オリバー・ベアマン
From Wikipedia, the free encyclopedia
| オリバー・ベアマン Oliver Bearman | |
|---|---|
|
オリバー・ベアマン (2025年日本GP) | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
|
| 生年月日 |
2005年5月8日(20歳) オリバー・ジェームス・ベアマン Oliver James Bearman |
| 出身地 |
ロンドン ヘイヴァリング区 |
| 基本情報 | |
| 略称表記 | BEA |
| F1での経歴 | |
| 活動時期 | 2024,2025- |
| 過去の所属チーム | '24 フェラーリ |
| 所属チーム | '24,'25- ハース |
| 車番 |
38 (2024) 50 (2024) 87 (2025- ) |
| 出走回数 | 30 |
| タイトル | 0 |
| 優勝回数 | 0 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 0 |
| 通算獲得ポイント | 65 |
| ポールポジション | 0 |
| ファステストラップ | 0 |
| 初戦 | 2024年サウジアラビアGP |
| 2025年順位 | 13位 (41ポイント) |
| (記録は2026年第3戦日本GP終了時) | |
オリバー・ジェームス・ベアマン(Oliver James Bearman, 2005年5月8日 - )は、イギリス・イングランド出身のレーシングドライバー。
名前をオリバーの愛称である「オーリー」(Ollie)と呼ばれることがある。
カート
ベアマンは2013年よりカートを始め、地元で開催されている「トレント・バレー・カート・クラブ」の選手権へ出場した。その後「スーパー1・ナショナル・チャンピオンシップ」へ参戦し、2016年・2017年とそれぞれカデットカテゴリーで総合2位の成績を収めている[1][2]。2017年は他にも「カートマスターズ・ブリティッシュ・グランプリ」で優勝した。2019年は、「IAME・インターナショナル・ファイナル」「IAME・ユーロ・シリーズ」「IAME・ウィンター・シリーズ」で勝利を飾りカートキャリアを締めくくった[3][4][5][6]。
ジュニア・フォーミュラ
2020年
2020年、US・レーシングから「ADAC・フォーミュラ4選手権」と「イタリアF4選手権」へ参戦[7]。シングルシーターデビューを果たす。「ADAC・F4」は開幕戦・第2戦と連続でポイントを獲得し、第3戦(ホッケンハイムリンク)・レース2で初優勝を飾る[8]。その後は第4戦(ニュルブルクリンク)と最終戦(オッシャースレーベン)で3位表彰台を獲得した。総合7位(144ポイント)でルーキーイヤーを終える[9]。「イタリアF4」では2度表彰台へ登壇した。その内の1回は、最終戦(ヴァレルンガ)での優勝がある[10]。最終結果は総合10位となった。
2021年

2021年、ベアマンはファン・アメルスフォールト・レーシングへ移籍し、2年目の「ADAC・F4」「イタリアF4」へ参戦する[11]。「イタリアF4」開幕戦(ポール・リカール)・レース1で3位表彰台を獲得、レース3でも2位へ入る。第2戦(ミサノ)・レース2から第4戦(イモラ)・レース2までにおいて7連勝を記録しチャンピオンシップを大きくリードした[12][13]。イモラのレース3はエンジンに関する規定違反が見つかり失格となったため8連勝はならなかった[14]。それでも第5戦(レッドブル・リンク)・レース1でシーズン8勝目を挙げた[15]。最終戦(モンツァ)では3連勝を飾りシーズンを締めくくった。343ポイントを獲得し、2位のティム・トラムニッツへ100ポイント以上の大差を付けタイトルを獲得した[16]。

「ADAC・F4」では、6勝を挙げ最終戦(ニュルブルクリンク)まで首位争いを繰り広げる。ティム・トラムニッツとの争いを制してタイトルを獲得した。ベアマンは1年間に「フォーミュラ4」のタイトルを2つ獲得した初めてのドライバーとなった[17]。
2021年9月、2回のF4タイトルを獲得したベアマンは「オートスポーツ・BRDC・アワード」にノミネートされる[18]。12月には、BRDCが最も優れたパフォーマンスを示した若手へ贈る「ザ・ヘンリー・サーティース・アワード」を受賞した[19]。
BRDC・フォーミュラ3選手権 / GB3選手権

2021年、F4で活躍する傍ら「BRDC・イギリス・フォーミュラ3選手権」(シーズン途中に「GB3選手権」へ改称)へスポット参戦する。フォーテック・モータースポーツからエントリーして、ロベルト・ファリアとミッケル・グルントヴィがチームメイトとなった[20]。開幕戦(ブランズ・ハッチ)で2レース連続2位表彰台を獲得し速さを見せる[21]。次戦は第5戦(スネッタートン)へ出場。復帰レースで予選ポールポジション、決勝はトップチェッカーを受け初優勝を果たした[22]。続く第6戦(シルバーストン)も連続ポールを獲得したが、レース1で脱輪によりリタイアを喫する。レース2は2位で終えた。
FIA フォーミュラ3選手権

2021年10月31日、ベアマンはプレマ・レーシングから「FIA フォーミュラ3選手権」のポストシーズンテストへ参加した。年末にはジャック・クロフォード、アーサー・ルクレールと共にプレマのレースドライバーとして本戦へ参戦することを発表した[23]。2022年開幕戦(バーレーン)・スプリントレースは、トップチェッカーを受けたがトラックリミット違反が発覚し2位へ後退したため初出場初優勝はならなかった[24]。フィーチャーレースは6位入賞となる[25]。第2戦(イモラ)では奮わずノーポイントに終わった。フィーチャーレースで4位フィニッシュするが、最終ラップに他車との接触が審議されその後17位へ降格された。第3戦(カタロニア)は、フィーチャーレースで5位入賞を記録する。
ベアマンはその後調子を取り戻し、4戦連続でフィーチャーレースで3位表彰台を獲得する。第7戦(スパ・フランコルシャン)スプリントレースでは5番グリッドからスタートし、2度の赤旗中断となる波乱の展開を制しF2初優勝を飾った[26][27]。続く第8戦(ザントフォールト)の予選は赤旗の影響により思うようなアタックができず、14番グリッドと下位からのスタートとなってしまう[28]。スプリント・フィーチャー共に入賞圏外に沈みポイントを獲得はならなかった[29][30]。ベアマンはシーズンを通してタイトル争いに加わった。最終戦(モンツァ)・スプリントレースは7番グリッドからスタート。第1シケインで前方の2台をオーバーテイクするなど着実に順位を上げ2位まで浮上した[31]。フィーチャーレースはゼイン・マロニーと首位争いをするが、赤旗でレースがストップしたまま中止となったため2位でレースが終了した[32]。タイトル争いは首位のビクター・マルタンスへ7ポイント足りず、総合3位(132ポイント)でシーズンを終える[33]。
FIA フォーミュラ2選手権
2023年

2022年11月14日、プレマから「FIA フォーミュラ2選手権」への参戦が決定する[34]。チームメイトはメルセデス・ジュニア・チーム所属のフレデリック・ヴェスティ。開幕戦(バーレーン)予選は12番グリッドに着けたが、スプリントレースでは順位を落とし15位でデビューレースを終えた[35]。フィーチャーレースはスタートの混乱に乗じて4位までポジションアップに成功するが、タイヤのデグラデーションが影響し早めのピットインとなってしまう。その後は順位を上げることができず下位へ沈み14位でフィニッシュした[36]。第2戦(ジッダ)は、フリー走行でトップタイムをマーク[37]。予選はフロントローを獲得した[38]。スプリントレースは、テオ・プルシェールとの接触により両者リタイアとなった[39]。フィーチャーレースではスタートでトップに躍り出る。しかし単独スピンを喫し順位を下げ入賞圏内ぎりぎりの10位でレースを終えた[40]。
第3戦(アルバート・パーク)予選、雨が降る中序盤でクラッシュするも6番グリッドを確保した[41]。スプリントレースは順位を下げるが7位入賞となった。フィーチャーレースはピットレーンでアイザック・ハジャーと接触しパンクするなど上位進出が難しくなり17位でレースを終える[42]。第4戦(バクー)は予選でトップタイムをマークして初のポールポジションを獲得した。スプリントレースではプルシェールがグリッド降格ペナルティを受けたため9番手スタートとなる[43]。レースはファステストを何度も更新し順位を上げていき、セーフティカー後の再スタートに相手のミスを突いてトップに立った。その後再びセーフティカーが導入・先導されたままチェッカーが降られF2初優勝を果たした[44]。ベアマンは、F2史上プルシェールに次いで2番目の若さでの勝利となった[45]。翌日のフィーチャーレースも首位を譲らずトップチェッカーを受け、「GP2シリーズ」から続いて史上9人目、ルーキーとしては4人目の1ラウンド2勝を果たした[46][47]。
第5戦(モンテカルロ)は、スプリントレースでサスペンショントラブルによりリタイア。フィーチャーレースでは11位とノーポイントに終わる。
第6戦(カタロニア)予選はシーズン2度目のポールを獲得した。スプリントレースはリバースグリッドから7位まで順位を上げた。フィーチャーレースでは、スタートを決め14周目にピットイン。その後は後続に迫られるも最後まで首位をキープして3勝目を挙げた。この地点でドライバーズポイントが70点となり、ランキング首位のヴェスティへ40ポイント差の4位に浮上した[48]。
第7戦(レッドブル・リンク)予選は19位と沈む。スプリントレースはドライタイヤでスタートし、ポイント圏内まで順位を上げる。タイヤの摩耗により上位へ詰めることはできず9位でチェッカーを受けた。3位でフィニッシュしたクレメント・ノバラクがタイヤの空気圧違反で失格となったため8位へ繰り上がった[49]。フィーチャーレースは27周目にピットイン、セーフティカー導入の際に順位を上げ5位でチェッカーを受けた[50]。
地元レースとなる第8戦(シルバーストン)予選は、5番グリッド確保する。スプリントレースは2位まで順位を上げたが、その後スピンを喫してポジションを5位へ落とす。その後、ジャック・ドゥーハンと3位争いを繰り広げるが、サイド・バイ・サイドとなった際にコースオフし6位まで後退。そのままチェッカーを迎えた[51]。フィーチャーレースは8位入賞する[52]。
第9戦(ハンガロリンク)予選を7位で通過。スプリントレースは終盤にプルシェールを抜き去り3位表彰台を獲得した。フィーチャーレースでは早めのピットインが影響し12位でレースを終える。第10戦(スパ・フランコルシャン)では3回目のポールを得るが、スプリントで12位。フィーチャーレースはマルタンスとの接触によりペナルティを科され順位を落とし7位でレースを終えた[53]。総合ランクはこの地点で6位(100ポイント)となっている。
第11戦(ザントフォールト)は予選6位。スプリントレースは豪雨でレース途中に赤旗中止となるが、3位までポジションアップしている。しかしレースの周回不足が考慮され全車ノーポイントの裁定となった[54]。フィーチャーレースは接触によりリタイアを喫する[55]。これによりタイトル獲得の可能性が消滅した。
第12戦(モンツァ)予選はフロントローを確保した。スプリントレースでは9番手スタートから3つ順位を上げ6位でレースを終える[56]。フィーチャーレースはスタートでポールのプルシェールを捉え首位へ浮上。3度セーフティカーが出動する中順位をキープしシーズン4勝目を挙げた[57]。
最終戦(ヤス・マリーナ)の予選は奮わず17位と下位へ沈む。スプリントは10位まで順位を上げるがポイント獲得はならず[58]、フィーチャーレースでも20周目にマシントラブルによりリタイアとなってしまった[59]。ドライバーズランクは6位(130ポイント)となり、シーズン4勝・ポールポジション2回・ファステストラップ2回という成績でルーキーイヤーを終えた[60]。
2024年

2024年もプレマからのエントリーが決まり、チームメイトは、前年の「フォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ」でタイトルを獲得したアンドレア・キミ・アントネッリとなった[61]。