあるオークリーゴーカートレーシングクラブ(OGKRC)でカートレースの世界へ移った。
フォーミュラ4
2016年からシングルシーターレースへステップアップする。Dragon F4よりフォーミュラ4・UAE選手権へ出場し、いきなり2度の表彰台を飾り、総合6位につく。
翌年は、F4・イギリス選手権からクリスチャン・ホーナー創設のチームにフル参戦。6勝をあげて総合ランキング2位でシーズンを終えた。
フォーミュラ3
2019年10月、プレマ・レーシングからフォーミュラ3のテスト走行へ参加した。フォーミュラ・ルノーでの好成績により、2020年1月にルノー・スポール・アカデミー(アルピーヌ・アカデミーの前身)に加入[2]。同郷の先輩マーク・ウェバーが夫人と出資者とともに経営する「JAMスポーツマネージメント」のクライアントとなり、ウェバーからマネージメントやメンタル面でのアドバイスを受けるようになる[3]。
2020年1月、FIA フォーミュラ3選手権にプレマ・レーシングからフル参戦が決定した。チームメイトは、ローガン・サージェントとフレデリック・ヴェスティ。初年度から2度の優勝を含む、6回の表彰台を経験し、シリーズチャンピオンを獲得。
フォーミュラ2
2020年12月頃に、プレマ・レーシングからフォーミュラ2のテスト走行に参加した。その後、FIA フォーミュラ2選手権にプレマ・レーシングからフル参戦が決まった。チームメイトは、ロバート・シュワルツマン。ピアストリはミック・シューマッハの席に入った。初年度から6度の優勝を含む、11回の表彰台を経験し、5度のポールポジションを獲得する圧倒的な力を見せた。総合ランキング1位でシーズンを終えた。
フォーミュラ1
2023年
2022年8月2日、アルピーヌはアストンマーティンへ移籍するフェルナンド・アロンソの後任として2023年から起用すると発表。しかし、のちに自身のTwitterにて発表内容を全面的に否定するTweetを発信した[4]。
9月2日、マクラーレンはチームを離脱したダニエル・リカルドの後任として2023年から起用すると発表[5]。契約は複数年契約。チームメイトはランド・ノリス。固定カーナンバーは、「どういうキッカケで選んだのかは覚えていないけど、10桁の番号を1から8に変えて以来、ずっとこれを使い続けている」という理由で「81」を選択した[6]。
9月23日、鈴鹿サーキットで行われた第16戦日本グランプリでは、予選ではチームメイトのランド・ノリスを上回り自身初のフロントローを獲得。翌24日に行われた決勝では、自身初の3位表彰台を獲得。マクラーレン所属ドライバーが鈴鹿で初表彰台を獲得するのは、1993年のミカ・ハッキネン以来30年ぶりとなった。10月7日、ロサイルインターナショナルサーキットで行われた第17戦カタールGPでは、スプリントレースにおいて優勝を果たした。
2024年
2024年7月21日、2024年F1第13戦ハンガリーグランプリにて、初優勝。アゼルバイジャングランプリでも勝利を挙げた。
2025年
2025年3月22日、2025年F1第2戦中国グランプリにて、初ポールポジションを獲得し、翌3月23日には、初ポール・トゥ・ウィンを達成した。最終戦まで激しいチャンピオン争いを展開し、ドライバーズランキング3位につけた。